第6話 無敵の盾、落日の剣
ああ、ダメだ。
手を伸ばしても、はるか先にある。
何もできない──。
絶望が心を侵食する。
そんな中で、リオは瘴気の奔流の前に立つ人影を認めた。
アレンだ。
父が、グランゼリアを守るように、竜との間に立ちはだかる。
いくら父でも、あんなものを受けたら。
「父さん!」
リオは叫んだ。
嫌だ、母さんに続いて──父さんまで。
アレンは一歩も退かず、胸の前に手をかざした。
指先から橙の光が走り、宙に炎と風の弧を編み上げる。
その軌跡に沿って、盾が芽吹くように現れた。
柔らかくも力強い曲線を描く、半透明の盾。
衝撃が触れた瞬間、炎が縁を駆け、風が唸りを上げて空気を裂く。
波紋のような光がその圧を吸い込み、力を散らしていく。
障壁は、黒炎と化した灼熱の吐息の角度に合わせて形を変えた。
周囲に立つ狩人や聖導士の瞳に、透明な盾に走る光の奔流が焼きつく。
炎の紅と、風の碧。
二色の輝きが交わり、ひとつの光となって、まるで生き物のようにうねる。
息吹が盾に押し付けられ、空気が裂ける音と共に衝撃波が波打ち、周囲が揺れる。
アレンの髪と、服の裾が翻った。
だが、その衝撃は届かない。
盾の魔法がすべて受け止めていた。
──やがて、終焉の咆哮がやむ。
炎と風の渦が緩やかに収まり、盾は静かな輝きを保ったまま、アレンの前でその姿を留めていた。
あの一撃を、完全に止めた──美しくも、無敵の盾だった。
かざしていた手をゆっくりと握り、下ろすと、盾は溶けるように霧散した。
傾いた太陽。
その夕焼けがアレンの背後の街を優しく染める。
周囲の者は息を呑み、その光景を見つめた。
竜が体をもたげる。
だが、動きは鈍い。
大幅に瘴気を消耗したのだ。
「今だ、総攻撃!」
声が風を裂いた。
大型弩が装填される。その数、五。
貫くためではない。
押し出すために、あえて矢じりをつぶした矢。
指示がなくとも、自分のすべきことがわかっているようだった。
狩人たちが一斉に動く。
矢が風ごと、轟音を立てて放たれる。
連続する衝撃が、巨体をわずかに浮かせ、石畳を滑らせる。
門と城壁を粉砕しながら、海風を巻き込み崖へと押される。
隣に気配があった。
誰か、確認するまでもなかった。
「リオ、止めを刺せ。お前にしか、できない」
リオは剣を抜いた。
竜を追い、海に向かって駆ける。
すぐさま次の矢が装填される。
弩の連射が続き、衝撃が波のように重なる。
その間も、武器による攻撃でさらに崖へ押し込む。
完全な飛行ではない。
数歩ごとに地を叩き、跳ね、押され、また風に持ち上げられる──その繰り返しだ。
西の海沿いの街道を超えて、竜が崖まで吹き飛ばされる。
崖手前、駆けていた狩人たちが一斉に飛び出した。
大槌と槍が合図とともに叩き上げ、巨体を最後の弧へと押し上げる。
門から崖までは五百歩足らず。
わずか数十秒で、その距離を奪い尽くした。
竜が崖縁を越える。
下は海。
翼は再生していない──飛べない。
赤みを増した夕日を背に、黒の巨体が空を舞う。
背後でアレンが手を掲げた。
巨体は海へと落ちていく。
リオも崖から飛び降りた。
その瞬間、アレンが手を振り下ろす。
空から、叩きつけるような風が、リオの背を押した。
──父の魔法だ。
リオと竜は、弾かれるように加速した。
着水の瞬間、黒い瘴気が海面を噴き上げ、白の水柱が空へ舞った。
波が砕け散り、結晶鱗が鈍い音を立てて砕ける。
黒ずんだ筋肉と骨が水柱に呑まれた。
結晶の破片が舞う。
だが、それでもまだ巨大な体は蠢く──逃がさない。
剣に魔力を込めた。
その刃が白銀に煌めく。
リオは海風を裂き、天へ跳び、剣を振り下ろす。
刃先が結晶の亀裂を縫って深く食い込む。
喉の奥まで突き刺さる衝撃音が、海上に轟いた。
「うわっ!」
息が詰まるほどの衝撃に、思わず声が漏れた。
竜を切り裂いた剣が海をも裂き、リオはそのまま、着水する。
勢いを削がれた体が、水面に叩きつけられ、そのまま沈んだ。
すぐに浮上して、海面に顔を出した。
崖の上から、アレンが崖下を覗き込んでいるのが見える。
リオは笑顔で手を振った。
全身が痛み、海水が染みる。
それでも、リオは笑った。
その背後では、黒い体が波に揉まれながら、潮にほどけるように崩れ始めた。
塵となり、瘴気が海風に溶けて消えていく。
リオの笑顔を、落日の光と潮風が、穏やかに包んでいた。




