第1話 裂ける空、降臨
リオたちは外へ飛び出した。
北西と、北の方角の空に、何かがある。
世界の音が、一瞬だけ遅れた。
風も、鳥も、人の声も、呼吸の途中で止まったようだった。
時間の膜が薄くのび、景色だけが静止して見える。
その静止の中心を、黒い線が裂いた。
それは、裂け目だった。
この距離でもはっきりと視認できるほどに大きい、特大の裂け目。
誰もが言葉を失った。
風の音が消え、周囲のざわめきすら凍りついた。
──音が、息を潜めた。
北西の裂け目から、黒い足が落ちてきた。
ゆっくりと姿を現す。
長い首、巨大な翼、ゆらめく尻尾──それは巨大な竜だった。
遠目でも、その存在感は圧倒的だった。
体表は光を吸い込むかのような漆黒で、冷たく重い威圧感を放つ。
アレンが地面を蹴り、高い屋根の上に飛び乗る。
リオも慌てて後を追う。
他の狩人たちも続いた。
竜の真下には──狩人本部があった。
次の瞬間、着地した。
建物はその足下で砕け散った。
噴煙が、竜の背より高く立ち上る。
地面が、牙を剥いたかのように震える。
遠くで建物が砕け、砂塵が巻き上がる。
建物の輪郭が揺らめき、人々の悲鳴が混ざった。
「本部が──!」
だが、その叫びは、遅れて降り注ぐ轟音にかき消された。
竜の方から、空を裂くような暴風が吹きすさぶ。
飛ばされそうになったリオの手を、アレンがぎゅっと掴んだ。
やがて、風が収まる。
リオが礼を言おうと顔を上げたとき、ふっとアレンの手の力が抜けた。
その瞳は、竜を映したまま動かない。
「北もです!」
誰かの声に、皆の視線が北へ向く。
北の裂け目から、白い何かが落ちてきた。
ゆっくり露になるその姿に、小さな悲鳴が上がる。
六枚の巨大な翼。
人間の顔や腕、祈る手が何層にも絡み合っている。
──だが、顔はない。
翼の間で無数の手足が蠢き、まるで独自の意志で暴れているようだった。
翼の白さと真逆の漆黒の瘴気が周囲に漂う。
遠目でもその形は異様で、背筋に冷たいものが走った。
着地とともに噴煙が爆発する。
再び、地鳴りのように地面が震え、耳が痛むほどの轟音が街全体に響いた。
衝撃波が遅れて襲った。
視界が揺れ、砂塵が目に入り、息を詰まらせる。
黒と白──二体の怪物が、絶望そのものの形で目の前に立った。
目を見開いたまま、肩が震える。
逃げ惑う人々の叫び、飛び散る砂塵、吹き荒れる風。
すべてが恐怖を増幅させる。
「聖導教会本部まで……」
誰も、動けなかった。
狩人本部と聖導教会本部。
グランゼリアの西と北の象徴が、一瞬で、跡形もなく踏み潰されたのだ。
世界は──沈黙した。
すべての音が、崖の縁から落ちたように消えた。
瓦礫の破片が一つ、転がり落ちる音だけが、遠くで響く。
それが、この世界の最後の呼吸のように思えた。
リオは思わず泣きそうになり、アレンを見上げた。
だが、アレンだけは竜から視線をそらさない。
その顔に、微かに過去の影が揺れる。
唇を震わせ、片手で胸元を掻きむしるように握る。
明らかに様子がおかしい。
恐怖でも、痛みでもない。
まるで──古い傷が呼び覚まされたようだった。
「父さん!」
リオの声に、ようやくアレンが視線を戻す。
だが、まだ少し呆然としていて、頭を押さえ、ふらついた。
「父さん、本部が!狩人と聖導教会の本部が、潰された!」
アレンが瞼を落とし、深く息を吐く。
そして顔を上げた。
いつもの──父の瞳が戻っていた。
周囲の風が一瞬止み、砕けた瓦礫の匂いと砂塵が鼻腔を刺激する中。
アレンの声が、静かに、しかし確かな力を持って響いた。
「……あれを、討伐する──」
その声とともに、空気が張り詰める。
リオの胸も、自然と鼓動を速めた。




