第5話 街に広がる混乱
警報が市場区に鳴り響く。
黒い裂け目が街のあちこちに現れ、砂埃や木片が舞い、人々が悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。
建物の屋根の上や通りの隅に、小型の瘴気魔獣の影がちらつく。
だが、狩人や聖導士の手際は素早く、小型の魔獣は一瞬で祓われ、瘴気と共に消え去っていく。
リオとアレンが市場区に到着した時、残っていたのは中型以上の魔獣だけだった。
遠くの建物の屋根に、漆黒の瘴気に覆われた大きな影が見える。
霧のような瘴気が流動し、形ははっきりしない。
空洞と、光点が時折ちらりと光るだけ。
その下で、足のような影が屋根を踏み砕く。
それでも、その存在は圧倒的だった。
息を詰めるような威圧感が漂い、逃げ惑う人々に恐怖を十分に突きつけていた。
足がすくんだ。
膝が勝手に震え、指先が冷たくなる。
頭では動けと言っているのに、体がまるで他人のものみたいだった。
「あれは手に余るな」
アレンが低く呟き、剣を抜くと同時に駆け出した。
道を駆けるその背には、揺るぎない決意が宿っていた。
リオも、ようやく現実を実感し、自分の足でアレンに続く。
目の前で、瘴気魔獣がアレンに襲いかかる。
次の瞬間、剣先が閃いた。
一瞬、風を裂く音だけが残る。
踏み込みも、斬撃も、すべてがあまりに滑らかで、リオには何も捉えられなかった。
気づいたときには、瘴気魔獣は崩れ落ちている。
アレンはただ静かに剣を下ろし、何事もなかったかのように駆け続けていた。
その動きは、舞っているかのようだった。まさに剣舞。
見惚れると同時に、鼓動が高鳴るのを感じながら、リオも小さく頭を振って剣を抜いた。
あの背に続きたい──その思いに突き動かされる。
道中、アレンは簡潔に指示を出す。
「その先は封鎖。周囲に気を配れ」
狩人や聖導士たちが素早く動き、指示通りに対応する。
向こう側でも、別の狩人が魔獣を瞬時に斬り伏せていた。
「急いで、狩人本部へ逃げよう!」
「いや、聖導教会本部の方が安全だ!」
声が交錯する。
視界の端では、騒動の中、街の人達が信じる“守り”へと向かっていく。
リオは息を整え、アレンの動きに合わせて駆ける。
こんなに速く走ったことはなかった。
足音が重なる。
背後を走るリオの存在を常に意識しながら、少しだけ速度を緩めてくれているのがわかる。
それがわかったから、息を切らしながらも、リオは必死に足を動かす。
少しずつ、戦場の空気が体に馴染む。
気づけば、足は迷わず前に出ていた。
大きな瘴気魔獣に近づくにつれ、周囲の空気がひんやりと変わる。
薄く、錆びた鉄の香りが漂った。
黒い影の端に、口のような穴、眼のような光が瞬く。
遠目でもわかる異形の気配。
恐ろしい──でも、逃げたいとは思わなかった。
だって、目の前には父の背がある。
そこに立つ背中が、まだリオの“現実”だった。




