学者の挑発
王都の図書館が舞台となった。天井まで届く書架に古書が整然と並び、柔らかな日光がステンドグラスを通して差し込む。学者たちの議論や書物をめくる音が静かに響く中、私は静かに歩を進めた。今日の相手は、王国随一の知識と自負する学者、エドガー・フォン・リーヴェンである。
彼は背筋を伸ばし、革の装丁の分厚い書物を抱えて近づいてきた。
「アローナ・グランツ嬢……噂は耳にした。王太子を追放し、詩人や貴族を論破した女、実際に会えるとは興味深い」
その声には軽い嘲りと挑戦が混ざっていた。周囲の学者たちが視線を集め、広間の空気が一瞬で緊張に包まれる。
「ご挨拶、エドガー・フォン・リーヴェン教授」
私は静かに頭を下げ、扇子を開きながら微笑む。
「知識と理論を尊ぶお立場でしょうに、噂だけで評価するのは少々短慮ではありませんか?」
教授は眉をひそめ、微かに笑う。
「短慮とは面白い言葉だ。しかし、君の言葉が理屈にかなっているかどうか、ここで確かめさせてもらおう」
私は静かに一歩前に出て、視線を相手に向ける。
「理屈や知識は尊重します。しかし、知識だけでは真の理解は生まれません。理論に固執し、現実や人の心を軽んじる学者は、知恵とは呼べないのです」
エドガーは軽く笑い、挑発的に返す。
「現実や心を軽んじるだと? 理論こそが真理を示すのだ。感情や立場に左右される君の言葉が、我に通じると思うのか?」
「理論は確かに価値があります」
私は扇子を軽く広げ、静かに歩みを進める。
「しかし理論は、実践や人の理解と結びつかなければ空虚です。十年もの間、王太子や貴族たちに向けて行った私の行動と観察は、理論だけでは測れない真実を示しました。知識を誇るだけでは、人は説得できません」
教授は額に皺を寄せ、声を荒げる。
「説得? 説得など必要ない。真理は己で証明するものだ」
「それこそが、傲慢の証です」
私は静かに言葉を重ねる。
「真理を知る者は、自らの限界を認め、他者の見解や経験を尊重します。自己の知識を絶対化する者は、事実を見落とし、誤解を生む。あなたの理論は確かに正しい部分もあるでしょう。しかし傲慢さによって、価値ある洞察を無視しているのです」
エドガーは口を開き、必死に言い返す。
「だが、理論の正確さを否定するのか! 私は十年以上も研究を積み重ねてきたのだぞ!」
「積み重ねた研究は尊敬に値します」
私は柔らかく、しかし確実に論理を重ねる。
「しかし、どれだけ知識を積んでも、人を理解し、現実を見抜く力が伴わなければ意味はありません。知識は手段であり、目的ではないのです。あなたは知識の価値を誇示するあまり、真に重要なものを見失っている」
広間が静まり返る。観客の学者たちも息を呑み、教授の顔に焦りが滲む。
「……君の言葉、確かに一理あるが……」
「一理ではありません」
私は一歩前に出て、視線を揺るがせず論理を積み上げる。
「あなたが尊ぶ理論や知識は、人を理解し、社会を動かすための道具であるべきです。それを自己満足や傲慢に使う者は、必ず自身の評価で報いを受ける。人は知識だけに従うのではなく、配慮と洞察を備えた者に従うのです」
エドガーは言葉を失い、膝に力が入らず立ちすくむしかなかった。観客は静かに感嘆の声を漏らし、広間の空気は完全に私の支配下に置かれた。
私は扇子を閉じ、微笑を保ちながら一礼する。
――知識も理論も、傲慢に振る舞う者を曝す刃には及ばない。今日もまた、その証明ができたのだ。
控え室に戻ると、同席の者たちが小声で称え合う。
「アローナ・グランツ、ただ美しいだけでなく、頭脳と観察眼もすごい」
「学者ですら、ここまで論理で追い詰められるとは」
夜風に顔をさらし、石畳に映る自分の影を見つめる。
――舞踏会は終わったが、私の挑戦はまだ続く。
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