外交官の傲慢
王都の冬の舞踏会。氷晶のようなシャンデリアの光が広間に降り注ぎ、貴族や外交団が華やかに装いを整えて集う。私は広間の入口から穏やかに歩を進め、周囲の微細な視線や空気の変化を読み取る。光と香の交錯の中に、策略や権力の匂いが混じっていることも見逃さない。
その時、外国からの使節団の外交官、レオニード・ヴァルコフが私の前に現れた。黒金の刺繍が施された礼服を着た彼は、威圧的な姿勢で広間の空気を変える。
「アローナ・グランツ嬢、噂は聞いたぞ。王太子を追放した女として、興味深い存在だ」
挑発と軽蔑を帯びた声に、広間の貴族たちが一斉にこちらを見つめる。私は微笑みを崩さず、静かに頭を下げた。
「ご挨拶、ありがとうございます。外交官として、言葉の重みをご存じでしょうに。私の行いを『興味深い』と表現なさるのは、少々軽率ではありませんか?」
レオニードは眉をひそめ、冷たい笑みを浮かべる。
「軽率? いや、君の評判は海外でも届いている。我々の間で議論になることも少なくない。しかし、言葉で人を屈服させるだけでは、真の影響力とは呼べぬ」
私は一歩前に進む。周囲のざわめきを確認し、観客の視線が味方に変わるよう意識しながら言葉を紡ぐ。
「力とは、単に武力や地位で測れるものではありません。真に尊敬され、信頼される者は、知恵と配慮をもって行動するのです。行動が伴わなければ、どれだけ威光を誇ろうとも、空虚な存在に過ぎません」
レオニードは少し顔をしかめ、軽く息を吐く。
「なるほど。しかし、我々外交官は国家の命運を背負う。言葉を選ぶだけで私の考えを覆せるとでも?」
「覆すつもりもありません」
私は静かに答える。扇子を開き、視線を彼から外さず広間全体に意識を配る。
「ただ、軽んじる者を放置すれば、事実は歪められ、誤解は広がります。言葉の正当性は、根拠と配慮で支えられてこそ初めて真価を持つのです。あなたが尊ぶ国益も、威圧や高慢な主張だけで守れるものではない」
レオニードは少し息を荒げ、声を強める。
「では、君は何を持って私を諭すつもりなのだ? 我の経験や知識を侮るのか!」
「侮るつもりなどありません」
私はゆっくりと一歩前に出て、柔らかく、しかし力強く語り始める。
「あなたの経験や知識は確かに尊い。しかし、知識だけで人の心を動かすことはできません。事実を無視し、感情だけで他者を評価する行動は、知恵とは呼べないのです。威光を振りかざし、他者を見下す態度は、相手に軽蔑されるだけでなく、あなた自身の評価も損ねます」
観客たちのざわめきが広がる。外交官は額に皺を寄せ、抵抗するように言葉を返す。
「ならば、君の言葉で私が誤っていたと示せるのか!」
「誤りを示すのではなく、見落としていることに気付かせているだけです」
私は落ち着いた声で続ける。
「外交は、相手の立場や心を理解することから始まります。相手を尊重し、長期的視点で行動する知恵が伴ってこそ、言葉は力を持つ。立派な言葉や知識だけでは、心を動かすことも、人を納得させることもできません」
会場の空気が張り詰める。観客は息を呑み、外交官の顔に動揺が見える。彼は小さく息を吐き、声を荒げる。
「……君の言葉は、確かに理屈としては正しい。しかし、現実はそんなに単純ではない!」
「現実は単純ではないからこそ、行動と知恵が求められるのです」
私は微笑みを保ちながら、さらに冷静に重ねる。
「真実を見つめず、威圧や傲慢で相手を抑えようとする者は、自らの愚かさを晒すだけです。あなたが尊ぶ国益は、相手を理解し、配慮することで初めて守られます。それを軽視する者は、必ず自身の立場で報いを受ける」
外交官は肩を震わせ、視線を落として後ずさる。周囲の貴族たちも静まり返り、微かな息遣いだけが響く。観客の目には、私への尊敬と、外交官への失望が映し出されていた。
私は扇子を閉じ、優雅に一礼する。
――言葉も行動も、侮った者を曝す刃には敵わない。今日もその証明ができたのだ。
夜風に顔をさらし、石畳に映る影を眺める。シャンデリアの光が揺れ、冬の冷気が頬を撫でる。
――舞踏会は終わったが、私の挑戦はまだ続く。誰も予想できぬ未来が、アローナ・グランツを待っている。
私は静かに微笑み、胸の内で告げる。
「侮った者は必ず敗れる――そしてその連鎖は、誰にも止められない」
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