辺境伯の挑発
王都の夜会に、新たな客人が現れた。
それは辺境を治める戦場貴族――ヴァルト辺境伯。
高く反り返った背、肩には獣の毛皮を掛け、戦場帰りの豪胆を誇示する姿は、見る者を圧倒する。
「ほう……お前があの王太子を追放に追い込んだ女か。口先三寸で男を潰す。だが戦場では舌など何の役にも立たぬ。女は舞踏でもしていればよい」
広間がざわめく。私は微笑を浮かべ、静かに一歩前に進んだ。
「辺境伯殿。ご挨拶にしては随分と刺激的なお言葉ですね」
「刺激? いや、真実を述べたまでだ。女の兵法など、子供の遊戯。武人の領分に口を挟むな」
会場に忍び笑いが広がる。だが私は扇子を開き、落ち着いた声で応じた。
「では、一つ伺いましょう。昨年の北方戦役、ヴァルト辺境軍が退却を余儀なくされた件――補給の遅延によるものでしたね。その原因を、どのようにお考えでしょうか?」
「な……っ」
辺境伯の目がぎょろりと動く。
「補給隊を護るべき部隊が、本隊から二日の行程も遅れて進軍していた。敵はそれを突き、補給を断った。敗因は敵の強さではなく、味方の連携不足。これは兵法において最も初歩的な失策でございます」
「ぐ……!」
「さらに申せば、補給線を護る兵は三割。常識的には二割で十分。正面の兵力を削って後方に割いた結果、攻め手を欠きました。これを“勇敢”と呼ぶのは、兵を餓死させる愚挙に他なりません」
会場が静まり返り、彼の額に汗が浮かぶ。
「辺境伯殿。勇気は確かに兵を奮い立たせます。しかし、勇気だけで勝てるなら、敗北は歴史に存在しません。史実は、勇を誇った将より知を重んじた将を勝利者として記録しています」
彼は声を荒げる。
「女に何がわかる!」
「女だから知らぬ? むしろ知らねばなりません。戦死者を悼み、兵の犠牲を想像し、学ぶことこそ真の指揮者の心得です。軽んじるのは、己の無知と無責任に他なりません」
私は扇子を閉じ、静かに一歩前へ出た。
「将が誇るべきは己の武勇ではなく、兵の帰還率です。兵を生きて帰すこと――それこそが真の勲章。威勢だけを誇る将は、敵より恐ろしい“内なる害”に他なりません」
辺境伯は口を開き、悔しげに言葉を探す。
「だ、だが戦場は予測不能だ! 理屈だけで勝てるものか!」
「予測不能だからこそ、学びが必要です。偶然の勝利は一度で終わるが、学びと戦略による勝利は再現されます。偶然に頼る者は、栄誉ではなく犠牲の重みに直面するのみ」
私は広間に視線を巡らせ、拍手をしそうな者たちの視線を受け止める。
「辺境伯殿。あなたの誇る“武勇”とは何ですか? 敵を斬った数ですか? 敵を退けた数ですか? それとも無駄に散った兵の血ですか? 真の武勇は、死者の数を減らし、生還を増やすことにあります。それを実行できぬ将は、ただの見栄っ張りに過ぎません」
辺境伯は顔を真っ赤にして震える。
言い返す言葉がなく、拳を握りしめて立ちすくむばかり。
「兵はただの駒ではありません。彼らの命は国家と民の未来に繋がっています。その価値を軽んじる者がいかに武勇を語ろうと、空虚な響きしか持たないのです」
私は最後に静かに告げた。
「どうか、次に北境を護る時は、敵の強さだけでなく、味方の命を軽んじぬように」
広間に拍手が巻き起こる。
辺境伯は屈辱に顔を覆い、その場を逃げ去った。
――また一人、私を侮った者が自ら転げ落ちた。
商人から辺境伯まで、ザマァの連鎖は、なお続いていくのだった。
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