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一条戻り橋  作者: yukko
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雨の中

孝子の筆は活き活きと言葉を連ねていきます。

⦅恋の第一幕だわ。なんだか心が弾むわ。もう年なのに……。⦆と思いながら、若い二人の恋に想いを寄せて書いています。

そして、思い出した孝子は一つの箱を探し出しました。

その箱の中には公廉から送られた文が入っていました。

一つ一つを取り出して読んでいると涙が溢れ出しました。

部屋に入って来た公廉に気が付いた孝子は、大慌てで箱に文を入れて箱を隠しました。

涙の痕を見た公廉は優しく涙を拭いました。

ただ、それだけなのに孝子は涙が止まらなくなりました。

気が付くと公廉の腕の中で優しく包まれていました。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



源中納言家が仕えている者を引き連れて石山詣に出かける直前までの邸の中は大変な忙しさでした。

当日は美しき着飾った姫君4人と、これまた美しく着飾った女房達で賑やかにそして晴れがましい御一行が行列を成して夜も明けない有明の月が残っているような早朝に邸を出て行きました。

御一行が出られた後の邸は、嘘のように静かになりました。

阿漕は朝から落窪の君のことだけをしています。

この石山詣の間だけは落窪の君だけの女房で過ごせることの喜びを阿漕は感じています。

冬にしては暖かい良く晴れた日です。

阿漕が落窪の君と二人で楽しく、そしてのんびりと話していると、惟成から文が届きました。


「石山詣に行かなかったんだって? 

 それなら、私がこれから行くから、待っていてくれ。―惟成 」


阿漕は返事を書きました。


「姫様がお残りになるから残っただけよ。

 貴方の為ではないわ。悪しからず……。

 来るのなら、私、退屈しているから、姫様も退屈していらっしゃるから……

 絵巻物とかお菓子とか……持って来て頂戴ね。―阿漕 」


文を受け取った惟成は微笑んでしまいました。

惟成が源中納言家で聞いた話では「北の方の意地悪で落窪の君は連れて行かれなかった。」のですが、阿漕は「姫様が残られた。」と言ったのです。

惟成は阿漕の姫君への想いがいじらしくて笑みが零れました。

惟成は阿漕の文の中の「姫様も退屈していらっしゃる。」という一文に「あれっ?」と不思議に思いました。

今、邸の中は人が少ないはずです。

少なければ姫様はゆっくり過ごせるのです。

縫物をしなくても良いのですから……。


⦅はて、さて、これは……。

 阿漕には惟成。そして、姫様には少将が……慰めに来てくれ!

 ということなんだろうか?⦆


そう思い、惟成は急いで右近の少将の部屋に行きました。


「どう思われますか?」

「其方の妻は綺麗な文字を書くなぁ。」

「えへへ……そうでしょう!」

「うん。これは……まさに忍び込むのに良い機会!

 惟成。案内しろ。」

「はい。若様、絵巻物がございましたらご用意ください。

 姫様にお渡しすれば良いと存じます。」

「絵巻物を渡すのは……憚る。」

「何故でございますか?」

「姫君が私を通わせてくれぬうちに渡したくないのだ。」

「私は今が好機と捉えております。」

「好機とな?」

「はい。」


そして、右近の少将は筆を手にしました。

さらさらと書かれたのは絵でした。

口と尖らせて(ふく)れている公達の絵です。

その絵の横に書かれたのです。


「つれなきを 憂しと思へる 人はよに ゑ見せじとこそ 思ひ顔なれ」

⦅あなたのつれない態度に打ちひしがれている人(私)は、笑みを見せまいと思っているようです。だから絵を見せることはできません。笑みせじ、絵見せじ……などと……。⦆


その文を携えて惟成は母親である右近の少将の乳母に菓子の用意を頼みました。


「沢山、お菓子を用意してくれ。」

「其方と阿漕さんが食べるのかえ?」

「若様もお召し上がりになられるかもしれないからね。

 餌袋(えぶくろ)に一袋用意してくれ。

 直ぐに使いの者に取りにやらせるから……頼みましたよ。母上。」


そう言って惟成は急ぎ源中納言家へ向かいました。

その手には右近の少将の文を携えて……。



源中納言家で阿漕に逢いました。


「何だか寂しいね。人気が感じられないな。」

「そうよ。皆、石山詣に行ったから……。」

「ふ~~ん。少ないんだな……。」

「ねぇ、絵は? 持って来てくれたの?

 姫様が退屈していらっしゃるわ。」

「絵より、この御文を渡してくれ。少将様から言付かった御文だから。

 お菓子は沢山持って来るよ。もう直ぐ届くから……。」

「そう……届くのね。」

「届くよ。……あの……今夜はどうだろうか?

 もし、少将様がいらっしゃるとしたら……姫様は……?」

「少将様がお出でなら、浮ついた御心ではないと誓って下さってるのよね。」

「う……う~~ん。

 あのな、最初はお茶など飲んで少し言葉を交わされる……で良いのでは?」

「とんでもないわ! 姫様に失礼じゃない!

 ……兎も角、御文はお目に掛けるわ。

 貴方は私の部屋で待ってて頂戴。」


阿漕は落窪の君の部屋に行きました。

そして、右近の少将の文を渡しました。

落窪の君は珍しく暇を持て余していましたので、右近の少将の文を見ました。


「まぁ、阿漕。私が絵巻物を見たいなど……少将様に申し上げたのですか?」

「私が夫に話したことが、夫から少将様に伝わったと思いまする。」

「嫌だわ。私のような埋もれて暮らしている者が……人様に何かを欲しがったり、

 見たがったりしていると思われたくありませんのに……。

 ひっそりと隠れていたいのです。

 ………阿漕、もう私のことを何も話さないで。」

「申し訳ございません。」


落窪の君は優しく微笑んで阿漕に言いました。


「其方の夫が来ているのでしょう?

 早く退がっておやすみなさい。

 私も今夜は久し振りに早く休みます。」

「いいえ、あの人はいいのです。

 毎晩のように来ているのですから……。

 私は姫様と二人でゆっくりお話をしとうございます。

 こんなにのんびり姫様と過ごせるのは久し振りですもの。

 私の夫がお菓子を持って来てくれるということです。

 もう届いている頃ですわ。

 持って参ります。お召し上がり下さいまし。」


惟成は阿漕の部屋で待ち草臥(くたび)れていました。

そこへ惟成の母からのお菓子が届いたのです。

そこで、お菓子が届いたことを阿漕に知らせました。

お菓子は餌袋が二つ。

一つは美しくあれこれと取り揃えてありました。

もう一つは大きな袋で、中には様々な菓子、様々な餅、そして紙で隔てて焼米も入っていました。

そして文が添えられており、そこには「阿漕さんのお付きの女童(めわら)に焼米をあげなさい。」と書かれていました。

⦅お節介だなぁ……母上は……。⦆と思いながら、惟成は阿漕が来るのを待っていました。

その頃には雨が降り始めていました。

⦅あぁ……この雨ならお見えにならないかもしれないなぁ……。⦆と思っておりましたら、戸を叩く音がしました。

少将の使いの者でした。

急ぎ惟成は邸を出て、牛車に向かいました。

牛車の中には右近の少将が居ました。


「惟成、この雨の中を来たのだ。無下に返すような無粋な真似はするなよ。」

「雨が降って参りましたので、お見えにならないと思っておりました。

 お見えになるなら使いの者を寄越して頂ければ……。

 何も段取りなど出来ておりませぬ。

 姫様のお気持ちも分かりませぬのに……。」

「良い良い! ただ姫君の姿をこの目にしたいだけ……。」

「何はともあれ。このままでは……一先ず、お入りください。」


右近の少将は牛車を「夜が明ける前に迎えに来るよう」言いつけて帰らせたのです。

そして、源中納言の邸に入って行きました。

阿漕の部屋の入り口で、少将と惟成は手筈を打ち合わせました。

人気が無いことで安堵したのか、右近の少将は「姫君をお姿を垣間見させよ。」と言ったのです。

惟成は「もし姫様が醜女(しこめ)だったら、如何なさいますか?」と聞くと、少将は「その時は雨の中を一目散に逃げ帰る。傘もつけずに袖を被って、な。」と言うのです。

惟成はやむを得ず、右近の少将を落窪の君の部屋の近くに案内しました。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂


一頻り(ひとしきり)泣いた後、孝子は恥ずかしくて顔を上げられません。

そのまま公廉は抱きしめていました。

⦅このような時間を持ったのはどれくらい前だったのだろうか……。⦆と公廉は思いました。

妻の小さな声が公廉の耳に届いた。


「もう大事ございませぬ故、どうかお手を………。」

「まだじゃ。このままで居よ。」

「吾が君様……。」

「このままで居てくれまいか。孝子……。」

「吾が君様……。」

「久しく其方の温もりを得たのじゃ。許せ。孝子。」

「吾が君様………。」


もう成人した子が居て、孫も居る夫婦が迎えた久しい夜でした。

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