表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一条戻り橋  作者: yukko
7/69

御文―その弐―

孝子は⦅右近の少将は今を時めく公達で、当たり前のお心を持っているお方。このお方が変わっていく様を描きたい。⦆と思っています。

公廉が妻の孝子以外の女性の元へ通ったのは、孝子が乳母としてお仕えしている間でした。

公廉のことを知った時、初めて孝子は寂しくて苦しくて……辛かったのです。

お仕えしている御邸でも妻以外の女性の元へ通っておられましたから……。

どうしても物語の中でだけでも妻一人を愛する男性を描きたかったのです。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



右近の少将は惟成に聞きました。


惟成(これなり)。れいの姫君はご覧になったのか?」

「それが……芳しくございません。」

「そうか……では、また文を遣わすから、今度こそ必ずやお返事を頂いて参れ。」

「はい。」


惟成は急ぎ右近の少将の文を携えて阿漕の元へ向かいました。


その頃の落窪の君は重い心で日々を過ごしていました。

出ることが叶わない床が落ちくぼんだ部屋にで、ただ縫物だけをして暮らす日々です。

その上、食べ物も着物も碌に与えられず……一日にたった一食しか食べることを許されないのです。

お腹が空いても北の方は「あらっ、胃もたれだわ。」と言って食べ物を与えてくれないのです。

三の君の婿殿・蔵人(くろうど)の少将の袴を見事に仕立て上げた褒美に、やっと貰えた綿入れの着物は北の方の使い古した着物でした。

色は剝げ落ちています。

それでも寒さを防げるので落窪の君は喜びました。

でも……寝付けない夜など思うのです。


「我に露 あはれをかけば たちかへり 共にを消えよ うきはなれむ」

⦅お母様、私を露ほどでも可哀想と思って下さるなら、この世に戻って来て私を共にあの世へ連れて行ってください。そうすれば、葉の上に浮く露のように、辛い事ばかりのこの憂き世から離れることができるのですから。⦆


そのような気持ちの落窪の君が右近の少将の文を読む気持ちは芽生えませんでした。

そのような日々を送っている落窪の君へ、また右近の少将からの文が届いたのです。


阿漕(あこぎ)、今度こそ読んで貰ってくれ!」

「無理だと思うわ。」

「どうして!」

「縫物にお忙しいのもあるのだけれど……。

 仰ったのよ。先のことなど考えられないって……。」

「どうしても?」

「目も向けては下さらないわ。」

「そうか………

 私としては右近の少将様と姫様が親しくなられたら……いいのにと思っていた。

 阿漕と蔵人の少将様の帯刀(たちはき)としてだけでなく、阿漕と繋がりが深くなると……

 そう思ったのだ。」

「まぁ…………うれ……酷いわ。姫様のことを考えてよ!」

「そうだよな………前の御文は?」

「読まれてないと思うわ。お部屋に置いて来たけれど……。」

「そうか……無理だとは思う。だが、この御文も姫様に読んで頂きたい。頼む!」

「分かったわ。お渡しするわね。……ただ、期待しないでね。」

「分かってるよ。」


右近の少将からの文はススキに結ばれていました。


「穂に出でて いふかひあらば 花すすき そよとも風に うちなびかむ」

⦅すすきが穂が出るように、貴女を恋しいと口に出して言う甲斐があるなら、そのすすきの穂が風に(なび)くように、そよそよと私の告白に(なび)いて色よい返事をして頂けないでしょうか。⦆


阿漕は「素晴らしい御手だわ。」と感心しつつ、文をススキに結ばれていることも「素敵だわ。」と声に出してしまいました。

この右近の少将の文も落窪の君は目の端に入れただけでした。


この文の返事も無かったからといって、右近の少将は諦めませんでした。

また文を送ったのです。


「雲間なき 時雨の秋は 人恋ふる 心のうちも かきくらしけり」

⦅雲の切れる晴れ間もなく時雨が降る秋のように、貴女を愛しいと思う私の心の内も、日々暗い時雨模様のようです。⦆


この文にも返事は有りませんでした。

尚も右近の少将は文を送りました。


「天の川 雲のかけはし いかにして ふみみるばかり わたしつづけむ」

⦅天の川にかかる雲の架け橋をどうにかして踏み渡ろうと試みるように、私も貴女からの文を見るまでは文を渡し続けましょう。⦆


これにも返事は有りませんでした。

毎日ではなかったのですが、絶えず文を送り続けました。

ですが、落窪の君からの返事は全く届きませんでした。


「姫君はつつましいお方と思うが、文を交わすことさえ拒まれるとは思わなんだ。

 ……きっと無垢なお方で初めてのことだったのだろうか?

 それで、返事の仕方も分からないのだろうか?

 でも……優しいお方と聞いている。

 それなのに、どうして簡単な返事すら頂けないのだろうか?」

「それは、北の方が怖いからですよ。」

「何と言った。」

「前にお話しておりますが、北の方が酷い方で……食べ物も満足に与えずに縫物を

 させておいでです。」

「うん。それは聞いたよ。」

「もし、御文を交わしていたら、それを北の方に知られたら……と思うだけで……

 ただただ怖いのだと聞きました。

 あっ! 妻からです。妻がそのように申しておりました。」

「文を交わすことを知られただけで何かをするというのか?」

「はい。兎に角、北の方は姫様を目の敵にしておりますそうで……姫様は怯えてお

 暮しとか……。」

「そんなに酷いのか……。」

「はい。

 ですから、少将様の御文を読むことさえ恐れておいでなのかもしれませぬ。」

「そうか………ならば! 其方が手引せよ。」

「はぁ?」

「このままでは埒が明かぬではないか。其方、手引して姫君と私を逢わせろ。」

「えっ!」

「密かに逢わせるのだ。良いなっ!」

「は……はい。」


惟成は断れる立場ではありません。

右近の少将の為に動かねばならず、どうすれば良いかと苦悩していました。

右近の少将は10日程の間、文を送ることをしませんでした。

そして、想いを込めて文を(したた)めました。


「かき絶えて やみやしなまし つらさのみ いとどます田の いけの水草」

⦅手紙を書くのを止めてしまいたいと思います。益田池の水草のように、辛さが増すばかりなので。⦆


この文を惟成に渡しました。

文を携えて惟成は阿漕に会いに行きました。


「頼む! 少将の気持ちを汲んで、今回はお返事を頂いてくれ。」

「そう言われても……姫様は待つ身になることは叶わないと思ってらっしゃるのだ

 もの。

 お返事の仕方も分からないと仰っておられるけど、ただただ姫様の境遇では……

 叶わぬ夢だと仰ってるのよ。」

「そこを! 頼む! 阿漕しか居ないんだ。」

「お届けはするわ。」

「頼む!」


阿漕が落窪の君の部屋に行き、右近の少将からの文を渡した。

だが、落窪の君は中の君の夫・右中弁(うちゅうべん)縫腋袍(ほうえきのほう)を懸命に縫っていて渡された文を読む間も有りません。

勿論、返事も無かったのです。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



妻が書いた物語を読んでいる公廉が言いました。


「ほほ~~っ、これは、これは……。なるほど……。」

「何が なるほど なのでございますか?」

「なかなかの……そんなつもりではなかった姫君はとんでもない恋の達人。」

「まぁ! そのようにお感じでございますか。」

「結果は右近の少将の心を掴んでいっている。

 そんなはずではなかったのだよ。それは分かる。

 偶然……否、必然なのかな?」

「吾が君様、もうお読みになるのはお止めくださいまし。」

「否、これからも読むぞ。

 何と言っても我が妻の認めし物語故のう。」

「吾が君様……。夕餉の刻限ではございませぬか?」

「おお! そうじゃ。」

「では、参りましょうか。」

「参ろうぞ。」


長年連れ添ったとは言えない夫婦です。

孝子は離れていた時間が長すぎたように感じていました。

それでも、今この瞬間、孝子は幸せを感じていました。

右中弁(うちゅうべん)は、平安時代の朝廷の最高機関の官位の一つです。太政官の職である左大弁さだいべん右大弁うだいべん左中弁さちゅうべん右中弁うちゅうべん左少弁さしょうべん右少弁うしょうべんがあります。

右中弁うちゅうべんは上から四番目です。


縫腋袍(ほうえきのほう)は、官人が朝廷に出仕するときに着用した衣服で文官用です。袖付け下を縫い合わせている物です。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ