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一条戻り橋  作者: yukko
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御文―その弐―

孝子は⦅右近の少将は今を時めく公達で、当たり前のお心をお持ちであらせられるお方。このお方が変わっていく様を描きたい。⦆と思っています。

公廉が妻の孝子以外の女性の元へ通ったのは、孝子が乳母としてお仕えしている間でした。

公廉のことを知った時、初めて孝子は寂しくて苦しくて……辛かったのです。

お仕えしている御邸でも妻以外の女性の元へ通っておられましたから……。

どうしても物語の中でだけでも妻一人を愛する男性を描きたかったのです。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



右近の少将は惟成に聞きました。


惟成(これなり)。れいのお方は読ましゃったのか?」

「それが……()()()()()やございません。」

「さよであるか……ほな、また文を遣わす。此度(こたび)こそ必ずや()()()()を頂いて参

 れ。ええな、惟成。」

「はい。」


惟成は急ぎ右近の少将の文を携えて阿漕の元へ向かいました。


その頃の落窪の君は重い心で日々を過ごしていました。

出ることが叶わない床が落ちくぼんだ部屋にで、ただ縫物だけをして暮らす日々です。

その上、食べ物も着物も碌に与えられず……一日にたった一食しか食べることを許されないのです。

お腹が空いても北の方は「あらっ、胃もたれやわ。」と言って食べ物を与えてくれないのです。

三の君の婿殿・蔵人(くろうど)の少将の袴を見事に仕立て上げた褒美に、やっと貰えた綿入れの着物は北の方の使い古した着物でした。

色は剝げ落ちています。

それでも寒さを防げるので落窪の君は喜びました。

でも……寝付けない夜など思うのです。


「我に露 あはれをかけば たちかへり 共にを消えよ うきはなれむ」

⦅お母様、私を露ほどでも可哀想と思って下さるなら、この世に戻って来て私を共にあの世へ連れて行ってください。そうすれば、葉の上に浮く露のように、辛い事ばかりのこの憂き世から離れることができるのですから。⦆


そのような気持ちの落窪の君が右近の少将の文を読む気持ちは芽生えませんでした。

そのような日々を送っている落窪の君へ、また右近の少将からの文が届いたのです。


阿漕(あこぎ)、此度こそ読ましゃりますよう。

 ほんで、()()()()()()てくれ!」

「無理やわ。」

「なんでや!」

「縫物に()()()()お姫さんやし……。

 仰せ遊ばされたの。先のことなど考えられへんって……。」

「どないしても?」

「お目を御文にお向けであらしゃいません。」

「さよか………

 私としては右近の少将さんとお姫さんが()()()()()()()()なりましゃれれば……

 ええのにと思うてた。

 阿漕と蔵人の少将様の帯刀(たちはき)としてだけやのうて、阿漕と繋がりが深うなると……

 そない思うたんや。」

「まぁ…………うれ……酷いわ。お(ひい)さんのことを考えて!」

「そやな………そやっ! 前の御文は?」

「読ましゃりません。御文はお部屋に置いて、そのまま退(さが)ったままや……。」

「さよか……無理やとは思う。けれども、この御文もお姫さんに読ましゃって欲し

 い。頼む!」

「分かったわ。お渡しします。……けれども、期待せんといてね。」

「分かってる。」


右近の少将からの文はススキに結ばれていました。


「穂に出でて いふかひあらば 花すすき そよとも風に うちなびかむ」

⦅すすきが穂が出るように、貴女を恋しいと口に出して言う甲斐があるなら、そのすすきの穂が風に(なび)くように、そよそよと私の告白に(なび)いて色よい返事をして頂けないでしょうか。⦆


阿漕は「見事な御手蹟であらしゃいます。」と感心しつつ、文をススキに結ばれていることも「趣があって、ええわぁ。」と声に出してしまいました。

この右近の少将の文も落窪の君は目の端に入れただけでした。


この文の返事も無かったからといって、右近の少将は諦めませんでした。

また文を送ったのです。


「雲間なき 時雨の秋は 人恋ふる 心のうちも かきくらしけり」

⦅雲の切れる晴れ間もなく時雨が降る秋のように、貴女を愛しいと思う私の心の内も、日々暗い時雨模様のようです。⦆


この文にも返事は有りませんでした。

尚も右近の少将は文を送りました。


「天の川 雲のかけはし いかにして ふみみるばかり わたしつづけむ」

⦅天の川にかかる雲の架け橋をどうにかして踏み渡ろうと試みるように、私も貴女からの文を見るまでは文を渡し続けましょう。⦆


これにも返事は有りませんでした。

毎日ではなかったのですが、絶えず文を送り続けました。

ですが、落窪の君からの返事は全く届きませんでした。


「お(ひい)さんは慎ましいお方やと思うが、文を交わすことさえ拒ましゃるとは……。

 ……きっと無垢なお方で初めてのことやったのやろか?

 ほんで、()()()()の仕方もお分かりやないんやろか?

 けれども……優しいお方と聞いている。

 そやのに、なんで()()()()()()()()すらお書きましゃらぬのやろか?」

「それは、北の方が(おと)ろしいからでござります。」

「何と言うた。」

「前にお話しておりますが、北の方が酷いお方で……お姫さんに食べ物も満足に与

 えずに縫物をさせてはるのやそうです。」

「うん。それは聞いた。」

「もし、御文を交わしていらせられたら、それを北の方に知られたら……と思うだ

 けで……ただただ(おと)ろしいのやと聞きました。

 あっ! 妻からです。妻がそのように申しておいるのやよって……

 その通りやと存じます。」

「文を交わすことを知られただけで何かをなさりましゃるお方やというのか?」

「はい。兎に角、北の方は姫様を目の敵にしてあらしゃるそうで……お姫さんは怯

 えてお暮しやそうでございます。」

「そないに酷いのか……。」

「はい。

 そやから、少将さんの御文を読ましゃることを恐れておいでなのやもしれまへ

 ん。」

「さよであるか………ならば! 其方が手引せよ。」

「はぁ?」

「このままでは埒が明かへんやないか。其方、手引してお姫さんと私を逢わせ

 ろ。」

「えっ!」

「密かに逢わせるのや。ええなっ!」

「は……はい。」


惟成は断れる立場ではありません。

右近の少将の為に動かねばならず、どうすれば良いかと苦悩していました。

右近の少将は10日程の間、文を送ることをしませんでした。

そして、想いを込めて文を(したた)めました。


「かき絶えて やみやしなまし つらさのみ いとどます田の いけの水草」

⦅手紙を書くのを止めてしまいたいと思います。益田池の水草のように、辛さが増すばかりなので。⦆


この文を惟成に渡しました。

文を携えて惟成は阿漕に会いに行きました。


「頼む! 少将さんのお気持ちを汲んで欲し、今回は()()()()を頂いてくれ。」

「そない言われても……お姫さんは待つ身になることは叶わないと思うていらせら

 れますのや。

 ()()()()の仕方も分からへんと仰せ遊ばしておられますけど、ただただお姫さん

 の境遇では……叶わぬ夢やと仰せ遊ばされています。」

「そこを! 頼む! 阿漕しか()らへんのや。」

「お届けはするわ。」

「頼む!」


阿漕が落窪の君の部屋に行き、右近の少将からの文を渡した。

だが、落窪の君は中の君の夫・右中弁(うちゅうべん)縫腋袍(ほうえきのほう)を懸命に縫っていて渡された文を読む間も有りません。

勿論、返事も無かったのです。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



妻が書いた物語を読んでいる公廉が言いました。


「ほほ~~っ、これは、これは……。なるほど……。」

「何が なるほど なのであらしゃいますか?」

「なかなかの……そんなつもりやなかったお姫さんは恋の達人やないか。」

「まぁ! そないにお感じでございますか。」

「結果は右近の少将の心を掴んではる。

 そないなはずやなかったのや。それは分かる。

 偶然……否、必然やったのか?」

「吾が君さん、もう読ましゃるのはお止し遊ばしませ。」

「否、これからも読むぞ。

 何と言うても我が妻の書かしゃった物語やよってな。」

「吾が君さん……。夕餉の刻限やと存じますけれども?」

「おお! そうや。」

「ほな、参りましょう。」

「参ろうぞ。」


長年連れ添ったとは言えない夫婦です。

孝子は離れていた時間が長すぎたように感じていました。

それでも、今この瞬間、孝子は幸せを感じていました。

およしよし…良いこと。

おこたえ…返事。

くす…貰う。

いもじさ…忙しさ。

おちかちかしく…親密に。

おさっと…簡単に。

右中弁(うちゅうべん)は、平安時代の朝廷の最高機関の官位の一つです。太政官の職である左大弁さだいべん右大弁うだいべん左中弁さちゅうべん右中弁うちゅうべん左少弁さしょうべん右少弁うしょうべんがあります。

右中弁うちゅうべんは上から四番目です。


縫腋袍(ほうえきのほう)は、官人が朝廷に出仕するときに着用した衣服で文官用です。袖付け下を縫い合わせている物です。


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