少納言
孝子は落窪の君の物語をどのように終えるかを考えています。
北の方への仕返しはどうしても入れたい話です。
ただ、源中納言への仕返しを中将にさせなかったのは、源中納言が実の父親だからです。
それが良かったのか今頃になって迷ってしまっています。
実の父とは言え、落窪の君への仕打ちが無かった訳ではないからです。
見て見ぬ振りも酷い仕打ちだと思うからです。
でも、実の親への仕返しなど考えられないのが孝子でもあります。
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三位の中将の二条邸では女房達を大切にしてくれるとの評判が知らぬ間に立ちました。
この評判を聞きつけた女房達の中に、源中納言家に仕える女房が居ました。
中納言邸で落窪の君に同情した少納言です。
これから仕える主が、あの落窪の君だとは露知らず、既に二条邸で中将に仕えている弁の君の招きでやって来たのです。
邸で新しい女房が御簾越しに女主人にお目見えをします。
女主人の落窪の君は、そこで畏まっている懐かしい顔に懐かしく……そして、可笑しく思いました。
落窪の君は衛門を呼んで言葉を伝えさせました。
「お言葉でございます。
『其方やとは思いませなんだ。
昔のことを忘れたわけやあらしまへん。色々な事がありました。
伝えたいと思うているうちに、結局、何も出来ずに日が過ぎましたんや。
こないな嬉しい事、ありますのやなぁ……。
早う私の部屋に来て欲しいと思うてます。』とのお言葉であらしゃいます。」
「えっ?」
驚きの余り、少納言は顔を隠す扇を取り落として、膝行る気持ちが逸るばかりです。
「あの……どないな事でござりましょうや。
お言葉を拝しましたが、どないな……
あの……こちの……お方は何方さんであらしゃいます?」
「少納言さん、私がお仕えするお方は、お一人であらしゃいます。
こうお話してお分かりになりませんか?」
「えっ?」
「私も少納言さんと共にお仕えできるのは嬉しいこと!」
「あの……もしや……。」
「あの中納言家で私がお仕えしていたお姫さん。」
「あ……ほんなら、こちらさんに?」
「そうやよ。落窪の君と呼ばれてあらしゃったお姫さん。
今は三位の中将さんの、殿さんの御寵愛目出度いお方……。」
「あ――っ、宜しおした。何処に行かれたのかと…………
ほんまに宜しおした。」
「さ、お姫さんの御前に……。」
「はい。」
少納言は落窪の君の前に膝行りながら進みました。
少納言は落窪の君に会うと、まずあの落窪にいた頃の姿が思い出されたのです。
落窪の君がますます美しく成長し、とても立派で、⦅ああ、ほんまにお幸せにお成り遊ばしまして……。⦆と喜びました。
周りには汗衫を着た女童や、とても若くて美しい女房たちが十余人も侍り、そよそよと衣擦れの音をさせながらお喋りを楽しんでいる姿も優雅なものでした。
「この方は、えらい早う御前へのお目通りを許されはったんやね。」
「なんででござりましょうか?」
「私らの時には、こないに早うお目通りは許されまへなんだ。」
古参の女房たちがそう言って少納言を羨ましく言いました。
落窪の君は、「そうやの。特別な人やの。」と、優美に言って笑いました。
このような優雅に暮らす落窪の君を見て、少納言は「ご両親に大事に大事に育てられなしゃいましたご義姉妹たちよりも、ずっとお幸せであらしゃいます。」と、女房たちの前では当たり障りの無い良いことを話し、落窪の君と衛門と少納言の三人になって、ようやく中納言家のことを詳しく話し出しました。
あの典薬の助の情けない言い訳を聞いた時など、衛門は大笑いしてしまったのです。
「北の方さんは、此度の婿取りを家のはもじやと思うてあらしゃいます。
なれど、これは運命やったと存じまする。
三の君さんと夫婦の契りを御結びにならしゃいました蔵人の少将さんが、もうお
見えであらしゃいません。前は鼻高々であらせられた北の方さんも、今は思い悩
んでお暮らしであらしゃいます。」
「まぁ……そないなことに……。」
そのように三人で積もる話をしていると、中将が内裏から大層酔って帰って来ました。
酔って顔は真っ赤ですが、それでも美しい中将です。
「主上が管弦の遊びに私をお召にならしゃいましてね。
誰彼かまわずにくこんをお強いにならしゃるものやから、酔うてしもうた。
私は笛を上手う吹き熟したんや。
それでな、御衣を被けならしゃったのや。」
と言いながら、その着物を持って来させました。
ゆるし色でとても香りのよい着物を「これを被けましょう」と言って笑顔で落窪の君の肩に掛けました。
「何の褒美であらしゃいますか?」と言って、落窪の君も笑いました。
中将は少納言を見つけると、驚いた様子を見せました。
「これはこれは、例の落窪で見た女房やないか。」
「さよでございます。」
「こちへ参上したのやな。
あの時にしきれなんだ交野の少将との艶めいた恋愛の話の残りを……
何としても聞きたいものやなぁ。」
中将がそう言うものの、少納言はすっかり頭の中が真っ白になってしまって、あの時に言ったことなど忘れてしまっていました。
⦅何のことやろか? けもじなこと仰せ遊ばされます……。⦆と思い、その場で固くなっています。
「ああ、酔いが回って来ましたな。」
「早う、お寝り遊ばしませ。」
「そやな……。そないしよ。」
中将はそう言って御帳の中に入って、落窪の君と二人で床に就きました。
残された少納言はそんな二人の様子を見て、⦅中将さんは何て御立派できゃもじなお方であらしゃいます。お姫さんのこと、えらい大事に思し召し遊ばしまして……お姫さん、お幸せであらしゃいます。⦆と、思いました。
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孝子の気持ちの中に、己が父と夫の公廉が、落窪の君の父・源中納言と重なってしまいます。
重なるとどうしても仕返しが出来ません。
誰とも重ならない北の方への仕返しはどんな風にでも出来てしまう己が心が醜いと思う時もあるのです。
⦅さぁ、どないしましょ。
これから先の落窪の君の物語。
どない終わらせたら、ええのやら……。⦆
膝行る…膝で歩くことです。
汗衫…女児の晴れ着です。
はもじ…恥ずかしいこと。
くこん…酒。
御衣…偉い人が着ていた着物です。「ぎょい」とも読みます。
被く…褒美に頂くことです。
ゆるし色…禁色以外の淡い紅色や紫色といった色のことを言います。禁色というのは、偉い人以外が着ることを禁じられていた色です。昔は位階によって着る袍の色が決まっていました。着物の色で相手の身分か分かるようになっていたのです。
けもじ…奇妙な。
お寝り…寝ること。




