右近の少将と惟成
孝子は夫・公廉との会話を思い出しています。
「私は官位が低い父の長男や。そやから、今の官位。」
「さよでございますね。
そして、私は……財力が高い母の娘やあらしまへん。」
「そうや。そやから縁あって妹背になれた。」
「はい。」
「私と其方とは、ええ塩梅やということなんやなぁ。」
「まぁ、塩梅よりも……私は……。」
「うん? なんや?」
「合わせ鏡やと存じまする。」
「合わせ鏡! そうやな。うん! そうや。」
合わせ鏡の公廉と孝子。
合わせ鏡になれない落窪の君と右近の少将を合わせ鏡にしたいと思いながら、孝子は物語を進めました。
⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂
右近の少将は、惟成から落窪の君のことを詳しく聞き出しました。
継母から母親の形見の品々を取り上げられて、継母が産んだ姫達の婿の為に縫物をさせられて、働かされているのに満足に食べさせて貰えることなく、衣服も充分に与えられず、継母の北の方は「落窪は縫物だけさせていれば宜し。飢えてお隠れなどあってはならん。凍えておかくれせんかったら、ええのや。」と言って、その通りにしている様子を惟成は話しました。
ただ一つ、落窪の君が北の方に許されていることは琴を弾くことです。
その理由「三郎君という異母弟がいらせられます。その三郎君に琴をお教えさせるために、お許しであらしゃいました。」も惟成は話したのです。
そして、右近の少将は、好奇心から聞いた落窪の君の身の上を聞けば聞くほどに、哀れな身の上の姫君・落窪の君に会いたいと思いました。
それは右近の少将の心の中にある【男】だと惟成は感じました。
右近の少将が落窪の君へ興味を持ったことで、惟成は「ここぞ!」とばかりに、阿漕から聞いた落窪の君の話を次々に話しました。
「あはれなお姫さんやな。いじらしいお姫さんやな。
その上、皇家のお血を引いて遊ばすお姫さん。
惟成。其方、私をそのお姫さんに会わせておくれ。」
「若さん、私の妻の阿漕が申しておいるのは……
お姫さんはまだ妻になりましゃるとは、お考えであらしゃらぬと……。
私が、頃合いを見て、若さんのことは阿漕に話します。」
「そこを何とか出来へんのか?」
「若さん………。」
「惟成。私をお姫さんの部屋に入れるように手引きしてくれ。
親からも離れた場所に置かれ、そないに落ち窪んだ部屋にお住みやったら、
楽に手引き出来るのやないか?」
「はぁ…………。」
「落ちくぼんだ床の部屋……忍び込むのは都合が宜し……そない思わへんか?
惟成、上手う計らえ!」
「はい。承知!」
⦅あぁ、どない考えても……阿漕は納得せえへんやろうな……どないしたら、ええ
のやら……。⦆
右近の少将は直ぐに文を認めて、惟成に届けるよう言いました。
「惟成。この文を必ずや落窪の君に届けよ。
私は忍んでいく故、其方は妻に良う言い聞かせて手引きさせよ。
ええな。頼んだぞ。惟成。」
「は、はぁ―――っ。」
惟成は困り果てました。
どう考えても阿漕は首を縦に振らないと分かっていたからです。
困り果てながら、惟成は思いました。
⦅前に阿漕がお姫さんに公達を……と言うた時に釘を刺されたなぁ……。
お姫さんお一人を大事にお思うて下さるお方やないとお引き合わせは出来へん
わ。…………って、言うてたから、無理やろうな。⦆
右近の少将から渡された文を手にして……惟成は深くため息を吐きました。
「君ありと 聞くに心を つくばねの 見ねど恋しき なげきをぞする」
⦅あなたのような美しい方がいると聞いて、まだ見ぬ君に会いたいと恋焦がれて
ため息を吐いております。⦆
惟成は思いました。
⦅これは……阿漕が求める【ただ一人の妻を欲する方】の御文やない。
若さんは【ひと時の恋を欲する方】。
場合によったら、私と阿漕の仲が………
いいや、それは考えへん。考えへんでおこう。⦆
そして、惟成は阿漕に会いに行きました。
右近の少将から落窪の君への文を携えて………。
⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂
孝子は「この右近の少将と落窪の君を強く惹かれあう恋の相手」にすると決めました。
あり得ない縁を結ばせることにしたのです。
そう、これは物語であり、現実ではないのですから……。
物語に勤しんでいる妻の姿が公廉の眼には眩しく美しく映りました。
この時代に「合わせ鏡」は無かったかもしれません。
ただ、夫婦を表す言葉である「合わせ鏡」を使いたかったのです。申し訳ありません。