源中納言家
孝子の筆は遅々として進みません。
床に臥すことが増えたからです。
公廉は不安な日々を送っています。
やっと二人で暮らせるようになったのです。
この日々を公廉は続けたいと切望しています。
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その頃のことです。
三の君の夫・蔵人の少将は三位の中将の妹の中の君に懸想文を送っていました。
中将はここぞとばかりに「蔵人の少将は良いと思います。大君の女御のように帝の妻にする気が無いのであれば、彼を婿君に迎えられませ。彼は見所があります。」と、日々、両親に話して、蔵人の少将と中の君の縁を進めるようにと助言しています。
中将は⦅あの北の方がこの蔵人の少将を宝のように大事にして、そのせいで私の妻はこき使われたんだな。⦆と思うと、ますます蔵人の少将に三の君を捨てさせて妹との縁を結ばせたいと思うようになったのです。
中将が盛んに蔵人の少将を勧めますので、「見所がある公達なのだろう」と中将の両親は、中の君に時々、返事を書かせていました。
蔵人の少将はこちらに望みをかけて、三の君からは離れていきました。
中納言邸では、以前は「素晴らしい出来だ」と褒めて貰っていた装束も、今は縫い目も歪んで見っとも無い出来ばかりなのです。
北の方は、腹を立てて、仕立てたばかりの新品でも投げ捨ててしまっていました。
以前の出来と比べてあまりにも酷い仕立ての衣装に、蔵人の少将は腹を立てました。
「これは一体どうしたことです。
縫い物が上手だった女房は、どこに行ってしまったのです?」
「男が出来て、出て行ってしまいました。」
「どうして男が出来たことではないでしょう!
ただ、ここが嫌で出て行ったのでしょう。
ここに気が利く人が居るとでも言うのですか?」
「仰せの通りですわ。
でも、貴方は通って下さるのですもの。
ここには優れた人間も居るようですわ。」
三の君は暗に蔵人の少将の事を優れた人間だと言ったのだが、それを聞くと蔵人の少将は意地の悪い顔を見せたのです。
「そうでしょうね。あの面白の駒でしょう!
『立派な人もここに通っている』と、奥ゆかしく思いますよ!」
蔵人の少将が初めて見せる一面でした。
蔵人の少将は、嫌味を残して帰って行きました。
三の君は妬み嘆きましたが、どうしようもありませんでした。
北の方は落窪の君が居なくなった事を大層悔やみました。
「何故あんな子のためにこんな縁起でもないことばかり起きるのか。」と気を落としています。
かつて「私は幸せ者だ。良い婿を取った。」と言って、自慢していた婿の蔵人の少将はただ離れてゆくばかりです。
「良い話だ。」と急いで執り行った露顕しの儀は世の笑い種になってしまいました。
余りの気落ちで、北の方は病を得た人のようになってしまいました。
一月の末日で吉日に、「昨年は悪いことが続いたので、今年こそは良い年になるように。」という北の方の考えで、一輌の牛車に北の方と三の君、それに女房達が乗り、忍んで清水寺へにお参りに行きました。
乗せた人数が多かった故にか、それとも老牛故にか、牛は元気なく進みました。
その日は、三位の中将も落窪の君と共に清水寺へ参詣に行く日でした。
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「孝子、無理をせずに床に臥しておれ。」
「いいえ、今日は書けまする。」
「無理をするな。」
「はい。」
公廉は今直ぐにでも孝子を床に就かせたいと思いましたが、孝子は書き続けました。