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一条戻り橋  作者: yukko
3/91

阿漕

孝子は公廉の理解を得て活き活きと過ごしています。文章を綴りながら……。

今日も文机で筆を走らせています。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



落窪の君と呼ばれるようになってから姫様の本当の名前を父君さえもお忘れになったようです。

日頃、落窪の君のお部屋に足を向けられることは無く、父君から忘れ去られたと言っても良いような姫様でした。

ある日、長らく顔を見ていなかった娘のことを思い出されたのでしょう。

落窪の君の部屋に訪れられました。


「落窪、其方、()()か?」

「はい。」

「震えておるのか?」

「いいえ………。」

()()()()()……持っておらんのか?」

「……………。」⦅どないしよ。お話したらお継母(たあ)さんに叱られてしまう。⦆

「酷い物を着ているやないか。」

「…………。」⦅あぁ! どないしたら………。⦆

「何も答えんのか……。」


そう呟かれた父君の言葉は落窪の君に聞こえませんでした。


「私も其方のことは気に掛けておるのや。

 けれども、今は北の方の子らを()()()せなならん。

 ……悪しゅう思わんといておくれ。

 いつか、良い話が其方に来たら……

 「後朝の文(きぬぎぬのふみ)」を交わし、「三日夜餅(みかよのもち)」を食せたら、ええと思うておる。

 そないな日が来たら……其方のお好きさんにしたら、ええのや。

 こないな落窪で、そないな姿で縫物ばかりは哀れに思うてる。」

「はい。お(もう)さん。」


父君が部屋を出られてから、落窪の君は思いました。


⦅私には何も出来へん。ほんまのことをお(もう)さんに話されへん。

 寒うても、この部屋は火を起こされへん。

 寒うて炭火に当たろうとしたら、お継母(たあ)さんにお叱りを受ける。

 贅沢やと叱られる。

 ()()()もお継母さんが()()()下さらぬものを、それを言うたら叱られる。

 何も出来へん……何も変わらへん。⦆


その頃、阿漕に心を寄せる男性が居ました。

落窪の君の異母姉妹である三の君の夫・蔵人の少将の帯刀(たちはき)で、名は惟成(これなり)という若者です。

惟成は三の君の元へ通う蔵人の少将の供として、(げんの)中納言家へ通っているうちに、三の君の女房である阿漕に恋をしたのです。

阿漕は一番美しい女房です。

黒々とした流れるような長い髪、きびきびとした聡明そうな美少女。

それが阿漕です。

惟成は心を込めて想いを伝えました。

惟成は口説きます。


「私がお仕えしている蔵人の少将さんからのお覚えも目出度いと思うております。

 それに、私の母は今を時めく右近の少将さんのお乳の人(おちのひと)です。

 そやから、身を立てられると思うています。

 苦労させへんから……妻になって欲しいのや。」

「私は二人のお(ひい)さんにお仕えしてますのや。

 そやから、()()()()は惟成さんが思うてはるより………。」

「お断りの口実やな……。

 私のことを少しは想うくれてはるとばかり思うてたのに……。」

「それは……そない……ですけど……。」

「ほな! 私の妻に……。」

「けれども、三の君さんやないお(ひい)さんにお仕えするには、今のままの方がええ

 の。」

「なんでや!」

「お(ひい)さんをお守りしたいから。」

「それは私の妻になってからも出来るはずや。」

「そうやね……。」

「そうや。」

「私の妻になって。」

「ほなら、なります。」

「ありがとう!」


阿漕は姫様より早く夫を待つ身になったのです。

阿漕の⦅お(ひい)さんに申し訳あらへん。⦆と思う気持ちを落窪の君が優しく消してくれました。


「そう……おめでとう。嬉しいことやわ。」

「お姫さん……ありがとう(かたじけの)うございます。」


落窪の君の心からの祝辞……たった一言の「おめでとう。」が阿漕は大変嬉しかったのです。

姫様の性格を熟知している阿漕ですから、その言葉が心からの言葉だと信じられました。

阿漕は源中納言家の(やしき)の中の小さな一間を与えられていましたので、その一間が阿漕と惟成の新居でした。

妻・阿漕の元へ通うようになった惟成は、阿漕への想いが深まったことを感じました。

共に過ごす時間が多くなればなるほど、「こないに好きになるやなんて……もう他の女なんぞ目に入らへん。勝気やけど聡明で気働きが優れていて、その上優しい……。こないな妻、他にはおらへん。」と惚気るほどでした。

ただ惟成が気に入らないことは一つあったのです。

それは阿漕が忙し過ぎて二人きりの時間が少なくなることでした。

そして、阿漕の口から幾度も出てきたのは落窪の君でした。


「元々はお(ひい)さんだけに私のお(たあ)さんと二人でお仕えしてましたんや。

 それが、お(たあ)さんが()()()()になり、お(ひい)さんがこの邸に引き取られしゃいまし

 た。

 それから、北の方から三の君さんにお仕えするよう言いつけられたのえ。

 悲しゅうて、()()()()()が流れて……。

 私はお姫さんだけにお仕えしとうござります。今も……。

 それだけやあらしまへん。北の方に私の名前まで変えられしゃいました。

 元は後見(うしろみ)が私の名前やったの。

 それを北の方が『三の君に仕えるのに不都合や。』と……。

 何が不都合なんか私には分からへんわ。」

「ほんまやな。後見も良い名ぁやのにな。」

「そうやろ。」

「酷いお方やな。」

「ほんまに酷いお方やの。

 それだけやあらへんの。姫様の調度品を()()()しゃったのは北の方。

 僅かに残った調度品は鏡と櫛、それから鏡を入れる箱。

 残った物は立派で大変()()()()()蒔絵やの。素晴らしい物やの。

 お隠れ遊ばしたお(たあ)さんの形見の品が手元に僅かしか残らへんかったの。

 ()()()なお(ひい)さん……。」

「そうなんや。」

「お(ひい)さんとは異母姉妹であらせられる三の君さんも酷いことを仰せ遊ばされ

 て……。

 蔵人の少将さんのお衣装を縫っていらせられるのは、お姫さんであらしゃいます

 え。

 そやのに、異母姉妹と言えど血が繋がった姉妹やのに……

 三の君さんはお(ひい)さんのこと『針子』と……。

 お(ひい)さんが()()()で、()()()で………。」

「そうなんや……そないなことが……。」


阿漕は、落窪の君の話になると長くなります。

そんな阿漕を優しい眼差しで見つめている惟成でした。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



部屋で文章を綴っていて気付くのが遅かったのです。

夫・公廉の声で孝子は気が付きました。


「このお(ひい)さんに名ぁはあらへんのか?」

「まぁ………吾が君さん、読ましゃれましたか?」

「あかんかったんか?」

「いいえ………お驚きさんやっただけでございます。」

「名ぁは考えてへんのか?」

「はい、今は…………。」

「さよか………なかなかにええ物語やな。」

「吾が君さんが、そない仰せ遊ばすと嬉しゅうございます。」

「さて、夕餉の時刻や。」

「はい。」

「参ろう。」

「はい。お供(つかまつ)りまする。」


今日も夫の後姿を見ながら廊下を歩む孝子でした。

お乳の人(おちのひと)…乳母。

まめ…息災。

おなか入れ…綿入れ。

おめし…着物。

くす…貰う。

帯刀(たちはき)は護衛の役職名です。

いもじさ…忙しさ。

おかくれ…死ぬこと。

しおしおえ…涙。

ともじ…盗むこと。盗られること。

きゃもじな…華奢な、綺麗な、清潔な。

あはれ…可哀想。

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