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一条戻り橋  作者: yukko
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落窪

孝子(よしこ)乳母(めのと)として姫君に仕えていた頃、邸で聞いたことを思い出していました。

思い出したことを大きく変えて今書いている物語の背景にしています。

一番財力がある女性が選ばれて、北の方になることを見てきたからです。

⦅娘は……? 北の方に成れないわ。成れないけれども、幸せに成れるわ。きっと……。⦆そう思っています。

北の方に成れなかった数多の女性は、ただ夫を待ちます。

夫との時間が短くとも夫の心に深く残ることは出来るのです。

娘が夫の心に深く残る妻になれれば……安易に結ばれた縁を切られることは無いでしょう。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



その落窪の君の部屋を覗く者がおりました。

北の方です。

北の方は⦅あの落窪がどんな男と、どのようにして会っているのか確かめねばならぬ。⦆と伺い見ています。

落ち窪んだ部屋を覗いてみれば、縫い物は部屋に広げられており、灯は点されておりますが、人気がないように思われます。

落窪の君は几帳の向こうに居る様子です。

⦅また、(ほう)りっ(ぱな)し!⦆そう思うと、北の方の怒りが激しくなりました。

余りにも大きな怒りが込み上げて来た北の方は大声で夫の中納言に訴えました。

その声が大き過ぎて、少将の耳にまで届きました。


「大殿様ぁ! 落窪の君は寝てばかりなのでございます。

 ここにいらして、お叱り下さいまし!

 こんなに急いでいる縫い物を全くしないのです!

 どこからか几帳などと使い慣れないものを引っ張り出してきて、

 衝立て、その中に隠れて入り寝てばかりでございます。」


怒鳴る北の方に、老いた中納言は「何を言っているのか聞こえない。近くにきてくれ。」と返すだけでした。

北の方が中納言の方へとだんだん遠ざかって行きましたので、何を言ったのか最後までは聞こえませんでした。

少将は姫の名前が「落窪」などとは知りません。無邪気に不思議がっています。


「何の名前でしょうね。おちくぼ。変な名前ですね。」


そう言う少将に、落窪の君は恥ずかしくて自分がこの邸で呼ばれている名だと言えません、

「さぁ……?」とお茶を濁したような返事しか出来なかったのです。


「何だって人にそんな名前を付けたのでしょうね。

 落窪などという名を付けられたのですから、卑屈で捻じ曲がった性根の人なんでしょう。

 きらびやかでも華やかでもない、地味な感じの人だと思います。

 北の方がそのおちくぼと呼ばれている方を虐めているようですね。

 きっと、性質も良くない意地悪な人なんでしょう。」


少将はそう言って眠ってしまった。

北の方は、今度は縫腋袍ほうえきのほうの布地を裁って落窪の君に渡しました。

また遅くなるかもしれないと思い、中納言にあれこれと告げ口をして、「部屋に行ってお叱り下さいまし。」と責め立てたました。

仕方なく中納言が落窪の部屋へ行きました。

遣戸を開けるや否やで中納言は言いました。


「これっ、落窪。其方は何故(なにゆえ)、母上の言いつけを守らない!

 母親が居ないのだなら、どうにかして継母に良く思われたいと心掛けねばなら

 ぬものじゃ。

 それなのに、其方ときたら自分の家の縫物もせずに親の言いつけも守らない。

 今宵のうちに縫い上げなければ、儂の子とも思わん。

 もうこの邸には置いておけぬわ。」


落窪の君は返事も出来ず、ただただ大粒の涙を零して泣いています。

中納言はそれだけ言い置くと、帰ってしまいました。

少将に父の言葉を全て聞かれてしまい、落窪の君はは恥ずかしくて涙しか出ないのです。


⦅恥の限りを言い尽くされて……それもお父様に……。

 少将様に落窪が私の呼び名だと知られてしまった。

 ああ、今直ぐに死んでしまいたい。⦆


落窪の君はそう思って縫い物を押しやり、灯の暗い方で泣き続けました。

少将は姫があまりにも可哀想でした。

⦅本当に、どんなに恥ずかしい思いをしたことだろう。⦆と落窪の君の心痛を思うと、少将まで泣いてしまったのです。

「しばらく几帳の中に入って寝なさい、ね?」と言って無理に几帳の裏に落窪の君を引き入れて、あれこれと慰めの言葉を掛けました。


「姫君、貴女の心を私は存じていますよ。

 貴女の優しい心根を私は存じております。

 皆は誤解しているのでしょう。

 ですが、必ずや誤解は解けます。

 今に貴女の心持ちを分かってくれる日がやって来ます。」


そう言いながら、少将は⦅落窪とは、この姫のことだったのか。私が言ったことを、どんなに恥ずかしい思いで聞いていたことだろう。それにしても、継母ならあのような酷い言葉で辛く当たるのは分かるが、実の父親の中納言まで酷い言葉を並べ投げ掛けて……。あんな人たちを見返せるほど、私が必ずや姫君を幸せにするのだ。⦆と思いました。

愛しい落窪の君を慰めながら、少将は⦅必ずや、幸せにする。⦆と誓ったのです。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



娘が安易に縁を切られないようにと切に祈る母が孝子なのです。

右近の少将は落窪の君を離さない……そういうお話にしようと思っているのです。

娘の傍に居る母の祈りを……この物語の中に入れると決めました。

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