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一条戻り橋  作者: yukko
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『山なし』の姫君

公廉(きみやす)は度々、孝子(よしこ)を散策に誘いました。

いつも行く先は、あの小川です。

先に歩く公廉の少し後ろを孝子は歩きます。

時々、公廉が振り返って孝子に話し掛けます。

その時間が、孝子は愛おしく大切な時間になって、公廉から誘われるのを孝子は待つようになりました。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



北の方が落窪の君の文を読んでから、暫し月日が流れました。

文のことは誰も何も言わず、北の方が騒ぐこともありませんでした。

右近の少将も変わりなく落窪の君を(とぶら)っていました。

そして、十二月二十三日。

三の君の夫、蔵人の少将が、急に賀茂神社の臨時祭の舞人に指名されました。

北の方はその準備で忙しくなりました。

新しく装束を作らねばなりません。

阿漕は⦅蔵人の少将の為の装束を姫様に作らせる御積りなのだわ。⦆と思い落窪の君を案じていました。

果たして、阿漕の懸念通りに北の方の使いが、うえはかまの布を裁って持って来ました。

それも、少将が訪ねて来ている時に持って来たのです。


「これを急いで縫って下さいまし。直ぐに他の縫物も運んで参ります。」


阿漕は使いの女童(めわら)に言いました。


「姫様は、まだお休み遊ばしていらせられます。

 お起きにならしゃっいましたなら、そうお伝え致します。」


女童は阿漕に言われた通りに帰りました。

落窪の君は、使いの声で目を覚まして話が聞こえていました。

頼まれた物を縫おうと几帳の裏から起き出そうとしましたが、少将がそれを引き止めました。


「貴女が縫物をしている間、私一人でぼんやり過ごすのですか?

 私を一人になさるのですか?

 (ほう)っておきなさい。」

「でも……北の方に叱られます。」

「貴女は私と共に、この邸を出るのだから……。」

「でも、北の方が……。」

「北の方が怒鳴り込んで来たら、その時は、その時ですよ。

 私が傍に付いていることを忘れないで頂きたいものです。」


少将に抱きしめられたままで落窪の君は困り果てていました。



その頃、女童から「姫様は、まだお休み遊ばしていらせられます。」と聞いた北の方が激怒して言いました。


「なんて言い方をするの!

 あの落窪に、私達への言葉と同じ言葉を使うなんて!

 落窪へは『寝ている』で良いのじゃ。それを……『お休み遊ばして』などと?

 どういう了見なの! 聞きたくない!」


女童を一頻(ひとしき)り叱った後、落窪の君が言いつけ通りに縫物をしていないと知った北の方は「この忙しい時に寝ているなどと許せない!」と憤り、また「幼子のようにお昼寝などと……姫様? 誰が姫様なの? 落窪如きが身の程を知らぬとは情けなや。」とせせら笑い落窪の君を見下しました。


北の方は下襲したがさねを裁って、自ら落窪の君の部屋へと持って来ました。

落窪の君は驚いて起き上がり、几帳の外に出ました。


「落窪! 先ほどの縫物を終えたのかえ?」


北の方が見ると、表のうえのはかまもまだ手付かずに置いてあります。

北の方はより一層機嫌が悪くなりました。

落窪の君を睨みながら………。


「まだ、手も付けてないの? もう出来たものだと思っていた。

 それなのに、私の言い付けを、こんなにも侮り軽んじられたなんて。

 落窪! 其方はこの頃仕事をしないで、ふわふわと……。

 不真面目なことこの上なしだわ。」

 「気分が悪しゅうございましたので、暫く手を付けられませんでした。

 表の袴はすぐに仕上げますから、どうか今暫くの間お待ちくださいまし。」


落窪の君は、怯えながら表の袴を引き寄せました。


「まるで暴れ馬に触れるように、怯えて触るんじゃありません!

 人手が足りないからこそ、其方にお願いしているのです。

 其方のように承知ばかりしておきながら何もしない人に頼むしかないのは……

 この表の袴はもちろん、下襲もすぐに仕上げられなければ成らぬからじゃ。

 其方、それが出来ぬならば、この邸には置いておけぬ。

 今直ぐに邸から出てお行き。」


北の方は腹立ちの余り、布地を落窪の君に投げつけました。

そっと几帳の内側から覗いていた少将は癪に障りました。

⦅許せない! こんな邸に姫君を置いてはおけない。なるべく早く連れ出さねばならぬ、な。⦆と思っていた所でした。

洗い足音を立てて北の方が部屋を出ようとした時、北の方の目が少将が脱ぎ捨てた直衣のうしを見つけたのです。


「おやっ? この直衣はどこの者の物だえ?」

⦅どうすれば……お継母様に見つかって……。あぁ……お終い……ね。⦆と落窪の君は失意で返事も出来ません。

代わりに阿漕が応えました。


「あの……それは、よそのお方から頼まれました縫物でございます。」

「へぇ……よそのを縫って、うちのを縫わない積りなのかえ?

 其方は源中納言家の居候だということを忘れたのかえ?

 よく、そんな厚かましいことが出来るものね。

 人を馬鹿にするのも大概になさい!」


北の方は捨て台詞を残して帰りました。

その北の方の後姿を、少将は几帳の内側から覗き見ました。

子どもを5人も産んで、髪は随分と抜け落ちて、十筋ばかりが腰の辺りまで短く垂れています。

⦅太ってるなぁ。見苦しいのは、見た目だけではないな。あの性質が見苦しいのだな。⦆と少将は考えました。


落窪の君は夢中になって縫い始めていました。

少将は落窪の君の手を押さえて言いました。


「お()しなさい。」

「でも……。」


少将は落窪の君を几帳の中へ引き入れました。


「それにしても、あの北の方の言い方は無礼千万だ。

 憎々しいことこの上なしではありませんか!

 もう(ほう)っておきなさい。

 少しばかり事を荒立てて泡を食わせておやりなさい。

 いつも、あのような言い方をする方なのですか?

 私なら我慢なりません。」

「私は『山なし』、身を寄せる場所がないのですから。」


「世の中を うしといひても いづこにか 身をば隠さむ 山なしの花」

⦅どんな苦しい境遇にあっても、居場所がありません。⦆


「姫君、貴女は私の妻です。

 北の方にあのような物言いはさせません。」


そう言って少将は落窪の君を優しく引き寄せて抱きしめました。

少将は帰る折を失くしてしまい、一日、落窪の君の部屋に忍んでいました。

早い夕暮れがやって来ました。

阿漕は格子を閉めて灯台に灯を点して退がりました。

落窪の君は灯を引き寄せて縫物を始めました。


「お()しなさい。夜なべは身体に毒です。

 それに、二人だけの時間を詰まらぬことで潰さないで過ごしましょう。」


そう言って少将は縫物を取り上げて笑いました。



⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂―――⁂



公廉は孝子を誘って歩き時、必ず、ゆっくり歩きます。

時々、振り返り孝子に話しかけるのも⦅早過ぎてはいないか? 孝子は無理なく付いて来ておる。良かった。⦆と孝子の身体を案じているからです。


「この小川。様々な花が、季節毎に咲き美しいのう。」

「はい。左様でございますね。」

「木々も色付く頃は見事なものじゃ。」

「はい。」

「孝子、来春の桜を二人で見ようぞ。

 このように歩いて……のう。」

「はい。是非ともお誘い下さりまし。」

「其方が息災でなければ叶わぬこと! 其方は身を(いと)えよ。」

「はい。吾が君様。」

「その前に紅葉狩りじゃな。」

「そうでございますね。」

「それも、この小川で良ければ……共に……。」

「はい。嬉しゅうございます。」

「うむ。」


優しい木漏れ日が二人に降り注いでいました。

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