落窪の君と右近の少将の約束
孝子の前に二人の息子が居ます。
二人ともに北の方を迎えましたが、豊かではない暮らし向きです。
父の公廉が官位に恵まれず、孝子が乳母をしていた頃にやっと地方の官職を得たのでした。
その息子達ですので、官職に恵まれるのは、なかなかに難しいことでした。
「母上、お身体は如何でございますか?」
「最近は起き上がられていると父上より伺っております。」
「ありがとう。良くなってきておりますよ。」
「そうですか。それは重畳。」
「何やら物を書かれておられると父上から伺いました。」
「ええ、若君と姫君のお話を、ね。」
「それを一度、どうか読ませて頂きとうございます。」
「私も…で、ございます。」
「まぁまぁ、二人とも如何なさいました?」
「え……あ……。」
「それは………は……母上がお書きになられた物語を読みとうなりました。」
「ただの母で妻の私が手慰みに認めました物、故。
そのように若い方に喜ばれるような物ではありませんよ。」
「……………。」
「……………。」
「お話は、他のことではありませんか?」
「母上!」
「母上……。申し訳ございません。」
「官職……ですか?」
「は……はい。」
「申し訳ございません。仰せの通り……で。」
「ふ~~ぅ、どうかお許し有れ。」
「母上。」
「……母上。」
「姫様とお別れ致しました故、もう……無理からぬことで……。
今の官位は不満やも知れぬが、無官の父上のことを思い出して下さりまし。」
「……母上……申し訳ございません。」
「母上、どうかお許しください。」
「謝るのは私です。何もして差し上げられなくて本当に……許して下さいまし。」
息子二人は肩を落としながら帰るかと、後姿を眺めていた孝子の目に、仲良く笑いながら語らう兄弟の姿を見たのです。
その二人の姿に孝子は⦅もう案じなくとも良いのですね。⦆と思いました。
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北の方の文を読まれてしまって、日が暮れた頃に右近の少将が落窪の君を訪いました。
少将は優しく聞きました。
「御所で宿直をしている私の心を占めたのは姫君だけですのに……。
何故、お返事を頂けなかったのでしょう。」
「北の方が……この部屋にいらせられて、文を書く暇がございませんでした。」
⦅惟成が落としてしまったことは伏せておかねば……
でも、お継母様に見られてしまったことは、お伝えすべきことやも……。
でも………。⦆
「そうでしたか……叶うことなら頂きたかった。
……でも、今、こうして貴女が目の前に。
この喜びを分かって頂けますか?」
「は……い。」
少将は落窪の君を胸に抱きながら聞きました。
「姫君、こちらの四の君は御幾つになられましたか?」
「四の君様でございまするか?
確か十三、四くらいだと……。大層お可愛い姫君だそうでございます。」
「なるほど………。」
「如何なされました?」
「どうやら、貴女の父上は私に四の君を縁付かせようとなさっておいでのよう
です。」
「……四の君…と……。」
「姫君、どうかお心を強く持ち、私の話を聞いて頂きたい。」
「……は……い。」
「四の君の乳母が私の邸で仕えている者と知り合いで、その者を通じて文が届きま
した。
その乳母が『北の方も四の君と右近の少将を結婚させたいと仰せだ。』と申して
我が左大将家に仕えている者を急かせているようです。
私はこの際、『我が妻は貴女なのだ。』とはっきり宣言したい。
貴女は如何お思いか?」
「そのような……ことになりましたなら、私は今よりも辛い目に遭います。」
落窪の君は悲しそうで、少将は消え入りそうなその姿の落窪の君を思わず抱きしめました。
そして………
「もう貴女をこの邸から連れ去ります。
この邸での貴女は、大切にされていない。
それを私がいつまでも見たくないのです。
私に付いて来て下さいますか? どこへでも……。」
「はい。貴方の御心のままに……。
貴方となら、どこへでも……付いて参ります。」
「良かった。やっと心を決めてくれましたね。」
二人は心を通わせて、これからのことを話し合いました。
心を寄せ合う二人を夜の帳が優しく包みました。
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孝子の元へ公廉は急ぎました。
息子たちが孝子に会いに来たと聞いて不安が大きくなったからです。
「孝子!」
「まぁ、お帰りなさいまし。」
「孝子!」
「まぁ、先ずは息を整えられませ。」
「孝子!」
「はい。」
「来たのか?」
「あ……はい。二人揃って。」
「何を言うた?」
「私が書いております物語を読んでみたいと……。」
「物語。………それだけか?」
「はい。」
「はぁ~、良かった。」
「吾が君様? 如何なされました?」
「いいや、そうか。其方の物語を、な。」
「はい。嬉しゅうございました。」
「うむ。私も嬉しいぞ。……うん、嬉しい。」
二人の息子が笑いあって話しながら帰って行ったことを話すと、公廉は心から安堵している様子でした。