わたしの終末計画
あした、そらが落ちるらしい。
だからきょうは、地球最後の日だそうだ。
もう混乱もない。あきらめた世界はひどく穏やかで、不思議と機能していた。
小惑星アポフィスはエジプトの神様から名前をもらってるんだってさ。
アポフィス神はもともと太陽の神様で、それがポッと出のラー神から仕事を盗られちゃって、くやしいから嫌がらせしてたら、いつの間にか悪い神様にされちゃったという可哀想な神様らしい。
わたし的見解だと、見た目が大蛇の時点で、ラー神のハヤブサに比べたら、もろ悪役だ。
嫌がらせをする前に、そこで、気付け! あきらめようよって気がするけどね。
まあ、そのアポフィスが地球に衝突しちゃうって騒いでたのが四十年も前。
何回もアポフィスで計算間違いとかあって、使えない奴ら扱いされてて、なんか溜まってたんだろうね。
今は無き超大国アメリカさんが、
「任せろよ兄弟、あんな石ころぶち壊してやるぜ! 金はお前ら持ちな!」
ってアポフィスに降り立ったのが三十年前。
悪名名高きアルマゲドン計画。うん、壊したよ。
当時、世界の頭脳の九割はアメリカにあるって言われたくらいだからやることはやったよ。
ただね、お国柄というか、なんかその後のこと考えてなかったらしいんだよね。
賢いバカっていうのかな? なんか親近感湧くよね。
結果、起こったことがアポフィスのいちばん大きな破片が、もっと大きな小惑星ヨルムンなんとかの軌道を変えちゃって、玉突き事故的によりエネルギー増して地球へ一直線。
阿鼻叫喚のなかヨルムンなんとかが運よく月にぶつかったのが二十八年前。
ありえないスピードとあと角度がまずかったんだろうね。
それから月は落ちつづけてる。さすが世界を飲み込む蛇、容赦ないよね。
何とかしようって悪あがきはあったらしいよ。
悪あがきだったけど。
そして、いよいよ明日。感覚的には今日の夜なんだけど、落ちるらしい。
今地球に残ってるのはあきらめた人たち、あきらめきれない人たちは遠くお星さまの世界目指して飛んでっちゃった。
いろいろ無理だと思うんだけどな。
個人の自由だし、いいけどね。
生まれた時からずっと、あしたのことを考えない日はなかった。
もちろん待ち望んでた訳じゃないけどね。
お星さま組最後の良心、ライフライン完全無人化のおかげで、電気も水道も生きている。
わたしの終末計画に狂いはない。
◆
食べることは生きることである。
食は生命の根幹をなし、食こそが生命を形作っているのだ。
また、食は栄養を摂取できればそれで良しではない。
楽しく、美味しく、食べ物をいただくことが、生命へ彩りを描き加えてくれる。
つまり美味しいは正義だ。
ポケットの中には、この日のために貯めた配給札。
堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、雨にも負けず、風にも負けず、ゆきちゃんにも夏の暑さにも負けず、貯めに貯めた八十八枚。
これだけあればシェフの気まぐれフルコースだって再現可能のはず、だったんだよ。
最後の晩餐くらい豪勢にいきたいと思うのは誰だって同じだったみたい、配給所にはもう食べ物という食べ物、イナゴ害にでもあったのかと思うくらい根こそぎ、何もなかった。
配給所の職員さんに聞いたら前の日からたくさん並んでたんだって。
なんなの、そのやる気? もっと悲観して後悔して弱ってると思ってたのにさ。
そんな地球最後の行列なんて知らない出遅れ組は致命的。
食べ物じゃないガラクタばっかり並んだ配給所が世界の終わりを予感させるよ。
自作の『買い置きあるもんねの唄』を即興で口ずさみながら棚の奥底やカゴのすみ。見落としがちな、床と棚の隙間……あぁそうですね。見事に何もありません。
この世界じゃ、あきらめが肝心らしいよ。
いつの間にか二短調になった『買い置きあるもんねの唄』を歌いながら、見つけた! 食べ物じゃないけど、これだ。
乙女の口では口に出すのもはばかられる、それでいてわたしの終末計画に彩りを添えるはずの一品が。
職員さんが紙袋に入れてくれて「良い終末を」と声をかけてくれた。
地球最後の日に配給所の職員さんなんてこの人はそれでいいのかな?
あんまり他人のこと言えないけどさ。
◆
人はパンのみにあらず。
人は文化的な生活ができる唯一の地球生命体です。
その中でこそ人は楽しみ、輝くことができるのです。
どうせ、美味しいもの食べても出てくる……いや下品だね。ごめん忘れて。
文化的な生活というものは、たった一人で実現できるものではありません。
充実した午後を求めて、ゆきちゃんのところへいきました。
ゆきちゃんが何なのかは、何だろう今一つはっきりしないな。
ずっと小さなときから、水と空気とゆきちゃんがあれば生きていける気がするくらい、ずっと一緒だから、当たり前すぎて判んなくなっちゃうことってあると思うんだ。
ゆきちゃんは雪の降る日に拾われたから、ゆき。ちっちゃいけど男の子。
ちなみにわたしは真っ昼間に拾われたから、まひる。
適当につけた名前具合が当時の状況を物語ってるね。
まったくひどい親も居たもんだ真っ昼間に屋外放置って熱中症にでもなったらどうすんの?
子捨ては時代がそうだったから仕方ないんだけどね。
その頃お星さま組はすごいプラチナチケットで子供くらい捨ててでもって風潮があったらしいし。
でも、せめて天気くらいは選んで欲しいよね、ゆきちゃんなんて肺炎で死にかけたんだから。
勢いよくドアを開けると、ゆきちゃんは一心不乱につみきの城を組んでいました。
まるで何かの儀式のようです。
……意味がわからないと思う。
わたしにだってさっぱりさ。
小さい頃死にかけたせいか、普段から奇行の目立つゆきちゃんのつみきの城は、数センチのつみきを積み上げて幅1メートル、高さは2メートルに届く大作になってしまっている。
ちょっと偏執狂的というか異常というかゆきちゃんだね。
たぶんわざと隙間だらけで、城の向こうにゆきちゃんと、窓の向こうの空が透けて見える。
つみきを積んで積んで、抜いて、また積んで。
まるで、そうあるべき機械のように、精確によどみなく、ゆきちゃんは手間のかかるひとりジェンガを続けていく。
話し掛けたらいろいろなものが崩れてしまいそうで、わたしはコーヒーをいれてゆきちゃんとつみきの城を眺めていた。
ほんとうの幸せというのは、こういう退屈な時にあるのかもしれないね。
あと十五時間もしたら、月は自分を保てなくなって砕ける。
そして破片となった月の欠片は何十億年ぶりに地球と再会を果たすのだ
わたしたちだけを観客に。
ずっとそばにいて惹かれ合って、誰にも気付かれないくらい少しずつ遠ざかって、気が遠くなるくらい長い時間たってやっと気付いたらずいぶん離れちゃって、自分じゃどうしようもなくて……
記録でしか見たことないけど、蛇達にそそのかされる前の月はあんなにきれいで気高い。
自ら光り輝くことも叶わず、それでも夜を照らし、片時も地球から目を離さず見つめあきらめにも似た境地で、ただそばにあることに満足した微笑を浮かべるような姿が美しい。
でもわたしは今の歪で醜い月のほうが、アポフィスに抉り取られた背中を見られることもいとわずただ一心に地球にせまってくる月のほうが好きだ。
せめて最後の観客として彼女には祝福を送ってあげたいとまで思う。
つみきの城はちゃくちゃくと建築が進められている。
もうわたしにもわかった。ガウディ未完の大作、サグラダ・ファミリア。ずいぶん前から建築しているのか補修しているのかわからないあれだ。
現実の教会を追い越して、終に完成することのなかった姿を目指してゆきちゃんは機械のように精確によどみなく、私の存在を無視しつつ……
そう、まるでわたしがここに居ないかのように淡々と……
ここで突然ある可能性が。
もしかして、こいつ、全くわたしに気付いてないんじゃなかろうか?
ありえる。ゆきちゃんだったら充分にありえる。
たった今まで確かにあった、退屈だけど満ち足りた時間のようなものが、だまし絵のように姿を変える。
いつの間にか電気の供給は止まっていて、あかね色に染まった室内で、未完の教会がわたしに黒い影をつきたてていた。
もし、気付いてないと仮定して、人生残り時間の三分の一くらいを、ぽややんと安いコーヒーでも飲みながら過ごしてしまった。のは、もうあきらめるとして、切り替えろ、落ち着いて、考えろ。
あしたは、もう、ないんだ。
◆
背後を取りました。わたしは今、奇妙なほど冷静です。
つみきの城を作り上げるのに必要な三要素。
すなわち、ゆきちゃん本人。つみき。そして光源、この三つ。
どれかがなくなればこの自動機械はとまるはずです。
電気が止まったこの部屋の光源は窓からの夕日だけ、夕日とつみきの間、私のどす黒い影がながく伸び、建築現場を暗く染め上げます。
やっとゆきちゃんが口を開きます。計画通りです。
「みえないよ」あたりまえです。そうしてるんだから。
でもゆきちゃんはそれっきり、こっちを見ようともしやがりません。しかも、とまりません。見えないんだろ、暗いだろうが。
何なんだその執着? そんなに大事か?
つみきに嫉妬しそうな自分がすごく情けない。くじけそうだ。
「い、いつから気付いてたのかなぁ」
あきらめない。あきらめるもんか。
「え? たぶん最初から」
だから、こっち見ろって! とまれよ。
気付いてるんだったら相手してよ。
「ずっと、欲しかったんだ。いつも、まひるが居てくれて寂しくはなかったけど、それでもやっぱりずっと……もう少しで出来上がるから、そしたら一緒にご飯食べよっか」
最後の晩餐はろくでもなかった。
ゆきちゃんには、生活力というものが欠けていると思う。
コーヒーとビスケット三枚、以上。おわり。
おやつじゃないよ。生涯最後の食事だよ。
さんざん家捜ししてこれだよ。
気まぐれフルコースのはずがこれだよ。
それでもゆきちゃんはにこにこ笑ってた。
嬉しいのか? つみきの城が完成したのそんなに嬉しいのか?
いけない、はやく軌道修正しないと
わたしの終末計画が……手遅れな気がするね。
いや、これはもう手の施しようがないね。
あは、もうどうにでもなぁれ。
いいんだ。何やっても後悔する時間なんてないんだからさ。
「大事なお話があります。まずは、これを見てください」
あの、乙女の口では口に出すのもはばかられる、それでいてわたしの終末計画に彩りを添えるはずの一品が入った紙袋をゆきちゃんに渡します。
「明るい家族計画?」
しまった、古語という手があったか。
ずっとコンドーム、コンドームって頭の中で連呼してたよ。
乙女台無しだよ。
「でもさ、月も落ちるし、もう意味ない気がするんだけど」
ああ十か月かかるんだっけ? 気付いてませんでした。
バカって死なないと直んないらしいね。
あと、少しは照れろ。伸びる伸びるって遊ぶな。
「まひる、これしか交換してないの? じゃあ配給札まだ余ってるよね。もう一回、配給所行ってみようよ」
あの、わたしのとっても大事なお話スルーですか?
町は真っ暗で、夜空の端から端まで届くような三日月だけがわたし達を照らしていた。
月に笑われてる気がする。
配給所ではまだ昼間の職員さんが頑張ってた。ほんとにこの人これでいいのか?
他人様のこと言える身分じゃないけどさ。
ゆきちゃんは貯めてる時あれだけさんざんバカにしたくせに、わたしの配給札取り上げて職員さんと話してる。
自然とすみっこでひざを抱えて『買い置きあるもんねの唄』もちろんニ短調バージョンを口ずさんでしまう。
人類最後の名曲かもしれない。
買い置きあっても無駄だったんだけどね。
何と交換したのか上機嫌なゆきちゃんに手を引かれてふりだしに戻る。
何だろう涙って、うれしい時だけじゃなくって、悲しい時にも出てきたがるらしいよ。
いや、泣かないよもう子供じゃないんだからさ。
ろうそくの明かりで見るつみきの城はなんだか幻想的で荘厳で、完成されたものだけが持つことが許された偉大さのようなものが感じられる。
あぁ、ぶち壊したい。
どうせもうすぐそら落ちてくるんだから、いっそこの手で恨みを晴らしたい。
「これなんだかわかる?」
バカにしすぎ、サグラダ・ファミリアくらい知ってる。
「うん。日本語だとね、聖家族教会って言うんだ。ずっと欲しかったんだ。あこがれてた。家族ってものに」
ゆきちゃんはポケットから指輪を取り出した。
「配給所のおじさんにおまけしてもらっちゃった」
余計な情報は要らないって。
「えっと、もし、嫌じゃなかったら。僕と結婚してください」
アホの子だ。完全に無意味じゃん。
最初から家族みたいなもんでしょ。
それにもう時間ないよ。すぐ終わっちゃうよ。
そら落ちてきちゃうよ。
そらは意外とゆっくりと落ちてきた。
跪いたゆきちゃんが、わたしの指にぶかぶかの指輪を納めるよりゆっくりと。
わたしに触れるゆきちゃんの唇よりゆっくりと。
わたしの頬を伝う涙よりも、ずっと、ずっとゆっくりと。
調べたところ現実の(53319) 1999 JM8 に愛称はありません。
またヨルムンガンドという愛称の小惑星などの天体は存在しません。
推敲中にあんまり意味がなくなりましたが、蛇の神様の名前を付けたかっただけの噓です。