君が幸せになりたくなくても
彼女を初めて見たのは、王立学園の二階の窓からだった。
大量のプリントを抱えて渡り廊下を歩いている男子生徒。そこに風が吹いて一枚のプリントが飛んでいった。
プリントを抱えてるせいか呆然と見送る男子生徒と対照的に、走り出した女生徒がいた。
長い金髪を揺らして全力で走る少女はやがて地面を転がってたプリントに追いつき、プリントを持ち帰って男子生徒に渡すが、ぎこちない対応が二人が親しいわけではないのだと物語ってる。
「親切な女の子」
それが、僕ライアン・フォーンによる、クリスティナ・ボルドー子爵令嬢への第一印象だった。
フォーン伯爵家では、親が子供に婚約者を決めない。親が決めるより、自分で気の合う相手を探すほうが結婚生活が上手く行くだろうという考えからだ。
そのありがたい教育方針も、嫡男が王立学園の最終学年になっても婚約者を決めないと不安になってきたようだ。既に婚約者を決めた妹や弟には、「高望みなの?」「男の子の方がいいとか?」とからかわれている。
そんな訳でちょっぴり焦っていた僕に、全力疾走の見慣れない女の子は印象に残った。
間もなくクリスティナが秀才の新入生なのだと知った。よく図書室で本を読み耽っているのを見かけるので、天才ではなく努力家なのだろう。
いわゆる「がり勉」タイプなのだが、彼女は他の生徒たちと仲良くやっている。
ある日、僕の前をクリスティナが二人の女生徒と歩いていた。
「クリスティナはナイスバディだからいいわね」
「ナイスバディって何?」
「ええっ!? 知らないの?」
「うん。そんなに有名?」
「有名というか……スタイルがいいって意味よ」
「スタイルがいい……? ボインとかグラマーとは違うの?」
「「 いつの時代の言葉よ~! 」」
笑い転げる女生徒たち。
(ナイスバディなのか……)
女の子同士の会話は明け透けだなぁ、と思いつつ、世間擦れしてないクリスティナに好感を持った。
第一印象そのままにクリスティナは親切な人だった。面倒な係や用事をいつも引き受けるため、上級生や教師の所へ来ることがよくあり、私たちは顔なじみになった。
やがて親しいと言える仲になった頃、数人で埃臭い部屋で古い書類の分類をしていた時にクリスティナが女生徒がしているリボンについて話してるのが聞えた。
「モーツェ織? 隣国のモーツェ地方ですか?」
「そう! この緻密で立体的な織は隣国で作られているの。今、人気なのよ。クリスティナも一つ買ったら?」
「いえ、私には似合わないから……」
『僕が買ってあげたい!』
突然湧き上がった思いに、自分の気持ちを気付かされた。
長男がやっと気になる女性を見つけた!、と両親は大急ぎでクリスティナを調べたところ、彼女に婚約者は無く、20歳になる兄がいるので僕の家に嫁入りするのも問題無い。
早速ボルドー家に婚約を申し込み、承諾された。
婚約の手続きは、顔合わせも兼ねてボルドー夫妻とクリスティナとその兄をフォーン邸に招いた。
大人しいクリスティナと対照的に、ボルドー夫妻と兄は私たちの婚約を喜び、上機嫌だった。特にクリスティナの兄は僕に「兄弟になるんだから、私のことはルパートと呼んでくれ!」と、テンションが高かった。本当に祝福してくれてるようだ。
ボルドー夫妻は、「不出来な娘に嫁ぎ先があって良かった」「出来の悪い娘だけどどうかよろしく」と、なんか引っかかる喜び方だった。
ボルドー一家が去った後に切れたのは妹だった。
「信じられませんわ! 何なんですかあのご夫妻!」
母も頷いている。
「お兄様。あの家は問題ありですわよ。お兄様は疎いので気付かなかったでしょうが、クリスティナ様の着ていたドレス、あの斜めにフリルが入ったデザインは私が子供の頃に流行ったデザインですわ」
「物持ちがいい家なんだろう」
「そういう問題じゃないんです! 私たちがシーズンごとに流行のドレスを買うのは、我が家が新しいドレスを買える家だという経済力を周りに示す意味があるんですのよ。未婚の娘にあんな流行遅れのドレスを着せて出歩くなんて、ボルドー家ってば信じられないわ!」
「クリスティナさんに婚約者が決まらなかったのは、あれで敬遠されてたのかもねぇ」
そ、そんなに重要な事なのか。弟も神妙な顔になってる。言葉無しで伝わる世界、怖い。
次の週末、僕たちの初デートだ。
最初なので遠出はせず、街で買い物してお茶をする計画だ。
やって来たクリスティナのドレスは、気にして見てみると妹のドレスとは全然違う。
僕は彼女にモーツェ織のリボンを贈りたかったが、「高価だ」と強く遠慮されてしまった。
なら、よく図書室にいるので本はどうだろうと本屋に誘う。
「いつもどんな本を読んでいるのかな?」
妹の好きな恋愛小説のコーナーに行こうとしたら、学術書コーナーで本を吟味し始める。
「そういうのが好きなの? 小説は読まない?」
「楽しい本は読まないんです」
よく分からない答えだ。
そして、僕に買ってもらった『穀物概論』を嬉しそうに手にしたクリスティナとカフェに。
「人から本をいただくなんて初めてです」
と、言ってるけどその本でいいのかな本当に。
クリスティナは、コーヒーと洋梨のタルトを注文した。コーヒー派なんだと思ったが、味わうというよりは舐めるようにチビチビ飲んでいる姿は苦行のようだ。タルトもなかなか減らない。
これは、嫌いな物を好きになろうとわざと注文したのかな?
そう考えると、これも思い出になるか。
予定時間になり、迎えの馬車が来るクリスティナを馬車停めまで送る。
角の向こうから猫の怒った声が聞こえ、猫の喧嘩かなと思っていたら足元を猫が走り抜けて行った。
猫を目で追ってしまった僕は、猫の喧嘩相手が馬で、その馬が今にも僕を蹴ろうと前足を上げようとしている事に気付くのが遅れた。
「ライアン様!」
クリスティナに思い切り腕を引かれて、僕は尻餅をついた。
僕を庇うように、馬との間にクリスティナが割り込む。馬の蹄が蹴った鈍い音がした。
その夜、ボルドー家に僕と父が訪れた。
大切な令嬢をお預かりしたのに、僕の不注意で令嬢に怪我をさせるという失態のお詫びだ。
案内された応接室に現れたクリスティナは、右腕の骨にヒビが入ったため腕に添え木が包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「見た目が大げさなだけです。動かさなければすぐに治るんですって」
と、本人は言ってくれたが、僕と父は深く頭を下げた。
「治療費と見舞金をお支払いしたい」
と言う父に、ボルドー夫妻は
「いやいや、この子がノロいからです」
「まったく、鈍くさくてお恥ずかしいわ」
「どうかこんなキズモノでも婚約破棄などなさらないでください」
と、相変わらずだ。ルパートの目つきが怖くなっていく。
「あの……、お金を頂けるのなら、そのお金で修道院に入ってもいいですか?」
クリスティナがとんでもない事を言い出した。
「姉の冥福を祈りたいんです。でも修道院に入るための寄付金が用意できなくて」
姉? 僕を置いて修道院?
頭の中がぐるぐるしてる僕をよそに、ボルドー夫妻は「何を勝手な事を!」「お前はそういう自分勝手な所が」「そもそもお前は」とクリスティナを罵りだした。
それを見ていると、色々な事が一つに繋がった。
「もしかして、あの時死ぬつもりだったの?」
キャンキャンと騒いでいたボルドー夫妻が黙った。
「……死にたかったわけじゃ無いんですけど、今蹴られたら死ねるチャンスかなぁ、っては思ってました」
でも、反射的に手で庇ってしまうものなんですね、と笑うクリスティナをボルドー夫妻は信じられないように見つめている。
「私は、罪深いから」
「…………カフェで自分の嫌いな物を注文していたのはそのせい? いや、自分の好きな本を読まないで勉強しているのも、いつも人のために面倒な事を引き受けたり、僕を庇うために馬の前に出たり。クリスティナは、自分の罪を贖うために自分が幸せにならないようにしているんじゃない?」
「贖うというのでしょうか……。私に楽しむ資格は無いんです。私は、幸せを甘受してはいけないんです」
誰だクリスティナにそんなことを言ったのは。いや分かってるけど。
「それは、亡くなったお姉さんと関係あるのかな?」
「はい、姉は私のせいで亡くなったんです」
父の質問に、クリスティナが重い答えをさらっと返した。
「自分のせい、とはどういう事かな?」
「私には二歳上の姉がいたんです。アンジュと言って、可愛くて優しくて、両親の自慢の娘でした」
ふうん、下の娘の前で上の娘を「自慢の娘」って言ってたんだね。
「私が六歳の時、私と姉が川で遊んでいたら姉がスポッと川の中に沈んで……浮かんできた時は既に遠くを流れていて、どうやっても私には追いつけなくて……。それで姉は亡くなったんです」
「それが君のせいにはならないだろう。お姉さんは運悪く深みにはまったせいで溺れたんだ。……しかし、子供だけで川遊びだなんて。近くに護衛や侍女はいなかったのかい?」
「日陰にいました」
驚いた表情のボルドー夫妻。
「ますます君のせいではないと思うよ」
「はい……あれから十年近く経ち、私も多少成長して自分が悪かったとは思えなくなったのですが、あの日を思い出すと無理なんです。変わり果てた姿で戻ってきた姉と、鬼のような形相で『お前のせいでアンジュが死んだんだ!』『アンジュの代わりにお前が死ねば良かった!』と私に言う両親の血走った目が忘れられなくて……」
全員の冷たい視線がボルドー夫妻に注がれる。
「い、いや知らなかったんだ! 侍女たちは『やめろと言ってたのにクリスティナがアンジュにふざけたせいでアンジュが溺れた』と言ってたから……!」
「ちゃんと言ったでしょう!!」
突然ルパートの怒鳴り声が響いた。
「ちゃんと言いましたよ! 僕たちは木の下の敷物の上に座ってたって! あなたたちは自分に都合のいい話の方を信じたんだ!」
ルパートは両手で頭を抱え込んだ。
「クリスティナにだけ厳しすぎると思ってたんだ。誕生日にパーティーもプレゼントも無いし、ドレスはいつも流行遅れの古着で。それを言ったら、『自分たちも辛いが、クリスティナがどこに嫁いでもやっていけるように贅沢を我慢させてる』なんて答えたのを信じた自分が馬鹿だった……!」
「お兄様も子供だったんですから仕方ないですよ」
ルパートのもとに来たクリスティナが、ルパートの背に覆い被さるようにして言う。
「それに、お兄様だけは私にバースディプレゼントをくださったわ。あれで、もう少しだけ生きるのを許された気がしてました」
「私は、お前が嫌がってないからと考えるのをやめてただけだ。よく考えれば、あんな事を言った両親がお前の婚約者を探してないのを不審に思うべきだった。もし、フォーン伯爵家から申し込みが無かったら、お前はどんな男に嫁がされたか……」
それに気付いたから、ルパートは婚約の時にあんなに嬉しそうだったんだな。
「そ、そうだ! おかげでフォーン伯爵令息に見初められたんだ。いい結婚相手が見つかっただろう?」
「え? 結婚するのが幸せだと思ってるのですか? この状態なのに?」
驚くクリスティナに、絶句するボルドー夫妻。
えっと……僕との婚約は罰ゲームと思って受け入れてたって事でしょうか。……へコんでいいかな。
それでも、言うべき事は言わないと。
「クリスティナは、修道院に行くべきです」
夕暮れが近付き、小さな町の市場も賑わい始めている。
その中に、買い物かごを下げてる見習いシスターを見つけた。
「クリスティナ!」
「……ライアン様?」
人込みをかき分けて彼女のもとへ行く。
「ライアン様、何故ここにいるんです」
「ここがフォーン領だから? 僕、王立学園の卒業条件はもう満たしているから、卒業式まで領地で領主見習いしてるんだ」
「じゃなくって! なんで市場にいるんです!」
「クリスティナがお使いで来る時間かなあって思って。あの修道院、年配のシスターばかりだからきっとクリスティナが買い物を引き受けるだろうと思ったんだ」
「……ちゃんと仕事をしてください」
「したよ! クリスティナに会いたくて大急ぎで間に合わせた」
クリスティナが唖然としてる。
修道院に持って行く僅かな荷物の中に『穀物概論』が入ってたとルパートから聞いてる僕は強気だよ?
あ、妹が「はあ? 『穀物概論』? 有り得ないー!」と、吟味した恋愛小説詰め合わせの差し入れを用意していたからそのうち届くと思う。
「クリスティナは、修道院に行くべきです」
あの時、とにかくクリスティナと両親の距離を離そうと思った。父とルパートも賛成してくれた。
王立学園は、父とルパートが学園に事情を話して退学手続きをとった。学園でも、本来保護者が来るべき入学手続きにも説明会にも入学式にもクリスティナ一人しか来ない事に違和感を感じていたらしい。
それを聞いて、ルパートは地面にめり込みそうなほど落ち込んでたそうだ。婚約者に「子爵夫妻のクリスティナの扱いはおかしい」と何度も言われていたのに、本気にしていなかったと。
僕も、クリスティナの流行に疎い所を「世間擦れしてない」と思ってたのだから、人のことは言えない。
父が、王都から離れた治安のいい町に信頼できる小規模な修道院があるから紹介すると言い、クリスティナもルパートもその案にのった。
それがフォーン領の修道院なんだから、父もクリスティナが気に入ったようだ。
「結婚するのが幸せだと思ってるのですか?、と言ってたろう? あの子は結婚してお前に幸せにしてもらおうなんて思っていない。自分の足で立つ子だ」
お前を好きになってくれるといいな、と笑ってた。
修道院がフォーン領と聞いてクリスティナはちょっと引いてた気がする。
領主見習いの僕と見習いシスターのやりとりは、市場にいる人たちの注目を集めてたようだ。
「領主の坊ちゃん。シスターを口説くのはいけないなぁ」
八百屋の親父の軽口に笑いが起こる。
「口説いてるんじゃないよ。彼女は僕の婚約者だ。今は、お姉さんの喪中なんだ」
わあっ!、と歓声が上がった。
「ち、ちょっと! ライアン様!」
「嘘は言ってないよ」
僕たちは婚約解消の手続きをしていない。
盛り上がった領民たちは、「おめでとう!」と彼女の持っている買い物かごに果物や野菜やソーセージやお菓子を入れていく。僕がストップさせないと、彼女の治ったばかりの右腕には抱えきれない量になったろう。
ずっしりと重くなった買い物かご。
「こんなに………」
「皆、君が来た事を喜んでいるんだ」
「私、が……?」
信じられない、という顔のクリスティナ。
やがて目からポロポロと涙が零れ出した。
幸せにしたい、とか、幸せになって欲しい、なんてまだ君には言えない。
でも、そう思っている人がいるんだよ。
「……さあ、帰ろうか」
気まずそうに見守る領民たちに笑顔で手を振ると、ほっとした顔になる。
クリスティナの買い物かごを僕が持ち、ハンカチを目にあててるクリスティナの背中に腕を回して、僕たちはゆっくりと修道院に歩き出した。
2025年1月1日
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