8.鏡の中の猫
本日(5/13)投稿1話目です。
回廊を抜け、一行はとある扉の前で止まった。
装飾の施された両開きの見上げる程に重々しく大きな扉はフェリドが軽く触れただけで見た目に反して音もなく部屋の内側へと静かに開いていく。
『『待ちくたびれたよぉ!!』』
扉が開き切り、先を行く騎士が部屋へ入るや否や二人分の子どもの声が勢いよく飛び出してきた。
が、ヴァーツラフに抱えられたまま部屋へと入ったリリィが辺りを見回しても肝心の声の主らしき子どもの姿は見えない。
壁一面の書架は圧巻だったが、そこに収まりきらない本が床を始め、応接セットのソファや長机の上など所構わず乱雑に積み上げられているせいで部屋の中は雑然としていた。更にその中央には天球儀のような物がクルクルと回転している。
そして奥には大人の背丈ほどもある姿見が半分だけ布に覆われた状態で置かれており、鑑定されるという事はてっきり魔法使い的な人物の元へ連れていかれると思っていたリリィはこの部屋の趣旨を掴みあぐねていた。
本を移動させる騎士の横を抜け、ヴァーツラフは足元に散らばる本を避けつつ部屋の奥まで進むと姿見の前に据えられた小さな丸椅子にリリィを座らせた。
姿見に掛けられていた布が完全に取り払われ、リリィは改めてそこに映り込んだ今の自分の姿を初めてまじまじと見る事になる。
(肌白い…髪は白いと思ったけどこれは銀色?すごい癖っ毛だなぁ。毛先がピンピン全方向に跳ねてる…角ってまた生えるのかな…傷痕がヒドイ!)
微かに記憶に残る黒目黒髪だった頃の自身の姿とのあまりの違いに驚くリリィの視界の隅で動くものがあった。
『そんなに魅入っちゃってー』
『とても可愛らしいですよ〜』
「え?」
鏡の中、椅子に座ったリリィとほぼ同じくらいの背丈の子どもがすぐ側に一人佇んでいた。
リリィは慌てて隣りを見たが誰も居ない。
もう一度姿見に目をやると鏡の中には確かに先程の子どもがニコニコと微笑み立っている。
「…鏡にしか映らない幽霊とかですか?」
『そう思うよねー』
『違いますけどね〜』
幽霊ではないらしいが声からすると部屋へ入る直前に聞こえてきた声はこの子達(?)のもののようだ。
背中に嫌な汗が伝うのを堪え、一体どういう事なのか説明してもらえないものかとリリィは後ろの大人達を振り返る。
ヴァーツラフは苦笑し、フェリドは本の片付けられたソファに腰掛けたまま前を向けと言わんばかりに手をシッシと振っている。
渋々リリィは向きなおり、姿見の中の人物に視線を戻した。
『ミルルだよー』
『メルルです〜』
どう見ても一人しか写っていない鏡の中、同じ口から異なる声、異なる名前が飛び出した。
『本当はもう一人いるんだけどー』
『メルルとミルルが表に出てる時は出てこれないのよね〜』
「多重…人格?」
『そう思うよねーあははッ!』
『違いますけどね〜くふふッ!』
先程と同じようにリリィの言葉をすげなく否定しながら右は赤、左は青と左右で色の異なる瞳が楽しげに弧を描く。好奇心の強い猫を思わせる大きな瞳。ふわふわの白い髪が子ども特有の丸い頬と相まって天使か妖精と見紛うばかりの容貌だったが、まだ二言三言しか会話をしていないリリィでも得体の知れない異様さをつぶさに感じ取る事ができた。
『元々三つ子だったんだけどー』
『気が付いたらメルルの中にミルル達が居たの〜』
『え!違うでしょー!ミルルの中にメルル達がが入ってきたんじゃん!』
『違わないです〜!そんな事言うとシルルちゃんに言いつけちゃうよ!』
「まだそれで揉めているのか。視る気が無いならその鏡叩き割るぞ」
『『横暴!!』』
腹話術もかくや。
鏡の中、一人二役の混沌とし始めた会話にフェリドが割って入った。
「確証を得たい。夢見曰くヒトの身にして龍。そして聞けば此度の極光のモノガタリの作者らしい。お前達から見ても面白い存在だろう?」
『確かにこの子は興味深いよー』
『生きてるのが不思議なくらいです〜』
チョイチョイともっと鏡の近くへ来るようミルルとメルルがリリィを手招く。
「?」
『大丈夫。痛い事はしないよー』
『大丈夫。苦しい事もしないです〜』
『『ちょっとここに手をついて?』』
鏡の中のミルルとメルルは鏡面に両手で触れてリリィを待つ。座っている時ならいざ知らず、立ち上がると流石に身長差もあってそのままではミルル達の手に自分の手を重ねにくいリリィは膝を付き、言われた通りにソッと鏡越しにその小さな手のひらに触れた。
『さぁ、ミルル達の事を知ったのだから今度はアナタの番』
『メルル達に教えて?アナタはなぁに?』
「?!」
重ね合わせた手の先から何か流れ込んでくる。見えない何かが全身を這うような感覚に驚いたリリィは膝を引き、手を離そうとしたが吸い付いたように手が鏡から動かない。それだけではない。ミルルとメルルの目から視線を逸らす事もできない。
『龍は創世の神の残滓を核にしているそうじゃないか』
『彼の災厄は絶望と希望。あの赤い龍は慈悲と悔恨。お前が龍になったというのなら、果たして神の何からできているんだろうね?』
『既に消え去った筈の創世の神の残滓、お前はどうやって手に入れた?』
『お前はこの世界をどうするつもり?』
纏う雰囲気をガラリと変えた鏡の中の人物の声は何か一枚膜でも通して聞いているように鈍く響いた。リリィは自分の意識がどこか深い所に沈んでいくと共に手足の感覚さえ薄くなる。
── 目の前が暗くなっていく。
どれくらい経った頃か。
やがてリリィはポツリポツリと語り出した。
「神様が溶けてあの世界を創ったのなら、その創造物にはきっと神様の残滓の残滓みたいな物が入ってるはずでしょう?」
「それをたくさん集めて突き詰めていけば神の残滓に近い“何か”を造り出せる。きっと龍も造れると思ったの」
「慈悲と悔恨、希望と絶望、叡智と衝動、妄執と博愛、勇猛と猜疑、恣意と理性、そして消えてしまった無垢と残酷」
「子どもって無垢と残酷と可能性の塊だと思いませんか?」
鏡にうつるどこまでも昏い瞳、昏い声で表情もなく淡々と言葉を紡ぐリリィの様子にヴァーツラフ達は息を呑んだ。何か嫌な予感がしてならない。
『あぁ、続きは見せてちょうだい?久しぶりにワタシも興味が出てきたわ?』
触れ合う手を決して離さず、ミルルとメルルだったそれは猫のようにその金色の両目を輝かせ、リリィの意識を完全に落とした。