2.極光と共に
ローブを翻し、女は城壁の上に設置された見張り台へと続く狭く長い通路を進む。王城と”王家の森“と呼ばれる区画をそっくり取り囲むように築かれたこの高い城壁に常であれば配備されている筈の騎士と一度も出くわす事もなく、今この場には女ただ一人。不意に吹き上げた風に煽られ、女が目深に被っていたフードが捲られるとゆったりと三つ編みで纏めた紅茶色の赤髪が現れた。
歳の頃は三十前後。意思の強そうな眼差しや透けるように白く整った顔立ちなど女を形容する言葉は様々だが、恐らく十人に聞けば十人とも左右の顳顬から生える白い枯れ木のように細く枝分かれした角こそを女の特徴に挙げるだろう。
── 異形のモノ
今でこそ人の形をとっているが、この世界でただ一体の龍。
それが彼女だった。
その彼女が険しい表情で見上げた先では王都上空を北から南西の砂漠地帯へと横切るように極光がそのベールを不気味に伸ばしていた。極域の地でもなく、まして夜でもないのに突如現れるこの極光という現象をこの世界の者達は異世界からの侵食として昔から忌避している。
“凡ゆるモノガタリが最後に辿り着く地”
それがここ、エルバダードだ。
エタろうと完結していようと連載中であろうと人にそれと認識された瞬間、物語は一つの世界として動き出す。その数を数千、数万、数億と増やし続けるモノガタリ世界はやがて何かに引き寄せられるように極光と共にエルバダードへと辿り着き、程度に差はあれど度々その爪痕を刻み付けていった。
今からおよそ九百年前、極光と共に顕れた災厄によって世界が滅びかけたのが皮切りだった。
ある時は樹齢二千年は優に超えるであろう世界樹が大陸各地に林立し、それぞれが干渉し合った結果あらゆる元素がいたずらに増幅され地脈が荒れ、大地が割れた。
ある時は一夜にして砂漠地帯に見た事もない国が出現した。今後の国交をどうしていくか日も昇らぬ内から議論が始まったものの、日没を待たず霧のように跡形もなく消え失せた。
そしてまたある時は突如空から現れたピンクブロンドの髪の少女達が国中の貴族令息に襲いかかり騎士団が出動、鎮圧する大捕物へと発展した。
そして現在 ───
『リューシュ様!どこにいらっしゃるのですか!』
怒号に近い男の叫びが術にのせられ女の耳に届いた。うんざりしつつも極光から目を離さないままリューシュと呼ばれた女は虚空に向かって素直に応えを返す。“たかが人間”と無視をする方が後々面倒が倍以上になって返ってくる事を覚える程度にリューシュはこの声の主との付き合いは長かった。
「喚くなグロッシュ…南の城壁だ。夢見どもは起きたのか?」
『未だ五人全員囚われたままです。極光も出現したというのに勝手に単騎でフラフラせんでください!』
端的なリューシュの言葉に対して応答しつつ苦言を添える事を決して忘れない。
“人間如きに何を好き勝手言わせているのだ”とかつての同胞であれば怒るであろう不躾な言葉にもリューシュ自身は凪いだまま、ただ静かに彼らの言葉を繰り状況を確認していく。
「だからこそ目視で確認しに来ている…王都で展開するつもりは無いようだ。私はこのまま極光を追う。夢見が起きるまでお前達は近付くな」
夢見とは文字通りその夢によって極光が内包するモノガタリを垣間見る事ができる能力者の総称である。
だがそれは夢見からの能動的な働きかけによるものではない。極光の前兆としてある日突然眠りに落ちたが最後、夢に囚われ自力で目覚める事ができなくなるというのがその実情だった。
モノガタリの侵度や影響範囲が軽微であれば比較的すぐ目覚めるため夢見からモノガタリの内容を聴き出し何らかの手立てを講じる事も可能だが今回のように極光が現れても尚目覚めない場合、より深刻な事態を覚悟する必要がある。
『“書き換え”に巻き込まれたらどうするおつもりですか!もっとご自身の事も』
「所詮私は余所者だ。お前達はただ己の身を守る事だけ考えていれば良い…夢見どもから詳細を聞き出せたら知らせろ。それまでは呼ぶなよ?」
『しかし!リューシュ様ッ』
続くグロッシュの言葉を無視して通信用の術を一方的に遮断し、自身の内を巡る力の流れに意識を集中させるべく目を閉じたリューシュの顳顬の角が青白く輝き出す。
魔法も精霊も亜人も存在するエルバダードでただ一体の龍。
この世界の理の外側に在るもの。
九百年前、最初の極光により災厄と共にここエルバダードに降り立ち、大地と生命の半数以上を失いながら災厄を退けた後も極光がもたらす事象、その全てを見届けてきた。
死に場所を求めるように。
「あれの袂へ」
静かに発せられた言葉に呼応し辺りに一際強く風が吹き荒れる。城壁の縁へ跳びのったリューシュが更に一歩宙へと踏み出すとその姿は青白い光の粒へと溶け、極光たなびく上空へ飛び去っていった。