16.西の世界樹 Ⅱ
冒険者ギルドの建物内は静かなものだった。朝ならともかく昼少し前の中途半端な時間だからか冒険者の姿は見えない。しかし不思議な事にギルドの職員すら居ない。
確かにこれなら看過できないほどの騒ぎがあったにも関わらず誰も外へ飛び出してこなかったのも頷けるが、人っこ一人居ないとはどういう訳か。
「誰も居ないね…」
隣りを歩くシュナへ向けるでもない独り言のようなリリィの小さな呟きに思わぬ所から答えが返ってきた。
「普段はもっと賑やかなのだがネ。虫の知らせでネ。今日はここへの出入りの一切を全面的に禁じたんだよ」
「だrフギャン!」
シュナに頭を押さえられる直前、本を片手にカウンターの奥で行儀悪く机に両足をのせて寛ぐ人物の姿が一瞬見えた。
リリィが次の言葉を発する前にシュナは更にリリィを押さえる手に力を込めて、自分も件の人物に頭を下げる。
「すみません、ギルド長。連れがご迷惑をおかけしました」
「「!!」」
「「お騒がせしてスミマセンでした!」」
相手がどのような人物か理解したリリィとシェリムもシュナが押さえるより更に一層低く頭を下げて謝罪する。
「いいよいいよ。外は取り繕ってくれたんだろ?アインツミルドに慣れない子がハッチャケるのは…まぁ一度くらいはネ。目を瞑ってあげるのが大人ってものだよネ。事前に聞いてなかったらと思うとちょーっと肝が冷えたけどネ」
「ううっ、ゴメンナサイ…」
本にしおりを挟み、ピンと尖った大きな耳をそばだてて狼顔の老紳士は立ち上がる。項垂れるリリィを眼鏡越しに興味深そうに観察こそすれ、ギルド長の目に怒りのようなものは浮かんでいなかった。
「キミがリューシュの秘蔵っ子かぁ。小さくて可愛らしいとは聞いていたが、こんなちっこいお嬢さんが龍体になるとデカくなるのかネ?」
「はわわ!狼?!」
リューシュの名が出た事もあって、恐る恐る顔を上げたリリィの目にギルド長の顔が至近距離で飛び込んできた。いつの間にか音もなくかなりの距離を詰められていたようだ。
「おや、獣人には馴染みはないかネ?」
「ま、まだ未熟者なので許可された人達以外に無闇に近付いちゃいけないと言われていましてッ!不躾でスミマセン!」
「ふむ、言い付けを守っているのだネ。偉い偉い」
「はわわわわわッ」
大きな手で豪快にグリグリと頭を撫で回され、リリィは目を回す。ギルド長も上機嫌に尻尾をゆらゆらと揺らして寧ろ楽しそうだ。遠慮のない扱いに翻弄され通しのリリィの一方、痺れを切らしたシュナが謝罪もそこそこに本題を切り出した。
「…ギルド長、人払いされているなら丁度いい。三の世界樹についての情報と葉を一枚いただきたい」
「えぇぇッ!もう聞いちゃう?もうちょっとゆっくり見せてくれても…」
「ヴァーツラフ様をお待たせしてしまっているのです。勘弁してください」
「あぁ〜彼が出張ってくれたから今回助かったんだよネ。お礼言ってたって伝えといてくれるかい?…フム、三の世界樹の事を話すより先に見せた方が良いか…葉を取ってくるからちょっと待ってなさい」
ギルド長はその大柄な体躯からは想像もできない軽い身のこなしでカウンターを跳び越え、素材保管庫へと向かっていった。フードが捲れるほど構い倒されていたリリィも漸く我にかえり、シュナに倣ってカウンターに備え付けられた椅子へ腰掛ける。
「よいしょッと…シュナはここのギルド長さんとお知り合いだったの?」
「あの人自身が有名な冒険者でもあるから顔を見たら分かるって程度だよ。僕個人としては初対面」
「そんな人にお礼を言われるってヴァーツラフ様もスゴイ人だね…」
「本当にそれだけ凄い御方なんだよ…そんな凄い人と話している最中だったのに君らが向かったはずの方角で騒ぎがあったから飛んでくる羽目になったんだけどね」
「面目ないッス…」
「お手数オカケシマシタ…」
どうやら本当に話を中座して来てくれたらしい。リリィは申し訳ない事この上なかったが、シュナが来ていなければなす術なく途方に暮れていたのもまた事実。あのままボーッとしていたら突き出される形で騎士団に連行されていたかもしれないので遅かれ早かれ合流はできただろうが、その場合圧倒的に不名誉だ。
何とか挽回をと思いつつ、まずは目の前の任務に集中しなくてはとリリィは居住まいを正し、ギルド長が戻ってくるのを大人しく待った。
「待たせたネ。これが三の世界樹の葉だよ」
コトリ、とカウンターに置かれた銀のトレーの上には子どもの掌くらいの大きさの葉が一枚のせられている。広葉樹の葉にも似たそれは ────
「…す、スミマセン。本当にコレ、世界樹の葉なんですか?何か…ドス黒い怨念みたいなものが纏わりついてるんですけど…」
「正真正銘、三の世界樹の葉だよ?ギルドのお墨付きのネ」
「見た事はないんですが、こう…“這い寄る混沌の影”とか“邪竜の逆鱗”とかって言われた方がまだ納得「ご、ゴメンナサイ!こ、この子ちょっとヒトと違ったモノが見えちゃうから苦労が絶えなくてッ!」」
少し躊躇う素振りはあったももの、顔色悪く不穏な事を宣い出したリリィにその場を取り繕うべくシェリムが慌てて大声を被せる。世界樹の葉なんて霊験あらたかそうなアイテムに向かって言って良い感想ではない。しかしギルド長はと言えばリリィの物言いに気分を害するでもなく、口元に手をやり何事か思案し始めた。
「妖精眼…とはまた違うみたいだけど稀有な目だネ。これが見えるのか…」
「ギルド長にも何か見えているのですか?」
「ボクの場合は“見えないけれど知っている”とでも言うのかな…先の極光で三の世界樹は“書き換え”による変性が確認されている。番モノの短編らしいが随分苛烈なものが巣喰ったみたいでネ。周囲の森を枯らすだけでなく、採取済の素材にまで影響が出始めている。手持ち素材の全廃棄なんてギルドとしては大損もいい所だよ」
まったく困ったものだよネ、と溜息混じりにギルド長は世界樹の葉を摘み上げる。
「それで?騎士団の方で“木こり”は確保できたのかネ?」
「確定ではありませんが一名、それらしき人物を保護しているそうです」
「それは上々。これで後は首尾よく運んでくれると良いんだけどネ…」
葉柄を摘んだ指でくるくると世界樹の葉を回す。見えているのか定かではないが、例の“黒い靄”も胞子のように舞うのでリリィとしては気が気でない。しかしここでそれを指摘するのも憚られ、リリィは静かに唇を噛んだ。
「コレはまだお嬢さんが心配するほどの悪さはできないから安心しなさい。精々夢見がすこぶる悪くなる程度さ。だが必要な事だからネ。我慢だよ?」
「ギルド長?」
「さぁさぁ、あの王弟が怒るとは思わないけど彼を待たせるのは魔法士君の方が限界だろう?世界樹の葉はあげるから早くお帰り」
「え!代金!!」
リリィは急いで鞄から財布を取り出すがギルド長はゆるゆると首を振り、世界樹の葉をのせたトレーを更にシュナ達の方へ押しやった。
「今や回収令まで出しているボクらとしては受け取れないネ。変性した三の世界樹を何とかしてくれればそれで十分だよ。ただ願わくば」
そこでギルド長は一旦言葉を切りカウンターを再び跳び越えてシュナ達の背後にまわる。何事かと振り返るリリィ達の目の前で徐に片膝を付き頭を下げてこう続けた。
「木こり役となった者を…どうか救ってやってくれ」
ギルドの長がするにはやや重過ぎる敬礼と憂いを多分に含んだその声音にリリィ達は戸惑うばかりだった。




