17 なしくずし動物園
夏休みが始まってから、俺はずっと自宅に籠っていた。
何もするでもなく、こうしてボーッと無駄に時間を潰す毎日だ。
正直、夏休みに入ってくれて良かった。
まだ学校が続いていたら、きっと俺は学校も休んで、不登校児になっていただろうから。
しかし、この状態が続くなら二学期はどうしようかね。
登校した時の瀬川の顔を想像する。
あいつは拒絶するだろうか、受け入れてくれるだろうか。
考えるだけで気が滅入ってしまう。
「結局ビビってるだけかよ」
とことん自分が嫌になる。
ふと携帯の待ち受けを見ると、いくつもメールが来ていたが、俺はそれら全てをことごとく無視していた。
その中には鹿山や松村からのメールやラインとかもあるはずだろうに。
それでも俺は思考を強引に切り替えて、なんとか楽しい事を考えようとする。
だが、何を考えても瀬川と一緒にいる時の事を想像してしまう。
ずっと一緒にいたせいか、楽しい事といったらあいつと共にいた時と連想してしまうのだ。
ここまで自分の中に深く食い込んでいるとは思わなかった。
我ながらなんと女々しいことか。
そこにふと、ピンポーンと向こうのインターホンが鳴った。
「……」
俺は無視する。
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン!
――無視しようとしたが、向こうは引き下がる気が無いようで、ひたすらに鳴らしてくる。
勘弁してくれ。
このまま居留守を決め込むのは簡単だが、向こうは俺がいるのを完全に察しているのだろう。
根負けした俺は頭をガシガシ掻きながらドアを開けた。
「なに無視してくれてるわけ?」
そこにいたのはやはり瀬川美沙だ。
不機嫌そうに端正な顔立ちの頬を膨らませている。
速攻でドアを閉じたい衝動に駆られたが、そこまでして彼女から逃げたくはなかった。
というか癪だ。
「何の用だよ」
「ちょっと付き合って」
「へ?」
とりあえず、なんて声をかけようか迷っている内に瀬川からの突然のお誘いを出され、俺は思わず間の抜けた声で返した。
……。
その空間は随所に動物が入れられた檻や囲った柵が並んでいた。
「なんで動物園?」
そんな気分じゃねえよ、と言いたかった所だが、瀬川は執拗にグイグイとこっちの手を引っ張ってきて、こちらも抗えなかった。
だがしかし、この近辺に動物園はないのだ。
だから俺たちは一時間ほど電車に乗って、三十分ほどバスに乗ってここまで来たわけだが、そこまでして連れてきたかったのか?
水族館の時とは逆の状況に思わず苦笑してしまう。
そういや動物園が良いとか言ってたし、こいつなりの意趣返しだろうか。
「楽しいでしょ?」
ドヤ顔で言ってくる瀬川。
ふざけんな。無理やり連れてこられて楽しいもクソもあるか。
俺はお前ほど単純じゃ……。
おお、ゾウって間近で見ると本当にデカいな。
わあ、キリンって首長い。改めて見ると面白い模様してるなー。
カバってよくよく見ると愛嬌あるな。えっ、ワニも踏み殺すってマジ!?
うひゃあ、ライオンさん、トラさんかっこいー!
爬虫類コーナー!? アナコンダ怖ぇ~。
えっ。赤ちゃんライオン抱っこできるの⁉ 行きたいなぁ~!
――はっ。しまった!
楽しすぎて、気付いたら時間は正午を回っていた。
クソッ。瀬川め、俺をここまで夢中にするとはやるじゃあないか。
隣の瀬川はニヨニヨと得意気にしていやがる。
なんという敗北感、だが受け入れるしかあるまい。
「俺の負けです」
「ふふん」
こんな茶番も久しぶりに感じるな。
「戻ってきたじゃん。いつものアンタに」
「そうかよ」
いつもの俺がどんな感じなのかはわからんが、どうやら瀬川視点だと戻ったらしい。
童心に帰って動物に目を輝かせていただけなのだが、それで良かったのか?
自分でもようわからん。
そんなモヤモヤを感じながらも、俺たちは一通り見て回り、動物園を後にした。
満足感がやばかった。
その帰り道。
「今日はありがとうな。それとごめん、あの時逃げちまって。怪我大丈夫か?」
いつまでも、宙ぶらりんなのもアレなので、こちらから切り出すことにした。
散々無視してたこちらが初手を切り出すのも、卑怯この上ないと自分でも思っているが、このチャンスを不意にしてはいけないだろう。
このままあやふやにせずに関係を清算しよう。
「大丈夫だよ、転んだだけだし。それにあんたの話聞いたから」
最後にポツリと呟く瀬川。
俺の話、それを聞いて俺はなんとなく理解した。
「松村か」
桜沢は喋るタイプでもないし、一年の鹿山は知らんだろうし、あいつくらいだよな。お喋りデブめ。
ああ、恥ずかしい。
完全に黒歴史なんだよ。
「それでどう思ったよ?」
「尖ってる」
どういう感想だ。ヤンキー漫画じゃあるまいし。
「いや、あんた悪くないじゃん。むしろイジメ止めて偉い偉い」
「どこがだ」
頭を撫でてこようとする瀬川の手を振り払う。
偉くもなんともない。
馬鹿な奴が馬鹿な事をして、相応の末路にあっただけなのだ。
別にやった事を後悔はしていない。
でも、もっと上手くやれる方法だってあったはずだ。
須剛教諭に相談したり、桜沢ともっと早く話し合って協力していればもっとスマートな収束ができただろう。
全ては俺の短慮と慢心が招いたことだ。
「おいコラ。戻ってこい」
――と頭の中でグルグル考えていると、ポカリと瀬川に頭を叩かれた。
頭はやめろって、これ以上頭が馬鹿になったらどうしてくれるんだ。
「とにかく私はあの時ビックリしただけで、あんたとの関係見直そうとか思ってないから。つうか女々し過ぎ。キモッ」
そこまで言う事無いやろがい。
「……でもさ、怖かっただろ?」
「怖かったよ。初めて喧嘩とか間近で見たもん、ホント野蛮」
そっちかよ。
というか、自分を捕まえてた奴に足踏みと頭突きをかましてた女がどの口で野蛮とか言うのか。
……ああ、そうだ。わかってる。
こいつにその嫌悪する暴力を使わせてしまったのは他ならぬ俺だ。
「また目の前のお前を巻き込むかもしれない。傷付けるかもしれない。俺はそれが嫌なんだ」
「……私は園部を怖くないし、園部は私を傷付けない。それぐらいわかるよ」
俺が絞り出した言葉を瀬川は静かに首を横に振って否定する。
大丈夫じゃない。
俺が良くないんだよ。
「その時は皆いるよ。桜沢さんも松村君も、……あとついでに鹿山も。園部が思っている程、世の中捨てたもんじゃない。園部の周りは沢山救いがある。それぐらいわかるでしょ? なんだったら、私が証明してあげる」
瀬川美沙ははっきりとそう言ってのけた。
そこに口下手で人付き合いを面倒がっていた臆病な少女はどこにもいなかった。
「大言壮語出たなあ」
「そんなデカい口利いたつもりはないけどね。例えば今日ここで楽しそうにしてたのもアンタでしょ」
ほら、と携帯の画面を見せる。
そこにはトラさんを見て、顔を輝かせている俺が写っていた。
やめろ、恥ずかしい!
――思わず俺は瀬川から携帯を取り上げようとするが、そこに気を取られて、逆に彼女は俺の頬を両手で挟んで自分の顔に近づけた。
その綺麗な眼差しは俺を真っ直ぐに見据えており、蛇に睨まれた蛙のごとく俺は動けなくなる。
「だったら、もっと強引に縛ってあげる。園部達彦、私の傍にいてあれだけ私を振り回したんだから、今度はアンタが私に振り回されてよ」
「……は、はい」
瀬川美沙の横暴な宣告に俺は逆らえなかった。
ところで、この距離は危ないんじゃないでしょうかね。
いつぞやの見舞いの時の事を思い出す。
「瀬川、これ――」
「バーカ、んなわけないじゃん」
ニカッと笑って、瀬川は顔を離した。
だ、だよな。これも瀬川の意趣返しの一環だったのだろう。
……それでも。
だとしても俺は不覚にもドギマギしていた。
胸が苦しい、なんて比喩表現を自分が使う事になるとは思わなかった。
ああ、そうか。
俺は瀬川美沙の事が好きなんだ。