10 なしくずし水族館
「泣くなよ」
「泣いてないしっ」
いや、すごい泣いてるだろ。
ヒックヒックとしゃくりあげている瀬川美沙の頭を俺はゆっくりと撫でる。
教室を出た瀬川をすぐさま追いかけた俺は屋上で体育座りして泣いているこいつを発見。
無言で隣に歩み寄り、ゆっくりと座って、そのままずっとこうしていた。
「なんなのアイツら、嫌い。みんな嫌いっ。大嫌いっ」
そして、当の瀬川と言えばひたすらにいまだに収まらぬ感情を撒き散らしていた。
見ると、瀬川はその綺麗な顔を涙と鼻水でグジュグジュにしており、俺は無言でティッシュを差し出す。
同じく無言でそれを受け取った瀬川はズビーッと豪快な音を立ててかむ。
「私の事、アンタの事、アイツら知った風になってあんな好き放題……!」
ブツクサといまだに苛立ちを見せるも、大まかな激情は鼻水と共に一通り吐き出せたのか、ようやく落ち着いた様子を見せる瀬川。
その間、俺はずっと何も言わずに静かに聞いていた。
こういう時にアレコレ言葉を挟むのも無粋だと思ったし、なにより、どんな形であれ、こいつは俺のために怒ってくれてもいるのだ。
それがちょっと嬉しく感じた。
「――風見鶏、クズモブ共、気持ち悪いイケメン、生理的に無理!」
なお、この後もこんな感じで愚痴を吐き散らしていく瀬川。
そんな彼女と俺は一緒にいるものの、時間は平等に進んでいくもので、やがて一時限目の開始を告げるチャイムが響き渡った。
当然だけど、遅刻は確定だな。
「……授業どうする?」
「やだ。教室行きたくないっ」
瀬川は不貞腐れたように言い放つ。
確かにあんな事があった直後では、顔も会わせずらいか。
子供のようにプイッと顔を逸らしたままの彼女をどうしようか俺も思案する。
このままこいつを一人にしておくわけにはいくまい、俺も一人であの空気の教室には戻りたくないし。
……なんだ、よくよく考えれば簡単じゃないか。
「瀬川、サボるぞ」
「……は?」
俺はそのまま瀬川の腕を引っ張って階段を下りる。
「えっ、ちょっ、はっ……?」
当の瀬川は俺が何を言っているか理解できず、なされるがまま俺たちは校外へと飛び出すのであった。
……。
「なんで私らここにいるの?」
「さあ?」
「さあじゃないし。サボりじゃん!」
ここまで黙ってついてきて、今さら何言ってんだよ。
ククク。これでお前は共犯だ。もうどこにも逃げられないぜ。
「……あ、ヒトデ触れるんだってさ。行こーぜ」
「一人で行けば?」
無視するない。相変わらずノリの悪い女だ。
そこはライトに照らされた薄暗い回廊。
色とりどりの沢山の魚たちが泳ぐアクアリウムをぼーっと眺めながら、瀬川はプンスカしていた。
ここは水族館。
学校から二駅ほど離れた場所である。
なんで水族館なのかって?
俺もよくわからない。
いや、俺も頑張って考えたんだよ。
最初はさ。ゲーセンでも行こうかなって思ったけど、またかよって言う感じの瀬川の表情が痛くて、俺もいかにも芸がないと思いまして――。
そしたら、こういう心が荒んだ時は動物とか見ると心が安らぐっアニマセラピー的なものを思い出しまして、でも近くに動物園とかないし……。
じゃあ魚だなって結論を出した結果こうなった。
「じゃあ私、動物園の方が良かったかな」
「普通ここで言うか?」
この女、俺がどんな思いでここに連れてきてやったと思ってやがる!
「自己満足でしょ」
「お前はもう少し気遣いというものを持つべきだと思うの」
実際、そうなんだけども!
「冗談だよ。感謝してる。ちょっとだけ」
ちょっとだけかい!
もっと感謝しろい!
「あ、オニオコゼだ」
俺の嘆きなんて無視して、瀬川は新しい水槽に近付いていく。
あいつ、さっきから厳つい造形の魚ばかり興味を持つな。
しかし、女子ってもっと可愛い魚とか好きなんじゃないの?
ほら、そこのチンアナゴとか。
「は? セクハラ?」
セクハラじゃないし。
そういう魚なんだよ。
この珍妙かつ奥ゆかしいデザインと生態の素晴らしさを見いだせないとは哀れな女だ。
「――ごめん、チンアナゴさん」
「そっちに謝るんかい!」
そんなアホなやり取りをしながら歩いていくと、今度は両壁天井とガラス張りの回廊にでる。
回廊の向こうの水槽で泳いでいる色とりどりの魚の群れは壮観なものであり、確かに男女で逢引きするにはムード満点だろう。
「あ。サメだ。……かっこいい」
ただ、この瀬川美沙という女を楽しませるにはいささか役不足だったようだ。
彼女はその先に続く水槽のサメを見つけると、そっちに小走りで行ってしまわれた。
ちなみに俺はジンベエザメが好き。
「空飛ぶかな?」
「飛ばねーよ!」
どこの映画だよ。……今何作目だっけ?
そんなやり取りを続けながら、俺たちは館内を一通り見て回って水族館を出た。
「どうだ。満足したか?」
「全然」
あっさりと瀬川は首を横に振る。
残念、俺のメンタルケアは効果はなかったようだ。
「足りないよ。この程度で癒されるほど私の乙女心は安くない」
乙女心とか、そんな殊勝なハートの持ち主かね。
……という俺の心の中を読んだのか、いつぞやのローキックをお見舞いしてきた。痛い。
なんだよ。元気じゃん。
「だから足りないってば。――だからさ、また付き合ってよ、園部」
「……ああ」
少なくともイライラの発散はできたのか、瀬川美沙は照れくさそうにニカリと笑った。
俺にしては戯言も茶化しも何も言えず……本当に何も言えずにコクンと頷いた。
……そういや名前初めて呼ばれたな。ずっとあんた呼びだった気がする。
ふと、この一緒に歩く時間がもう少し伸びないか、と思った。
思ってしまった、我ながら恥ずかしい事に。




