1 最初は言われてるの俺だと思った
俺――園部達彦がクラスの中のその小さな異変に気が付いたのはどの辺からだったろうか。
事の発端は休み時間。
欠伸しながら、テキトーに友人から借りた漫画を読んでいると、どこからかクスクスと笑い声が聞こえてきた。
チラリと辺りを見回すと、特に接点もない女子連中がこちらに向けて含み笑いをしながら、ヒソヒソと話していた。
表情を見るに、あきらかに好意的な感じじゃない。
なんでこんな笑い者にされなきゃいかんのか。
俺には思い当たる節なんて……わんさかあった。
欲しいゲームや漫画の発売日はそっちを優先して店に直行、当然遅刻した。
早弁で水筒に入れてた味噌汁を間違えて机にぶちまけて、大惨事にもなった。
クラスでのポジションはお調子者というより、結構な腫物扱いとなっているだろう。
しかし、彼女らが笑っているのはどの件だろうか?
……アレか。
先日の同じ学校の男子生徒が他校の不良たちにカツアゲされている所を見て、直前に観たアクション映画の影響で気分が高揚していたせいか、意気揚々とヒーローのノリで割り込んだら、普通に返り討ちにあい病院送りにされた件か。……流石に上級生五人相手は無茶だったな。反省してる。
なんにせよ、遠くから嘲笑を浴びせられるのは気分が悪い。
やめろ、と一言言えればいいが、女子相手にこういった舌戦に持ち込むのは面倒そうだ。
こうなれば頭を垂れてやり過ごすしかあるまい、と防御形態に入ろうとしたが、そこでようやく俺は嘲笑の的が自分でない事に気が付いた。
真の標的であるのは俺の前の席に座った女子生徒……瀬川美沙。
クラスでも評判の綺麗な子であった。
青みがかった黒髪を綺麗に切り揃えられたボブカット、その下の端正な横顔を彩るようにうっすらと化粧があつらえれている。
着崩した制服の端々にも細やかなファッションが施されており、いわゆるクールギャルというやつだ。
その怜悧な美貌はキツめな印象を与えるも、そこが良いという感想も多く、クラスどころか学園でも上位に入る美少女である。
だが、彼女はいわゆるクラスの中でもカースト上位のグループに所属しており、こうもあからさまに小馬鹿にされるような立場じゃなかったはずだ。
――とよくよく思い返してみれば、彼女は最近ずっと一人でいることが多かったな。
特に親しい関係じゃなかったから、今まで気にしていなかったがこれはどういうことだろうか?
……。
「そりゃお前、この前の告白騒動が原因じゃね?」
昼休みの屋上。
俺は総菜パンを頬張りながら、友人たちから話を聞いていた。
「そんなん知らんぞ」
「そりゃお前は入院してたからなぁ」
恰幅の良い巨漢……クラスメイトの松村は購買と学食の全メニューを制覇した証である出っ張った腹を撫でながら説明してくれる。
なんでも瀬川はこの前告白された。
告白した相手は大久保浩二という彼女の昔からの幼馴染だそうだ。
そして、その告白された瀬川美沙は普通に断った。
理由は彼女は既に彼氏がいたからだそうな。なんでも一つ上のイケメンの先輩らしい。
それだけなら青春のほろ苦い一ページで終わりそうなものなのだが、彼女は断り方に少し問題があったそうな。
なんでも『アンタみたいのが私と釣り合うわけないじゃない』と瀬川はひたすら嘲笑い罵倒して、次の日にはクラス中に自分が大久保に告白されたと友達と一緒に触れ回ったとか。
いや、そういう事するようなタイプじゃないだろ、あのク-ルビューティー。
「しかーし、話はそこで終わらないんですよ、先輩。むしろ問題はここからです」
と、松村の話を引き継ぐのは俺の隣に座る一年女子、鹿山麻央。
染めた金髪をサイドテールにひとまとめた可愛らしいギャル少女。
だが、その本性は噂や面倒事が大好きで、面白そうなネタを見つけると野次馬に混じって情報収集。
それらを広報部に食券とかと引き換えにしているハイエナ女子である。
「先輩、今失礼なこと考えませんでしたか?」
「別に? 気のせいでは?」
失礼な、じゃないぞ。まっとうな評価だぞ。
まぁ、そこだけ聞くと、お近づきになりたくない人種だが、この後輩はどういうわけか最近俺たちに絡んできている。そして、不本意ながら俺らともやたらと気が合ったりするため、気付いたらこうして気兼ねなく会話できる仲になってしまった。
話を戻そう。
そのフラれた大久保君とやらはその数日後、新しく彼女を作っていたそうな。
詳しい経緯は知らん。
きっと俺らの知らない物語とかが色々あったんだろうさ。
だが、相手は涼森香澄というクラスどころか学園きっての美少女だったのである。
クラスは違えど、俺だって知っていた。
以前、廊下ですれ違った事があるが、いかにもお嬢様と言った風の美少女で、ミスコン(非公式)取った人じゃんか。
……羨ましい。
まさに人生逆転ホームランという奴である。
いいなぁ。爆発しろ。
盛大に爆発しろ!
そして、その一方で瀬川ときたら付き合っていた彼氏の浮気が発覚。あえなく破局となったらしい。
問題はその後、瀬川美沙は手の平を返して、恥知らずにも大久保に言い寄ったのだ。『お願い。この前の事は謝るから、あたしと付き合って』と。
当然、大久保君はそれを突っぱねる。
涼森さんの方も自分の彼氏に……よりにもよって自分の目の前で言い寄ってくる女を怒り心頭で糾弾して、追い返した。
なるほど。
そんでその醜態がクラス……下手すれば学校中に出回っているっていう訳か。
全然知らなかった。
「お前。入院してた間の出来事だとか抜きにしてもそういうの疎いもんなぁ」
「我が道を行くっていう昔気質のヤンキーですもんね」
うるさい。
ヤンキーじゃねえし!
煙草も酒もやらんし、授業も(たまにサボるが)基本的に受けてるし!
……ただ、ちょっとムカつく相手に口よりも先に手が出るだけだしっ!
そしたら、向こうが今度はわんさか仲間を引き連れてきて、そいつらにも手が出ちゃって――。
クソッ。お前らそういう目で俺を見るのはやめろ!
だが、さっきから話を聞けば聞くほどにその話信憑性がないな。
そもそも、あのザ・孤高少女がそんな陰湿なイジメっ子ムーブをかますわけないだろがい。
「だろうな。多分どっかで尾ひれつきまくったんだろ」
「瀬川先輩って敵多そうですもんねぇ」
他人事だと思って気楽だなお前ら。
まぁ俺もだけど。
「そうそう、どっちにしろ俺らには関係ない話さね」
そう言ってパンを全て平らげた松村は屋上を出ていく。
そこを『じゃあ私も次の授業移動なんでー』と鹿山も続いていった。
ポツンと一人残される俺。
「そんでよ。どこまでが本当なわけ?」
俺は屋上の塔屋の上の方にいる彼女……瀬川美沙当人に話を聞いてみる。
実は俺と彼女は以前からたまに屋上で顔を合わせていた。
彼女はいつも嫌なことがあると、よくここで不貞寝しにきてるらしく、暇な時にここで適当に時間を潰そうとする俺とはよくここで鉢合わせしていた。
といっても会話する事なんてほとんどない。
互いに昼寝したり、スマホをいじったり、それぞれ適当に時間を潰しているだけだ。
だが、今回はつい気になって話しかけてしまった。
しばらく気まずい沈黙の空気が流れる。
やがて彼女はようやく口を開く。
「別に……アンタの友達が言っていた通りだよ。アタシは告白されて断った。それだけだよ」
特に否定することもなく。
いつも通りの涼しげな鉄面皮でそう言った。
「断った、ね」
「幼馴染以上には、せいぜい弟ぐらいにしか見れなかったからね」
少しだけ探るような俺の言葉に察したのか、彼女は理由を返す。
再び気まずい沈黙が場を支配する。
さっきよりも長い時間だが、やがて彼女は根負けしたように言葉を続ける。
「アタシにはそもそも先輩の彼氏なんていないし、彼女ができたアイツ……浩二に未練がましく言い寄ってもいない。気付いたらそういう話になってた」
あー、やっぱりな。
フッた相手をコキ下ろしたり、言いふらしたり、目の前の彼女とはイメージが合わなさ過ぎる。
付き合いが浅い、というかほぼ無かった俺だってそれぐらいはわかる。
多分、瀬川の事をやっかんでた、もしくは今回の出来事を面白がった誰かが、便乗して適当に噂を流したとかそんなんだろう。
くだらね。
「じゃあさ普通に否定しすればいいじゃん」
「噂してる大多数にいちいち説明するとか面倒くさいだけだし。こんなの一過性でしょ」
さっきまで俺が思っていた事をそのまま言う。
そうだよな。
こう改めて見てみると、目の前の彼女は周囲の風評に屈したり、ましてやイジメを受けるようなタイプではないし、この件はやはり時間の経過と共に勝手に消えていくだろう。
どちらにせよ、俺らには関係ないし、所詮は噂だ。
人の噂も七十五日。
その頃には新しい話題が飛び交っている。
……と、この時の俺はそう思っていた。
翌日。
登校すると俺の前の席……瀬川美沙の机には酷い落書きで埋まっており、そこを中心にザワザワと人だかりができていた。
うわぁ。
〇ッチとか、恥知らずとか、尻軽女とか、なんともまぁ汚い事が机一面に書き連ねられている。
そして、犯人は誰なのか、この机どうしようか、などと話し始めるクラスメイトたちをよそについに彼女が登校してきた。
「あっ……」
「瀬川さん……」
自分の机のそれを見た瀬川はしばらく無言で硬直していたが、やがて溜息をついて教室を出る。
「どいて。自分の事は自分でするから」
そう言って濡れたタオルを持って戻ってきた無言で拭き始めた。
他のクラスメイト連中は黙ってそれを見ている。
誰か一人でも手伝うべきなのだろうが、他ならぬ彼女自身が拒んでいるようにも見えた。
どこぞの正義感の強い委員長とか、手伝ってくれそうな人間はいない事もないのだが、残念ながら、今この場に彼らは居合わせていなかった。
やがて、中にはヒソヒソと「自業自得」「ざまぁ」と嘲るような声が聞こえてきた。
噂を真に受けてる連中だろうが、その中には瀬川と付き合いのあったはずの上位カースト連中もいた。
なんとも変わり身が早い事だ。
次第に少しずつ大きくなっていく彼女を中傷する声。
無視して、黙々と机を拭き続ける瀬川美沙。
ふむ……。
「手伝うぜ」
そんな彼女を見ている内に、気が付いたら、俺はそう口に出していた。
同時に嘲りの声は一気に消えて、代わりにどこからか息を呑むような声が聞こえてくる。
なんだよ、そんなに驚くなよ。
似合わない真似だって、俺だって自覚してるっつうの。
「別に手伝いとかいらないんだけど」
一方で、瀬川はいつも通りのク-ルな表情でそう返してくる。
つれないこと言うない。
後ろから見てるお前の後ろ姿。その肩が僅かに震えていたのだ。
そんなのに気づいちまったんだから、仕方ないだろ。
そもそもお前、人の席の前で黙々と机を拭き続けるのを見せられるとか勘弁しろよ。
こっちはそれなりに楽しいスクールライフを送りたいっていうのにこんな事されたら、こっちまで気が重くなるわ。
……えっととりあえず油性のラクガキって消毒用エタノールとかでいいんだっけ?
理科準備室や保健室とかで貰えるかね?
「――とにかく、こんなのやられると俺の精神衛生上よろしくねえんだよ。自惚れんな」
そう言うと、瀬川はきょとんとした表情で俺の顔をまじまじと見る。
こいつのこんな表情は初めて見るな。
「……わかった。それで納得してあげる」
やがて彼女は少しだけ笑った。
くそっ。やっぱコイツ顔だけは可愛いな。