第7章 過去への扉
ブルックハーストの邸宅に戻ってから6日経った。食事も部屋に運ばれ、文字通りの蟄居である。父が領地の偵察から戻るまでこうしているようにと、家長代わりの兄からのお達しだった。兄のコリンは既に成人しており、父の補佐として働いている。ゆくゆくは家督を継ぐ予定のコリンは、家長代理として忠実に責務を果たしていた。
クラウディアが所在なげに本をめくっていると、コンコンとドアをノックする音がした。返事をすると、コリンが一通の手紙を持って立っていた。
「ジュリアン・サンデルという者から手紙が届いている」
「まあ、ジュリアン坊ちゃまが? 何かしら……もしかして中身を開けて調べました?」
「俺が言われたのは、お前を連れて帰ってくることと、部屋に閉じ込めておくことだけだ。手紙を検分しろとか取り次ぐなという指示は受けてない」
せめてもの兄の優しさなのだろうと思い、クラウディアはお礼を言った。中身を開けると、子供らしさが残る筆跡の手紙がつづられていた。何も知らない者が読むと無邪気な子供が親愛なるお姉さまに綴った他愛もない手紙だが、実際はマクシミリアンの近況報告だった。クラウディアが別荘を去る直前、中身を見られてもバレないように手紙を送れと指示していた。そのための暗号も設定した。ジュリアンは「まるでスパイ小説みたい!」とはしゃいでクラウディアに叱られたが、グランもマクシミリアンも少しワクワクしている様子だったのが「こっちは真剣なのに!」と癪に障った。
「こちらは変わりないです。お姉さまが帰ってしまいさびしいです。チロルもよくなついていたのにすっかりしょげてしまいました。かわりに僕が毎日遊んでやってます。追いかけっこや鬼ごっこだけでなく、最近王様ごっこも始めました。グランもいったん帰ったけどまた戻ってきて、チロルに芸をしこんでます。ひなたは暑いので、日陰でやってるから心配しないでください」
チロルとはジュリアンの愛犬だが、ここではマクシミリアンを意味している。どうやらジュリアンはまだ子供のため、一緒に遊ぶくらいなら構わないとお目こぼしされたらしい。グランもどこかで合流して、クラウディアがいなくなった後の続きをやっているのだろう。日陰でやっているというのは、人に見られないようにこっそりという意味かもしれない。グレンジャー家はブルックハースト家よりは王家との繋がりが薄いし、父親が放任主義ということもあって、グランは自由が利く。とにかく、グランとジュリアンに任せて正解だったわ。王様ごっこというのが謎だが、それは後で聞きましょう。
ここ数日の心配事が少し解決したように思えてほっとしていたら、旦那様がお呼びですという声がした。父が帰ってきたのだ。クラウディアは気を引き締めて、父の書斎へ向かった。
「長らく留守にしてすまなかったね。領地でもめ事があって、解決するまでに時間がかかってしまった。君も退屈しただろう。でも、私が話を付けないことにはどうにもならないし。またどこかに行かれたら困るからね」
父は書斎机に腰かけ、クラウディアに顔も向けず、不在中に家に届いた手紙をチェックしながら言った。
「わたくしをリードを着けていない犬のように言うのはやめてください。大体、何日も部屋に閉じ込められる程の罪を犯したとは思えないのですが。同年代の友人を持つことの何がいけませんの?」
「その友達というのが、存在が伏せられた第一王子でもかい? 本来王太子になるべき人間が、なぜいないことにされるのか、ただならぬ理由があるとは考えたことはないかい?」
「もちろん考えましたわ。でも全然見当がつかないし、どんな理由があっても、殿下が自分の人生を生きたいと言えばそれを妨げるものは何もないはずですわ」
「普通の人ならば、ね。だが、彼は第一王子ということは覆しようがない。アレックス殿下が、君との婚約破棄で失点をしたとみなされた今のタイミングで、本来王太子になるべきであった直系の息子の存在が知られることになったら? それこそ婚約破棄なんか目じゃない。マクシミリアン殿下を王太子にと画策する勢力が必ず出てくる。隣国のアッシャー帝国との関係が不安定な今、そんなことが起きたらまずいのは分かるだろう?」
「でも、彼は王位なんてこれっぽちも狙っていません。そういう教育も受けていないのでまずもって無理です。趣味の植物学を学問として究めたいだけです。それには学園に通わないといけないから、人前に出られるように一通りのマナーを学んでいるだけです。アレックス殿下すら自由に学園に通っているのに、マクシミリアン殿下はそれすら許されないのですか?」
手紙をチェックし終えた父は、初めてクラウディアに向かい合った。
「それが王族というものだよ。最高権威にいながら、血の契約に縛られて、何一つ自分の思い通りにならない。今の国王陛下もそうだし、アレックス殿下もだ。表に出たことがなく、王族の義務を果たしたことがないマクシミリアン殿下もその縛りからは逃れられない」
クラウディアはだんだん腹が立ってきた。マクシミリアンだって好きで王族として生まれたわけではないのに。ずっと独りぼっちで、植物としか対話してこなかった孤独な少年が、外の世界を見たいということがそこまで許されないことなのか。なぜ彼だけが許されないのか理解できなかった。
「ではせめて、なぜマクシミリアン殿下が王太子にならず、田舎でわずかな使用人と共にひっそりと暮らしているのか理由を教えてください。なぜ存在を隠されているのですか? 彼の自由が利かない理由はそれと関係があるのでしょう?」
父はしばらく黙ったまま窓の外を見やったが、やがてクラウディアに向き直した。
「これも余り話せないことなんだが、真実を知るまでどうせこの部屋に居座るんだろう? それも困るし、別のところから聞く前に教えておこう。マクシミリアン殿下の母君はアッシャー帝国の姫君だったことは知っているかい?」
「ええ、知っています。殿下の髪と目の色はお母様譲りと聞きました」
「我がマール王国と隣国のアッシャー帝国の関係はずっと不安定なままだ。過去には大きな戦をしたことも複数回あるし、長い歴史を見れば融和と対立の繰り返しだ。しかし、陛下がまだ王太子だった頃は融和ムードが盛り返していて、友好のしるしに両国で婚姻をという話が持ち上がった」
「それが国王陛下と殿下の母君ですの?」
「ああ。シンシア妃と言って、とても美しいお方だったな。漆黒の髪と目はうちにはないものだし、王族には珍しくとても穏やかで優しい方だった。政略結婚とはいえ、陛下は一目ぼれだった。だが、マール王国に嫁ぐとなると、その子供にアッシャー帝国の血が入る。純血主義の貴族から猛反対が起きた。それまでわが国は、同国内の貴族から妻を娶るのが習慣となっていたから。それだって外の血が全く入ってこない訳ではなかったが、因縁のある隣国の血が半分入った王太子が誕生するのは、また話が違う。中にはアッシャー帝国の差し金だと主張する者までいたが、陛下の決意は変わることはなかった」
「陛下とお妃様はとても仲が良かったというのは本当ですのね」
「ああ。周囲から見ても羨ましく思えるほどだった。2年後にマクシミリアン殿下が誕生された。当然血統にこだわる者からは異義が出たが、陛下は王妃との仲の睦まじさ見せつけることで周囲を黙らせられると思っていた。陛下も若かったんだろう。しかし殿下が3歳の時シンシア妃が急死した。原因は未だよく分かってないが、毒殺という噂だ。これがきっかけでアッシャー帝国との関係が一気に冷え込んだ。あちらにしてみれば、敵国に嫁いだシンシア妃を邪魔に思った誰かが謀殺したと考えたようだった。殺された原因を特定できないのがその証拠だというのだ。だが、精査しても特定の毒物は出てこなかった。陛下は半狂乱で、何も考えられない状態だった。あの時は陛下までどうにかなってしまいそうだった。そんな中、悪いことは続くもので、陛下の弟君であるサイモン殿下が亡くなった。その上息子まで奪われたら正気でいられない。陛下も、アッシャー帝国を恨む者がシンシア妃を亡き者にしたと考えたのだろう、半分帝国の血を引き継いだマクシミリアン殿下を守るため王宮から離し郊外へと避難させ、表舞台から遠ざけた。そして、サイモン殿下の息子であるアレックス殿下を王太子に任命したのだ」
重苦しい沈黙が流れた。真実はクラウディアの想像を遥かに超えていた。陛下とあろうお方が、息子憎しで遠ざけるわけがないとは思っていたが、ここまで重い事情があるとは思ってなかった。マクシミリアンはいつものほほんとしていたが、このことを知っていたのだろうか。陛下も年の割に苦労が刻まれた風貌をしているが、今までその背景を知るには至らなかった。時折ふっと寂しげな表情をする理由もやっと察することができた。
「これで分かっただろう。今もなお、アッシャー帝国との関係が微妙な状況で、両国の血を引いたマクシミリアン殿下が出てきてはいけない理由が。政治的な問題だけでなく、殿下のお命が危険に晒される可能性もある。むしろ陛下はそちらを心配なさっているのだ。陛下は今でもシンシア妃を愛しておられる。この上殿下の身の上に何かあってはとても耐えられない」
その夜クラウディアはよく眠れなかった。マール王国とアッシャー帝国の因縁についてぐるぐる考えを巡らせていた。王宮に出向いた時、異国人らしい女性の肖像画があったような気がする。あれがシンシア妃だったのだろうか。もっとよく見ておけばよかったなどと考えていた。
次の日は謹慎が解かれたが、何となく外に出る気がなくて自室でだらだらと過ごしていた。父も兄も仕事で出かけており、使用人を除けばクラウディアのみだった。午後になり、お嬢様に会いたいという少年が来ています、「別荘で会ったと言えば分かってもらえるので玄関先まで来てほしい」とのことですが、と使用人が告げに来た。ジュリアンかしら? と思い、訝しく思いながら玄関に出た。するとそこにいたのは——
「よかった、クラウディアに会えた。どうしても父上と話がしたくて、あと調べたいこともあって王都に来ちゃった。ちょっとかくまってもらえる?」
帽子を目深に被って髪と目を隠し、大きなカバンを肩から提げたマクシミリアンが目の前に立っていた。