外伝① ロジャーの結婚09
婚約お披露目パーティーは成功に終わった。皇族に近い貴族を中心に集められたパーティーでレティシアが認められたのは非常に喜ばしいことだった。しかし、肝心なことを忘れていた。レティシアはただの風除けに過ぎないのだからここまで真面目にやる必要はなかったのだ。真面目にやればやるほど婚約破棄がしづらくなる。ここに来て、まずい事態に陥ったことに気が付いた。
ロジャーに相談してみたものの、彼はまともに取り合ってくれなかった。
「誰に何を言われようがすぱっと切っちゃえばいいんだよ。しばらくは何だかんだ言われるかもしれないが、みんな飽きっぽいからそのうち忘れていく。しかもレティにとっては箔が付くとも言えるんだぞ」
「箔? どういう意味?」
「あのロジャー皇太子の元婚約者ということでしばらくひっぱりだこになる。別れる時レティに不利になるようにはしないから、『あの皇太子を振ってやった女性』として株が上がる。寄付を集めやすくなって別の学校を建てられるかもしれないし、生かし方はごまんとあるよ」
ロジャーはうまいことを言ったつもりだろうが、レティシアは賛成しかねた。
「私は、ピンチをチャンスに変えるような器用な生き方はできないわ。もうこれ以上目立たないほうがいいと思うんだけど……」
もじもじしながら答えるレティシアを見て、ロジャーはしばらく考えた後、意外なことを口走った。
「それじゃあ、本当に結婚するか?」
いきなりこの人は何を言い出すのだ。レティシアはぽかんと口を開けたまま彼を凝視した。自分はうるさい外野を黙らせるだけのただの風除けに過ぎないのに、本物の皇太子妃が務まるわけがない。先日のパーティーは精いっぱい背伸びした結果だ。あれが普通と思われては困る。彼には、もっと才色兼備で家柄も財産も後ろ盾もしっかりした令嬢がふさわしい。自分のような女で妥協して欲しくはない。そんなことが頭の中で渦巻いたままどう言ったらよいものか言葉を選んでいるうちに、ロジャーがアハハと笑い出した。
「ごめん。今のは冗談だ。気にしないで」
ロジャーが伏し目がちに言ったので、レティシアはほっとした。皇太子なのだから軽々しく結婚などと口にしないで欲しい。
「それより契約期間まであと一ヶ月切ったけど、何か思い出作りでもする?」
ロジャーは気分を切り替えるように明るい調子で言った。あのお見合いから間もなく半年になるのか。始める時はずっと先のことだと思っていたが、実際はあっという間だった。気付けば、学校の資金を援助してもらったり、美しく変身させてもらったり、様々な場所に連れて行ってくれたりと至れり尽くせりだった。それに比べ自分は彼の役に立てただろうか。風除けの役割だけでは申し訳ない気持ちになってきた。
「私の方はもう十分すぎるほどいただいたから、今度はあなたが決めて。たまにはあなたの希望を教えてよ」
軽い気持ちで言ったが、ロジャーには難しい質問だったらしく、しばらくうーん、うーんと悩んでいた。やっとのことで出した結論はレティシアにとって意外なものだった。
「普通の恋人がするような気軽なデートがしたい。繁華街を食べ歩きするとか。レティは屋台の食べ物平気? 貴族のお嬢様の中には衛生的でないとか言って敬遠する人もいるけど?」
「ええ、別に平気よ。余り食べる機会はないけど、全くないわけではないし。でもそれでいいの?」
「いいんだ。じゃあ約束な。こちらもお忍びの格好で行くから」
しかし、その約束が果たされることはなかった。間もなくして、王宮を揺るがす大事件が起きたからだ。先日パーティーで仲良くなったばかりのディーン侯爵が、爵位をはく奪されて遠方の島に流刑に処されたという知らせを聞いたのは、それから1週間後のことだった。
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レティシアがその知らせを聞いたのは、自宅で刺繍をしていた時だった。父がどすどす音を立てながら居間に入って来て、どかっとソファに座ると新聞を広げて読み始めた。そして新聞に顔を突っ込んだまま「王宮が大変そうだな。ディーン侯爵って知ってるか?」とレティシアに聞いて来たのだ。
「今、何て言った? ディーン侯爵ですって?」
そして父から新聞を奪って記事を読むと顔が真っ青になった。
「まさか、流刑なんて信じられない。何かの間違いとしか思えない」
だってつい先日はあんなに快活に笑っていたのに。余りの急転直下の出来事に頭の処理が追い付かなかった。
混乱した頭で新聞を読んでもはっきりしたことは分からなかった。中央省庁に勤める侯爵の息子が公金を横領して皇族と縁の深い公爵令嬢を篭絡したらしい。それならなぜ本人でなく親が処罰されるのか。家にいても埒が明かないので、レティシアは王宮へ出向いて直接聞くことにした。
頭に血が上ったまま行ったので、ロジャーが留守にしているかもしれないということは考慮していなかった。王宮に着いた後でしまったと後悔したが、幸いロジャーは王宮にいた。手放せない仕事があるのでしばらく待つことになったが、1時間くらいして彼は姿を現した。
「新聞でディーン侯爵のことを知ったわ。一体どういうことなの? なぜ息子の罪を父親が被らなくてはならないの?」
ロジャーは沈痛な面持ちだったが、淡々とした口調で答えた。
「侯爵の息子は界隈では有名なドラ息子だった。若い時からギャンブルに明け暮れ借金を作ったり、メイドに次々に手を出して婚外子を作ったり。ただ亡き母の縁者ということで、父である侯爵が監視するという条件で大分大目に見てもらっていた。そこで今回の件だ。本人には当然重い処罰が下ることになるが、侯爵が自分が目を離したせいだと申し出て、自分も罪を被る代わりに息子の命だけは助けて欲しいと嘆願した。当然父は反対したが、根負けして侯爵の望み通りにしたってわけだ」
「なんで!? なんでそんなことをするの? ドラ息子なら放っておけばいいじゃない!」
レティシアは憤然として叫んだが、ロジャーは諦めたようにかぶりを振った。
「息子に甘いという向きもあるが、それより一族の中から死罪となった罪人を作りたくなかったんだろうな。貴族は爵位を子孫に受け継いでいくのが仕事だ。先祖からいただいたディーン侯爵家の血筋と名誉を守るために選んだのがこの結果だと思う。爵位は傍系に受け継がれることになるが、少なくとも家は守った形になる」
「でも……! 流刑先の島なんて何にもないところだわ。満足な医療も受けられないだろうし、あのお年では余りにむごすぎる……!」
「死罪を覆すにはそれなりの代償が必要なんだよ、いくら侯爵でも。そうでないと周りに示しがつかない。今回のことは侯爵自ら申し出たことだ。皇帝も俺も当然そんなことはしたくなかったが仕方なかった」
「そんな……侯爵のお宅に伺う約束もしていたのに……」
レティシアははらはらと涙を流した。そんな彼女の肩をロジャーはそっと抱いた。彼の方が傷ついているに違いないのに、それでも自分を慰めてくれる優しさが温かかったが、涙はとめどなく溢れ続けた。
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しかし、それ以来ロジャーの態度が素っ気なくなった。パーティーの前は何かと理由を付けてレティシアに会いに来たのに、ディーン侯爵の件があってから何となく避けられている気がする。別に気まずいこともなかったはずだ。レティシアは色々考えたが、思い当たる節がないので本人に直接尋ねてみることにした。
「別に、何ともないよ」
忙しそうにしているところを何とかつかまえて聞いたのに、余りにもぶっきらぼうな答えだった。これで納得するはずがない。
「あなた、こないだのディーン侯爵のことがあってから様子が変よ。何があったのか教えてくれなきゃ私ここから動かない」
レティシアは腰に手を当てて胸を反らせて言ったが、ロジャーはうっとおしそうな視線を向けた。
「そっとしておいて欲しい時にあれこれ詮索されるのは嫌なんだ。今は仕事で気を紛らわせている時期だから放っておいて欲しい」
人が心配して聞いているのにその言い草はなんだ。レティシアはついかっとなった。
「侯爵も心配してたのよ。あなたが無理していつかぽっきり折れるんじゃないかって。だから私も何か力になれることがあれば協力したいの——」
「どうせもうすぐいなくなるくせに知った風な口を聞くな!」
レティシアの前でロジャーが声を上げるのは初めてだった。余裕綽々の態度で常に自分が優位に立っていると見せつけるのが常なのに、こんなに追い詰められた彼は見たことがなかった。
「みな俺の前からいなくなるんだ。それなのにこれ以上人の心に入り込まないでくれ! 人に頼ることを覚えたら弱くなってしまう。俺は弱くなるわけにはいかないんだ。頼むから出てってくれ! 出てけ!」
最後は怒鳴る勢いだった。元々威圧感が強いのに更に怒鳴られたら委縮しない者はいなかった。レティシアは頭が真っ白になったまま逃げるようにその場を去ることしかできなかった。それ以来彼に会えなくなった。会えないまま契約期間の半年が終了した。
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