外伝① ロジャーの結婚08
それからと言うもの、レティシアは毎日王宮へ出向いて専属の美容スタッフに身体を磨かれることになった。オイルでマッサージされたり、泥のパックをしたりと全身に渡って自分の身体が作り変えられていく。まるでお人形になった気分だ。それが終わるとどこからともなくロジャーがやって来てダンスの練習をしようと誘ってきた。レティシアは貴族令嬢ながらダンスが得意ではないのでロジャー自ら教えてやるというのだ。だが、多忙を極める皇太子がダンス講師にでも任せておけばいいものを自ら教えに来ると言うのも変な話だった。
「あなた、仕事が忙しいんじゃないの? こんなところで油を売っている暇はあるの?」
レティシアは頻繁に顔を出すロジャーをさすがに心配するようになった。それまでは、王宮にいてもなかなか会う機会がないと聞いていたからだ。
「今度のパーティーは大事だからさ、いくら期間限定の婚約とは言え失敗は許されないから万全の対策をしてるだけだよ。貴族のくせにここまでダンスが下手とは思わなかった。一通り教わったんだろう?」
「教わったけど! 実際に役立つ機会なんてなかったし、パーティーも滅多に出たことなかったし、私と踊る人なんていなかったわ」
「レティを見逃すなんてみんな見る目ないな。鏡見てみろよ。大分きれいになったよ」
ロジャーに言われてふとダンスフロアの鏡を見ると、前より洗練された自分の姿があった。自分の姿を鏡で見る習慣がないので一瞬この人誰? とぎょっとしてしまったほどだ。外見を磨くだけでこんなに変わるものなのか。レティシアは嬉しいながらも複雑な気持ちを拭いきれなかった。
「人ってこんなに変わるのね……まるで自分じゃないみたい。でも今まで外見ばかり取り繕っている人を見下していたのが馬鹿みたいだわ。人は内面が大事といっても、まず目につくのは外見だものね。外見がパスされなければ誰も内面なんて見てくれなかったのね」
レティシアはため息をついた。自分は外見では勝負できないから内面を磨こうと思ってこつこつ努力してきたのが馬鹿らしくなった。結局意固地になって内面も美人とは言い難い性格になっていたのかもしれない。意地を張るのをやめて積極的に社交の場に参加すれば、学校の寄付ももっと集まっただろうに。
「内面は大事だぞ。俺の前に現れる令嬢はみんな外見はピカ一だからな。そこからのスタートになる。レティはやっとスタートラインに立った状態だ。でも一旦スタートすればぐんぐん伸びるぞ」
ロジャーに臆面もなく褒められてレティシアは頬が紅潮するのを止められなかった。ロジャーのような人間が手放しで褒めるなんて裏があるに決まってる。自分なんかよりもっと優れた女性に囲まれてきたんだから。真に受けてはいけないと自分を戒めた。
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月日が過ぎパーティー当日になった。既に準備を整えたロジャーは今か今かとレティシアを待っていた。パーティー自体は別にどうでもいいが、レティシアと一緒に出席することに意義があった。ドレスを新調したり美容に励んだり、本来ここまでしなくてもよかったのだが、レティシアのためには必要だった。彼女に一番欠けているものは自分への自信だ。ロジャーがよく接する人間はどちらかというと自信過剰なタイプが多かったので、レティシアのような劣等感まみれの人間は珍しかった。自分の持っているものの価値に気付けないのは価値がないのと同等だ。ロジャーはそんな彼女に自信を付けさせるため、急ごしらえではあるが自己暗示をかけさせた。彼の隣に立つに足りる人間を作るためだ。ある程度効果はあったと思うが、本番になってみないと確実なところは分からなかった。
「レティシア様がお見えになりました」
ロジャーは我知らず立ち上がった。扉が開かれ鮮やかな赤のドレスをまとったレティシアが中に入って来た。棒のようだと自分では思っていた長身に後ろ裾が長い細身のドレスがよく似合う。シャンデリアのきらめきに反射してビジューの刺繍がきらきらと輝いていた。ロジャーは彼女の姿を見て、思わず真顔になってはっと息を飲んだ。
「……驚いたな。まさかここまでとは正直思わなかった」
「このドレスを着たら自然と姿勢がよくなったの。不思議ね」
レティシアは自分の変化にロジャーが言葉を失っていることは気付いてなかった。彼女自身急な変化に着いていけない。その上ロジャーの婚約者としての義務を果たさなくてはならないのだから責任重大だった。
「これなら俺の隣でも見劣りしないな。いや俺の方が霞んでしまうかもしれない。お手柔らかに頼みますよ、姫」
「ちょっと、からかわないでよ。緊張してるのに笑っちゃうじゃない」
せっかく完璧な婚約者を演じようと思っているのに、ロジャーに笑わされたら元も子もない。でもロジャーなりにリラックスさせようとしてくれている気持ちは伝わった。
パーティーは二人のお披露目から始まった。今を時めく皇太子に釣りあうのかと一部で囁かれていた地味で目立たない伯爵令嬢は、立派な白鳥に成長して皆の前に姿を現した。二人の晴れ姿に見とれない者はいなかったし、写真のフラッシュが無数に焚かれた。レティシアは、ここにいるのは伯爵令嬢レティシア・フィッツジェラルドではなく皇太子の婚約者を演じる女優だと思うことにした。幸いそれに見合うだけの身なりを整えているので、与えられた役を演じることに抵抗はなかった。
「それではファーストダンスを世界で一番幸福なお二人に踊っていただきましょう」
ロジャーに手を取られ会場の中心に二人は並んだ。そして音楽が始まると軽快なステップで軽やかに舞い始めた。練習している時から感じていたが、ロジャーはダンスの名手だった。エスコートが巧みで、まるで自分までダンスがうまくなった気がしてしまう。美丈夫でダンスがうまくて頭もいい皇太子が国民の間で人気にならないはずはなかった。なんでそんな人と自分は今踊っているのだろうと運命の不可思議さに何度頭をひねったか分からない。この人と永遠に踊っていたい。音楽よどうか終わらないでといつの間にか祈っている自分がいた。
しかし、というかやはりというか、いつか終わりはやって来る。音楽が止むと二人は再び向かい合い互いに礼をした。一曲踊ったくらいで息が弾むことはないが、なぜかロジャーの頬は紅潮していた。やっぱり終わってしまった……とレティシアが物思いにふけっていると、不意に手の甲にキスをされた。一瞬ではあったが、一瞬にしては少し長い気がしてレティシアは戸惑った。社交辞令で手にキスするなんてよくあることだ。しかし、唇が離れた後も手を放さないでいるのはおかしいのではないか。そう思っていると、不意に誰かに呼び止められ振り向いた拍子にやっと手が離れた。
「いやいや素敵なダンスでした。こんな素敵なお嬢さんがロジャーのお嫁さんになってくれるなんて自分のことのように嬉しい。いい人が見つかってよかった」
しわが深く刻まれた老紳士が拍手をしながらレティシアのところへやって来た。背はそれほど高くない、近所のおじいちゃんと言ってもおかしくなさそうな人物だ。ロジャーの親戚にこんな親しみやすい人がいたのかとレティシアは驚いたが、座学で覚えたパーティーの参加者のうち誰に当たるのか懸命に考えた。
「紹介するよ。母方の祖父の弟で辺境のハイカウを守っているディーン侯爵。こちらは婚約者のレティシアです。おひさしぶりです、おじい様」
レティシアが思い出す前にロジャーが紹介した。ロジャーは祖父の弟をおじい様と呼んでいるらしい。ディーン侯爵は顔をくしゃくしゃにしながら挨拶をした。
「遥か辺境からわざわざ都にやって来た甲斐があった。ロジャーのファンは多いが、その中からいい人を見つけてほしいとずっと心配していたんだ。私が若かったら自分が求婚したいくらいだ」
楽しそうに笑うディーン侯爵をロジャーはたしなめたが、彼もまた楽しそうだった。
「母が早く亡くなって、父も仕事で忙しかった時によく相手してくれたのがおじい様だったんだ。王宮は皇太子教育が厳しくて息を付く暇もなかったから、おじい様の邸宅に遊びに行くのがつかの間の休息だった。おじい様がいなかったら俺グレていたかも」
ロジャーはいたずらっぽく笑ったがあながち嘘でもなさそうだとレティシアは思った。彼の幼少期の話を聞く機会は少なかったが、断片的な情報だけでも孤独で寂しい子供時代だったのは想像に難くない。父の皇帝に対する時とは違う、気さくな態度を見てもそれはうかがえた。
「レティ、少しディーン侯爵の相手をしてくれないか。二人は気が合うと思うんだ。こっちは別の用事があるから」
ロジャーはそう言うと、レティシアとディーン侯爵を残して別の場所へ移動した。レティシアとこの老人は貴族っぽくないという点で似通っているところがあった。そのせいかディーン侯爵を一目見た時から親近感のようなものを抱いた。
「ロジャーとはどこで知り合ったんですか?」
ディーン侯爵はよっこいせと言いながら壁際にあった椅子に腰を下ろしながら質問をした。レティシアもその隣に座った。
「お見合いをしたのです。他に美しいお嬢様がいらしたのになぜか私が選ばれて」
本当は地味で仏頂面だったからこそ選ばれたのだが、その辺の事情は言えるはずがなかった。
「ただ見てくれがいいだけのお嬢さんをあいつが選ぶはずがないから、あなたにはきっとかけがえのない美徳があるのでしょう。常に仕事を入れて外を飛び回っていたあいつが、最近王宮にいることが多いと、私の住む国境近くの田舎にも噂が流れてきました。そこまで彼を魅了するお嬢さんはどんな方なんだろうと、会えるのを楽しみにしておりました」
何と。ダンスの練習にまで出張って来るのはさすがにおかしいと思っていたが、その通りだったとは。でもなぜ? このかりそめの婚約を面白いゲームのように思っているのだろうか?
「何がお気に召したのか私にも正直分からないんですけど、せっかく選んでいただいたからには最大限彼に尽くしていきたいと思っております」
ディーン侯爵のような人に嘘をつくのは非常に心苦しかったが、レティシアは何とか無難な答えを紡ぎ出した。
それからディーン侯爵はロジャーの幼い頃の話をレティシアにしてくれた。6歳になった頃侯爵の家に泊まった時おねしょをしてしまい必死に隠そうとした話には腹を抱えて笑った。
「ああおかしい。あの完璧な王子様の殿下がおねしょを恥ずかしがったなんて。いつか本人に言ってやりますわ」
「またロジャーに怒られてしまうな。余計なことを言うなって」
二人でひとしきり笑った後、ディーン侯爵はふと静かになり、真面目な顔になって言った。
「ロジャーはああ見えて脆いところがある。いずれは皇帝になる身分だが、皇帝というのは恐ろしく孤独で国民の命を一手に握る責任の重い仕事だ。うまくやって当たり前、判断を誤ったら多くの命が失われ恨みを買うことになる。その重圧に耐えかねていつかぽっきり行くんじゃないか、それが心配なんです。だから一番信頼できる人がそばにいて欲しい。全てをさらけ出して甘えさせてくれる人が。それがあなただと信じています」
落ちくぼんだ目から真剣な眼差しで見つめられ、レティシアは言葉を失った。この善良な人を騙したくない。でもこの婚約は嘘なのだ。それを知ったらこの老人はショックを受けるだろう。レティシアはいたたまれない気持ちになり、思わず真相を打ち明けたくなったが、奥歯をかみしめて耐えた。そして「分かりました」と鉛を飲み込むような気持ちで答えたのだった。
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