外伝① ロジャーの結婚03
ロジャーの婚約者になってからというもの、レティシアの生活は一変した。家には訪問客が押し寄せ、お茶会に呼ばれる機会も増えた。何より王宮で始まった皇太子妃教育が最も苦痛だった。どうせ婚約破棄が決まっているのに一から教育を受ける意味を見出せず、かといって誰にも打ち明けられないのはきつかった。
やはり言いくるめられたのだとレティシアは認めるしかなかった。自分も頭が回る方だとひそかに思っていたが、知識も経験も段違いのロジャー相手には歯が立たないという事実を突きつけられてしまった。偽りでも婚約したら何が起きるか想像力が足りなかった。レティシアは自分の世間知らずさを恥じたが、もう動き出してしまった以上、やり遂げるしかなかった。
(開校するまでは絶対に音を上げてはいけないわ。そのために婚約を受け入れたのですもの)
「フィッツジェラルド嬢! なにぼやっとしてるのですか!」
皇太子妃教育の一環で姿勢や歩き方などを直されているのだが、元々自信のなさが姿勢にも表れていたのでビシバシしごかれ心も折れそうになっていた。
「ロジャー殿下の横に立っても恥ずかしくないように振る舞って下さい。それでは殿下の陰に隠れてしまうどころか、迷惑すらかけてしまいます!」
ロジャーの横に立つだけで迷惑だなんて随分な物言いだが、確かに自分のような平凡で何の取り柄もない人間が隣に立っていいとは思えなかった。ロジャーのような威光が服を着て歩いているような者にはもっと美しくて気高い魅力を放つ女性がふさわしい。余りの場違い感に自分でも引け目に感じてしまう。これが本当の婚約ではなくてよかったと心から思った。
午後は、婚約者披露目のお茶会が王宮で開催された。セッティングは王宮の方でしてくれたが、実際取り仕切るのはレティシアの役目だった。ロジャーにゆかりのある貴族令嬢も複数参加する。中には婚約者の座を狙っていた者もいたに違いない。学生時代サロンに誘われることのなかったレティシアは、お茶会を取り仕切るなんてもちろん初めてのことだった。どう振舞えばいいのか皆目見当がつかなかったが、既におぜん立てされていて身動きがとれなかった。
列席者を見渡すとレティシアより明らかに美人で華やかな若い女性が多い。レティシアはなぜ自分が選ばれたのかますます分からなくなった。本当に誰でもよかったのだろう。ロジャーの結婚願望のなさがどれほど根深いかを思い知らされると同時に、だからこそ自分が選ばれたという事実に複雑な思いを抱かざるを得なかった。
「み……みなさま……今回はこのような席を設けて下さり、ありがとうご、ございます」
レティシアは緊張の余り、言葉がつっかえてしまった。周りからクスクス笑い声が漏れる。とんだ恥さらしだわ。みんな私が失敗して恥をかくところが見たかったのね—— そうとしか思えなかった。
「ロジャー殿下に見初められるのはどんな方かしらと、お会いできるのを楽しみにしてましたわ。道端に咲く素朴で可憐なタンポポのような女性ね」
列席者の中でも代表格に当たる令嬢が発言した。また周りからクスクスと笑い声がする。タンポポが雑草であることを知っていれば、誉め言葉でないことは誰でも理解できた。
「お褒めいただきありがとうございます。いくら踏まれてもしおれず打たれ強いところが似ていると自分でも思います」
レティシアも負けじと反論した。最初はおどおどしていたが、いざ相手の敵意をはっきりと感じてしまえば、かえって怖いところはなくなった。どうせまやかしの婚約なのだから好きにやってやろうと開き直ったのだ。
言われた方は一瞬反応しそびれて言葉に詰まった。まさか反論されるとは思ってなかったらしい。
「ウィットに富んだ返答がすぐにできるなんて、頭のいいお嬢さんなのね。ところで、学院時代はどこのサロンでしたの?」
「いいえ、サロンには入ってませんでした」
「あら? そうなの?」
一同は意外という風に驚いていた。それだけサロンが女の出世にとって重要な位置を示していたということである。サロンに所属しない者は皇太子妃になる資格がないとでも言いたげだ。ロジャーの妹のリリーが学院改革でサロンの権威を失墜させたことは、とても重要だったというのがここでも分かった。
「現在の学院では、サロンは既に形骸化しているとも聞いてますし、もうそのような時代ではないのでは。私としましては、サロンの枠にとらわれず、もっと多様な方々と触れ合いたいと考えていますわ」
これは、レティシアの偽らざる気持ちだったが、参加者にとっては模範解答ではないようだった。彼女たちは彼女たちなりに、この席に座るまでたゆまぬ努力をしてきたのに、その思いを足蹴にされたと思ったのかもしれない。しかし、レティシアには知ったことではなかった。彼女に言わせれば、無駄な努力ならしない方がましだった。
参加者たちは明らかに戸惑ったようだ。レティシアを自分たちの陣営に引き込めるか値踏みしに来たのだろうが、これは明らかに「なし」だろう。白けた空気が広がったことからも、それは察せられた。これで陰口を叩かれることは確実だろうが、レティシアにとってはどうでもよかった。これも学校の資金を得るために働いていると解釈することにした。
そんなある日、いつもの皇太子妃修業のため王宮に出向いたところ、リリーに出くわした。
「こんにちは、レティシアさん。もしよければ、お勉強が終わったら私のところに寄って行きませんか?」
レティシアはリリーの誘いを快く受けた。今まで会ったロジャーの家族はみな温かい印象を受けた。実際に会うまでは、最高権威の家族なんてもっと殺伐しているというイメージを勝手に持っていたが、いい意味で予想が裏切られた。
「うちも最初からそうじゃなかったのよ」
簡単に打ち解けて話も弾み、つい思っていたことを口にしてしまったレティシアに、リリーは苦笑しながら説明した。
「最近まであなたが考えるような家族だった。お父様は近寄り難かったし、お兄様と私も犬猿の仲だったの」
「とてもそうには見えないわ。犬猿の仲だったなんて」
「本当よ。ほとんど口をきくこともなかったんだから。でも友人が間に入ってくれて仲直りできたの。彼女には感謝してもしきれないわ」
「まあ、素敵な話ね。そのご友人は女性なのね?」
「ええ、この国の人ではないのよ。マール王国から留学に来ていた方で。また会いたいわ」
リリーは懐かしそうに言った。
「いい友人をお持ちね、リリー様」
レティシアの知るところでは、リリーは王族の中でも陰の薄い王女だった。それが最近めきめき頭角を現して国民の人気もにわかに高まっている。実際会ってみたリリーは、落ち着きのある聡明な女性だった。
「婚約者があなたでよかった。正直怖かったの、高慢ちきで人を見下すような方だったらどうしようって。あなたとならずっと仲よくできそう。これからが楽しみだわ」
嬉しそうに言うリリーを見て、レティシアの良心はちくりと痛んだ。素直に喜んでくれているリリーをこれから騙すことになるのだ。その時の彼女の落胆を想像したら申し訳ない気持ちになった。
それから更に数日後、ようやく皇帝に会う機会ができた。頭が切れて威圧的な人という噂を聞いていたレティシアは緊張のあまり前の日よく眠れなかった。ただ会うだけならそこまで恐れることはないが、騙しているのを見破られたらどうしようと考えてしまった。
「なに、大丈夫だよ。最近の父上はそんなに怖くなくなったんだ。俺が選んだ婚約者と聞けば好印象だと思うよ」
ロジャーはいつもの調子で言ったが、彼の言葉をそのまま受け取ることはできなかった。
「そんなの分からないじゃないの。皇帝陛下はなんでも見通す力があるって聞いているわ。これが偽りの婚約だって見破られたらどうするつもり?」
「皇帝は超能力者じゃないぞ。ビビりすぎだよ」
快活に笑うロジャーを見てもレティシアは冷や汗をかくばかりだった。
やがて、皇帝が二人のいるところにやって来た。レティシアは、ロジャーと初対面する時よりも緊張したが、実際に会った皇帝は、思ったより威圧的ではなかった。ロジャーの言う通り、素直にレティシアを歓迎してくれたし、心のこもったお祝いの言葉を二人に向けた。
「しかし、ロジャーがあなたのような控えめで落ち着いた方を選んだのは意外だったな。もっと、積極的なタイプが好みかと思っていたが」
「女性の好みなんてその時々で変わりますよ、父上」
ロジャーは軽く受け流した。
「フィッツジェラルド嬢、くれぐれもロジャーをよろしく頼む。できれば温かな家庭を築いてほしい。私は子供たちに寂しい思いをさせてしまったから、ロジャーにはそうなってほしくないんだ」
皇帝の真摯な願いを聞いて、レティシアは思わず背筋を伸ばした。怖い人だと聞いていたが思った以上に人間味があって身近に感じられた。しかし、リリーが言っていたが最初からこうではなかったらしい。最近変わったのなら、そのきっかけになったリリーの友人というのはどんな人なんだろう。レティシアは好奇心が膨らむのを抑えきれなかった。
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