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第41章 最後に残ったものは希望

何日閉じ込められたか分からなくなるから、朝が来た時に壁を引っ搔いて印を付けることにした。どれだけ続くか分からないこの監禁生活、マクシミリアンは手の縛めは解けたものの、自分より大柄で力の強そうな男たちに見張られながら地下水道に閉じ込められたままだった。暗くてジメジメしているだけでなく空気もよくないので、食欲も当然なかったが、身体が参ったらお終いだと思って、出されたものは無理にでも食べることにした。地下水道と言ってもここは既に使われなくなった場所で、大雨が降った時に大量の水を流しておく場所として利用されているようだった。そのため水たまりがそこかしこにある程度だった。その一角に、ランプと、木箱をひっくり返したテーブルと、木箱を連ねて布団を重ねた簡易ベッドが置いてある。未来の皇帝にしては随分な待遇だ。皇帝をこんなところに閉じ込める奴がどこにいるんだ。マクシミリアンは苦々しく思ったが、この状況ではどうすることもできなかった。視察でここに来たのならばアッシャー帝国のインフラ技術に感心したのだろうが、あいにく無理やり誘拐されて連れて来られた状況で、そんな心の余裕はなかった。


時折シーモア夫人がやって来て、男たちと短い会話をする。小声で話すため会話の内容は聞き取れないことが多いが、聞こえる単語の端々を繋ぎ合わせると、いつまでこの状態が続くのかということを議論しているようだった。シーモア夫人は、焦る男たちをなだめているようだった。やはりこの状況が続くのは誰でも嫌なのだ。この男たちは何者なのか、マクシミリアンは興味を持った。


「ねえ、あなたたちはどこから来たの? 見た感じ貴族ではないようだけど」


シーモア夫人がいない時を見計らって、思い切ってマクシミリアンは男たちに話しかけてみた。まさか声をかけられると思っていなかった男はびっくりして飛び上がった。


「お、俺たちは貴族に雇われている庭師です……」


威圧するような見た目の割におどおどしながら答える男を見て、マクシミリアンは拍子抜けした。


「庭師がどうしてこんなことを?」


「シンシア様の息子を皇帝にする手伝いをしてくれって……シンシア様に恩があるんで」


「恩?」


「はい、俺たちは昔王宮で働いていました。シンシア様は身分隔たりなく誰にでも優しくて、まだ小っちゃかった頃から一緒に遊んでいたのでよく知っています。俺たちが理不尽な目に遭った時も庇ってくれたんです。だから異国で亡くなったと聞いた時はとても悲しくて……」


そう言えば母がどんな人だったかを誰かから直接聞くことは今までになかった。国王は母の話題を出されると悲しい顔になるので何となく憚られたし、シーモア夫人だって彼女を崇拝している割にはどんなに素晴らしい人だったのか具体的に教えてはくれなかった。


「ねえ、僕は母上のこと殆ど知らないんだ。どんな人だったか教えてくれないか?」


時間はあり過ぎるほどあったので、母の人となりを聞いてみることにした。それに自分を閉じ込めておく彼らがどんな人物なのかも興味あった。


男たちは戸惑ったように互いに目配せをした。シーモア夫人から関わるなと言われているのだろう。


「母上に恩義があるなら僕のことも別に憎いわけじゃないんだろう? だったら少しお喋りをしようじゃないか。何もすることがなくて退屈してるんだ」


マクシミリアンはそう言うと、人懐っこそうな笑みを浮かべた。そうだ。力を持っていないならば、こうして他人を篭絡して自分のために動いてもらうしかない。自由は利かなくてもできることがまだあるのだ。


根は悪い人間ではないのだろう。男たちはぽつぽつと話し始めた。少女時代遊び相手になってやったこと、無実の罪を着せられそうになった時弁護してくれたこと、お祝いの時には自分たちにもプレゼントを用意してくれたこと。男性には月と星がデザインされたネクタイピン、女性には同デザインのネックレスだった。


母の日記で全てを分かった気になっていたが、それはほんの一部に過ぎなかった。今まで知ろうとすらしなかったのは、母と同一視されることに反発してきたからだろうか。しかし、彼自身母と向き合ってこなかったのもまた事実だった。心の中にあった重しがストンと取れた気がした。不快極まりない状況で得られた意外な収穫だった。


数時間後シーモア夫人がやって来た。彼女はいつも辺りが暗くなって来た頃合いを見計らってやって来る。気配を悟られないようにするためか。


シーモア夫人はマクシミリアンと監視の者を見るなり、いつもと気配が違うことに気が付いた。何が違うのか最初は分からなかったが、男たちが自分を見つめる視線がどこかよそよそしい。うまく言語化できない微妙な変化をシーモア夫人はいち早く察知した。


「お前たち何かあったのですか」


「俺たちにこんな危ない橋を渡らせてる癖に、あんたまだ話してないことがあるだろう?」


「なんのことです?」


表情一つ変えないシーモア夫人に男たちは苛立った。


「シンシア様の悲願を成就させるというから俺たちは協力したんだ。それが何だ、この王子に聞いたら本人は全然その気はないって言うじゃないか。全部あんたの自作自演なのかよ?」


図体の大きい男に詰め寄られたら普通誰でもひるみそうなものだが、微動だにしないシーモア夫人を見て、マクシミリアンはひそかに舌を巻いた。


「それが何だというのです。シンシア妃の遺児を国の頂点にという計画には何ら関係がないではありませんか。マクシミリアン殿下には断れない事情があるのです。ねえ殿下?」


シーモア夫人は猫なで声でマクシミリアンに向き合った。


「クラウディアのことなら彼女は黙ってやられる人じゃないから大丈夫だよ。僕よりよっぽど強いんだから」


マクシミリアンのぎりぎりの強がりだったが、クラウディアはただ守られているだけの人間ではないというのは本当だった。何よりこんな姑息な脅しに乗っかるわけにはいかない。


「最初からあんたの独り相撲だったというなら俺は降りるぜ。こんな大それたことして無傷で済むはずがない。今すぐ王子を解放してどこかへ逃げる」


「待ちなさい」


いつの間にかシーモア夫人の手に銃が握られていた。それを見て男たちは慌てて立ち止まった。


「私の命令に背くことは許されません。お前たちもシンシア妃に恩義を受けた身ならここで裏切るようなことをしてならないのは分かるでしょう。私の言葉をシンシア妃の言葉と思って動きなさい」


「あんたはシンシア様じゃない! 何馬鹿なことを言ってるんだ!」


突然銃声が鳴り響き、声を上げた男の脇をかすめた。幸い弾は当たらなかったが、シーモア夫人の狙いは正確で、この至近距離なら命中させるのは簡単だと思われた。形勢逆転できると思ったのに、一同は石のように固まったまま動けなくなった。銃口から出る煙を見つめながら、マクシミリアンはどうしたらこの状況をひっくり返せるかと急いで頭を働かせた。


「これで分かったでしょう。私に逆らったらどうなるか。お前たちも最早後戻りはできないのです。分かったら早く持ち場に戻りなさい」


「ねえ、こんなのおかしいよ。あなただってこの計画がうまくいくなんて思ってないでしょう? 僕がはいそうですかと黙って聞くと思う? さっきも言ったようにクラウディアは脅しにならないよ?」


マクシミリアンは早口で詰め寄った。何としてでもここで勝負をかけなければ。シーモア夫人に話が通じるとは思えなかったが、やるしかなかった。何らかの反応を引き出して膠着した状況を動かすのだ。


「僕を皇帝にすると言いながらこの扱いは何だ!? マール王国ではずっと一緒に暮らしていたのに僕を懐柔しようともしなかったのはなぜだ!? 僕は愛情に飢えていた。その時説得すれば簡単になびいたかもしれないのに!」


シーモア夫人はわずかにたじろいだ。


「なんで今なんだ? なんで利用価値があると知ったら担ぎ出すんだよ? それならもっと前から見てほしかったのに!」


がなりすぎてマクシミリアンの声は割れていた。おまけに大声ががらんとした地下水道に反響して耳がおかしくなりそうだ。もっと冷静に説得するはずが、積年の感情が噴出して自分でも抑えが利かなくなっていた。しかし、シーモア夫人は、マクシミリアンがここまで感情を露わにするところを見たことがなかったせいか、明らかに動揺した様子だった。


「それは……このまま……」


このまま? なんだ? そうマクシミリアンが問い詰めようとしたところで、思わぬ人の声が辺りに響いた。


「でんかぁー、いらっしゃいませんかー。いたら返事をしてくださいー」


声は辺りの壁に反響してぐわんぐわんとエコーがかっていたが、確かにクラウディアの声だ。でもなぜ彼女が? まさかこんな所までやって来たというのか? 宮殿で待ってるはずでは? マクシミリアンは混乱してあえいだが、何とか気を取り直して声の限り叫んだ。


「駄目だ! ここに来ては! 銃を持っているぞ!」


クラウディアの声がぴたりと止んだ。反響が治まり、辺り一帯に静寂が走った。マクシミリアンはゆっくりシーモア夫人を見た。シーモア夫人がクラウディアの声をした方向にじりじりと進み、銃を構えるのが分かる。駄目だ、クラウディア、危ないから早く逃げてくれ。マクシミリアンは背後からシーモア夫人に近づくとぱっと飛びついた。その衝撃で二人は地面に倒れ、もみくちゃになりながら争った。


 シーモア夫人にしてみれば、マクシミリアンはまだ非力で弱いイメージが抜けなかったのかもしれないが、あれから身体を鍛えてきたお陰で力もついてきた。それに庭師たちも加勢したので、彼女が勝てるはずはなかった。シーモア夫人は地面に押し付けられ、銃を奪われた。彼らがもみ合っているうちにたくさんの足音が地下水道に響いた。ロジャーを先頭にした兵士たちがやって来たのだ。


「マックス! 無事か!?」


 兵士たちがシーモア夫人たちを拘束しているところへ、ロジャーはまっすぐマクシミリアンのところにやって来た。


「なんでクラウディアをこんな危険なところに連れて来たんだよ!」


「えっ? 第一声がそれ? クラウディアはいい囮になっただろう? 銃声が響いたからクラウディアに探りを入れてもらったんだ。注意を逸らせると思って。勘違いするなよ。自分から行くって言ったんだから」


「囮? ふざけるなよ! そんな危険なことさせたのか!」


 マクシミリアンがロジャーに牙をむいているところへ、クラウディアが駆け寄って来た。


「よかった、ご無事で! 囮の話は本当ですわ! どうしても真っ先に会いたくて。どうかロジャー殿下を責めないでください」


 クラウディアはすごい勢いでマクシミリアンに抱き着いた。マクシミリアンは、体力が落ちていることもあり一瞬よろめいたが、体勢を立て直すとぎゅっと彼女を抱きしめ返した。


「クラウディア、大丈夫? どこか痛めてない?」


「ロジャー殿下がきちんと守って下さったから大丈夫ですわ。殿下こそ具合の悪いところはありませんか?」


「ロジャーはどうでもいいよ。クラウディアだけが心配なんだ」


「おい、マックス、すごく失礼なことを言ってるんだが分かっているのか?」


 ロジャーはぴたっと抱き合ったまま離れない二人を見てピキピキしながら言った。


「俺が直接行ってもシーモア夫人に逃げられてしまうだろうって。クラウディアが自分が彼女をおびき出すから利用しろと言ったんだ。お前の恋人はすごい策士だな」


 シーモア夫人は、両脇を兵士に固められたままそのやり取りを黙って聞いていた。そして、兵士が少し力を弱めたところを逃さず拘束を振り外し、懐から何かを取り出して一気に飲み干した。


「しまった、毒だ!」


 ロジャーがすぐに気づいてつかみかかったが、時すでに遅しだった。シーモア夫人は喉をかきむしりながら天を仰いだか思うとその場に崩れ落ち、身体をぶるっと震わせ、やがて動かなくなった。月と星のネックレスが両手に握りしめられていた。


「そんな……まだ話が終わってなかったのに……」


 マクシミリアンは呆然と立ち尽くしたまま、ぼそっと呟いた。そんな彼を、クラウディアは後ろから抱きしめることしかできなかった。


 重い沈黙が流れた後、ロジャーが「ここにいても始まらない。撤退しよう」と言い出したのをきっかけに、皆動き出した。兵士たちはシーモア夫人の亡骸を担いで先を行った。マクシミリアンはしばらく動けなかったが、クラウディアの方を向いて少し気を取り直したように言った。


「クラウディア、ここまで来るのは大変だったでしょ。ショッキングな現場も見てるし。帰りは抱っこしてあげる」


「え? わたくしより殿下の方が疲れてるじゃありませんか、って、えっ? えっ?」


 クラウディアが戸惑っているうちに、マクシミアンはひょいと彼女を抱えてしまった。


「いいんだ、僕がそうしたいから。簡単に抱えることができるようになったんだよって知ってもらいたくて」


 そう言いながらマクシミリアンはクラウディアをお姫様抱っこしたまますいすい歩いている。


「何もここですることないじゃありませんか……前より体つきもしっかりしてきたし、筋肉も増えたし、見れば大体分かりますよ……」


「え? そうなの? うれしいな」


「全く、勝手にやってろ」


 マクシミリアンが顔をほころばせると、ロジャーは呆れた声を出してとっとと先に行ってしまった。


「殿下はあれから変わりました。わたくしのために頑張って下さったなんて、世界一の果報者ですわ。でも、もちろん今のご立派な姿も素敵ですけど、わたくしは最初から一目ぼれだったんですよ」


 クラウディアはマクシミリアンの耳に口を寄せて囁いた。彼を元気づけたい気持ちもあった。


「そう……ありがとう……僕は世界一の幸せ者だ。ずっと一緒にいようね、クラウディア」


 マクシミリアンも囁くように返した。色々なことがありすぎてまだ頭の整理ができないが、少しだけ恋人の余韻に浸っていたかった。こうして、マール王国第一王子誘拐事件は幕を閉じたのだった。


最後までお読みくださってありがとうございます。次回エピローグとなります。もう少しだけお付き合いください。

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