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第40章 平和の落とし前

マクシミリアンはうめき声を上げながら目を開いた。身体を動かそうとしたが後ろ手に縛られていて自由に動けない。一体どれくらい気を失っていたのだろう。ここはどこだ? 長いトンネルのような場所だが、壁のあちこちから水がちょろちょろ流れ、下には水溜まりがあった。自分が寝かされているのはそこから一段上の空間で、地面は乾いている。地下水道だろうかとマクシミリアンは考えた。ぞっとするほど静かで、静寂が肌を刺すようだった。時間の経過はよく分からないが、しばらく寝ていた感覚があり薬で眠らされたと推測した。足元に明かりのついたランプが置いてあり、その周りだけ照らされている。


公務が忙しくなってからも、暇を見つけてはロベルトに稽古を付けてもらっていた。ボクシングだけでなく剣術も教えてもらうようになった。自分では結構いいところまで行った気がしたが、実践では何の役も立たなかったと認めざるを得なかった。やはり試合形式と不意打ちでは余りに状況が違う。咄嗟に身体が動くなんて余りに絵空事だった。


(うう……頭が痛い……しこたま殴られたようだな。せっかく昨日クラウディアに告白したばかりなのに、大した抵抗もできず誘拐されるなんて情けない。やっぱり自分はまだまだか。ロジャーならこんな時、華麗に敵をなぎ倒すんだろうな)


床に転がされたマクシミリアンは、手を縛られた状態ながら何とか身を起こした。耳を澄ましてもしばらくは何の音もしなかったが、やがてコツコツという複数の足音が、次に会話する声が聞こえ、次第に声の主がこちらへ近づいて来た。


「おや、マクシミリアン殿下、目が覚めましたか?」


余りに聞き覚えのある声を聴いて全身の毛が粟立った。まさか、どうしてこんな所で……


「なんであなたが……」


ランプを手にした一人の女性が立っていた。シーモア夫人だった。


「手荒なことをして申し訳なく思っています。手の縛めもすぐに外したいのですが、逃げられると困るのでもう少し我慢してください。ご不快な思いをさせてすいません」


「それよりどういうことなの? どうしてあなたがいるの?」


「なかなかご理解頂けないのは承知の上ですが、殿下のためを思ってしたことなのです。アッシャー帝国の後継者となって頂くために」


「えっ? 後継者!?」


予想外過ぎる展開にマクシミリアンは呆気に取られてしまった。


「後継者なら既にロジャーがいるじゃないか。僕の出る幕なんてない」


「私はシンシア妃の遺志を後世に繋げたいのです。シンシア妃の忘れ形見であるあなたが頂点に立つ姿を見たいのです」


「それならマール王国の王位の方がまだ脈あるんじゃないのか。そのつもりもないけど……」


「私はアッシャー帝国の人間なのでマール王国には伝手がありません。それに殿下が帝国の皇帝になる姿がみたいんです……」


「母上がそんなこと望むわけないじゃないか。僕は生粋のマール王国人だ。帝国には今回初めて来たばかりだ。ロジャーが今まで築き上げてきた実績を脇からかすめ取る気なんて毛頭ない」


「あなた様に比べたらロジャー殿下など足元にも及びません。表舞台に出るようになって間もないのにここまで王子として頭角を現したのは、ひとえに殿下がかねてより持っていた才能と言う他はありません。さすがシンシア妃のお子様です」


それを聞いたマクシミリアンは気持ち悪さで胃がムカムカしてきた。前からシーモア夫人は何を考えているか分からない人だったが、ここまで話が通じないとは思わなかった。ずっと一つ屋根の下に暮らしてきたのに、彼女のことを何一つ知らなかったのだと思い知らされた。


「それならあなたは僕の才能を開花させる能力はなかったというわけだ。ずっとあの小さな家に閉じ込めて飼い殺していたのだからね。真実を知っていたにもかかわらず」


以前、最後にシーモア夫人と会った時、きれいな言葉で別れたいと思ったマクシミリアンだったが、ここまで言われて本音を出さざるを得なくなった。彼に外の世界を見せず、内に籠るのをよしとしたシーモア夫人に思うところがないわけではなかった。


「殿下をまっさらな状態のままにしておきたかったのです。マール王国の色に染めたくなかった。いつアッシャー帝国から殿下を引き取るという通達が来てもすぐに対応できるように」


「そんな……アッシャー帝国が僕を欲しがったとして、父上が認めるわけないじゃないか。そんなことも分からないのか」


「国王陛下としては、マール王国の誰かがシンシア妃を毒殺したと信じていたわけですから、殿下がアッシャー帝国で平和に暮らせるならば許可したかもしれません。しかし皇帝陛下は殿下を引き取るおつもりはありませんでした。殿下に興味を持ったのはつい最近のことです。それでもロジャー殿下を退ける気はありませんでした。ですからこちらで行動を起こしたのです」


「ふざけるな! そんなのおかしいだろ!」


マクシミリアンは我知らず怒鳴っていた。余りにも身勝手な考えに着いていけなかった。


「何でどいつもこいつも僕と母上を一緒にするんだ。僕には母上の記憶など殆どないというのに。そういうのは迷惑だからやめてくれ! 僕の人生は僕が決める。誰にも邪魔させたりしない」


「殿下は王族なのですよ。上に立つ方が自分の意思を押し通せると思っておいでなのですか?」


「それでも他人を蹴落としてまで皇太子や王太子の座に就きたいとは思わない。あなたたちの思惑通りにはさせない」


マクシミリアンは苦々しく吐き捨てるように言った。それを、シーモア夫人は眉一つ動かさずに聞いていた。本当に何を考えているか分からない人だ。


「それなら殿下の大切なものが傷つけられますが、それでもよろしいでしょうか」


「……どういうことだ?」


マクシミリアンは嫌な予感がした。まさか、大切なものって。


「今ちょうど我が国に来ておりますね。留学生として」


「クラウディアのことか!?」


マクシミリアンは縛られているのも忘れて立ち上がろうとしたが、バランスを崩して転げた。


「私たちも手荒なことはしたくありません。できれば一滴の血も流したくない。それには殿下のご協力が必要なのです。どうかお願いします」


シーモア夫人はいつもと変わらない様子で淡々と話し、頭を下げた。マクシミリアンは彼女を睨みつけたまま、どうすることもできなかった。


**********


「クラウディア様、何か召し上がって下さい。こんな時に倒れたら元も子もありません」


マクシミリアンがいなくなって3日の時間が流れたが、事態は膠着したままだった。クラウディアはあれからろくに睡眠がとれず食欲も全くなかった。


「アン、心配してくれるのは嬉しいけど、何も受け付けないのよ。待つだけなのがここまで苦しいとは思わなかった」


「はーい。そんなクラウディア様に、滋養強壮の薬湯を持ってきましたわ。材料集めるの大変だったけどマクシミリアン殿下のレシピなんで効くと思いますよ」


ローズマリーがマグカップを乗せた盆を持ってひょっこり顔を出した。


「なぜあなたが知っているの?」


「アレックスが体調崩した時に、マクシミリアン殿下が持ってきてくれたことがあったんです。あの二人最近少しずつ交流が増えてるんですよ。一度大ゲンカしたら雪解けムードになったみたいで、その次に公務を折半するようになったら会話が増えたみたい。その薬湯が随分効果あったのでレシピを聞いておいたんです」


「殿下の……レシピ……」


駄目だ。それだけで泣けてくる。じわっと涙がにじんだクラウディアをアンは慌ててなだめ、ローズマリーからコップを受け取った。それをクラウディアに渡すと、諭すように言った。


「クラウディア様の見立て通りならマクシミリアン殿下は無事ですよ。罠を仕掛けている間は確かに辛いですが、ずっとこのままでいるわけがありません。敵が引っかかった時すぐに動けるように体力を付けましょう」


「そうよ。クラウディア様に何かあったら、マクシミリアン殿下は自分のことより心配するわ。ただでさえ大変な時なのにこれ以上迷惑かけたら可哀想でしょ」


ローズマリーもいつになく優しかった。弱っている時は他人の優しさが身に染みる。クラウディアは涙目のまま薬湯を飲み干した。


「二人ともありがとう。ローズマリー様に心配される日が来るなんて思ってもみませんでしたわ。婚約破棄の時は恨んだこともあったけど、わたくしアレックス殿下のことこれっぽちも愛していなかったことに後から気付いたんです。それなら自分を愛してくれる方になびくのは仕方のないことですわ。マール王国に帰ったらアレックス殿下ともじっくり話し合いたいわ」


「何変なフラグ立ててんのよ……そんなことはどうでもいいから、今はマクシミリアン殿下のことだけ心配していればいいのよ」


薬湯が効いたのか、それにはいささか早すぎる気もするが、気を取り直したクラウディアはアンの勧めた食事を平らげた。ローズマリーの言う通りいつでも臨戦態勢でいなければならない。その日の夕方、皇帝の使いの者がやって来た。


「クラウディア様、皇帝陛下がすぐ来て欲しいとのことです」


時は来た。クラウディアはすくっと立ち上がり、すぐに皇帝の所に向かった。


「泳がせていた魚が餌に食いついたよ」


皇帝が言ったのはそれだけだったが、クラウディアは全てを察した。


「では、本人をここに呼んで来て頂いてもよろしいでしょうか」


やがてやって来たのは、リリーに仕える侍女長だった。なぜ呼ばれたか分からないといった様子にクラウディアは内心腹が立ったが、ぐっと気持ちを抑え込んだ。


「一体私にどんな御用でしょうか? リリー様についてなら使者を通すのが慣例ですが」


「あなた星と月がデザインされたネックレス着けてたわよね。今はないようだけどあれどうしたの?」


侍女長がびくっと体を震わせた。


「素敵なデザインだからどこで買ったか聞きたかったんだけど、それと同じものを見たことがあったのよね。確かマール王国で。その人は今どこにいるのかしら?」


侍女長は咄嗟に逃げ出そうとしたが、皇帝の配下にぴったりと両脇を固められていた。


「あら? 何で逃げ出そうとするの? わたくしはネックレスの話をしただけだったのに?」


「正直に話せば命だけは助けてやる」


クラウディアの後を皇帝が引き継いだ。皇帝の言う「命だけは」は随分無慈悲に聞こえ、喉元に刃を突き付けられたのと同じだった。とても信用ならない言葉だったが、今はそれに縋るしかないのも確かだった。


「わ……私は姉の言われるままに情報を流しただけです……それ以外のことはしてません……」


「あと賊を引き入れたこともな。今日接触した者は何者だ。シーモア夫人の息のかかった者か?」


「シンシア妃の忘れ形見を皇帝にするという理念の元に集まった人間の一人です。その元締めを姉がやっています。こちらに帰国した後、着々と支持者集めをしたようです」


「オリガの親族や、ロジャーが関与したというのも嘘か?」


「目的を達成するために邪魔になる人たちを排除したのです。特にロジャー殿下を皇太子の座から引きずり下ろすのは至難の業だから、皇帝陛下の信頼を損なうような噂を流しました。皇太子はオリガ夫人に横恋慕してるとか……宮廷は一枚岩じゃありませんからその噂に飛びつく者もいました」


「何ということだ……」


皇帝は額に手を当て苦しそうにうめいた。


「そんな馬鹿馬鹿しい話を私は信じてしまったということか」


確かにロジャーが少年の頃オリガ夫人にあこがれたのは事実だから、根も葉もない噂ではなかったのだろう。しかし、嘘はそう言ったところに忍び寄って来る。皇帝が疑心暗鬼になるのもむべなるかなだった。


「マクシミリアン殿下はどこにいる?」


「それは知りま……本当です! 正確な。場所は知りません!地下水道のどこかにいるとだけは聞きましたが…j…」


顔をゆがませて呪詛を吐く皇帝をクラウディアはなだめた。


「先ほど侍女長に接触した者を尾行していますから、それを辿れば居場所を突き止められますわ」


クラウディアはそう言うと、侍女長に視線を移した。侍女長は、屈強な男たちに両脇を掴まれ逃げられないようにされ、がっくりとうなだれていた。


「それにしてもベラベラよく喋るわね。シーモア夫人とは姉妹なのに姉を守るという気概はないのかしら」


「いつまでもシンシア様を忘れられないおかしな姉と一緒にしないで下さい。姉はその息子にも執着しましたが、私は割り切って宮廷内で再就職しました。今回姉の話に乗ったのは、リリー様から乗り換えようと思ったからです。だんだん言うことを聞かなくなって来たので見切りを付けようと思ったんです」


どこまでも自分勝手な言い草にクラウディアは呆れ果てたが、リリーを見限るだけならそれでよかった。マクシミリアンに目を付けて現実的とは言い難いシーモア夫人の計画に乗ったことが侍女長の運の尽きだった。


侍女長は監視付きで厳重に隔離されることとなった。その夜、密偵からマクシミリアンの居場所を突き止めたと連絡があった。今は使われなくなった地下水道に身を隠しているという。いよいよ行動の時だ。クラウディアは気を引き締めた。


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