第38章 やっと会えた
クラウディアがアッシャー帝国に来てから5か月が経とうとしていた。半年の期限まであと少しというところで、毎年恒例の新年を祝う舞踏会に出席することになった。交流が途絶えていたマール王国から出席するのは久しぶりになる。学院は年末年始の休暇に入ったが、クラウディアも舞踏会の準備に忙しかったので、故郷に戻る余裕はなかった。
(マクシミリアン殿下が来る……アッシャー帝国に来る……)
クラウディアはドレスの試着をしながらぼんやりと考えていた。マール王国からはクラウディアだけでなく、王族の来賓としてマクシミリアンが参列することになっていた。本来なら王太子のアレックスが適任なのだろうが、マクシミリアンが選ばれたのは両国とも縁があるからなのか。それだけではなく、彼自身が王族の一員として認められたことの証なのだとクラウディアは考えた。
「コサージュはどうしますか? 付けなくても十分だと思いますが……クラウディア様!?」
アンに何度か呼ばれ、クラウディアは我に返った。
「考え事してました? 心ここにあらずと言った感じだったので」
「ねえ……アン? アッシャー帝国にとってこの舞踏会はどんな位置づけなのかしら?」
「そうですね……各国から来賓を呼んで盛大に祝うパーティーですから、それなりの意味を持つと思いますよ。アッシャー帝国ではうちより新年の位置づけが重いらしいので。それにマクシミリアン殿下が選ばれたというのは重大なことなのではないでしょうか。1年前なら全く考えられませんでしたけどね」
そうなのだ。まだマクシミリアンと出会って1年も経っていない。わずかな期間の間にどれだけの変貌を遂げたのか、その裏でどれだけ壮絶な努力をしたのか、クラウディアは想像もできなかった。
「ねえ、アン、私の侍女だとここが難しいみたいだから手伝ってほしいんだけど——あら、クラウディア様素敵ですね。馬子にも何とやらですね」
ドレスを中途半端に着たままのローズマリーがひょいと顔を出した。クラウディアはムスッとして答えた。
「馬子にも衣装って前にも言われたことがあるわ。それは分かってるから繰り返さなくて結構よ」
「冗談ですよ。クラウディア様なかなかの美人ですよ。女の私が言うのも何ですけど」
「それよりあなたも王太子の婚約者なのだから、マール王国に泥を塗らないよう注意してちょうだい。王太子妃教育で習ったことを忘れないでね」
「ハイハイ分かりましたよ」
すっかり軽口をたたくようになったローズマリーを見て、ふとアレックスに会えなくて本当は寂しいのではと思い当った。
「本当ならアレックス殿下が参列するはずだったと思うのだけど……あなたには悪いことをしたかしら。久しぶりに会いたかったでしょう?」
「別に金輪際会えないわけでもないし、そんなセンチメンタルな性格じゃありません。クラウディア様と一緒にしないで下さい」
「誰がセンチメンタルよ!」
思わずクラウディアが叫ぶと、ローズマリーは素早くドアを閉めていなくなった。もしやローズマリーに見抜かれているのだろうか。クラウディアは一人赤面した。
(確かにここ数日マクシミリアン殿下のことしか考えられない。ロジャー殿下と考えた作戦のこともあるから浮かれてはいけないのに。わたくしどうかしてるわ……)
アンがローズマリーの所に行った後、一人になったクラウディアは頬の火照りを冷やそうと部屋の中をぐるぐる回ったが、なかなか治まりそうになかった。
**********
年が明け舞踏会当日となった。マクシミリアンは前日にアッシャー帝国入りしているはずである。本来なら自分に会いに来るのが自然だ。なのに彼が訪ねてくることはなかった。
「もしや皇帝陛下の差し金……? それとも本当に嫌われているのかしら!?」
ロジャーからはあらかじめ「きっと陛下は君とマックスを会わせたがらないと思う。それより自分が選んだ令嬢をあてがいたいからだ」と言われていたが、最後にクラウディアが言い放った言葉を真に受けて気持ちが離れたのかもしれない。
(そもそもマクシミリアン殿下はわたくしをどう思っているの? 好きなのはわたくしだけで、向こうは保護者としてしか見てなかったのかも。それなら独り立ちした今、わたくしは用済みなのかもしれない……)
考えれば考えるほど心は千々に乱れた。やがて舞踏会の時間が近づきクラウディアもドレスアップした。夜空のような藍色の生地に銀糸の刺繍が施され、キラキラしたビジューが取り付けられたドレスは、クラウディアのプラチナブロンドの髪色によく映えていた。アンに髪を結われ化粧を施され、だんだん綺麗になっていったが、鏡に映った姿を見ても心は沈んだままだった。
「クラウディア様、お美しいですよ。自信をもって」
アンに励まされ、クラウディアは会場へと向かった。会場入りすると学院で見た顔を何人か見かけた。家族に連れられて来たようだ。ミアやアリッサの姿もあった。ロジャーやリリーは王族のため最初からここにはいない。来賓のマクシミリアンの姿もなく、国からの正式な招待客は王族と一緒に登場するらしかった。
やがて開会を告げる音楽が聞こえ、クラウディアは緊張で身をこわばらせた。皇帝を先頭に、オリガ夫人、ロジャー、リリーが続く。そして来賓の中に、いた! マクシミリアンは来賓の中でも目立つ場所に立っていた。
(マクシミリアン殿下……よね?)
よく知った顔のはずなのに初めて見る感覚だった。たった数ヶ月だ。そんなに変わったところはないはず。なのにクラウディアの知っているマクシミリアンではなかった。前より大人ぽく凛々しい顔つきになり、場慣れしているかのように落ち着いていた。それだけではない。背も少し伸びているし、体つきも引き締まっている。そのせいか正装の着こなしが格段によくなり、文字通り絵本に出てくる王子様のようだった。漆黒の髪と瞳は夜空のように深く、視線が下向きがちだった前回とは異なり胸を張り堂々としている。ロジャーと比べても見劣りしない。ロジャーが動ならば、マクシミリアンは静を象徴していた。冬の夜空に輝く一等星のように孤高で美しかった。
皇帝のスピーチはクラウディアの耳には入らなかった。マクシミリアンがどこを見ているのか分からない。こんなに参列者が多くてはクラウディアのことも見つけられないかもしれない。
何とかして会いたい。ここまで来たのだから会って話がしたい。しかし、作戦のこともあり、歓談の時間になってもうかつに動けなかった。そうでなくても、マクシミリアンの周りにはたくさんの人だかりができており近づくことができなかった。「いつか手の届かないところに行ってしまう」、前にロジャーに言われた言葉をぼんやり思い出して無性に悲しくなった。
皇帝はクラウディアとマクシミリアンの関係に既に気付いていて最後まで会わせないつもりなのか。このままでは埒が明かないので、クラウディアは作戦を決行することにした。人込みをかき分けてロジャーの所に行こうとした時、ふいに腕を掴まれた。
「誰……って殿下!?」
まさかマクシミリアンの方からクラウディアに会いに来るとは思わなかった。彼は一人だった。思いつめたような表情をしていたが、平静であろうと努めながら一礼をした。
「久しぶり、クラウディア。一曲お願いしてもいいかな?」
クラウディアは上の空で返事をした。そして上の空のままダンスフロアまで連れて行かれた。音楽が始まり二人は踊り出した。スムーズな足運び、流れるようなリード。マクシミリアンは前より格段にダンスが上達していた。昔から踊りなれているような身のこなしに、クラウディアはただ驚くばかりだった。音楽が止みダンスが終わってもまだ夢心地だった。そんなクラウディアにマクシミリアンが「ちょっと話してもいい?」と耳元で囁いた。
まずい。耳元で囁くなんて反則すぎる。クラウディアは真っ赤になりながら何も言えず、ただこくこく頷くだけだった。マクシミリアンに手を取られ人気のないバルコニーに出る。部屋から漏れる明かりに照らされた彼の横顔はとても美しくこの世のものとは思えなかった。マクシミリアンが口を開こうとした瞬間——
「あなた本当にマクシミリアン殿下ですの!? 影武者ではなくて?」
クラウディアの斜め上すぎる問いに、マクシミリアンは思わず「はあっ???」と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「何でそうなるの? 僕だよ! 影武者なんていないよ!」
「だって、だって……」
今までもよかったけど余りに素敵すぎる……とうっかり口を滑らしそうになって、クラウディアは慌てて口元を抑えた。
「クラウディア、やっと会えたね。君に会いたい一心で頑張って来たんだ」
マクシミリアンはクラウディアをひたと見つめて言った。
「そんな……わたくしあんなひどいことを言ったのに……」
「なんだ、そんなこと気にしてたの? 本気にするわけないじゃない。確かにロジャーは魅力的だから心配したこともあったけど」
マクシミリアンは苦笑した。
「でも、あれが本当だったとしても、別に恨んだりしなかったよ。だってあの時の僕は確かに格好悪かったし、嫌われても仕方なかった。それにクラウディアに背中を押してもらったという事実は変わらない。感謝こそすれ、恨む理由なんてどこにもない。どんな結果になっても僕が選んだことだから」
そう言ってへにゃっと笑うマクシミリアンの顔を見て、クラウディアもようやく安心した。
「よかった……いつもの殿下だ……影武者なんかじゃなかった……」
そう言うと全身の力が抜けてへなへなと倒れこみそうになった。マクシミリアンは慌ててクラウディアの身体を支えるとバルコニーのベンチに座らせ、自分も隣に座った。
「余りに見違えて他人かと思いましたわ。すごく素敵になられたんですもの」
「あれからクラウディアの横に立っても恥ずかしくない男になりたくて努力したんだ。もっと自信をつけるためにどうすればいいか考えたら、やっぱり僕は王子だから王子としての本分を務めようと思った。そこで公務を始めるようになって、人々と触れ合ったり、交渉役みたいなこともして、見聞を広めた。中には辛い仕事もあったけどすべて君に繋がる道だと思えば頑張れた」
マクシミリアンはクラウディアのために頑張ったと言ってくれた。クラウディアは信じられない気持ちだった。
「そんな……最初に会った時から殿下は十分に素敵でした。その……植物学はもういいですの……?」
「うん……今でも好きだけど、人生はそれだけじゃないというのが分かって来た。僕の前には色んな可能性があると知ったら一つにこだわることはないんじゃないかなって」
マクシミリアンがそう言うのならそれでいいのだろう。彼の説明を聞いてクラウディアは納得した。
「ねえ、クラウディア。この香りもしかして……」
マクシミリアンの言う意味を察して、クラウディアは顔を赤くした。
「ええ、殿下が下さったバラの香水です。今日のために使おうと思ってました」
「そうなんだ、やっぱり……嬉しい」
マクシミリアンはそう言うとクラウディアの髪をひと房手に取り、首元に顔を近づけバラの香りを楽しんだ。クラウディアは「ひいっ」と声を出すのを懸命にこらえた。
「毎日君のことを考えていた。好きで好きですぐに飛んでいきたかった。でも隣に立てる自信が付くまで我慢したんだ。君が学校で嫌がらせされたと聞いた時ははらわたが煮えくり返るかと思った。でもこんなに好きなのに、大事にしたいと思うと逆に支配して自分のものにしたくなる。ドロドロした感情がふつふつと湧いてくるんだ。好きという感情はきれいなはずなのに汚いことばかり考えるなんて、自分でもどうかしてると思う」
クラウディアの頭はすでに容量オーバーになっていたが1%だけ残っていた部分で「もしかしてすごいことを告白しているのでは」と思った。
「ねえクラウディア。こんな僕でもいいのなら……」
「わたくしは最初から殿下のことをお慕い申し上げておりました」
やっと言えた。案外すんなり口にすることができた。そうだ。一体いつからだったのか。学園に行きましょうと衝動的に誘った時、既に彼の虜になっていたのではないのか。優しさの裏にあるしなやかな強さ、不遇でも決して他人を恨まない不屈の精神力、全部全部好きだ。最初からこの人しか見えなかった。そう言おうと思った瞬間、すぽっと彼の腕の中に抱き寄せられた。
「クラウディア、愛してる。ずっと一緒にいて欲しい」
そして彼女の顔を上げ、唇に口づけした。クラウディアは驚きの余り何も考えられなくなった。マクシミリアンがこんな積極的に出るとは思ってなかったのだ。彼は抱きしめる手に力を込め、愛おしそうに何度もキスをした。
「もう離れたくないんだ。君がいない世界なんて何の価値もない。でも君さえいてくれればどんな辛いことでも我慢できる」
囁くような声だったが熱がこもって苦しそうですらあった。クラウディアは「はい……」と言うのが精一杯だった。感情が激流のように押し寄せて言葉が追い付かない。他のことは何も考えられなくなった。作戦なんてとうに忘れていた。
お互いの愛を確かめるようにしばらく二人は抱き合っていた。永遠にも思える時間だった——しかし。
「そこでなにをしている?」
はっとして振り返ると皇帝が立っていた。傍らにはロジャーがいる。皇帝にとっては想定外の出来事だったはずだ。マクシミリアンにアッシャー帝国の女性をあてがおうとしていたのだから目の前の光景は到底許せるものではない。クラウディアは頭が真っ白になった。
「見ての通り、恋人との再会を喜んでいただけです」
口を開いたのはマクシミリアンだった。その平然とした口調にクラウディアは驚かずにはいられなかった。
「恋人……? ブルックハースト嬢が?」
「はい。故郷の恋人に久しぶりに再会したものですから、つい感情が高ぶってしまいました。それだけのことです。自分も男なので」
そう言うと、マクシミリアンは堂々とした態度で舞踏会会場へ戻って行った。皇帝もそれ以上何も言えず立ちすくんだままだった。




