第37章 皇女は世直しをしたい
ある日の昼休み、女学院で全校生徒が講堂に集められた。事前に聞かされていなかっただけでなく、主催が教師でも生徒会でもないことに生徒たちからは訝しがる声が上がった。やがて、リリーとクラウディアとローズマリーが壇上に上がり、ざわざわする声は更に大きくなった。そんな中、緊張でがたがた震えるリリーの横で、クラウディアは政治家のように堂々とした態度で口火を切った。
「皆様、わたくしはこの学院にやって来て、実力主義という美辞麗句の裏でいじめが行われている事実に直面致しました。被害者の数はとても多く、昨日の加害者が今日は被害者になりその逆まで起こる始末。更に、何とこの国の皇女様までがターゲットになるということに驚愕致しました。わたくしは、他国からやって来たしがない留学生の身ですが、この事態を皇女様と共に改善したく立ち上がりました。では、リリー様お願いします」
リリーは、クラウディアから渡されたマイクを一旦取り落としながらも、気を奮い立たせて話し始めた。
「あ、あのっ、私もすごいひねくれ者だったので気持ちが分かるんです。プレッシャーと劣等感でいっぱいでした。多分皆さんの多くもそうなんだと思います。ストレスのはけ口を誰かを虐めることで解消しようとするんです。そして、いじめのターゲットになる前に加害者になることで自分の身を守る……でもこんなのやめませんか。いじめをなくすためのシステムをいくつか考えてみました。うまくいくかどうか分からないけど……やらないよりはマシだと思います。で、ではローズマリーさん具体策の説明を、お、お願いします」
「えーではリストを読み上げます。その1、目安箱の設置と第三者による調査の開始。どこで誰がいじめられているという情報を密告? するためのポストを用意しときます。もちろん匿名でOK。自己申告でも構いません。報告を受けたら第三者委員会による調査が始まります。これは学院関係者は入ってません。自浄作用は全然期待してないんで、外部から客観的な調査と判断ができる人たちを呼んで行います。嘘の報告書いても嘘はバレるからやめた方がいいわよ。悪質なケースは警察に相談します。その2、カウンセラーの配置。あなたたち他人と競わされるプレッシャー半端ないでしょ? だからカウンセラーに相談して少しでも楽になって。これは被害者も加害者も関係ありません。その3、サロンの開放。サロンって選ばれし者だけ入れる場所ってのも不平等よね。会費もバカにならないって話だし。だからそういう特権を廃止して誰でも入れるようにします。会費も撤廃。その代わり高級喫茶店みたいなサービスは廃止です。学院から出ている予算だけでやって下さい。お高いイメージはなくなったけど誰でも利用できる休憩所みたいな感じになるわ」
「ちょっと! それサロン文化の廃止ってことじゃない! 皇女様でもそんなことできないわ! 古くからの伝統なのよ!」
アメリア・ローズが前に出てきて反論した。クラウディアは彼女を上から見下ろして表情一つ変えずに回答した。
「廃止ではありません開放です。誰もが分け隔てなく利用できるようにするだけです。サロンはいじめの温床と言われてるじゃありませんか。サロンに入るために足の引っ張り合いをしたり、次のターゲットを誰にするか相談する場所にもなっているとか。そんなくだらない特権なんて犬にでも食わせてあげましょう。ああ、一番大事なこと忘れてた。規制だけでは息が詰まるので飴も差し上げましょう。競争を完全になくすわけじゃありませんけど、実力主義の行き過ぎは生徒の精神衛生上よくないということで緩和する方針でいます。これはあなたたちだけではなく、教師に向けても意識改革を行います。学院の方針、ゆくゆくはアッシャー帝国の過度の競争社会を根底から変える大きなプロジェクトです。それをビレンダイア女学院から始めていきましょう! これも自浄作用は望めないから第三者に介入してもらいます。もちろん己を高める自己研鑽は大事ですわよ。でも他人の足を引っ張るなというだけの話です」
クラウディアは一気にまくし立てると、一息入れて今度は一段高い声で呼びかけた。
「千里の道も一歩からというわけで、リリー様のサロンメンバー募集中です! 入会は誰でもOK! 今ならロジャー皇太子と握手できる特典もありますわよ!」
これには全員が色めき立った。今をときめくロジャー皇太子である。お近づきになりたいと思うのが普通である。既にどこかのサロンに入っている者もそわそわし始めたが、けん制する視線に咎められてどうしていいか分からなかった。歓喜とけん制と、絶妙なバランスが働いてすぐに手を挙げるものはいなかったが、エサは撒いたので後は食いつくのを待つだけである。クラウディアはほくそ笑みながら壇上を降りた。
「こ、これでよかったのかしら……どうしましょう……たくさん人が集まり過ぎても」
リリーは正直な心情を吐露した。
「それならそれでいいですわよ。どうせ定着するのはほんの一部だし。ロジャー皇太子には客寄せパンダとして頑張ってもらいましょう」
「結局お兄様頼みになってしまったわね……」
「何を仰いますの? 先ほどの方針はわたくしとリリー様で考えたものではありませんか。もっと自信を持ってください」
「実現させたのはクラウディアの力よ。何でも先日の事件を逆手にとって学院長を脅して従わせたって噂があるんだけど……本当なの?」
「本当ですわよ。このわたくしがやられるだけで済むわけないじゃありませんか。あちらも弱みを握られたせいか従順でしたわ。皇太子肝いりの、二国間の関係を正常化させるための事業に泥を塗った責任が問われたんですから」
恐る恐る尋ねたリリーの質問にクラウディアはけろっと答えて見せた。そのやり取りを見ていたローズマリーは呆れたようにため息をつきながら言った。
「転んでもただでは起きないという言葉はクラウディア様のためにあるようなものですね。第三者委員会の設立はリリー様がなさったの?」
「ええ、私がお兄様に提案して優秀な人材を派遣してもらったの。お兄様にまた借りができてしまったわ……」
「どうせ今まで兄らしいことをしてこなかったんでしょう? 今までの分を含めてどんどん頼めばいいんですよ」
クラウディアはリリーを励ますように言った。明らかに兄妹の絆が深まっている。最近リリーも侍女長の目を恐れずティムに会いに行っているようだ。色んな事が少しずつよくなっていることにクラウディアも嬉しくなった。
「ちょっと! あなたたち何勝手なことやってるのよ! 生徒会の許可も取ってないじゃないの!?」
ミア・シェネガンが顔を真っ赤にしながらやって来た。後ろからアリッサが小走りで追いかかて来た。
「手続きが面倒なので直接学院長にかけ合いましたが何か?」
「何かじゃないわよ! こういうことは私を通してからじゃないとできないの! 私を差し置いていいと思ってるの!?」
「だって生徒会長、自分の妹だって助けなかったじゃありませんか。実力主義がどうこう言って」
クラウディアに痛いところを突かれてミアはうっと詰まった。そして何か言いたげにしていたが、ぷいと身を翻し去って行った。
「お姉様は今までの自分を否定されると思って焦っているんだと思います。自分も前にいじめられたことあるから」
ミアがいなくなった後、妹のアリッサが説明した。
「下級生の頃いじめのターゲットになって、そこから這い上がっていじめた人を蹴落として今の生徒会長の地位を築いたんです。だから実力主義を否定されると自分を否定されるような気持ちになるのかも」
「やれやれ。なかなか面倒な令嬢ね」
クラウディアはミアが去って行った方向を見やりため息をついた。
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その日の放課後、生徒会長室をノックする一人の生徒がいた。ミアがドアを開けるとそこにはリリーが立っていた。
「リリー様……生徒会長室までどんな御用ですか?」
「あ、あの……昼休みはごめんなさい。あなたにもあらかじめ説明しておくべきだったかも」
リリーはクラウディアの指示で派遣された。いわく「押して駄目なら引いてみろ、ですわ。わたくしよりもリリー様のほうがうまくいくかも」。しかし、単身乗り込むのはリリーにとってとても勇気が要ることだった。
「いいですよ。どうせあんなのうまくいきませんから。小手先の方法でどうにかなったら誰も苦労しません」
「あら、私も同じことを思っていたのよ。どう頑張っても人間が人間である以上、いじめはなくなるものではないわ。本当はそこまで楽観視してないの。でも何かアクションを起こすだけでも皆の意識が変わるかなって。何らかの爪痕を残すだけでも違うと思わない? それで後に続く者が引き継いでくれればいいわ」
ミアは目を見張った。この弱気そうな皇女がそこまで考えているとは思わなかったのだ。リリーは言葉を続けた。
「あのね、アリッサからあなたの話を聞いたんだけど、うちの兄に似てるなと思ったの。兄は非の打ち所がない完璧な人間で、やはり私とは気が合わなかった。他にも理由があってずっと犬猿の仲だったわ。でも兄は兄で、今の地位に登りつめるために多くを犠牲にしてきたことを知ったら、何てつまらないことにこだわっていたんだろうって思えてきた。そりゃ兄から見たら私は怠惰で文句ばかり言っていると思われても仕方ないなって。でも兄は、私のことを認めてくれた。こんなに駄目な私を見直してくれたのよ。あの完璧な皇太子が。だから私は自信を持てたの。そしてあなたにも認めて欲しいと思っている。どうかお願いします」
リリーはそう言って頭を下げた。ミアは困惑して視線を逸らした。
「そんなこと私に言われても……これは規則で私の一存でどうにかなるものではありませんから……」
「では、議題にかけて下さらない? 生徒会からも承認を得られれば鬼に金棒だわ」
「議題にかけるまではいいけど、承認されなかったら? 特に第三者を学院に入れるのは反対されると思いますよ?」
「あら、そこは譲れないわ。対策の肝ですもの。学院の関係者は信用してませんの。今までも見て見ぬ振りだったし」
「……なっ! 結局ごり押しするんじゃないですか!」
「だから説得に来たのです。できればあなたにも私たちの取り組みに参加して欲しい。あなたのような生徒はもう作りたくないんです。自分だけで克服するなんて孤独で辛かったでしょう? これからは一人じゃなくてみんなで助け合いましょうよ」
ミアはぐっと詰まった。平凡で大した能力もないと思われたリリーが、ここまで聡明で物を深く考える人物だとは思わなかった。つい最近までおどおどしていたのに、今や堂々としている。彼女をここまで変えたのはやはりあの留学生なのだろうか。
「……分かりました。行き過ぎの点があったら注意させていただきます。あとはご自由にどうぞ」
「ありがとう! そうだ、あなたも私のサロンに入らない? 妹のアリッサ嬢と一緒に。アリッサ嬢の話ではあなたもロジャーお兄様の熱烈なファンと聞いたからぜひお誘いしたいわ」
「わ! 私は……その他大勢のミーハーなファンと違って……! ロジャー皇太子の政治的手腕を冷静に評価しているだけです……!」
「どんな理由でも結構よ。兄も喜ぶと思うわ。ぜひうちのサロンに入って」
リリーはにっこり笑った。クラウディアの入れ知恵も少しはあったが、それでもきちんと自分の言葉で伝えられたと思った。無事に済んでよかったと内心ほっとした。ミアは恥ずかしさで真っ赤になっていたが、何とかOKの返事が貰えた。リリーのサロンがようやく実現に向かって動き出した。ここまで来たらあとはやるしかない。リリーは胸を張ってクラウディアに報告に向かった。




