第31章 兄妹げんかは令嬢も食わない
リリーのいるフォーリー宮では、ロジャーとリリーがお互い真正面から相手を見すえ対峙していた。二人とも椅子に座っていたが、テーブルを挟んでロジャーは腕を組み、リリーは両手を膝の上に置いたまま、両者少しも譲ることなくじっとそのままの姿勢でいた。
(なんでこうなるのよ~妹と話し合うって言ったくせにこれじゃ対決しに来たみたいじゃない!)
間に挟まれたクラウディアは頭を抱えた。こんなはずではなかった。意固地になっているリリーを兄から説得してもらおうと、ロジャーと共に会いに行ったはずだった。意地悪な侍女長もさすがに皇太子相手には逆らえず、面会可能となった。しかし、普段から疎遠な兄妹らしく会話がぎごちない。これなら他人の方がマシと言えるレベルだった。成功者のロジャーはリリーがいじける気持ちが分からないのだ。リリーはリリーで、何事においても完璧な兄に自分の気持ちなど分かってたまるかと反発している。しかし、皇太子の兄相手に自分の気持ちを素直にぶつけられず、つんけんとした態度を取るだけだった。
「なあクラウディア。俺はやはり、力ある者がきちんと上に行ける社会が健全だと思うのだが」
リリーに話しても埒が明かないので、ロジャーはクラウディアに話を振った。
「ですからっ! その力が正当に評価されているのかを疑う必要があるでしょう? 隠れた長所があるのに評価されずに埋もれてしまう人材もあるはずです。あと、一度駄目でも再チャレンジの機会は必要だと思います」
自分は後ろに控えていようと思ったのに、じれったくなったクラウディアはとうとう自分で解説を始めた。
「リリー様もお兄様に言いたいことがあるのでは? 皇女としての素質は、社交性があるとか、話し上手とか、気配りができるとか、そんな分かりやすいものだけではないはず。リリー様が目指すべき姿は別のところにあると思います。例え期待された方向とは違ってもその頑張りを応援して欲しい、とか何とか言うことないですか?」
「お兄様のような何でもできる方に私の気持ちなど分かりようがない。さっきから何度も同じことを申し上げてますが、本当にこれだけです。申し訳ありませんが、これから絵画のレッスンがあるので失礼してもよろしいでしょうか」
リリーは最後まで頑なだった。ここまで頑固だとある意味あっぱれと言いたくなる。空振りに終わったロジャーとクラウディアはすごすごと別館に戻った。
「あそこまで意地張ってると本当にそっとして欲しいんだよ。これ以上の介入はやめよう」
「お兄様の癖に何を仰るんですか?! 意地を張るとしても理由があるはずです!」
「あいつは父親にも母親にも大事にされなかったからな。男児を期待されたのに娘が生まれたから父は見捨てたし、第2夫人の母親はその後身ごもることがなかったから見切りをつけて、リリーが12歳の時王宮を出て実家に帰ってしまった。今は別荘に住み愛人を囲ってるらしい。それからはあの侍女長がお世話をしているが、まあ見ての通り性悪だろ。リリーの情操にはいい影響はないだろうな」
「そんな人ごとのようにおっしゃってないで助けてあげればいいのに……」
「俺の方がひどかったから同情する気になれないんだよ。俺は母をすぐに亡くしたし、誰にも甘えられない状況で何でも完璧にやって当たり前の世界で生きてきた。上手にできても褒めてくれる人なんていなかった。今更泣き言を言う気はない。でも言い訳ばかり言ってる奴を助けようとも思わない」
そこまで言われたらもう何も言えなかった。まるで水と油のような兄妹なのだ。説得してもらおうと思ったのがそもそもの間違いだった。ロジャーもその辺分かっていたはずだが、クラウディアの頼みゆえ断れなかったのだろう。クラウディアは大きなため息をついた。
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「どうしたの、クラウディア? お茶が冷めちゃいますよ?」
ティムに言われてクラウディアははっとした。クマのぬいぐるみのモモちゃんと一緒にティムのお茶会ごっこに誘われて一緒に遊んでいたところだった。あれから数日経ったが、リリーから何の音沙汰もない。ロジャーも忙しくてこちらに顔を出すことはない。もう打つ手はないのかしらと物思いにふけっていたのだった。
「ごめんなさい。ついボーっとしてしまって。このクッキーおいしいですわね」
クラウディアは、ティムが用意した葉っぱをクッキーに見立てて食べる真似をした。
「クラウディアさっきからぼんやりしているよ。何かあったの?」
「殿下が心配することは何もございませんわ。そうですね……殿下はリリー様とはよく会いますの?」
「あんまりないよ。お姉様は気にかけてくれるんだけど、あの意地悪おばさんに引き離されるんだ」
またあの侍女長か。あんなのがいたらリリーのためにならないと思うのだが、彼女自身はどう思っているのだろうか。
「ねえ、それよりさ、今度のお休みの日、僕の7歳の誕生日なんだけど誕生日パーティーに来てくれるよね? ロジャー兄様も来るんだ」
「もちろんお伺いしますわ……ってロジャー殿下も?!」
いくら弟の誕生日とは言え、ロジャーがわざわざ祝いに来るとは意外だった。普段忙しい彼が時間を作るのは大変なはずだ。
「うん。兄様は毎年来てくれるよ。僕のお父さんみたいな人だから」
ロジャーがお父さん? それより毎年誕生日を祝いに来るというところに驚いた。妹のリリーとはまるで他人みたいだったのに、ティムには深い愛情をかけているのが分かる。
「それってリリー様は呼んでないんですよね……もしよれけば今年は兄妹全員集まりませんか? きっとリリー様も寂しがってると思うんです」
オリガ夫人に確認したら快諾してくれた。侍女長がオリガ夫人を馬鹿にしていたので不安だったが、そのようなことを気にする夫人ではなかった。
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ティムの誕生日当日になった。この日は学校も休みだったため、早くからティムの居城を訪ねた。せっかくだからマール王国にちなんだものを贈りたかったが、あいにく適当なものを持ち合わせていなかった。そこで故郷の焼き菓子を厨房で自ら作って渡すことにした。侯爵令嬢という身分ながらお菓子作りに一時期はまったことがあり、レシピがなくてもこちらにある材料を使って作れるものがあったのは幸運だった。
せっかくだからローズマリーも誘った。最初は面倒くさそうにしていたローズマリーだったが、「隣国の第二王子と繋がりを作っておけばアレックスの役に立つかも」と誘ったらなぜか着いてきた。表面はクールにしているが、アレックスを好きなのは本当らしい。
「わあ! 来てくれてありがとう! ローズマリーさんも一緒なんだね。よろしく!」
ティムの素直さとかわいらしさは皆をメロメロにした。ロジャーは仕事で遅れるというので、彼女たちだけで始めることにした。リリーからは何の返事も来ていなかった。
少々寂しい出だしになったがそれでも十分に楽しかった。ティムは幼いながら周りへの気配りができるし、子供らしい無邪気さは場を和ませた。オリガ夫人も穏やかで優しい人なので、誰もがいい気分で過ごした。
ふとクラウディアは外に人の気配を感じた。窓を見ると小さな箱が置かれている。不器用ながらきれいな包装紙に包まれリボンも巻かれていた。辺りを見回すとサッと人影が見えなくなるところだった。慌てて見えなくなった辺りまで追いかける。予想通りそこにはリリーがいた。
「リリー様、こんなことしないで直接渡してくださいな。一緒に殿下のお誕生日のお祝いをしましょう」
「侍女長に見つかるからすぐに帰らなきゃ」
リリーは何かに怯えているようだった。
「リリー様が主人ではないですか? 侍女長が何か言おうとしたら黙れと言えばいいだけです」
リリーは驚いてクラウディアを見た。
「私はあなたみたいにはなれないのよ。いつもびくびく怯える小動物みたいで自信がないから何もできない。弟に優しくするのだって人の目が気になってしまう。こんなのおかしいでしょう?」
「あ! お姉様みーっけ!」
ティムたちがいなくなったクラウディアを探しに来た。ティムに姿を見られたリリーはびくっとしたが、今更逃げられず諦めたようだった。そして「お姉様も来てくれたんだね! ありがとう!」と言われた以上断ることもできず、一緒に屋敷に向かった。
「はい、これ……お誕生日おめでとう」
リリーは改めて自分が用意したプレゼントをおずおずと差し出した。
「ありがとう、お姉様! すごく嬉しいよ!」
ティムが中身を開けると瑪瑙でできた万年筆が入っていた。手に持つとひんやりした冷感が伝わり、手に吸い付くような滑らかさだった。高級な品というのが一目で分かる。なかなかいいセンスだ。
「子供が喜ぶようなものじゃないけど……大人になったらこういう物も使うかもと思って……」
リリーは自信なさそうに言ったが、品質は十分いいものであり彼女なりに真剣に考えたのだろう。
「すごくかっこいい! これ宝石みたい! 僕一生大切にする!」
大喜びのティムを見て、リリーはほっと息をついた。
「リリー様ありがとうございます。こんな素敵なものを頂いてティムも喜んでおります」
オリガ夫人も丁重にお礼を言って頭を下げた。リリーはにっこり微笑んだのち、彼女にしては意外なことを言った。
「いいのよ。本当は7歳の子に受けるものがよかったんだけどどうしても思い浮かばなくて……この機会だから言うけど、うちの侍女長があなたに度々の無礼を働いていたことお詫びさせてください。私が不甲斐ないばかりに臣下の好きにさせてしまって……」
クラウディアはリリーがそのようなことを言うとは思わなかったのでびっくりした。今まで謝る機会をずっと探していたのだろうか。
「皇女様は何も悪くないのだから、謝る必要などございません。そこまで私のことを考えて下さって申し訳ない気持ちでおります。どうかお気になさらないで」
オリガ夫人はにこやかに答えた。リリーがティムから距離を置いていたのはこれが原因だったのかもしれない。侍女長がやったことを自分の責任のように感じて。胸につかえていたことをようやく吐き出せて、リリーはどこかすっきりした様子だった。そう言えば、クラウディアが初めて謁見した時も冷たい態度だったのは侍女長の方で、リリー自身は別に気にしていない様子だった。リリーの本性は周囲の評価より素直で真っ直ぐなのではとしか思えなかった。
「ねえ、これをきっかけに、お二人もっとお会いになったらいかがかしら? せっかくの兄弟同士近くに住んでいるのにもったいないわ」
すかさずクラウディアは二人がもっと仲良くなれるように水を向けた。
「うん! 僕お姉様のところに行ってもいい?」
「え、ええ……もちろんよ。でもなるべく私から会いに行くわ」
リリーが何を考えているか分かる。ティムがリリーのところに行って侍女長に冷たくあしらわれることを危惧しているのだ。だから自分から会いに行くと言ったのだろう。
それから数分のち玄関が慌ただしくなった。最後の一人がやって来たのだろう。間もなく部屋にやって来たのは予想通りロジャーだった。
「遅れてすまない! ティム、7歳の誕生日おめでとう!」
満面の笑みでそう言うと大きなプレゼントの包みを渡した。
「ありがとう! お兄様、今年はリリー姉様も来てくれたよ!」
ティムが嬉しそうにロジャーに報告すると、リリーはバツが悪そうにうつむいた。ついこないだ喧嘩をしたばかりだから無理もない。ロジャーも一瞬戸惑い変な空気が流れた。
「さあさあ、皆さん揃ったところで何かゲームをしませんこと? そうね……ティム殿下も楽しめるものというと……カードゲームなんてどうかしら?」
微妙な空気を一新しようとクラウディアは急に話を変えた。カードゲームなら誰でもやったことがあるだろう。周りを大人に囲まれている王族の子供は同年代の子供が少ないため、暇そうな大人(実際は仕事中なので誘われた方は大変なのだが)を見つけてカードゲームで遊ぶ機会が多かった。確かアレックスも子供の時に好きだったと言っていたし、それはアッシャー帝国でも変わらないだろう。しかし、意外な人物が異議を唱えた。
「カードゲームは殆どやったことないので知らないな」
ロジャーはきょとんとした顔をして言った。
「ええ? カードゲームやったことないの? お兄様でも知らないことあるんだ?」
ティムが大声を上げて、オリガ夫人に「こらっ」と小声で叱られた。
「知らんもんは知らん。カードなんて触ったこともない。物心ついた時から皇太子になるための勉強に明け暮れていたから遊ぶ暇なんてほとんどなかった」
ロジャーはけろっとしたまま答えた。彼の中ではそれが当たり前になっているらしい。流石にティムも少し引いている。それくらいカードゲームは子供の間で親しまれていたのだ。そして、もっと驚いたのがリリーだった。何やら考え込んでいる様子である。
「まあ、何でも完璧にできるロジャー殿下の意外な弱点ですわね。それなら皆で教えながら遊びましょうよ」
クラウディアはそんなことお構いなしとでも言いたげに場の進行を進めた。そしてティムが手取り足取りロジャーに教えながら、みんなでカードゲームを行った。ロジャーも楽しそうにやっていた。
やがてお誕生日会はお開きになった。いつもより大勢に祝ってもらったティムは大変満足そうだった。ロジャーは「じゃ、また来るからな」とティムの頭をポンポンと叩き、次の仕事が押し迫っているのか足早に帰ろうとした。その時、リリーがロジャーの袖を引いた。
「ん? どうした?」
「さっきのことだけど、カードゲームをする暇もない程勉強に明け暮れたって本当なの?」
リリーはうつむいたままロジャーに尋ねた。
「そんなつまらないことで嘘をつく意味がないだろう」
「今まで何でもできる人に私の気持ちなんて分からないと思って来たけど……お兄様はそれ以上の努力をしてきたんですね。私は自分が駄目な人間だからと全てを諦めて、全てを憎むことしかできなかった。私はお兄様のようにはなれないけど、今からでもできることはありますか?」
なおもリリーはうつむいたままロジャーの袖をぎゅっと強くつかんだ。ロジャーはしばらく考えた後、ゆっくりした口調で答えた。
「できることなんて山ほどあるんじゃないのか? お前は何か勘違いしているようだけど、何もかも自分一人だけでやる必要はないんだぞ。自分だけでやれる限界を冷静に分析することだって必要なんだ。その上で人に助けを求めるのは全然恥ずかしいことじゃない。実力主義という言葉をはき違えている者が多いから仕方ないが、お前は自分を助けてくれる人間を良く見極めて行動しろ。そうすれば道は開けるよ」
リリーは顔を上げた。そして「ありがとう」と消え入るような声で言うと、やっとロジャーの袖を離した。ロジャーは「またな」と挨拶して出て行った。優しい声色だった。
「ねえ、クラウディア」
いきなり呼ばれたクラウディアは「は、はい!?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「学院でサロン作りを手伝って下さらない? 私ひとりじゃ無理だけど、あなたはずっといてくれるわけじゃないから早く始めなきゃ。あなたの力が必要なの」




