第29章 実力主義なんてクソくらえですわ
リリーはすっかりクラウディアを避けるようになった。嫌味な侍女長を前面に出して「リリー様は誰にも会いたくないと仰ってます」とけんもほろろに帰された。せっかくローズマリーが来てくれたというのに、ただ時間だけが過ぎていく。クラウディアはだんだん焦って来た。
「ねークラウディア様、わたしそろそろ帰っちゃいますよお?」
ローズマリーの催促もプレッシャーになる。
「学校で話せばいいじゃないですか。あの侍女長もいないし。何をそんなに頑なになってるんですか?」
できれば学校で声をかけるのは避けたかった。そんな下らないこと無視してもよかったのだが、せっかくリリーが忠告してくれた親切を大事に取っておきたい気持ちがあったのだ。
(なぜわたくしはリリー様にこだわっているのかしら? 別に放っておいてもいいのに?)
知らず知らずのうちにマクシミリアンと重ねているところがあるのかもしれない。全然違うタイプなのに、と自分でも不思議だった。
事態が膠着したまま数週間が過ぎた。マール王国なら冬の足音が聞こえてくる季節だが、ここはまだ暖かかった。アメリアのサロンに呼ばれ他愛もないお喋りに愛想笑いをする日々。情報収集以外では役に立たなかったが、周りに合わせるしかなかった。
事件はふとした時にやってきた。ある日、クラウディアがローズマリーと渡り廊下を歩いていると、校庭の方から騒がしい声が聞こえてきた。何かしらと思い、声のする方を見ると人だかりができている。野次馬の会話を盗み聞きすると、「1年よ」「いくら何でもやりすぎじゃない?相手が相手なんだから」「後で仕返しされても知らないわよ」などと聞こえてくる。クラウディアは嫌な予感がして人込みをかき分けて見に行った。すると、中心にいたのはリリーだった。なぜかずぶ濡れになっている。同級生と思しき生徒がリリーを取り囲み嘲笑していた。
「リリー様、手が滑ってしまいましたわ。ごめんなさい」
「でもうまく避けられなかったあなたも悪いですわよ」
「早く着替えた方がいいのでは?」
これはいじめだ。事態を把握したクラウディアは一際大きな声を上げた。
「あなたたち自分が何をやっているか分かっているの? 相手が誰だろうと許されないわ。しかも相手は皇女様よ? この国は一体どうなっているのかしら?」
みな一様にしーんと静まり返った。リリーも驚いてクラウディアを見上げた。ローズマリーだけは後ろに下がったまま腕組みをして様子を見ている。
「実力主義だか何だか知らないけど、自分より劣ると判断した相手には何をしてもいいという考えなのかしら。何て野蛮なこと。表向きはお上品に振舞ってるけど中身は腐っているのね。見下げ果てたわ」
「お言葉ですが、クラウディア様」
人込みの中から出てきたのはアメリアだった。
「他国からの留学生の方に我が国の流儀をとやかく言われる筋合いはございません。マール王国では常識でもここでは違うことが沢山ございます。その反対もまた然りです。外国の方は驚くでしょうが、これが我が国のやり方なのです」
「まあ、単なるいじめを正当化するのに『流儀』なんて言葉を使うのね。自分の国の皇女をいじめ抜くのが『流儀』ねえ。勉強になりましたわ。国へ帰ったらみんなに教えてあげなくちゃ」
「クラウディア様」
アメリアはなおも反論した。
「これ以上何かをおっしゃるならあなたは私たちの味方ではないということでよろしいでしょうか」
「あら、わたくし最初から誰の味方のつもりもございません。わたくしはわたくしでしてよ。サロンのことならもう結構ですわ。今までお世話になりました。ありがとう」
アメリアはむすっとした表情のままその場を去った。他の者たちもぞろぞろとアメリアに着いて行った。残されたのはクラウディアとローズマリーとリリーだけだった。
「なんで私をかばうのよ! あれだけ忠告しておいたのに! 今度はあなたの番よ! あなたが次のターゲットになるのよ!」
リリーはお礼を言うどころか、クラウディアを激しく非難した。しかしそんな程度でひるむクラウディアではなかった。
「そんなのわたくしは蹴散らして見せますわ。クラウディア・ブルックハーストに楯突くなんて千年早いと思い知らせてやります」
「バッカじゃないの!? あなた彼女たちを見くびっているのよ! そんな生易しい相手じゃないのよ! 皇女でさえ例外じゃないんだから分かるでしょ?」
「そんなのやってみなければ分からないじゃないですか。リリー様も最初から駄目だと諦めないで反抗するべきだと思います。わたくしが見たところ、リリー様は勝負が決まる前に試合放棄しているところがあるように見受けられます」
「……分かったような口をきいて! あなたみたいな人が一番嫌いよ! 私の何が分かると言うの! ちゃんと忠告はしましたからね! もう何があっても知らない!」
リリーは捨て台詞を吐くと、よろよろと建物の中に入って行った。
「厄介ごとに首を突っ込んじゃいましたねー。本人が構うなって言ってるんだから放っとけばよかったじゃないですか。自分に降りかかった火の粉は自分で振り払うのがアッシャー帝国の価値観ですよ」
後ろに下がったまま一部始終を見ていたローズマリーがやっと口を開いた。
「だからってわざと嫌がらせする必要もないじゃない。全てに腹が立つわ! いじめる奴も、いじめられる奴も、周りで見てる奴も!」
クラウディアはまだ怒りが治まらなかった。そしてその日から学院での生活が一変した。まず全校生徒に無視された。挨拶をしても返ってこないのはもちろん、授業中でさえそこにいないものとして扱われた。クラウディアの留学が、外交上重要な位置を占めているのは分からないはずがないのに、皇女すら平気で嫌がらせする連中なら何でもやりかねないと思い直した。次に私物がなくなった。別に高価なものは持ってきてないのだが、教科書やノートが隠され、後にビリビリになった状態で見つかったのは流石に困った。すぐに教師に報告したが、「実力主義」が徹底しているようで、まずは自分で対処するようにとアドバイスされただけだった。
(教師に報告するのは自分で対処するうちに入らないってわけ? ここの実力主義って一体何なの? 正々堂々といじめをする口実?)
「クラウディア様のあおりを受けて私まで無視されるんですけど、どうしてくれるんですか?」
ローズマリーから苦情を言われたが「そんなの自分で何とかしなさい」と自分が言われた言葉を返してやった。第一ローズマリーは別に何とも思ってはいない。嫌なら自分で何とかできる人間だと、クラウディアも分かっていた。
(問題はあの皇女よ。最初から何をやっても駄目だと諦めるのは、過去の挫折体験があったからに違いない。それも自己責任に含めるのはいくら何でも厳しすぎよ)
何も仕返しをしてこないと思われたらしく、いじめはだんだんエスカレートした。ある日の昼食の時間、食事をしていたクラウディアは突然食べ物の中に石が入っていることに気付き、ガリっと噛んでしまった。いつの間に入れられたのか考える暇もなく、途端に気持ち悪くなり口に入っていた中身をそのまま皿の上に出してしまった。周りからクスクスという笑い声が聞こえ、これで何があったかを察した。そして食堂中に響くほどの大声を上げた。
「わたくしの食事に毒を入れた者は誰ですの!? 毒殺未遂事件として皇帝のみならずマール王国にも報告します。これがどういうことかお分かりよね? ローズマリー! 警察にも通報!」
これを聞いた生徒たちは真っ青になった。誰かが「ただの悪ふざけじゃない……すぐ出したのなら害はないはずよ。毒殺なんて大げさな」と言うと、クラウディアはその生徒をきっと睨みつけ怒鳴った。
「人の食事に異物を混入するのが悪ふざけで済むと思って? あなたたちはよくてもマール王国はどう思うかしらね? わたくしはマール王国代表として来ているのだから、代表を毒殺しようとしたらどんなことが起きるかしら? このプロジェクトを推し進めたロジャー皇太子の顔に泥を塗るわね。あなた方のつまらないプライドのせいで戦争が起きるかもしれませんわ。ああ面白い」
クラウディアは毒殺されかけた人物とは思えない高笑いをした。これではどちらが悪役か分からない。そして食事のトレイを持ったまま食堂を出ると、学院長室に向かった。動かしようのない証拠を見せつけるためだ。途中すれ違った人が異様な光景に驚いて振り返ったがそんなものは無視した。秘書に取り次ぐこともせず、学院長室のドアを足で蹴飛ばして開けると、汚れたトレイを前に突き出して叫んだ。
「学院長! 先ほどわたくし毒殺されかけました! 外交問題に発展するのは必至ですし、あなたも監督責任を問われると思いますので覚悟してくださいまし!」
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早退して早めに家路につき、入浴した後ソファに寝転んでリラックスしていたクラウディアの元へ、難しい顔をしたロジャーがやって来たのは夕方になってからだった。
「学院の生徒が本当にバカなことをした。いくら謝っても許せないのは分かってる。本当に申し訳ない」
いつになく神妙な様子のロジャーに、この人も謝ることがあるのかと意外に思った。
「今回の件は取り返しのつかないことではあるが、留学を打ち切りにしたくはないんだ。俺が直接学院にかけ合って再発防止を徹底させるからどうか帰らないで欲しい。これは俺のわがままだ」
ロジャーの目は真剣だった。この人にここまで言われて矛を収めない人はいないと思われた。クラウディアも許すしかなかった。
「犯人の処罰はもちろん、これまで黙認していた教員も含め徹底的に指導していただきたいわ」
「もちろんだ。あと、これは別件だが、父が君に会いたいと言っている。今回の事態を重く受け止めたようで、皇帝自ら君に陳謝したいとのことだ。おそらくシンシア妃の件が頭にあるのだろう。ずっと毒殺されたと信じてきたから、今回のこともショックだったんだと思う」
そう言えばまだ皇帝に会ってないことにクラウディアは気がついた。実力主義の頂点におわす皇帝とはいかなる人物なのか興味があった。
「分かりました。お会いします。わたくしも皇帝陛下に相談したいことがありますし」
「相談とは?」
ロジャーは驚いてクラウディアを見つめた。
「娘であるリリー様のことをどう思ってらっしゃるのか。リリー様が学院でいじめられていることをご存じなのかということですわ」
「何で妹の話になるんだ?」
「事の発端がリリー様だからです。リリー様がいじめられてるのを咎めたら私にターゲットが移ったのです。アッシャー帝国が皇族への敬意もない国だったなんて思いもしませんでした」
「いやそれは違う。国民から尊敬されないのは妹の責任だ。尊敬というものは、ただ皇族に生まれたから受けられるものではない。何をしたかで決まるのだ」
皇太子の身分ながら、決して甘やかされず常に試され、困難な課題を克服してきた者の考え方だ。彼がそう考えるのも分かる。でも世の中は強者だけでは成り立たないのだ。
「あなたはそうやって努力してたまたまうまく行ったんでしょうけど、そんな人ばかりではありません。それに、どんな理由があろうと嫌がらせして見せしめにして嗤う権利は誰にもありませんわ。こんな事態を放置したらいつか国が傾きます」
「自分の国以外の心配もしてくれるとはさすが未来の妻だ。やっぱり君に決めた」
ロジャーはクラウディアの凛々しい横顔を見ながら、まんざら冗談でもなさそうに言った。
「ちょっ! わたくしは本気です! 茶化さないでくれますか?」
クラウディアは顔を真っ赤にして反論した。
「じゃあ皇帝に相談する前に俺に妹と話をさせてくれ。兄として妹の心配をするのは当然のことだ」
「もちろんいいですけど……」
「その代わりと言っては何だが、君とデートしたいんだが受けてくれるか?」
「交換条件を出すなんて卑怯ですわ! そういう類のものじゃないでしょう!」
「じゃあ、それとは別件で君にアッシャー帝国を案内したい。まだ城の外に出てないだろう? いいかな?」
クラウディアは困ってしまった。断る理由を考えたが全然思いつかない。とうとう降参した。
「分かりました。お受けしますからリリー様のこと忘れないでくださいね」
ロジャーはここにやって来た時とは打って変わってニヤリと笑った。一部始終を見ていたアンとローズマリーは、いつの間にか主導権を握ってしまったロジャーの手腕に呆れ返るしかなかった。




