第28章 王子、頑張る
ローズマリーはぐるりと部屋を見渡し、ため息をつきながら言った。
「何にも変わってない。むせかえるような湿気も、風通しだけいいプライバシーの配慮ゼロの建物も。まあ、たった数年で変わるはずないけど」
「あなたが12歳までアッシャー帝国に住んでいたことは調べがついていましたわ。その時の経験を生かして欲しいの。ここでの人脈作りのために」
クラウディアは広々としたリビングにローズマリーを案内した。吹き抜けの天井から吊るされたファンが回っており、わずかに開かれた窓から鳥の鳴き声が聞こえる。
「学園に入る前に過去は消したはずなのにすっかり調べがついているんですね。国を挙げて調査すれば何の隠し立てもできないのは分かっていたけど。もっとも、アッシャーの血が半分入った王子が出てくるとは思いませんでした」
「王太子妃になる人物の身体検査をしないわけがないでしょう。それに別に隠し立てするほどのことでもなかったのよ。隣国なんだから交流を一切断つなんてできないのだから」
「王子に近づくためには邪魔になる経歴だと思ってました」
(今になってあっさり言うわね~)
クラウディアは内心イラっと来たが黙っていた。
「それで、私に何をして欲しいんですか?」
「一緒に女学院に通ってほしいの。そこではサロンがあってわたくしはリリー様を擁立して新しいグループを作りたい。それには兵が足りないからあなたに手伝ってもらうのよ」
「リリー様と言えば、影が薄くて国民の間でも余り人気のない皇女ですよ。実家の後ろ盾も弱いし、そんな方を立てて何か得があるんですか?」
「わたくしがそうしたいからそうするだけよ。実力主義だとか何とか言って皇女に一切の敬意を払わない国民もムカつくし」
「そんなことのために私を呼んだんですか!? アレックスの力になれればと思って協力したのに」
「あら、アレックス殿下の得点にもなりますわよ。でも、以前あなたアレックス殿下を信じてるとか言ってませんでした?」
ローズマリーはぐっと詰まったが、負けじと反論した。
「それとこれとは別です! 国王陛下だけでなく、アレックスからも頼まれたから来ただけです!」
「えっ? アレックス殿下が?」
意外な展開にクラウディアは持っていた紅茶のカップを落としそうになった。
「クラウディアが一人で困ってるから助けてやってくれと言ってましたよ。罪滅ぼしの気持ちもあるんじゃないですか」
「そう……そうなの……」
アレックスが何を考えているか分からない。前にもマクシミリアンのことで助けてもらったことがあったような気がする。クラウディアは落ち着かない気持ちになった。
「そういえば、マクシミリアン殿下も変わりましたよ。最近学園を休んで公務に出られることが増えています」
「え? 殿下が公務を!?」
クラウディアは更に驚いた。アレックスに遠慮して政治にはなるべく関わらないようにしていたマクシミリアンが公務をしている。一体何があったのか理解できなかった。
「その……アレックス殿下とはぶつかったりしないのかしら……」
「アレックスは黙認しています。口では何にも言わないけど助かってるところもあるんじゃないかしら」
ローズマリーはそんなことは興味ないけど、と付け加えたそうに答えた。しかし、クラウディアの頭の中はマクシミリアンで一杯になった。本人に会って話を聞きたい。どんな公務をしているのか、グランたちの補佐はあるのか、ご飯は食べているか、ちゃんと睡眠は取れているか、些細なことまで気になって仕方なかった。
「ああ、それと、クラウディア様がいなくなってから、マクシミリアン殿下すごくモテるようになりました。ファンクラブまでできたんですよ。魔除けがいなくなったからみんな遠慮なくアプローチできるようになって」
「誰が魔除けよ! あなたまるで別人ね。猫かぶりはやめたの?」
「だってここはクラウディア様以外わたしのこと知る人いないでしょう? きつい王太子妃教育からも一時解放されるし、ここでゆっくりさせてもらいますわ」
ローズマリーはぐーんと背筋を伸ばしてソファにもたれかかった。こんな本性だったのか。化けの皮の剥がれぶりに、クラウディアは驚くやら呆れるやらだった。
「まあ、今日の所は旅の疲れもあるだろうからゆっくり休みなさい。明日からこき使って差し上げますので覚悟なさい」
クラウディアの宣言通り、翌日から行動開始となった。まずはローズマリーと一緒にリリーを訪ねる。しかし、何度呼んでもリリーは出てこないばかりか、侍女長がやってきて「皇女様は誰とも会うおつもりがありません」と鉄壁のガードに阻まれた。
「箸にも棒にも掛からないじゃない。クラウディア様何か嫌われることでもしたんですか?」
「手負いの動物が異様に恐れるのと一緒よ。敵意がないのが分かれば寄って来るわよ」
学院で話しかけるともっと嫌われるので、それはさすがにやめておいた。代わりに聴講生という扱いで学院に入ったローズマリーは簡単にクラウディアの付添人という地位を得て、アメリアのサロンにも一緒に参加することになった。マール王国の威信を背負うクラウディアのためならば、ローズマリーの編入も簡単にできてしまうことに、クラウディア自ら利用したとはいえ、空恐ろしく思えた。
今度はマール王国の王太子の婚約者が来たというニュースに学校内は大騒ぎだった。当然アメリアのサロンでもその話題になった。
「最初はクラウディア様が婚約者でしたの? ってことは、つまり……」
「ええ。でも今は友人としていい関係を築いてますわ。ねえ、ローズマリー様」
「クラウディア様の寛大さには本当に頭が下がりますわ。前と変わらぬお付き合いをしてくださるなんて」
「誰にでもというわけではありませんわ。ローズマリー様の愛らしさは何にも代えがたいですもの」
ここはローズマリーもにこにこやり過ごさなくてはならなかった。クラウディアは内心ほくそ笑んでいた。そんな二人を、周りの者たちはハラハラしながら見守っていた。
「当の皇女が出てこないならこんなことしても無駄じゃありませんか? 本人がやる気ないのなら意味ないですよ。ここはそういう国ですから」
屋敷に帰って一息ついて、クッキーをつまみながらローズマリーが言った。
「そういえば、なぜあなたはマール王国にやって来たの?」
「アッシャーでは私よそ者ですから。実力主義なんて言ってるけど、結局見た目で判断されるんですよ。親族がいるのでアッシャー帝国に住んでいたけど、私の見た目はマール王国寄りでしょ。だったらマール王国の方が住みやすいと思ったんです。そうでもなけりゃ長らく音信不通だった父に呼び出されても無視してました」
ローズマリーはローズマリーで複雑な事情があるらしい。クラウディアはそれ以上詮索しないことにした。確かにリリー自らやる気になってもらわないと何も変わらない。このまま何もせずローズマリーにいてもらうわけにもいかないし、次の一手を打たなくてはならないとクラウディアは考えた。
**********
ちょうどその頃、マール王国は秋本番になり、作物の収穫期を迎えていた。
「おーい兄ちゃん! こっち来てみろ! 芋がこんなに取れたぞ!」
「ジョン爺さん、兄ちゃんじゃないから。この人王子様だから!」
ジョン爺さんは耳が遠いため、ドンは大声を上げなければならなかった。
「王子だか何だか知らないが、こんな格好してりゃその辺の兄ちゃんと変わりないべ。ほら、持ってけ」
「ありがとうございます。大きなお芋ですね!」
作業着姿のマクシミリアンが泥だらけになりながら畑仕事を手伝っていた。なぜこんなことになったのか。話は少し前に遡る。
公務を始めたマクシミリアンの評価は上々だった。最初にお伺いを立てた時、父は快諾してくれたし、アレックスに相談したら「勝手にしろ」と言われたので、できる範囲から少しずつ始めた。まずは王宮で行われる小さな催しに参加することから始めた。王族としてのマナーが要求されるが、今まで身を隠していた王子の登場というだけで人々の注目を集めた。ロジャーの訪問やクラウディアの留学でアッシャー帝国との友好ムードが高まっていたこともあり、マクシミリアンを色眼鏡で見る者も少なかった。マクシミリアンが表に出たら波風が立つのではないかという危機感は、現実には杞憂に終わったのだ。その上、何事も控えめで押し出しの少ないマクシミリアンは、上品で爽やかな王子と評判になった。
すると、今度は郊外へ足を運ぶ機会が出てきた。まだ不慣れなマクシミリアンに配慮して、友人のドンの領地の農園を視察することが決まった。もちろんドンもマクシミリアンに同行した。
「殿下、サンドラ叔母さんには気を付けてください。この視察を成功させたいなら、叔母さんに嫌われてはいけません」
ドンは重要なことを言い含めるように忠告した。
「ドンの叔母さんってそんなにすごい人なの?」
「クラウディアをパワーアップさせたみたいな感じです」
「それなら優しい人だね。問題ない」
「殿下何も分かってない!」
ドンの必死の忠告も空しく、まだ会ってもいないのにクラウディアに似ていると聞いただけで、サンドラ叔母さんの株はマクシミリアンの中で急上昇だった。
「マクシミリアン殿下、こんな辺境までようこそおいで下さいました」
ドンの父、ジャイルズ男爵がマクシミリアン一行を出迎えた。ドンと異なり小柄で頭髪が少し寂しそうな紳士だった。
「まだ未熟者で不慣れゆえ、迷惑をかけることもあるかもしれませんがよろしくお願いします」
この頃になると王子としての振る舞いが板についてきた。言葉使いは丁寧だが、堂々とした態度を見せた。これでも虚勢を張って偉く見えるようにしているのだが、周囲からは随分謙虚な王子だともっぱらの評判だった。
「父上、叔母さんは?」
「ああ、それなんだが、今日は都合悪いらしく明日来るらしい」
「視察があるってのに何やってんだよ……流石叔母さんだな。殿下、申し訳ありません」
「いいよ別に。僕の方が押し掛けてきたんだから」
その日はドンの家族に丁重にもてなされて、地元の野菜をふんだんに使った素朴だがおいしいごちそうを頂いた。マクシミリアンは家族で囲む食卓に飢えていたので、いたく感動した。たらふく食べた後はぐっすり眠った。その翌日。
「遅れてすまないねー。王子様はまだいるかい?」
早朝からサンドラ叔母さんの威勢のいい声が屋敷中に響いた。マクシミリアンが眠い目をこすりながら降りていくと大柄で真っ赤な口紅を付けた婦人が立っていた。
「あなたがサンドラ叔母さんですか?」
「そうですよ。マクシミリアン殿下ですか? ドンから話は聞いてるよ。うちの農園を視察したいってね。それならみんな朝から働いてるからもう行かないと。ドンはどうしたの?」
「叔母さん! いくら何でも早すぎだよ! 殿下起こしちゃったじゃん!」
寝間着姿のドンが慌てて階段を降りてきた。
「だって実際の現場を見たいと行ったのはそっちだよ。着替えたらさっさと行くよ。ドン、お前もだよ!」
人使いの荒いサンドラ叔母さんは、作業着に着替えた二人を乗せて馬車で農園を移動した。小麦畑からトウモロコシ畑、ニンジンや玉ねぎなどの野菜、そして果樹園、最後は養蜂場を見て回った。
「殿下どうですか? うちの農園を見た感想は?」
「こんなに多くの作物を一度に作るなんてすごい。工場みたいにかなり合理的に運営されているのが分かる。これだと個人でちまちまやるより、一度にたくさんの人を集めて広い土地を使ってやる方が効率いい。ただ問題は作物の輸送かな。せっかく作物が取れても遠くまで流通させることができなければ無駄になってしまう。生産と流通の流れをスムーズにすれば、農業が向かない地域にも作物を運べてその土地の領民が飢えずに済む」
たった1回の視察でここまで見ていたことに、ドンは内心舌を巻いた。
「あとは、この農園の運営がうまく行っているのはサンドラさんの手腕によるものだと思うけど、それだとサンドラさんがいなくなった後の技術の継承ができない。もっと言えば、サンドラさんがいなくても、いつでもどこでも誰でも真似できる技術に昇華させたい。そして全国にサンドラ方式を導入すればもっと効率よく農産物が採れると思うんだ。ただ、地域によって事情が違うからそこの調整が難しいけど……それをするためのお手伝いをして頂きたいのですが、どうですか?」
ドンは心の中で(殿下かっけー!)と喝さいを送ったが、サンドラ叔母さんはフンと鼻を鳴らした。
「私はここの農園を守るだけで精一杯なんだよ。世の中を良くするお手伝いまで手が回らないね。人間何事も分をわきまえるってのが大事だよ」
「そんな、殿下が叔母さんのことここまで褒めてくれてるんだから少しは協力してやってよ」
ドンが思わず助け舟を出すと、サンドラ叔母さんはとんでもない提案をした。
「それならここの一角のじゃがいもを収穫しなさい。ジョン爺さん一人だけじゃ大変だから手伝ってあげて。昼前に全部収穫出来たら考えてあげる。土いじりも碌にしたことないのに、いっちょ前のご高説垂れるんじゃないよ」
「ちょ、昼前じゃいくら何でも無理だよ、って殿下!? もう動いてる?」
マクシミリアンは広大なじゃがいも畑に勢いよく突っ込んでいった。そしてジョン爺さんにやり方を教わり早速ジャガイモを掘り出した。
「収穫なんて一番おいしいとこじゃん! やっぱりサンドラ叔母さんは優しいね! ドンも早く手伝って!」
マクシミリアンの楽観主義ぶりは呆れを通り越して尊敬できるレベルだ。王子に農作業をさせる叔母さんもどうかしているが、マクシミリアンも相当だ。みんなで頑張って何とかお昼までに終わらせることができた。大きなジャガイモの山を前にして、泥だらけの姿のまま彼らは、サンドラ叔母さんが用意してくれたサンドイッチを頬張った。パンを半分に切ってあり合わせの具を詰めただけのものだったが、労働を終えたマクシミリアンたちにとってはどんなご馳走よりもおいしかった。そして、マクシミリアンが王都に戻ってしばらくしてから、サンドラ叔母さんからマクシミリアンの依頼を受ける旨の知らせが舞い込んできた。マクシミリアンは、「やっぱりクラウディアにそっくりでいい人だな」と喜んだ。




