第27章 恩讐を超えて
「というわけなのよ。アン、どう思う?」
クラウディアは学院の話をアンに聞かせた。前からアンに外で起きた話をすることはあったが、今では価値観を共有できる唯一のマール王国人であるため、話相手になってもらうことが多くなった。
「アッシャー帝国は優秀な人材が豊富と言われてますが、そういう事情があったのですね。でも皇族ですら例外ではないというのはちと厳しいかと」
「厳しいってもんじゃないわよ。マクシミリアンはマール王国に残って良かったと思うわ」
いや、ああ見えてマクシミリアンはなかなか優秀なところがある。アッシャー帝国でも才覚を表していたかも、と考えたところでまた彼のことを考えてしまったわと、かぶりを振って残像を追い払った。
ロジャーはこのことを知っているのだろうか。皇帝を補佐する皇太子としてあちこち飛び回っているので家族のことまで把握していないかもしれない。しかし、弟のティムのことは気にかけているようだったし、同じ兄弟でも対応に温度差があるような気がした。
「リリーお姉ちゃん? 余り会う機会ないからよく分かんない」
ティムに聞いたら、そんな答えが返ってきた。すぐ近くに住んでいることもあって、クラウディアはティムの遊び相手になることが多かった。別館に招待して一緒に遊んでいる時に尋ねてみたのだ。
「でも侍女長はいじわるだから嫌い。ママのこといじめるんだ」
あの感じの悪い侍女長はクラウディアも覚えていた。オリガ妃のことを田舎者と罵っていた。リリーの場合周りにいる者が悪いのかもしれない。
クラウディアは簡単なお土産を持参してリリーを訪ねることにした。王宮内なら誰にも遠慮しないで済む。ただ会うだけなら侍女長だって駄目とは言えないだろう。
「リリー様、遊びに来ちゃいました」
フレンドリーな口調で照れ笑いをしながら、クラウディアはリリーのいる宮にやって来た。リリーは目を真ん丸にして驚いた。リリーが口を開こうとしたら、すかさず侍女長が飛んできた。
「私に取次ぎを頼まないで、皇女様に直接話しかけるなんて無礼もいいところです。マール王国の貴族は基本的なマナーもなってないのね」
「使用人のあなたにマナーを説かれる筋合いはないわ。わたくしはロジャー殿下の推薦を受け、リチャード国王の命令でこの国にやって来た立場ある者です。侯爵令嬢という肩書きもあります。それ相応の礼節を払わないと、あなたの首が飛びますわよ?今回は見逃してあげるから、分かったら下がりなさい」
こういう者にはどちらが上の立場か分からせてやるに限る。侍女長は悔しそうに歯ぎしりをしたが、黙って下がるしかなかった。リリーは驚いて二人のやり取りを見ていた。まさかクラウディアが侍女長に言い返すとは思ってなかったらしい。
「私と関わっちゃいけないって言ったのにどうして来たの?」
「学校の中でなければ別に構いませんでしょう? ここは王宮なのだから」
それでもリリーは戸惑っていた。どうすればいいか考えあぐねているようだった。
「事情は他の者から聞きましたわ。リリー様が学院で肩身の狭い思いをしていることも。皇帝陛下はこのことご存じですの?」
「父上が知ったところで何も変わらないわ。むしろ当然だと切って捨てられるだけ」
リリーは自嘲気味に言った。
「皇帝陛下はともかく……母君に相談されてみては?」
「母上は既にこの宮殿にいないわ。実家の別荘で悠々自適に暮らしているみたい。男児も生まれなかったし私みたいな出来損ないしかいないんじゃその方がいいんだろうけど」
「出来損ないなんてそんな……」
「学院に入る前からつまらない人間だと思われていたのよ。勉強やお稽古も特別できるわけじゃないし。これで分かったでしょう? 何においても平凡で、サロンを作るほどの機転も社交術もない皇女は何の価値もない。あなたも平穏無事に学生生活を送りたいなら私に構っちゃ駄目。アメリアのサロンはかなり力を持ってるから、その中で友人を作りなさい。そうすれば順風満帆の日々が送れるわ」
「……わたくし、他人のサロンに入るより自分のを作ってみたいわ」
クラウディアは思案顔でぼそっと呟いた。
「はあっ!?」
「だって他の誰かの取り巻きになるなんてつまらなくありません? どうせなら自分が中心になって仕切りたいわ。そうだ、皇女様もご一緒にやりません? 皇女様とマール王国の留学生を目玉にすればきっと一大勢力を築けますわ」
「あなた何言ってるの……どうせここには腰掛け程度にしかいないのになぜそこまでするの……」
「腰掛けだろうが何だろうが、全力で取り組むのがモットーですの。不慮の事故で明日亡くなるなんてこともなきにしあらずでしょ?それなら常に100%で取り組まないと」
「やるならあなた一人でやって。私は遠慮するわ」
リリーは引き気味に言った。
「何を仰るんです? リリー様がいらっしゃってこそのサロンですわ。よそ者のわたくしだけでは訴求力に欠けますもの」
「言ったでしょう。ここでは皇族の肩書きなんて何の役にも立たない。むしろ邪魔になるだけなのよ」
「肩書きのことを言ってるんじゃありません。リリー様には人を惹きつける素質があるってことです」
「私に? どんな素質が? 全てにおいて平凡なのよ。特別美人でも人格が優れてるわけでもないし」
「リリー様は『私と一緒にいるところを見られたら駄目だ』とおっしゃったでしょう。あれはわたくしのことを気遣って下さったんですよね。わたくしの立場が悪くならないように配慮して下さった。お優しい心がなければできないことです。人の上に立つ者にとって一番大事な素質だと思います。社交術なんてのは後から付いてきます。それにリリー様が足りないところはわたくしが補いますわ。自信を持てばできることがどんどん増えてきます。ですから一緒に始めてみません?」
余りの急展開にリリーは開いた口が塞がらなかった。
「そんなの……簡単にはいそうですかと言えるわけないでしょう。変なことを吹き込まないで。お土産はいいからどうぞ帰ってください」
リリーは慌てて話を打ち切って奥に引っ込んだ。これ以上長居して侍女長に小言を言われるのを恐れているようだった。今日のところはこれでいい、これから時間をかけてゆっくり手なずけようと、クラウディアは思った。
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「やるのはいいけど、役者が足りないのよねえ」
「また何か企んでいるんですか、クラウディア様」
別館に戻って来てからクラウディアはあれこれ考えていた。味方が欲しい。自分の陣営に引き入れることのできる味方が。1年という短い期間の中で一から探すのは至難の業だ。理想を言えば旧知の仲でアッシャー帝国の事情にも明るい者。クラウディアは適任者を一人知っていた。だが、助けを借りるのは癪に障った。
「背に腹は代えられない……か」
重い腰を上げたクラウディアは筆を取って国王への手紙を書いた。数日後返信が来た。それにはクラウディアの要求を呑む旨が書かれていた。それを読んだクラウディアは「そう……来るのね」と、自分の希望が叶ったにも関わらずため息をついた。
更に数日後、マール王国からある人物がやって来た。表向きはクラウディアの付添人だが、身分はある意味彼女より上である。
「わざわざ来てくださってありがとう。ローズマリー様」
「国王陛下からも頼まれて断れませんでした。私でお役に立つことがあれば」
アレックスの婚約者であるローズマリー・サンダーがそこには立っていた。




