第24章 新たな始まり
アッシャー帝国旅立ちの日まで慌ただしく時が流れた。クラウディアは学園を休み、留学のの準備にかかりきりとなった。その間にロジャーも学園を離れることとなり、盛大なお別れパーティーが催されたようだが、マクシミリアンは欠席したと風の便りで聞いた。その3日後、クラウディアがアッシャー帝国へ向かうこととなった。学園はこの後夏休みに入るが、クラウディアが向かうアッシャー帝国は既に長期休暇が終わった後なので、休みが削られてしまうことが不満だった。
(まさか……来ないわよね……あんな別れ方したんだから。って別に寂しくなんかないんだからねっ! わたくしまだ怒ってますのよ!)
アッシャー帝国までの道のりは、鉄道で国境近くの町まで行き、そこから車で越境することになっている。クラウディアは王宮の一角に滞在することになり、そこから帝国の上級学校に当たる女学院に通うことが決まっていた。
「まあそんな悲愴な顔をするな。長期休暇の時は戻って来なさい」
王都のなかでも最も大きいターミナル駅の一角で、父と兄が汽車に乗り込んだクラウディアを見送りに来ていた。
「誰が悲愴な顔ですって? いい加減なこと言わないでください! しばらくバカ王子の顔を見なくて済むのでせいせいしますわ!」
「クラウディア、強がらなくていいよ。バカ王子の近況は教えてやるからな」
「兄様まで悪ノリしないでください! アッシャー帝国で羽を伸ばしてくるので心配ご無用ですわ」
「無事羽を伸ばせればいいけどな」
「お父様、直前になってそんな不穏なことを言われても……」
「とにかくなるようにしかならない。賽は投げられた。行ってきなさい」
クラウディアが言い返そうとしたちょうどその時、汽笛の大きな音が鳴って、ゆっくり汽車が出発し始めた。父と兄の姿がだんだん小さくなる。直前まで憎まれ口を叩いていた家族でも、さすがに寂しく思えてきた。湿っぽい感傷を振り払おうとクラウディアは自分の席に直り、鞄から本を取り出した。
クラウディアはお世話係のアンという使用人を一緒に連れて来ていた。3年前からクラウディアに仕えており、アッシャー帝国にも着いてきて身の回りの世話をすることになっている。年は26、普通この年になれば結婚する女性が多かったが、未だに独身で仕事一筋の職業婦人だった。栗色の髪を後ろに結い上げ、装飾の少ない黒一色の服に身を包み、眼鏡をかけていた。
「アン、終点の国境の町まではどれくらい?」
「およそ1日と8時間でございます。大分余裕があるのでゆっくり休まれては」
アンの言葉に従ってクラウディアは本を閉じ、しばし目をつむった。ここのところ、準備に忙しくて家でもよく眠れなかった。やっと少しでも一息つける時間ができた。しかし間もなく——
「クラウディア! やっと二人きりになれたな! さあ俺たちの新しい生活の計画を立てようではないか?」
コンパートメントのドアがガラッと開いてロジャーが入ってきた。
「ロジャー皇太子!? あなたそんなキャラでしたの? それよりなぜここへ?」
「同じ列車に乗っていたからに決まってる。というか、この車両ごとうちで貸し切っている。だからこの中は移動し放題。知らなかった?」
「知らなかった……です」
「宮殿でクラウディアの方から告白してくるとは思いも寄らなかった。まさか両思いだったとはな。でもこれで話が早くなる」
「ちょっと待ってください。あれは売り言葉に買い言葉的なアレで……マクシミリアン殿下を抑えるにはああするしかなかったんです。お分かりでしょう?」
「分からん。マール王国の女は二言はないと聞いている。まさかあれが戯れから出たとしたら、アッシャー帝国の皇太子を愚弄するも同然なのだが」
にわかにロジャーの様子が不穏になったが、そんなことで騙されるクラウディアではなかった。
「脅されても騙されませんわよ!そんな大事なことわたくしの一存で決められることじゃありません。それなら殿下に求婚したい女性は言ったもの勝ちになるではありませんか」
「まあそれもそうだな」
ロジャーは当たり前とでもいうようにクラウディアの隣にどかっと座った。向かい側にいるアンは目を剥いたが何も言えなかった。
「でも俺に求婚したくなったらいつでも言ってくれていいんだぞ。願いは言葉にしなければ叶わないからな。それより、アッシャー帝国に着いたらの話だが」
ロジャーは手に持っていた宮殿の地図を広げた。
「ゆっくり宮殿の案内をしてやりたいんだが、忙しくてそれもできん。お前にはミズール宮に入ってもらう予定だ。少し離れた所には弟のティムもいる」
「弟? 弟さんいらっしゃったの?」
「ああ。本当はもっと別の場所にしたかったんだが、あいにく工事中の箇所があって空きがなくてな。俺の家族と近くなってしまうが我慢して欲しい。ティムはまだ6歳だから気を遣う必要はない。やんちゃ盛りだから、暇なときに遊び相手になってくれ」
やんちゃ盛りのロジャーの弟となると一筋縄ではいかないのでは……としか思えなかったが、クラウディアは「分かりました」と答えるしかなかった。
「あと別の宮に腹違いの妹も住んでいる。これはおいおい紹介する。あと皇帝だな」
アッシャー帝国の現皇帝は、マール王国王の亡き妻、シンシア妃の兄だった人だ。
「皇帝はとてもお忙しい。いつ会えるかも分からない。まあ、この交換留学の件は俺の担当だからすぐに会う必要はない。そのうち時間ができたら声をかける」
「皇帝はかなりの名君と聞いたけれど、あなたたち家族にとってはどんな方ですの?」
「どんな方……って言われてもな。考えたことなかったな。皇帝は皇帝だからな」
ロジャーは困ったように笑った。クラウディアには後にこの言葉の意味を深く考えることになったが、それはしばらく後の話である。
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その頃マール王国では、マクシミリアンがずっと臥せっていた。任命式で失態を犯した日から学園にも行かず、ずっと自室にこもりきりだった。いい加減これでは身体がおかしくなってしまうと周囲の者は心配したが、父の国王は「放っておけ」としか言わなかった。
グランとドンとサミュエルはマクシミリアンのいる宮殿の前にいた。会えるかどうか分からなかったが、このままというわけにもいかない。今までこういう仕事はクラウディアがしてくれたが、彼女がいない今、自分たちでやるしかない。気軽に友達の家に行くのとは訳が違うので、皆緊張していた。
取り次ぎを頼んでから待っている時間が永遠のように思えた。やがて「お部屋でお会いになると仰っています」と言われ、3人はマクシミリアンの部屋に入った。王子の居室にも関わらず装飾が少ないシンプルな部屋だった。植物学や農業に関する専門書が本棚にずらり並んでいるのが彼らしかった。
マクシミリアンはげっそり痩せ布団を被っていた。せっかく身体を鍛えたのにこれでは元の木阿弥になってしまう。グランたちは恐る恐るマクシミリアンに近づいた。
「僕はバカだ……」
彼らを目にしたマクシミリアンはぼそっと呟いた。
「何があったか俺たちは知らされてないんですが、教えてくれませんか?あれからお嬢様にも壮行会の時以来会ってないし、詳しい話を聞く時間もなかったし」
グランが恐る恐る切り出すと、マクシミリアンは布団を被ったまま答えた。
「父上に自分の力でどうにかしろと言われたから、王宮の任命式に乗り込んで直接説得したんだ。もう覆りようもないのに焦っていた僕はそれしか思いつかなかった。でもクラウディアは自分のことより事態を収拾することを優先した。婚約破棄の時と同じだ。あえなく僕はみっともない姿を晒して撃沈さ。ロジャーも見ていた。愚かな王子だと嗤っていただろうな」
グランたちは言葉もなかった。
「今の僕ではとても太刀打ちできない。クラウディアに釣り合う男になりたいけど今のままでは無理なんだ。どうすればいいかも分からない。ただ好きなだけでは彼女の隣に立てないのは分かっている。女の子から見てロジャーの方が魅力的なのも承知している。僕が女の子だったらやっぱりロ」
「殿下。公務を始めましょう」
グランはマクシミリアンの言葉を途中で遮った。
「殿下に足りないのは自信です。拳闘部に入って身体を鍛えても、長年鍛錬を重ねたロジャー殿下やアレックス殿下にはいつまでも勝てません。勝ち目のない勝負はやめましょう。それより公務を始めて直に国民の暮らしに触れ、王子としての存在感を高めるのです。国民からの支持を集められれば、それが殿下の自信にも繋がります。自信は自分の内から湧いて出てくるものと、他人から承認されて生じるものとがあります。殿下に今必要なのは、他人から認められ、敬意を集めることです。そうすればお父様の国王も殿下を認めて下さるのではないでしょうか」
「でもアレックスの仕事を奪ったら申し訳ない……僕が目立つことで国内で貴族の対立が起きてもまずい……」
「先日の実技披露会の件を見た感想ですが、アレックス殿下は一人で王太子の重圧を背負うことが相当ご負担なのではないかとお見受けしました。口では強がっていますが、実のところ疲弊しているのでは。殿下がお手伝いすると言えば表面上は分かりませんが、本音では安心すると思います。殿下は、自分は王太子になるつもりはないとあらかじめ明言しておけば、よからぬことを企む貴族も出てこないかと」
「……そうなんだろうか……よく分からない……でもやってみるしかない。他に何も思いつかないんだから」
マクシミリアンはそう言うとベッドから起き上がった。布団が外れて顔が露わになった。落ちくぼんだ眼が痛々しい。しかし、久しぶりに目に光が宿っていた。
「アレックスに話しかけるのは勇気が要るけど、こないだあんな激しい殴り合いをした後ならもう何だっていいや。とにかくやってみる」
マクシミリアンが学園に戻ったのはそれから2日後のことだった。クラウディアのいない学園生活が始まろうとしていた。




