第20章 人を好きになるということ
「おい、パーティーは何事もなく終わった……よな……?」
「俺が知る限りこれといった事件はなかった……」
「じゃあ、どうして二人とも様子がおかしいんだ?」
パーティーが終わり休日を挟んでまたいつもの日々が始まった。そわそわした余韻を残しながらも人々は日常に帰って行ったが、クラウディアとマクシミリアンの様子が前と変わってしまったことに、グランもドンも戸惑いを隠せなかった。クラウディアはずっと気が沈んだままだし、マクシミリアンは何かに急き立てられるように拳闘部の練習にのめり込んでいる。
「婚約破棄の時ですら無傷だったあのお嬢様が元気がないとか、何か悪いものを食ったとしか思えない。理由を聞いても教えてくれないし。殿下に至っては全く訳が分からない。舞踏会だってへマしなかったじゃないか。一体何が気に入らなかったんだ?」
「ヘマしなかっただけでは満足できないのかもな。ロジャー皇太子のあの皇帝オーラ見ただろう。あれに当てられて劣等感感じたのかも」
「キャラが全然違うのに真似できるわけないじゃん。殿下には殿下の良さがあるのに何考えてるんだ?」
グランとドンが大きなため息をついている頃、マクシミリアンは部室でシャドーボクシングをしていた。
身体を動かすことで雑念を振り払おうとしたがなかなか難しかった。パーティーの時のロジャーとクラウディアのダンスは優雅の一言に尽きた。やっとこなせた自分とは雲泥の差だった。二人が躍る姿をただ見るしかなかった彼の耳に「お似合いだね」「今度は皇帝の妻か? すごい出世だな」と囁き声が聞こえてきた。打ち消そうとすればするほど、これらが頭の中でリフレインされ彼を苦しめた。
「おい、舞踏会終わってからかなり入れ込んでトレーニングしているけど、どんな風の吹き回しだ? パーティーの前は休んでたから遅れを取り戻すつもりなのか?」
部長のロベルトがやってきて声をかけた。最初に比べたら腹筋も腕立て伏せもスクワットも長続きしている。なかなか筋肉が付きにくい体格だが風が吹けば飛ぶような体型からは脱することができた。
「それもありますけど、何かしなくちゃいけないようが気がして、でも何をすればいいか分からないからただ闇雲に動いてるだけです。強くなりたいけど、強くなるとはどういうことか分からない。でもじっとしてられないんです」
いつになく深刻な表情に、ロベルトもいつもと様子が違うことに気付いた。
「熱心なのは結構だが、闇雲にやっても効率が悪いぞ。俺がメニューを考えてやる。まだ人相手は早いから初歩のジムワークから始めよう。人を殴る練習よりも攻撃を避ける訓練の方がお前に向いてるかもしれない」
元々ロベルトはアレックスの陣営ということもあり、マクシミリアンに関わるのは極力控えるつもりでいた。しかし、なぜか見ているうちに放っておけなくなる。アレックスの知らないところでなら別にいいやと気持ちを切り替えることにした。
「えっ、いいんですか! ありがとうございます!」
「フットワークを軽くして持久力を上げるならウォーミングアップとしての縄跳びは外せないな……あと動体視力を強化して瞬発力を上げるにはパンチングマシーンがいい。この辺を中心にやってみるか……」
ロベルトが色々考えているところにマクシミリアンが質問を重ねた。
「一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ん? 何だ?」
「ロベルト先輩は、強さとはどういうことだと思われますか?」
「急にどうした。そんなの人によって違うんじゃないか。腕力だったり、戦場で勝つことだったり。お前の場合は……そうだな」
ロベルトはいつの間にか真剣に考えていた。
「お前はこの部活で一番弱い。誰と相手しても負けるのは分かっている。だが嫌気が差して途中で投げ出す性格とは思えない。お前より強くても今後ここをやめて出ていく者はいるだろうが、お前は弱くても最後まで残る気がする。それも強さの一つなんじゃないか」
マクシミリアンは黙って聞いていた。
「人の上に立つものにとって、忍耐力は特に必要な資質だと思う。アレックス殿下も王太子教育が厳しくて何度も逃げ出したくなるのを我慢したという。お前は王位は関係ないらしいがな。でもアレックス殿下のご苦労を見てると、兄弟で分担すればいいのにと思うこともある。すまん、今のは余計だった」
意外なことを聞いた。自分はアレックスの邪魔にならないことだけを考えてきた。しかし、本来アレックスが負わねばならない責務はマクシミリアンのものだ。アレックスはそのことについてどう思っているのだろう。自分ばかり楽をしてのほほんと生きている、そう思われているのだろうか。
部活を終えて迎えの車に乗ろうとすると、女子棟の昇降口から出てくるクラウディアの姿があった。そう言えば、最近彼女と余り話していない。お昼も食欲がないみたいだし、彼も別のことに頭がいっぱいで気にかけることができなかった。
「クラウディアも今帰りなんだ。遅いね」
「図書館で勉強をしてました。殿下は部活でしたか?頑張っておいでですね」
クラウディアは、もう拳闘部のことについてとやかく言うことはなかった。でも、やはり少し元気がない。
「そういや最近余り食欲ないみたいだけど何かあったの?」
「いえ……別に。何もありませんわ」
「まさかまたダイエット始めたとか?」
やっとクラウディアの笑顔が見られたがどこか活気がない。マクシミリアンは最近彼女のことを気づかってやれなかったことを今更ながら反省した。何とかしてやりたい。
「そうだ。今度の休日僕の家においでよ。ちょうど庭園が見ごろだから君にも見せたい。前来たことあるかもしれないけど……」
クラウディアの表情が変わった。クラウディアはマクシミリアンの宮殿に行ったことはなかった。アレックスの居住する宮殿とは離れた場所で暮らしているらしい。今、マクシミリアンがどんなところに住んでいるか確かに興味があった。
「いいんですの? ……その」
「もちろんいいよ! 僕の家なんだから。ぜひ来てほしい」
マクシミリアンは少し食い気味に言った。ここまで言われたら断る理由はない。つつしんでお受けしますとクラウディアは返答して彼と別れた。
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1週間ほど経った休日、クラウディアはマクシミリアンの宮殿にいた。確かに以前行ったことのあるアレックスの居城や国王がいる場所とは離れている。格で言えば第二王子や第三王子が住むような場所だった。
とはいえ、前に住んでいた邸宅と比べたら天と地の差の広さと豪華さだ。国王はマクシミリアンを蔑ろにしていたわけではなかったから、おそらく世間の目を欺く目的だったのだろう。今はその必要がなくなったため、王子にふさわしい扱いができるようになったというわけだ。
城の使用人に来訪を告げると、殿下をお呼びしますのでお待ちくださいと言われ、玄関ホールのソファへ案内された。ソファに座ったクラウディアはマクシミリアンを待つ間、パーティーが終わったあとの父とのやり取りを思い出していた。
「なんだ、皇太子から直接聞いたのか。話が早いな」
父の第一声はあっさりしたものだった。
「なぜわたくしのいないところで勝手に話を進めるのですか。一言相談があってもよかったのに」
それを聞いた父は意外そうな顔をした。
「王太子との婚約の時だって一言も文句を言わなかったお前が、留学ごときを気にするなんて珍しいね。せいぜい半年国を離れるだけじゃないか。何かあったのか」
父に指摘されてクラウディアは言葉に詰まった。
「それは……あの時と今とでは状況が違います。ついこないだまで険悪な関係だった外国に単身乗り込むには危険が伴います。何もわたくしでなくてもよろしいじゃありませんか」
「皇太子は、婚約破棄の時のエピソードを聞いてお前自身に興味を持ったようだよ。あと、シンシア妃の死の真相を知る数少ない一人としても。学園に来た目的の一つにも関係してるんじゃないかな」
「なっ……なんでそこまでわたくしに目を付けますの? 他にもっと適当な人がいるでしょうに」
「さあ、私は皇太子の考えることは分からない。でもお前なら皇太子の隣に立っても見劣りはしないと思うがね」
クラウディアは顔を真っ赤にした。言うに事欠いて、この父親は何を言い出すのか。
「ちょっと! 冗談でもやめてください! そんなの絶対無理です!」
「本当に? アレックス殿下よりも器の大きい男だと思うよ。それともあの植物学者の方がいいのかい?」
クラウディアはそれ以上何も言えなかった。顔を真っ赤にしたまま回れ右をして父の部屋を出た。それ以来、父とは顔を合わせていない。
マクシミリアンのあの様子だと彼は何も聞かされていないに違いない。国王陛下はなぜわたくしの留学を認めたのだろう。息子の気持ちを考えなかったのだろうか。父の部屋を出る前にそれを聞いておかなかったことを後悔した。
「ごめん、遅くなって! 待った?」
そんなことを考えているうちに、マクシミリアンが小走りでやって来た。
「いいえ、今来たばかりです」
クラウディアはにこっと笑顔を作って答えた。マクシミリアンは彼女を応接室に案内した。そこでお茶をした後、約束していた庭園へと連れて行った。
宮殿と言っても広いので、マクシミリアンに案内された庭園はクラウディアが訪れたことがない場所だった。園遊会が行われる大庭園と比べるとかなり小規模だが、季節ごとの花がバランスよく配置され、初夏の今は特に見ごろで色とりどりの花が咲き誇っていた。そして、一つ一つの花について丁寧な説明をしてくれた。前にこうしたのはたった数か月前のことなのに随分昔のような気がした。
「すごくきれいですわ。ここは初めて。宮殿って色んな種類の庭園がありますのね」
「ここにあるのは森にある植物とは違うけど、人の手で品種改良された花が植えてある。こういうのもいいなって最近思えてきたんだ」
そして、クラウディアの手を引いて、庭園の隣の敷地へと案内した。そこには小さい土地ではあったが、畑が作られていた。
「これは畑……ですの?」
「うん。僕のために作ってもらった。ここで簡単な作物作りを始めたんだ。自然に生えているものを採取することはあったけど、自分で作ってみるのは初めて。植物学とは微妙に分野が違うけど、せっかくだから国民の役に立つことをしてみたくなって。天候や災害に強い品種とか、土壌の改良とか、やることはたくさんあるだろう? まだ始めたばかりだけどね」
そう語るマクシミリアンの横顔はまぶしかった。そういや前にもこんな光景を見たことがある。あれは初めてマクシミリアンの家を訪問した日、植物について熱心に語る彼を見た時だった。その生き生きした横顔に惹かれて、気付けば学園に行きましょうと誘っていたのだ。あの時何に惹かれたのか。彼の中にある王の資質ではなかったのか。
「その……前からお聞きしたかったんですが、殿下はご自身が王太子にならなかったことについてどう思われますか? 運命のいたずらがなければ、殿下がアレックス殿下の立場になっていたわけですが、何か思うところはありますか?」
マクシミリアンはしばらく考えていた。そして慎重に言葉を選んで答えた。
「うーん……どうかなあ……少なくともアレックスを差し置いて自分が王太子になりたいとは思わない。アレックスの今までの苦労を全て否定してしまうことになるからね。でも一人で背負うのが辛いならば手伝ってあげたい気持ちはある。でも僕らはそこまで打ち解けた関係じゃないから、黙って見守るしかないのかな」
少し寂しそうに笑ったマクシミリアンを見て、クラウディアはすまない気持ちになった。
「あっ、そうだ! こんな暗い話をするために君を呼んだんじゃなかった! プレゼントがあるんだ! こっち来て!」
クラウディアは再び建物の中に誘われた。ちょっと待ってと言い残して、マクシミリアンは自室に何かを取りに行った。戻ってきたときにはガラス製の小さな小瓶を持っていた。中には薄紫色の液体が入っている。
「はい、これ。急ごしらえで大したものじゃないけど」
「きれいな色をしてますけど何ですの?」
「バラの香水。僕が作ったんだ」
「まあ、殿下が作ったんですの?」
「そう、さっきの庭園に咲いていたバラの花を使って」
手首にちょこんと垂らすと、爽やかな香りがふわっと鼻腔をくすぐった。
「素敵! 手作りの香水をプレゼントしてくれる王子様なんて初めてですわ」
クラウディアは久しぶりに心からの笑顔を見せた。その表情を見てマクシミリアンもほっとした。
「喜んでくれてよかった。最近クラウディアふさぎ込むことが多かったから何とか喜ばせたかったんだ」
それを聞いて心が弱くなっていたクラウディアは泣きそうになってしまった。何でこんなに優しいのだろう。この人は自分が不幸な境遇にあっても誰も恨まないし泣き言を言わない。その上他人に優しくできる。こんな強い人は滅多にいないのに誰も分かってくれない。ずっとこの人のそばにいたい。そして彼の素晴らしさをみんなに伝えたい。そこまで考えた時、急に目の前のベールが取れたような感じがした。はっとして彼を見つめる。いつものマクシミリアンだが今までと違って見えた。そうだ、私はこの人が好きなんだ。今までの好きとは違う「好き」なんだ。クラウディアはやっと自分の本当の気持ちに気が付いた。