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第2章 不肖の息子

 宮殿の豪奢な振り子時計は午後九時を回ろうとしていた。普通こんな時間に王に謁見を求める者などいない。ごく限られた者しか許されていないし、余程の緊急事態であることは明らかだった。


 チャールズ・ブルックハースト侯爵とその令嬢にして王太子アレックスの婚約者であるクラウディアが会いに来たと聞いたときは、国王リチャードは大層驚いた。確か今夜は卒業生を送る学園主催の夜会が開かれており、アレックスもクラウディアも列席しているはずだった。今、クラウディアはドレスから普段着に着替えたものの、ハーフアップに結った髪はそのままで、少し乱れているのもお構いなしのようだ。常に完璧な身なりと所作を崩さない彼女からは想像もつかず、それだけで何か想定外のことが起きたと簡単に察せられた。


 夜が遅いこともあり、謁見の間ではなくややこぢんまりとした応接室で会った。国王は40代半ばと言ったところか、アレックスと同じ金髪に青い瞳、若いころはさぞかし耳目を集めたであろう華やかな風貌をしていた。しかし、いつしか消えなくなった眉間の皴は思慮深さを伺わせると同時に、年齢以上に苦労を重ねてきた刻印のようにも見えた。


「そう……か。アレックスが。あの令嬢と」


 ブルックハースト侯爵とクラウディアから事の顛末を聞いた国王は、それだけ言うとふーっと深いため息をつき、眉間を押さえた。


「殿下のお気持ちをお引止めできず、他の令嬢に恋慕する事態を招いてしまったわたくしの責任です。その上、陛下との間に密約があったなどと事実無根の話を流布した罪は償いようがありません。いかなる処罰も受ける覚悟でおります。ただ、これは私の一存でしたことであり、ブルックハースト家とは何の関係もございません。どうかそれだけはご理解いただく——」


「いや、君のせいではない。公の場でアレックスが宣言してその場にいた者たちを証人にしてしまった以上、向こうの言いなりになって収拾をつけるしかない。君の判断は正しかった。処罰なんて考えていないよ。むしろ心配をかけてすまなかったね」


 クラウディアは下を向き両手をぎゅっと握った。まだほっとするには早いが、最大の難関を超えたような気がした。隣にいた父が国王に尋ねる。


「だがしかし、ローズマリー嬢が新しい婚約者となると、それに乗じて宮廷内でのし上がろうとする新しい勢力が生まれる恐れがあります……殿下のご希望に沿ったところで国内が混乱する事態になっては……」


「それは余り心配しなくていいと思う。サンダー男爵自身立身出世には興味のない人物だ。誰かが彼を担ぎ上げようとしたところで、神輿に乗る器もない。妃になるには身分がやや低いが、王太子と結婚できないほどではない」


 国王は紅茶をすすりながら呟くように言った。怪しい者かどうかチェックする目的で行った身辺調査がこのような形で役立つとは皮肉だ。クラウディアは改めて己の至らなさにため息をついた。


「本当に……私の不徳と致すところです。国王陛下にもお目をかけていただいたのに、皆様の期待を裏切る結果になってしまったことを心から恥じています。こんなことになる前に打つ手があったはずなのに」


「ブルックハースト嬢、そんなに自分を責めないで欲しい。先ほども言ったように、宮廷の勢力図は変わらないし、これしきのことでブルックハースト家に傷がつくこともない。一から王太子妃教育のやり直しになるが些細なことだ。それより貴殿は大丈夫なのか? 今回一番心労が大きかったのは君だろう」


 クラウディアはきょとんとした。


「ご心配いただきありがとうございます。でもわたくしなら平気ですわ。今回のことで国内に波紋が広がることに比べれば、わたくし個人のことなど」


「……そういうことか。だからか。なるほどな」


 国王は一瞬虚を突かれたように瞬き、やがて視線を下に向け意味ありげに呟いた。クラウディアには意図が理解できなかったが、国王は一人納得したようだった。


「こんなことが起きた以上、君もしばらくは噂の的になるだろう。口さがないことを言う者も出てくるかもしれない。アレックスと顔を合わせるのも苦痛だろうし。しばらくは学園を休み、田舎に身を隠してはどうか。そうだ、王家の領地の別荘を紹介しよう」


「身に余る光栄ですが、わたくしの失態に対してそのような恩恵を受けることはできません。うちの領地にしばらく滞在しようと——」


「クラウディア。せっかく陛下が配慮して下さっているのだ。ありがたくお受けなさい」


 ブルックハースト侯爵が口を挟んだ。王太子に婚約破棄された令嬢が王室の別荘に滞在するということは、王室はブルックハースト家を見捨てていないという意味だ。裏にある政治的背景をクラウディアも察して受けることにした。


 会談が終わり、ブルックハースト親子が退室した。国王はしばらくその場に固まったまま、何回目か分からない深いため息をついた。今夜は眠れそうもない。それは多分今飲んだ紅茶のせいではないはずだ。


「もう一人もちゃんと育てるべきだったのかな」


 国王は誰もいない応接室でぽつりと呟いた。


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