第17章 帝国の皇太子
アッシャー帝国のロジャー皇太子が学園に3ヶ月の短期留学という形でマール帝国に滞在する噂はあっという間に広がった。とんとん拍子に話は進み、10日もすれば実際に学園に姿を現すという話になった。もっとも、正確な日付けは分かっておらず、だんだん日にちが近づいてくると、今か今かと生徒の期待と不安は最高潮に達した。
「最近学園がざわついているな。アッシャー帝国との交流が再開するだけでも大ニュースなのに、学園が舞台となるんじゃ、みんな勉強どころじゃないだろう」
グランは食堂を見回しながら呟いた。登下校以外に、男子と女子が出会う場は昼休みしかないので、普段より食堂は混んでいた。食堂で昼食を摂らない者も、皇太子が現れるかもと期待して集まっているのだ。
「殿下は既に皇太子に会ったんでしょう? どんな人でした?」
「うーん……僕の上位互換、かな」
マクシミリアンは皿から顔を上げず、うつむいたままぼそっと答えた。実際、数日前にアレックスと一緒にロジャーに会ったが、余り皆に教えたくなる話ではなかった。
「何をおっしゃいますの。殿下は殿下ですわよ。ワンアンドオンリー、唯一無二、世界に一つだけの花ですわ」
「最後のは何なんだよ。ところで、殿下は皇太子の相手をせずに俺たちとここにいていいんですか?」
ドンがクラウディアに突っ込みを入れつつ、マクシミリアンに尋ねる。
「うん。アレックスが一人でやるからいいと言われた」
実際は、父には「二人で協力しろ」と言われたが、後でアレックスに「お前は何もするな」と言われたのだ。マクシミリアンを気遣ったというよりも、拒絶に近い言い方だった。
にわかに食堂の入り口が騒然とした。すごい人だかりができている。周りの生徒がヒソヒソと「来たぞ」「今日だったのか」と会話している。
「おっ、来たな。帝国の皇太子サマが」
「これじゃいい見世物ね。もう皇帝の補佐として働いているというのに、今更学園で何を学ぶのかしら。これから3ヶ月ずっとこんな感じですの?」
クラウディアは余り興味がないらしく、呆れたようにため息をついた。マクシミリアンに関係なければどうでもいいらしい。
やがて、クラウディアたちのいるところからも、人の群れの隙間から皇太子一行の姿が見えるようになった。どんな人込みでもロジャーがぱっと目立つのは、身長が頭一つ抜けているからだけではない。まだ若いというのに生まれながらにして皇帝として生きるべく運命づけられた風格のようなものが備わっていた。人を威圧するような堂々とした佇まい、よく引き締まった体躯、肩まで伸ばした髪は後ろで一つにまとめ、片耳には金のピアスをしている。端麗さと精悍さを兼ね備えた容貌は、女子生徒の目を引きつけた。アッシャー帝国人に特有の、漆黒の髪と瞳はマクシミリアンのそれと同じなのに、与える印象はまるで違う。肌も王国人よりは浅黒く野性味あふれ、王子様のイメージぴったりなアレックスと並ぶと二人は好対照だった。ただ、ロジャーの方が自信と威圧感を備えており、この場の空気を支配しているのは自分だと自覚しているようである。アレックスの説明に笑みを浮かべながら聞いていても、鋭い目力は隠していないし、アウェーの場所にいることをむしろ楽しんでいるようだった。
彼らは、貴族の中でも身分が高い者が多く集まる日当たりのいい窓際のエリアに向かった。まあ一番いい場所を案内するよねとのんびり眺めていたら、そこから引き返してこちらの方にやって来たから驚いてしまった。
「やあ、マックスはここにいたのか。姿を見ないからどうしたのかと思ってたよ」
まるで長年の友達かのような気さくな口調で、ロジャーがマクシミリアンに話しかけた。しかしマクシミリアンは平静を装いながらも、どこか硬い様子を崩さずに返事した。
「アレックスに任せることにしたんだ。僕の方から挨拶に行かなくてすまないね」
「いや、そんなのはどうでもいいよ。君の友達も紹介してくれないかな?」
マクシミリアンはクラウディアたちを紹介して、彼女たちも挨拶を返した。
「へえ! 君がアレックスの元婚約者で今はマックスの世話係をしているという、クラウディア嬢か!」
ロジャーはクラウディアと握手をしながらとびきりの笑顔になった。
「ええ。前半は合ってますが、後半は語弊がありますわ。わたくしが何もしなくてもマクシミリアン殿下はご立派な方です。むしろわたくしがお願いして話相手になって頂いてますの。とても気さくで優しい方です」
クラウディアは礼節を保ちながらも、言うべきところははっきり言った。
「そうなんだ。君が色々裏で動いたって聞いたけど……まあいいや。時間はたっぷりあるからまた後で話を聞かせてね。じゃまた」
そう言って、ロジャーはアレックスたちの方へ戻って行った。
「引っかかる言い方ですわね。お世話係なんて」
「しーっ! お嬢様、聞こえるよ!」
「でも本当のことだよ。僕はクラウディアには頼ってばかりいる。それを見透かされたんだろうな」
マクシミリアンは、王宮で謁見した時のことを思い出していた。ロジャーは、アレックスとマクシミリアンを比べてどちらが王位に相応しい人物か見極めようとしているのでは、という印象を持った。自分は王太子になる気はないと明言しているのに、ロジャーは、アレックスと同じ基準で彼を見ることをやめなかった。そんなの幼少期から王太子教育を受けてきたアレックスに勝てるはずがない。嫌でもコンプレックスを刺激されてしまった。それに、表向きはフレンドリーだが、父以外に許していない愛称を勝手に呼ばれるのも気に入らない。(クラウディアも呼んでくれないのに……)マクシミリアンはロジャーと接するうちに自分が値踏みされているような不安感を感じた。また、髪と目の色はともかく自分は父似だと思っていたが、ロジャーを前にすると思ったより顔立ちが似ていることに気が付いた。自分はマール王国人だと主張しても、何かと帝国と結び付けられる答え合わせができた気がしてモヤモヤした。
その日から学園は上へ下への大騒ぎになった。ロジャーは、何の前触れもなくひょっこり授業に顔を出すので、遭遇した者は一様にびっくりした。流石に女子のクラスには現れないため、ロジャーの美貌に射抜かれた多数の女子生徒は文句を言っていたが。ある日など、アッシャー帝国史の講義にも現れ、緊張で固まる教師をよそに、アッシャー帝国の歴史観の解説を行った。皆静かに傾聴しており、マクシミリアンが一言言っただけで教室がざわめいた時とはまるで違った。サミュエルも黙って聞いている。
(やってることは変わらないのにみんなの態度が全然違う……説得力が違うんだろうな。僕は頼りないから……)
今まで自分と他人を比べることがなかったのに、今回ばかりはどうしても劣等感が掻き立てられるのが不思議でならない。どこか自分と似ているあの顔を見ると心がざわめく。王太子教育を受けていたとしても自分はあのようになれただろうかと馬鹿馬鹿しいことを考えてしまうのだった。
お昼の鐘が鳴り、マクシミリアンはいそいそと食堂に向かった。クラウディアたちとゆっくりお喋りができる唯一の時間だ。なぜか今日は、いつにも増して彼らに会いたい気持ちが募っていた。
しかし、いつもの場所にクラウディアの姿はなかった。
「お嬢様なら夜に大事なお客を接待するからと、午前中で早退したよ」
グランの言葉にマクシミリアンはがっくり肩を落とした。心のモヤモヤを誰かに聞いて欲しかったのに。
「俺たちじゃ駄目ですかね、やはりクラウディアがいないと」
ドンが気を使ってくれたが、残念ながらその通りだった。
**********
その頃、クラウディアの家は、急な来賓の訪問に大慌てで準備をしていた。
「夜の招待なら何も早退しなくたっていいじゃありませんか。一体どれだけの重鎮が来ますの?」
クラウディアは使用人たちに具体的な指示を出しながら、兄のコリンに不満を言った。
「そりゃな。なんでもアッシャー帝国のロジャー皇太子だから万全の準備をしておけという意味なんじゃないか」
「えっ、ロジャー皇太子?! そんなの聞いてませんわ!」
「あ、クラウディアには直前まで内緒にしとけって言われてたんだった。まずかったな」
どういうことだろう? 学園でいくらでも顔を合わせることができるのに、わざわざ家を訪問するとは。父と会いたいだけなら娘のクラウディアまで巻き込まないで欲しいものだ。確かに貴族の子弟は、家の用事があると学園よりそちらを優先させる傾向がある。しかし、学園にはマクシミリアンがいるのだから、今のクラウディアはできることなら学園を休みたくなかった。
時計が午後6時の鐘を鳴らして間もなく、玄関のベルが鳴り父に伴われロジャーがやって来た。
「あれ、クラウディアは驚かないね。さてはコリンが喋ったな。既に学園で会っているようだが改めて。アッシャー帝国皇太子、ロジャー・シェパード殿下だ。殿下、ようこそ我が家へ」
クラウディアとコリンは、うやうやしく礼をして歓迎の言葉を述べた。
「今日はお忙しいところをお招きいただきありがとう。ブルックハースト家は代々重鎮の家臣を輩出していると聞いています。二国間の友好のためぜひ貴殿にも協力していただきたい」
ロジャーは学園にいる時よりも爽やかさや謙虚さを前面に出していた。年長者に接する態度というのを心得ているわね、父に対しては皇帝オーラを隠しているのね、とクラウディアは分析した。やがて、一同は食事のため部屋を移動した。ロジャーは、博識さを披露しつつもそれを鼻にかけることなく、相手を立てることも忘れない気配りを見せ、更に話し上手で何度も笑い声が起きた。頭の切れる若者という前評判はかなり当たっている。
(悔しいけどこやつできる……! 人の心をつかむのが上手なのね。人の上に立つ者は必要なスキルね)
「クラウディア嬢は学園でも屈指の才媛と聞いたが、会話の端々からもそれが伺えますね」
いきなりクラウディアに話の矛先が向いたので、慌てて身構えてしまった。
「いいえ、とんだじゃじゃ馬娘で親としては手をこまねいています。普通の令嬢のようにおしとやかにしてくれればいいものを」
父が謙遜の言葉を口にする。じゃじゃ馬娘をこき使っている張本人のくせに。
「そういえば、ずっと公の場に出てこなかったマクシミリアン殿下を外の世界へ導いたのもあなたというではありませんか。詳しい話を聞かせてくれないかな」
そう来たか! 心の中でクラウディアは叫んだ。
「わたくしは殆ど何もしていませんわ。殿下とお話した時、植物の知識が豊富でゆくゆくは大学で学びたいと仰っていたので、学園に行くことをお勧めしただけです。国王陛下を説得したり、そのための材料集めをしたのは全て殿下です」
「ふーん、でもマックスに聞いたら『クラウディアがいなかったら今の自分はいなかった』って言ってたよ」
ロジャーがニヤニヤしながらそう言うと、クラウディアは顔を赤くしながら反論した。
「それは殿下が買いかぶっておられるだけです。わたくしのことを褒めてくださるのは嬉しいですが、余りにも過大評価ですわ」
マクシミリアンのことだからそれくらいのことは平気で言いそうだが、自分のいないところで変に持ち上げられるのも困ったものだ。
「でもそのせいで、外交にまで大きな影響が出たことに気づいてる?」
ロジャーは相好を崩さないまま尋ねた。クラウディアは虚を突かれたようにはっとした。
「も……もちろん気づいてますわ。マクシミリアン殿下は微妙な立場だということも。しかし、シンシア妃の真実が明らかになった今、その意味はいささか薄れたと考えております。ロジャー殿下もすでにご存じなのでしょう? うちの家族は皆知っていることなので、ここで話しても大丈夫ですわ」
これにはロジャーの方が驚いたようだった。傍で聞いていた父とコリンも思わず姿勢を正した。
「驚いたな……あなたの方から切り出してくるとは。確かにシンシア妃の死の謎は、二国間の友好関係において大きな障壁だった。シンシア妃の兄、つまり私の父は、妹をとても可愛がっていたからね。すぐにシンシア妃の死の真相を突き止められなかったマール王国に不信感を抱いていた。大事な妹を嫁がせてまで関係改善を図ろうとしたのに、マール王国の不手際で駄目になったのだから怒りも相当なものだった」
「しかし、国王の憔悴もまた尋常でなかったと聞いておりますわ」
「悲しむ態度なら誰にでもできる。たとえそれが本物だとしても、外から見極めることはできないんだよ」
すげないロジャーの回答にクラウディアは思わずむっとなったが、何も言えなかった。
「10年以上もそんな緊張状態だったのが、一気に風向きが変わった。不幸な事件によって中断された関係改善のための動きを今こそ再開させようという機運が高まった。そのきっかけを作ったクラウディア嬢に直接会ってみたいと思ったのも、短期留学を決めた理由の一つと言ったら驚くかな?」
クラウディアは明らかにたじろいだが、なるべく動揺を隠して早口でまくし立てた。
「それならわたくしではなくてアレックス殿下に仰ってくださいな。婚約破棄がなければ、マクシミリアン殿下と出会う機会はなかったのですから。それに、正直なことを言えば、シンシア妃の死因を突き止めたのはマクシミリアン殿下です。もし、今回のことで二国間の関係が改善されれば、マクシミリアン殿下こそ称賛されてしかるべきですわ」
「ははっ。その通りだ。最初のきっかけを作ってくれたのはアレックス殿下だな。あなたご自身から婚約破棄の話題を出させてしまってすまなかった。でもあなたならすぐにもっといい男性をみつけますよ」
ロジャーはそう言うと、まっすぐクラウディアを見つめた。クラウディアは思わずたじろいだ。深い闇の黒にじっと見つめられて平気な女がいるだろうか。ロジャーがクラウディアに対してある種の興味を抱いているという可能性は考えないようにした。彼の目を見るとそのまま吸い込まれそうな気がして、クラウディアは慌てて目を逸らした。流石に見かねた父が、コホンと咳をして話の腰を折った。
「さて、食事も終わったことだし、部屋を変えましょう。こちらの名物のデルモナのワインを用意したのでどうぞ殿下もご一緒に。明日学園もあるけど、クラウディアももう少し大丈夫かな?」
「え、ええ。大丈夫ですわ」
クラウディアも気を取り直して答えた。そしてその後は何事もなかったかのように穏やかな雰囲気のまま、晩餐会は終了したのだった。
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