第12章 泥棒猫の正体
「そんな校則聞いたことがありませんわ! 殿下に対する嫌がらせに決まってます!」
放課後、マクシミリアンから話をきいたクラウディアは声を張り上げた。
「正確には300年前に双子の王子の家督争いが学園生活に影響を及ぼすほど激しくなって制定された校則らしいな。それ以後適用する機会がなくて忘れ去られたまま現在に至る。余りに使い道がなくて、撤廃するのを忘れたってとこだろう」
「そんな誰も覚えていない校則を今更持ち出すなんて、手が込んでますわね。これは生徒が平等に学びを得る権利に明らかに違反しています。学園では校則は生徒が中心になって作成し管理すると決められていますが、これは学園長に介入してもらうべき案件です」
「でも、リスト見たら僕がやりたい講義とそんなに被ってないから別にこのままでもいいよ。必修科目は普通のクラスで受けるから関係ないし」
クラウディアの心配をよそに、マクシミリアン本人はのんびり構えていた。余りの他人事感にたまらずクラウディアはため息をつく。
「選択科目だけの話としても相手の要求を飲んだらいけません! ここで退いたら更に要求がエスカレートします。彼らの嫌がらせには屈しないという態度が必要なのです」
明らかにアレックスの息のかかった者が糸を引いているのだろう。ただし、アレックス本人が具体的な指示をしたかまでは不明だ。アレックスはどちらかというとおおざっぱで、細かい策略を練るタイプではない。アレックスの歓心を得て重用されたいと願う誰かが策を講じ、生徒会長を動かしたのかもしれない。
(わたくしが婚約者だった頃は、筋の悪い者は近づかせないようにしていたのに、最近はどうなっているのかしら。ローズマリー様はそんな根回しができるとは思わないけど……)
「いずれにしても、ご学友は早めに探した方がいいかもね。その辺はグランに任せるわ。あと、部活動に入るのも悪くないからどこがいいか考えなくちゃ」
「ちょっと、人使いが荒すぎなんじゃないの? こういうのは俺よりお嬢様の方が得意だろ」
「わたくしは男子の交友関係までは把握していませんもの。それじゃグラン、お願いね」
「あ、それなんだけど、部活動ならもう考えているんだ。僕は今まで体を鍛えてこなかったから、人前に出るようになったら今のままじゃいけないと思って。拳闘部なんてどうだろう?」
拳闘部?! つまりボクシングのことである。そこに入った者の9割が軍に入隊すると言われる、学園の中で最も体育会系色が濃い部活である。ゆえに規律も軍隊のそれに準じており、とても厳しい。王子だからといってお目こぼしされる甘い世界ではない。クラウディアとグランは思わず顔を見合わせた。
「あそこだけは絶対にダメですー! 厳しいことでも有名ですが、部長はアレックス殿下の取り巻きの中でも中心的な存在のロベルト・ムスタングです。敵陣と言っても過言ではありません。殿下なんて素っ裸にされて丸焼きにされてしまいます!」
「さすがに素っ裸で丸焼きはないだろうけど、なんでよりによって拳闘部なんですか? 体育会系の中でも一番泥臭いところですよ。他にも貴族ぽい部活はあるのに」
「何となく拳で語り合いたい気持ちなんだ。明日辺り見学に行ってみるよ」
コブシデカタリアイタイキモチナンダ……マクシミリアンもとんでもないことを言い出したものだ。まだ初日なのに、次から次へと問題が降りかかる現実に、クラウディアは白目を剥きそうになった。問題が出てくるのは予想していたとはいえ、森の妖精のようだったマクシミリアンが拳闘部なんて言い出すのは完全に想定していなかった。線が細くてもそんなに気にすることないのに、殿下は何を考えているのかしら?
「とにかく拳闘部は考え直してください。あとグランは宿題をやってくるように。明日までが期限よ。今日は家の用事があるから、ではごきげんよう!」
「ちょ、勝手に宿題にするなよ!」
グランが慌てて呼んだが、クラウディアは既に迎えの車に乗り込んで去って行った。
「ったく、お嬢様も人のことなんだと思ってるんだよ。使用人じゃねーんだぞ」
「ねえ、前から疑問だったんだけど、どうしてグランはクラウディアのこと『お嬢様』って呼ぶの?」
マクシミリアンは、自分の迎えの車も既に控えていることに気づいてはいたが、ふとかねてからの疑問をぶつけてみたくなった。
「ああ? そのことか。余りかっこいい話じゃないけど、入学したばかりの時、カバンを隠されたことがあったんですよ。うち商売やってるじゃないですか。それでトラブルのあった取引先の息子が嫌がらせしてきて。俺も新入生で右も左も分からなくて困っていたら、そこにお嬢様がやってきて、カバンを一緒に探してくれてついでに犯人も見つけてくれたんです。調べる時にアレックス殿下のコネを利用したもんだから、いつの間にかアレックス殿下の手柄になってて、でもお嬢様は何も言いませんでした。むしろ婚約者の得点になってラッキーとしか考えてなかったと思います。そういう人なんですよ。でも俺の気が済まないから何かお礼がしたいと言ったら『それなら私を崇め奉りなさい』とか何とか言って来たので、からかい半分にお嬢様って呼んだら顔真っ赤になっちゃって。それが面白くてずっとそのままです」
話を聞くうちにマクシミリアンはしれーっとした顔になった。
「ふーん、そうなんだ……クラウディアと思い出がいっぱいあっていーなー。僕のことなんか未だにマックスって呼んでくれない……何でグランはよくて僕は駄目なんだ……」
「ちょっ!第一王子に愛称なんて呼べませんってば! 俺なんかかなりフランクな方だって自覚してますけど流石に愛称呼びは……こんなところですねないでください!」
慌ててグランがなだめようとするが、マクシミリアンはじとーっとした目を向けた。
「ねえ、クラウディアとは何にもないの? ずっと一緒にいるのに意識したこととかないの?」
「わっ! 急にストレートな質問……何一つありませんってば! 俺一応幼馴染の許嫁がいますから。それにもっとおっとりしてて優しいタイプが好みだし……ああいう腹黒タイプはちょっと」
「クラウディア優しくてかわいいじゃん! どこが腹黒いのさ!」
「うわ、完全に目が曇っている……いえただの独り言です。でもそんなに好きならもっとアピールすればいいじゃないですか。全然伝わってないですよ」
「今の僕では伝える資格がない……だからもっと色々変わらなくちゃならないんだ……」
「今度は急に重くなった……ねえ殿下、車待たせてますからそろそろ乗った方がいいですよ」
グランは必死で話題を変えてマクシミリアンを車に乗せた。マクシミリアンはなおもぶつぶつと独り言を言っていたがようやく車に乗った。「じゃ、俺も帰るんで!」とグランは手を振って、慌ててその場を離れたのだった。
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翌日、クラウディアは考え事がしたくて、少し早く学校に着いた。考え事とはマクシミリアンの部活問題だ。拳闘部なんて洒落にならない、別の提案をして殿下の気を逸らさなければ。気づくとマクシミリアンのことばかり考えている。これでは保護者と言われても文句言えないわねと一人苦笑した。しばらくして、クラウディアしかいない教室へ一人の少女がおずおずと辺りを見回しながら入ってきた。不慣れな態度と言いこのクラスの人物ではない。
「クラウディア様、突然で申し訳ありませんがちょっとよろしいでしょうか」
顔を上げると、意外な人物が立っていた。クラウディアから婚約者を奪った「泥棒猫」、ローズマリー・サンダーである。まさかローズマリーの方から話しかけて来るとは思わなかった。双方にとって愉快な相手ではないはずである。クラウディアは一瞬呆気に取られて反応できなかったが、すぐに気を取り直し「なんでしょう?」と平静を装って答えた。
「ここでは人に聞かれる恐れがあるので、中庭まで来ていただけますか」
早朝の学園の中庭は2人以外誰もいなかった。なぜローズマリーは今日クラウディアが早く来ていることを知っていたのだろう? もしかして2人になる機会を探していたのだろうか? などとクラウディアが考えていると、意を決したようにローズマリーが切り出した。
「お話とは、マクシミリアン殿下のことです。アレックスがすごく動揺しています。なぜ今になって表に出てきたのか。王太子の座を狙っているのではないか。あとこれは言いにくいことですが……あなたが裏で糸を引いているのではないかという話が出ています。しかもあの方は、アッシャー帝国の血を半分受け継いでいます。そのような方が王太子となっては国内に問題が起きかねないと——」
「聞いていれば、マクシミリアン殿下が王位を狙っているのが前提となっているみたいだけど、そのようなことは一切ございませんから安心なさって。アレックス殿下にも昨日申し上げたばかりですわ。何よりご本人が名言していらっしゃるのに、何を疑うことがあるのかしら? わたくしは、マクシミリアン殿下の将来の夢を応援しているだけです。別荘にいる時にお知り合いになって以来、友人としてお付き合いしているだけですわ。これで納得いただけたかしら?」
クラウディアは一気にそう言うとくいっと顎を上げて、ローズマリーを睨んだ。キャラメル色の髪をなびかせた少女は両手を前に組んで、灰色の目をめいいっぱい見開き真剣な表情をしている。いたいけながらも必死で婚約者を守ろうとする少女の図と言ったところね、とクラウディアは思った。どんな時もふてぶてしい態度を崩さないクラウディアと並べたらどちらに味方しようと思うか一目瞭然である。
「それを信じられる根拠は、証拠はありますか?」
「そんなに信じられないなら、国王陛下に直接伺ったらいかが? 義理の親子になるのだからそれくらい聞けるでしょう。陛下だって隠していないはずですわ」
「それができれば苦労はないんです。でもアレックスは実の子じゃないから陛下にどうしても遠慮してしまって……自分の胸の内を身内にも明かせなくて苦しんでいるんです。私、そんな彼を見るのが辛くて放っておけなくて」
「まるで自分が被害者みたいな言い方しないでくださる? こっちだって入学して早々、アレックス殿下と同じ講義を選択してはならぬと、生徒会長直々お達しが来ましたわ。何百年も前の校則を蒸し返すなんて、随分手の込んだことをしますのね」
「何のことですか? 少なくともアレックスはそんなことしてません。周囲の者が勝手に考えたというのならありえますけど」
「それを見張るのも婚約者の役目ではなくて? 少なくともわたくしの時は、殿下の取り巻きが勝手に行動するなんてあり得ませんでしたよ。それにさっきから気になるのですけど、婚約者の身で、公の場でアレックスと呼ぶのはマナー違反です。アレックス殿下とお呼びなさい。王太子妃教育は進んでいますの?」
ローズマリーはぐっと詰まったが、一呼吸して感情を抑えた。
「呼び名に関してはクラウディア様のおっしゃる通りです……以後気を付けます。ですが、その他のことに関しては、私はアレ……殿下の意思を尊重しています。例えそれがよい結果をもたらすとしても、私が殿下が決めたことに口出しすることはありません。彼を信じてますから。自分が母親であるかのように、殿下を子ども扱いしたくないのです」
まるで自分のことを言われたかのように、クラウディアははっとした。自分はよかれと思ってマクシミリアンの世話を焼いて、向かう先に障害があれば先回りして取り除こうとしているが、それは彼にとって本当にいいことなのか。彼を信じていないだけなのではないか。そして、かつてアレックスにもそうしていたことを思い出した。もちろん彼のためを思ってしたことだったが、疎ましく思われていたのかもしれない……じっと考え込んだクラウディアを見て、ローズマリーは話を続けた。
「ついでに、前のことも話しておきますが、私確かにアレックス殿下に振り向いてもらいたくて努力しました。だって本当に好きだったから。既に婚約者のいる方だったから絶望しかけたけど、自分の方に振り向いてもらえるように、どうしたら気に入ってもらえるか研究しました。殿下はとても寂しがりやで、弱音を吐いたり相談できる人がいなかったから、必死に聞き役に徹していたらだんだん心が通じ合ったのです。私がクラウディア様をおとしめるために、あなたの嫌な噂を広めたと思ってらっしゃるかもしれませんが、そんなことはしていません。わたくしと殿下があなたを傷つけたことは謝ります。でも卑怯な手は使っていません、と言っても信じてもらえないでしょうが」
クラウディアは一瞬何と言ってよいか分からなくなったが、精いっぱい強がって言い返した。
「そんなちっぽけなこと今まで忘れていましたわ。あなた本当にアレックス殿下のことを思ってらっしゃるなら、今こそ殿下に寄り添ってあげなさい。ここで油を売ってる場合ではなくてよ。マクシミリアン殿下は、初めての学園生活を楽しみたいだけですから伸び伸びさせてください。それを邪魔する理由は誰にもないはずです。兄弟が仲良くできないのなら、せめて相互不干渉でいきましょうよ。誰も無益な争いなど望んでないのだから。これ以上何もないなら失礼させていただくわ」
ローズマリーも普段の弱々しいイメージをかなぐり捨て、意志の強い視線をクラウディアに向けた。初めて見る表情だ。
「分かりました。私負けませんから」
そう言い残すと、踵を返して中庭から去って行った。クラウディアは、彼女の後ろ姿を見送りながら、今まで接していた人は本当にローズマリーだったのかと疑問に思うのだった。




