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小説 羅生門 芥川龍之介 ネタバレあり

題名 羅生門

作者 芥川龍之介

執筆時期 大正四年(西暦一九一五年)五月

文字数 ざっくり六千字


まあ、有名な話だから知ってる人も多いだろうね。俺に解説的なことは期待しないでね。学校の勉強に役に立つようなもんじゃないよ。読んで感じた疑問とか、小説書く参考にできそうなところを考えていくだけだから。


ほんじゃ、行くよ。


一言まとめ。

羅生門とは、ある人物が生きるために他者から奪うことを自分に許すようになるまでの変化の様子を三人称で描き、結果として読者に、悪ってなんだろう? 生きるってどういうことなんだろう? と考えさせる力を持った小説。


いつ、どこで、誰が、どのように、何を、どうした。という形でまとめてみる。


いつ?

自然災害や農作物の不作などが続いた時期に


どこで?

人々が関心を持たなくなり損傷が放置されている街を囲う塀に設置された正門で


だれが?

仕事を失ったばかりの男が


どのように?

力づくで


なにを?

老婆の衣服を


どうした?

奪った。



三幕構成


設定

職を失った男が雨が降りしきる中、あまり人がよりつかない寂しく恐ろしげな囲いにおおわれた街の正門で途方に暮れている。


葛藤

盗人にならなきゃいけないのはわかっているが踏ん切りがつかない。そんなさなかに死体から髪を抜き続ける老婆を目撃をし、盗人になるか迷っていたことをすっかり忘れ、老婆の行為を許せない悪だと判断し声をかける。逃げ出す老婆をたやすく押さえつけ、老婆の生殺与奪を握ったという意識が老婆への憎しみの気持ちを冷めさせる。落ち着いて老婆の言い分を聞いているうちに男の中で餓死をするか盗人になるかの迷いが消えた。


決着

男は餓死しないために老婆から衣服を奪い夜の闇へ消えていった。


まとめちゃうと、男が老婆から力づくで服を奪った、ってだけの話なんだね。これ。映画にもなっていたことは知ってるんだけどよくこれで映画作れたな。調べたら一時間二十八分あるんだって。文字数もざっくり数えただけだけど六千文字くらいの短い話だしね。


でも、一九一五年から百年以上も読み継がれるってことは人間ってもののかなり根っこの方にあることがかかれているんだと感じたよ。


どんなことかっていうと、人が生きることと悪の関係について考えてみよう、ということをすごく簡潔に伝えてくれるって感じがした。


で、それを伝えられた読者はいろいろ考えさせられちゃうよね。


んで、もちろん、答えはひとぞれぞれだと思うし、芥川も答えを押しつけていない気がする。


で、答えを押しつけてこないからこそ、多くの人に読まれるし、何度でも読めるんだろうなって思った。


じゃあ、内容に対する感想はここら辺にして、芥川がそのことを俺たちに伝えようとしたときにどんなことをしたのか?っていうのを考えてみる。俺が思う、人に物事を伝えるためにわかりやすくするであろういくつかのことに分けてみるよ。


対比


1,男と老婆


男はニキビがあるという描写から比較的若い印象

老婆は背の低い痩せた白髪頭の猿のようなと形容されている。


男は仕事を失ったばかりだが、逆に言うと昨日まで仕事があった。

老婆は死体から髪を抜いて鬘にして売るという


男は盗人にならざるをえないと理解しながらも実行する気になれずにいた

老婆は死体から髪を抜き鬘にして売ることも、偽物の商品を売ることも悪いことではないと言う、なぜなら飢え死にしないためならば許されるからという主張。


持ち物を比べてみると、男は太刀、老婆はたいまつ代わりの松の木のかけら。


そりゃ男は力づくで老婆の服を奪えるよなと納得の組み合わせ


2,五感を刺激する描写


丹色 門や梯子

紺色 男の服

緑 門に留まっていたキリギリス

黒 鴉 髪の毛

赤 にきび 夕焼け

白 白髪 鶏 鴉の糞

檜皮色 老婆の服 調べたところ檜皮色は赤茶けた色に近いらしいよ


雨の音

鴉の鳴き声

守宮が移動する静かさ


臭い

死骸の臭気とはあるが、その臭いを説明する描写はなく、男が思わず鼻をおおったんだけど強い感情が生まれて臭いが気にならなくなったという説明だった。


死体の臭いをたとえを交えて説明する必要を芥川は感じなかったってことだよね。割と視覚に訴える者は文字数多くて、~のようだ、みたいな書き方で説明してるんだよね。


昔の家庭用ビデオゲームで画面は真っ暗で音だけでゲームを進めていくっていうのがあったらしいんだけどさ。


論文とかと違って、ゲームや小説って読者にイメージの中で体験をさせる媒体でもあるから、主に刺激する五感の選択って重要だと思うんだよね。で、まあ、頭にイメージさせたいのは映像だろうから、映像ってことは視覚を刺激する描写が多くなりがちだと思う。


あと、臭いの描写って嫌悪感とか抱かせて読み進めてもらえなくなっちゃうかも知れないという配慮もあったのかもね。自分が小説を書くときはそのへんのバランスも考えてみようと思ったよ。


3,気になった描写。

男には面皰があるんだけどそれが繰り返し出てくるんだよね。


男は老婆の話を聞いているときに頬のニキビを手で触っているんだけど、そのことについて、勿論、そうしているというようなことが書かれているのね。


引用

~この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰にきびを気にしながら~


なんで、面皰をいじるのが勿論なんだろう? って思ったよ。老婆の話よりも面皰の存在が気になるよなあ? 兄弟。ってそういうことではない気がするしね。


もうひとつ、老婆に声をかけるときと老婆の話を聞いているときに、男の太刀をどうしているかが書かれているところが気になった。


引用

老婆に声をかける前

~聖柄の太刀に手をかけながら~


老婆の話を聞いているとき

太刀を鞘におさめて、その太刀の柄を左の手でおさえながら~


ちなみに聖柄っていうのは、髪のない僧侶の頭に形が似ているからそう名付けられた柄の部分の名前のことらしい。ただ、ここでわざわざ聖柄って言ってるのは聖なる者が悪を斬るみたいなイメージを読者に持たせたかったような気がするんだけどどうなんだろう? 


老婆の話を聞いてるときは聖柄じゃなくて、ただの柄と書かれているし。


羅生門って大正時代に書かれているから、刀の柄の形とか呼び方に慣れ親しんだ人なんてそういなかったように思うんだけどな。俺は調べなかったら聖柄の意味なんてわかんなかったよ。


まあ、芥川の真意なんて俺にはわかんないけど自分が作品を書くときにはこういうの使えるかもね。


たとえばこんな感じ。


勇者は聖剣を鞘から抜き魔王に斬りかかった。戦いの末、魔王を打ち倒すと、勇者は背中の鞘に剣を納めた。魔王討伐の旅を始めた頃から比べると、その剣はずいぶんと軽くなったように感じる。そして、魔王を倒した唯一の存在となった現在、聖なる加護も失われたことを知った。魔王の最期の言葉が思い出される。「魔王になれるのは魔王を倒した者だけなのだ。貴様も我と同じ道を歩むだろう」

それも孤独と引き替えに得た自由、そう思い期待に胸を膨らませていた。

「だって、どうせ、あとの人生ヒーラーのロリ娘とファイターのケモ耳娘と魔法近いのツンデレ娘とハーレムしながらスローライフするだけだしっ!」


タイトル

「最強勇者として魔王を倒したんであとはセミリタイアしてダンジョン経営しながらハーレムちっくなスローライフで好き勝手やらせてもらいます。こんな俺を魔王と呼びたければ・・・・・・どうぞ?」


とか、なんとか。


羅生門の内容は深くて全容は解明できないんだけど今回はこの辺でよしとしとくよ。


それじゃ、バイバイ。




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