嘘つきの末路は
いつもの伊都の部屋。伊都とフーカは特にやることもなく、ゴロゴロとしていた。
「あー、課題のやる気が出ねぇ」
「そうやって言ってると、夏休みなんてあっという間に終わるわよ」
「分かってるけどさー、やる気出ねぇんだよなぁ。暑いしさ」
伊都は、ゴロンと寝返りを打つ。
「……何か気分転換して、クールダウンしたら?」
「あ、そう言えば冷凍庫にアイスがあったわ。フーカ、取ってきてくれ」
「自分で行きなさいよ」
「頼む。今度どっか連れてってやるから」
「……はぁ、仕方ないわね」
フーカは、ゆっくりとベッドから降りて、部屋を出ようとドアを開けた。
だが、部屋の外は真っ暗だった。慌てて目を擦ってみるが、何も変わらない。
フーカは後ろを振り返り、伊都に異変を知らせようとした。だが、先程まで部屋だったはずのそこには、何も無かった。
「え?……伊都?」
フーカは、完全なる闇の中にいた。誰もいない。誰かいる気配すらない。ここはどこだろう。異世界にでも来てしまったのだろうか。
彼女はひとりぼっちであった。そう考えると、途端に不安に襲われた。この状況をどうにかしようと、光を求め、彼女は歩き回る。すると、目の前に光を纏った人物が現れた。
誰であろうか。よく見れば、姿かたちに見覚えがある。いや、そっくりだ。昨日、鏡で見た、彼女自身にそっくりなのだ。
「えっ、私……?」
なんと、彼女の前に現れたのは、彼女自身であった。光に包まれた彼女は、フーカの顔を見つめ、ゆっくりと笑みを浮かべた。
「嘘つき」
そして、低い声でそう言った。
「……え?」
「嘘つきは、最後はひとりぼっちになる。だから」
彼女は、フーカに顔を近づけ、耳元で囁いた。
「あなたは、ずっと、ひとりぼっち」
その瞬間、フーカの立っていた地面は穴となり、彼女の体は真っ逆さまに落ちていく。
「きゃあああっ!」
穴はどこまでもどこまでも続いており、いつまで経っても地面にはつかない。
この先に待っているのは、きっと孤独の地獄だ。戻りたくない過去、思い出したくないあの時。抜け出したはずの、あの孤独の日々。
「いやだ、いやだ!」
彼女は、空中で必死にもがいた。だが、そんなものは効くはずもなく、虚しくも体は落ちていく。
「いやだ、こんなの!」
フーカは叫んだ。
「もう、一人はいやだ!!」
「っ!!」
フーカは、突然目を覚ました。彼女の目に一番最初に飛び込んできたのは、見慣れた部屋の天井だった。
「夢か……」
随分と、気味の悪い夢であった。夢の中で、もう一人の自分にいわれた言葉が、今も彼女の耳に残っている。
『嘘つき』
「嘘……」
人は誰しも、他人に対して嘘の一つや二つはついているものだ。もちろん、フーカは現在進行形で伊都についている。自分は家出少女だという嘘を。
本当のことを言う勇気はない。だから嘘をついた。しかし、嘘は嘘だ。いつバレてもおかしくない。分かっている。分かっているのだが……。
「…………」
ふと壁にかけてある時計を見ると、もう九時を回っていた。彼女にしては、遅い目覚めである。
こんな時間なのに、カーテンはまだ閉まっている。きっと、伊都もまだ寝ているのだろう。
仕方がない。伊都を起こそう。フーカは伊都の布団をめくった。
「イト、もう九時よ。起き……」
フーカは固まった。
「いない……」
布団の中に伊都はいなかった。
「え、どういうこと?」
フーカは焦って、部屋中を探し回った。しかしどこにも伊都はいない。
「イト? どこなの、イト!」
その時、彼女は思った。
そうか。自分より早く起きて、リビングで朝食をとっているのか、と。ならば話は早い。階段を降りてリビングに行けば、彼はいるのだ。
フーカは、部屋のドアに手をかけた。しかし、彼女は開けるのを躊躇した。夢ではこのドアを開けたら、真っ暗だった。そこから、世界がおかしくなっていったのだ。
ここは現実。そんなことはあるはずがない。分かってはいても、なかなか彼女はドアを開けられずにいた。
もし開けたら、すべてが終わってしまうのではないだろうか。この平凡な日常も、伊都という存在も、全部失ってしまうのではないか。そう思うと怖くて、開けられなかったのだ。
『あなたは、ずっと、ひとりぼっち』
あの声が蘇る。一人とは、こんなにも不安になるものだったのだ。過去を思い出し、フーカは震える。
「誰か、助けて……!」
そして、祈るように彼の名前を呼び続けた。
「イト! 助けて!」
部屋のドアが開いた。そこにたっていたのは、伊都だった。
「ただいまー。おー、起きてたのか」
お気楽な声で、彼は言う。フーカは、咄嗟に伊都に抱きついた。
「おわっ! え、ちょ、どうしたんだよ」
「バカ!! どこ行ってたのよ、心配したじゃない!」
「いや、どこって、ちょっと出かけて……ちょ、痛いって」
しかし、フーカは抱きついたその手を緩めない。もし緩めたら、消えてなくなりそうな気がしたからだ。
「……もう会えないかと思った」
「なんでだよ」
「分からない」
「もっとなんでだよ。あと、痛いんだけど……」
「このままがいいの」
「えー」
「お願い、もう少しだけ」
伊都の温もりを感じたい。
伊都の存在を実感したい。
フーカは、こうしている事で、その思いが満たされていく気がした。
私はひとりじゃない。
彼女は確かにそう思った。
しばらくして、フーカはようやく伊都から離れた。
「暑っつ」
「離れて第一声がそれかよ」
「だって、暑いんだもの」
「お前から抱きつきに来たんだろ……」
すっかり、いつものフーカに戻っていた。
「で、どこへ行ってたの?」
「ああ、ちょっと買い物に」
「買い物?」
「まあ、その……渡した方が早いな」
そう言うと、伊都は、持っていた袋をフーカに渡した。袋の中には、洋服が入っている。よく分からないまま、中を取り出して見てみると、青い格子柄のワンピースが出てきた。
「それ、やるよ」
「……え、私に?」
「おう」
「……なんで?」
「お前、あの古いパーカーの下に、いつも俺のお下がり着てるだろ」
「ええ、そうね」
「でも、母さんが、やっぱり女子用の服もあった方がいいって」
「……なるほどね。それで、お母さんに言われて、私に内緒で買ってきたと」
「そういうことだ」
何とも伊都らしい理由であった。それでも、フーカは嬉しかった。自分の為に、彼がこれを選んで、わざわざ買ってきてくれたということが。
「ありがとう。大切にするわ」
「おう」
フーカは、丁寧にワンピースを畳むと、ようやくカーテンを開けた。夏の日差しが、窓から差し込み、眩しさに思わず目を細める。
空は、青く青く澄み渡っていた。これは、夢ではない。確かに現実だ。
なぜそう思えたのかは分からない。だが、今いるこの世界は、本物だ。