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青の名前  作者: あお
4/20

正解と間違い

「ここか……」

 午後十時。鬱蒼とした森の中に建つ一軒家の前に、舞子は来ていた。彼女はここで、昨日行えなかった計画を実行しようとしていた。

 緊張で、手足が震える。怖い、帰りたい、やめたい。何度もそう思ったが、これはいつかやらなければいけないことだ。なら、今しかない。今更引き返すわけにはいかなかった。

 意を決して、インターフォンを押す。中から、白衣に身を包んだ一人の男が出てくる。背はひょろりと高く、舞子の身長の二十センチは上だろう。初めて出会う人物であったが、舞子は彼の名前を知っていた。

「深瀬 唯斗さんですか?」

 初見の人物に自分の名前を言い当てられ、男は怪訝そうな顔をする。

「そうだが……お前は誰だ?」

「私、田沢 舞子といいます。研究のことで、ちょっとお聞きしたいことが」

「……研究者か。中に入れ」

「ありがとうございます」

 舞子は言われるがままに、中に入る。そう、舞子の本業は研究者だ。非常勤講師であるので、法律的には大丈夫なのだが、学校の方には研究者であることは伏せてある。知られると色々と面倒なことになりそうだからだ。

 ちなみに、彼女は「不老者研究」グループに属し、「不老」と呼ばれる現象の研究をしている。「不老」とは、十数年前に突然、この国の極わずかな人間に起こった不可解な現象のことである。その名の通り、ある日いきなり成長しなくなってしまうのだ。起こった年齢は人によって違うのだが、大体が十五歳前後。不老となった人間は不老者と呼ばれるようになり、差別の対象となった。そのせいで彼らは普通の生活をすることすらままならなくなった。

 このままではいけない、何とか不老の謎をとき、彼らの体を元に戻さなくては。と数々の研究者たちが立ち上がり、この問題に立ち向かってきた。

「あの……立花 久美子のことなんですけど」

 立花 久美子とは、今現在生き残っている、最後の不老者である。

 実は、一昔前に不老者の数はぐんと減り、それと同時に差別も消えた。それを成し遂げたのが「キノシタ」という宿木町の研究者と、彼を中心とするグループだった為、宿木町において、研究者という職業は地位が高いのだ。

 だが、キノシタがやっていたのは決して褒められたことではなかった。

 遡ること三年前、キノシタは宿木町に施設を建設し、ひとまずそこに不老者を集めた。表向きには治療ということだったのだが、実はキノシタを中心に多くの研究者が不老者たちの人体実験を行っていたのだ。彼らは「歳を取らない秘密」を暴こうとした。いつしか不老者の研究は「不老の秘密を知るための競走」になっていたのだ。

 そしてその過激な実験の結果、たくさんの不老者が犠牲になった。その為不老者の数が激減し、最早不老者という存在自体、世間から忘れられつつある。

 だがその当時、たった一人施設から脱出するのに成功した少女がいた。それが立花 久美子。現在、彼らは血眼になって彼女を探している。

「彼女について、私、調べているんですよ。でも謎が多すぎて……。恒例の学会がもうすぐあるんですけれど、そこまでに新しい情報発表しないと、マズイんです。同期にどうしようって泣きついたところ、あなたが詳しいって」

 本当は自分で唯斗のことを調べ出したのだが、怪しまれないように嘘を並べておく。唯斗はそれを聞くと、無言のままパソコンを開き、データを表示する。

「これのことか?」

 パソコンを覗くと、立花 久美子についてのデータが書き連ねてあった。舞子は確信した。彼は立花久美子に会ったことがある。そんなことが出来るのは、あの施設にいた研究者だけ。つまり彼は。

「やっと見つけた」

 舞子は、隠し持っていた拳銃を唯斗に突きつけた。研究者は、実は護身用に銃を持つことが許されている。ただし、それはこの宿木町に限ってのことである。

「……何の真似だ」

「殺す」

「私を殺してどうする」

「恨みを晴らすに決まってるでしょ」

「お前のか?」

「私じゃない。……分かるでしょう、あなたなら?」

「検討もつかないが」

 拳銃をつきつけられても全く動じない唯斗。その様子を見て、舞子は怒りが爆発した。

「しらばっくれないで! あなたが……あなたが殺したのよ、あの子を!」

「殺した? 何のことだ」

「覚えてないの? 数え切れないほどの不老者を殺してきたから?……やっぱり最低ね、闇研究者。許さない」

 闇研究者。キノシタを中心に、不老者に対し非人道的な実験を行ってきた研究者たちはいつしかそのように呼ばれるようになっていた。現在、不老者研究グループの研究者にはまともな人間がほとんど存在せず、闇研究者たちがグループを牛耳っている。きっと彼もそのひとりだ。

「………………」

 唯斗はしばらく黙った。大きなため息をつき、立ち上がる。

「何を勘違いしてるのか知らないが、私はお前が言う闇研究者ではないぞ。私欲のために平気で人を殺した、あんな奴らと一緒にするな」

「そ、そんな証拠どこにっ……」

 次の瞬間、唯斗は舞子の持つ拳銃を掴み、手首が曲がらない方向に曲げた。

「痛い痛い痛い痛い!! 痛いってば、離してよ!!」

「じゃあ、お前が銃から手を離せ」

「分かった、分かったから!」

 舞子は慌てて、銃を握っていた手を離す。

「折れるかと思ったわ……」

「自業自得だ」

 唯斗は銃を机の上に置き、椅子に座った。

「確かに私は三年前に、立花 久美子と会った。だがそれは施設から逃げ出した彼女が、この家に助けを求めてやって来たからだ。私はしばらく彼女をこの家で匿っていた。研究のデータはその時に書いたものだ」

「……そんなことって」

「私は闇研究者ではない。立花久美子を救うために、ここで日々研究をしている」

「……そんな」

 舞子は、床に座り込んだ。信じたくはない。だが、筋は通っている。信じるしかない。これ以上彼を疑っても何も生まれないことは、舞子にも分かっていた。

「……疑って悪かったわ。どうやら私の勘違いみたいね」

「分かればいい」

 唯斗は、舞子に拳銃を差し出す。舞子は無言で受け取ると、手の中の拳銃を見つめた。また振り出しに戻ってしまった。これからどうすればいいのだろう。大きな失望感が舞子を襲う。

「大体、私がもし闇研究者だとして、殺したあとどうするつもりだったんだ。闇研究者を一人殺したところで、何も変わらないが」

「そうかもしれないけど、それでも私は許せないの。私は、闇研究者を抹殺するために研究者になったも同然なのよ」

「そんな理由でなる奴もいるのか。人間、色々だな」

「そんな理由って、私は! あの子のために!…………」

「……なんだ、急に黙って」

「……やめておくわ。あなたにするような話じゃないし」

 舞子は、拳銃を懐にしまい、立ち上がった。

「突然来て、殺そうとして、悪かったわ。もう二度と会うこともないと思うけど。さようなら」

「待て」

 唯斗の声で、玄関に向かっていた舞子は足を止める。

「お前はそれでいいのか? 少しは研究者としての役割を全うしたらどうだ」

「全う?」

「お前がしていることは、ただの恨み晴らしだ。研究でもなんでもない」

「…………」

「それと、さっきも言ったが、闇研究者を殺したところで、何も変わらない。お前が満足するだけだ」

「違う、私は、あの子のために」

「そうやって自分を正当化しているだけだ。いいか、これは、お前自身の復讐だ」

「なっ……!」

「大体、闇研究者に殺された不老者たちは、そんなことを望んでいないはずだ。私にはなんとも言えないが、おそらくお前のしようとしていることは、間違っている」

「……あなたに、何がわかるのよ!!」

 舞子は怒りに任せて叫んだ。

「何も知らないくせに、勝手な事言わないで!」

 悔しかった。今まで自分がしてきたことを否定されたことが。こんなにも簡単に、「間違っている」と言われたことが。

「じゃあ、どうしろって言うのよ! 復讐するのが間違ってるっていうなら、何をするのが正解なの!?」

「知るわけないだろう、そんなこと」

「は!? じゃあなんで私のは間違っているのよ!」

「何が正解かなんて、わからない。ただ、間違っていることはわかる」

「意味不明! 何その矛盾」

「私が言いたいのは、復讐のために身を滅ぼすな、ということだ。自ら危険を冒してまで、闇研究者を抹殺するなど、間違っている。もっと自分を大切にしたほうがいい」

「……自分を、大切にする?」

 考えたこともなかった、そんなこと。復讐するということは、身を滅ぼしていることになるのか。

 途端に舞子は、自分がしてきたことが怖くなった。思えば自分は、異常な行動しかしてこなかった気がする。下手したら犯罪になりかねないことだって……。こんなこと、きっとあの子は望んでいない。

「私……どうしたらいいの?」

 分からなかった。復讐しか考えてこなかった舞子には、これからどうするべきか検討もつかなかった。

「私の研究に協力する、というのはどうだ?」

「あなたの、研究……?」

「もちろん、無条件でとは言わない。私に協力する中で、自分のやりたいことが見つかったら、私はそれに協力する、という条件付きだ」

 彼に協力する。それはすなわち、立花 久美子の研究を手伝うということだ。

 それのお返しに、舞子に何か協力するというのだ。

「……本気なの?」

「嘘をついて何になる。本気に決まっているだろう」

と、表情を変えずに唯斗は言うので、なんとも疑わしい。だが、どうせ一人でいても、どうしたらいいのかなど分からない。この話に乗ってみるのも手だろう。

 彼に協力する。それは立花 久美子の研究を手伝うということだ。

「……私、一応教師だから、夏休みの間だけでもいいなら、協力するわ」

「それで十分だ。今日からお前は、私の助手だ、舞子」

「臨むところよ。可能な限り毎日来るわ」

 玄関で靴を履きながら、舞子は言う。

「それじゃあ、また明日。唯斗」

「ああ、待っている」

 舞子は、外に出た。涼し気な風が吹いていた。考えてみたら、この森に毎日のように来なければいけないのか。早速憂鬱だが、仕方ない。そのうち慣れるだろう。

 結局、彼に協力することになってしまった。これが正解なのかもわからない。そして、これから本当にやりたいことが見つかるのかも疑問だ。だが、復讐よりもこの選択の方がずっといいことは舞子にもわかる。きっとこれから、「あの子」が本当に望むことを見つけられるだろう。

 月明かりが微かに差し込む森の中、どこかで犬の遠吠えが聞こえた。

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