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青の名前  作者: あお
15/20

心に秘めた思い

 唯斗のお見舞いに行き、家に帰ってきた伊都は、部屋でボーッとしていた。この夏休みで、色々なことがあり過ぎて、上手く頭が整理しきれていない。

「はぁ……」

 先程から、出るのはため息ばかりである。

 兄は……唯斗は、あのまま目覚めることはないのだろうか。せっかく和解したというのに、もう一生、会話することは出来ないのだろうか。嫌な考えばかりが頭をよぎる。

「兄貴……俺、やっぱり何も守れなかった」

 フーカに続き、兄でさえも守ることができないだなんて。

「ごめん……」

 ふと、先程病室で出くわした、フーカの顔が目に浮かぶ。彼女は、ひどく絶望した顔をしていた。せっかくの再会であったが、そのままどこかへ行ってしまったのだ。

 多分、兄がこうなったのは自分のせいだと思っているのだろう。

 本当はあそこで追いかけるべきだった。だが、伊都の足は動かなかった。

 追いかけて、どうする?

 追いかけて追いついたところで、彼女にかける言葉なんて、考えつかなかった。だから、そんな状態で追いかけることなどできなかった。

「伊都伊都伊都伊都伊都!!」

 下の階から、母の声が聞こえた。あまりにもしつこく呼ぶので、「何だよ、もう……」と部屋の扉を開けた。

 すると、階段の下で、母は、信じられない言葉を放った。

「唯斗! 目覚めたって!」

「………え、マジ!?」

「マジに決まってるでしょ! 早く行くわよ、病院!」

「お、おう!」

 伊都はあわてて階段を降り、外へ飛び出した。鍵が開くなり、車に飛乗る。

 母は、制限速度ギリギリで病院まで車を走らせた。



 病院に到着後、伊都と母は、唯斗の病室に直行した。田舎にしては広い病院であるが、もう何度も行ったので、方向音痴の伊都でもさすがに分かる。病室に着くなり、扉を荒々しく開け、二人で同時に叫んだ。

「兄貴!」

「唯斗!」

 唯斗のベッドの前にいた、医師や看護師が一斉に振り向く。すぐさま道を開けてくれた。

 伊都も母も、ベッドに飛びつかんばかりの勢いで、突進した。

「もう、唯斗! 心配したのよ! もう……もう……!」

 母は、息を切らしながら、へなへなと座り込んだ。

「母さん……」

 兄が驚いた顔をしている。

「俺だって、心配したんだからな……! もう一生、兄貴と喋れないかと思ったじゃねーかよ」

 両手をぐっと握りしめながら、伊都は言った。

「伊都……」

 兄は、口元を綻ばせ、柔らかい表情を見せた。

「ありがとう。俺を待っていてくれて」

「当たり前でしょう? ずっと、ずっと待っていたのよ……!」

 母は、涙混じりの声で返した。

 兄の笑顔の、何と優しいことか。少し前までは考えられなかった。伊都は、嬉しくて頬を緩めた。



「そういえば、唯斗。あなた一人の時に目覚めたのに、よくナースコール押せたわね」

 母は思い出したように口にした。確かに、と伊都は思った。

「いや、押してない……」

「え? じゃあ誰が……」

 すると、後ろにいた看護師の一人が、

「ああ。それは、別の方がナースコールを押したみたいです。ご家族ではないのですが、よくお見舞いにこられていた方で……」

「それって……フーカ?」

 伊都は思わず言った。看護師は不思議そうな顔をする。

「え?」

「あ、いや、その人って……青いパーカー着た女の子じゃ……?」

「ああ、そうです。お知り合いなんですね」

「まあ……」

 知り合いも何も、少し前まで同居していたのだが。

「ちなみに、その人って、ナースコール押した後はどこに……」

「それが……私が駆けつけて、少し会話をしたあと、『あとはお願いします』と仰って、病室から出て行ってしまわれて……」

 出て行った? なんの為に……? 伊都は考え込んでしまった。

「それでは、我々はこれで。あ、お母さん、今後のことでお話したいことがあるのですが……」

「あ、はい」

 母は医師たちと病室を出て行ったので、部屋は、伊都と兄の二人だけになった。

「なんだ、伊都。そんなにあいつに会いたかったのか?」

「はっ……!? な、なわけないだろ。誰があんな奴」

「俺はいいと思うけどな。なかなか似合いのカップルだ」

「カッ!? なんで好きだっていう前提なんだよ!」

「違うのか?」

「フーカなんて、好きでもなんともねぇよ」

「好きでもなんともない奴と、数週間も共同生活出来るのか」

「あれは、仕方なくだっつーの!」

「……仕方なく、か」

 兄は、ふっと笑った。「何がおかしいんだよ」と伊都は口を尖らせる。

「いや、青春とは、こんなにも甘酸っぱいものだったのかと思ってな」

「バカにしてるだろ!」

「本心だ」

 いや、絶対にバカにしている。まず、顔がバカにしている。

 伊都は、ふん、とそっぽを向いた。

 別に、好きだとか、そういうことではない。フーカと一緒に過ごすのが、少しだけ楽しかっただけだ。ほんの少しだけ……。と、自分に言い聞かせる。

「……伊都」

「なんだよ」

「もしも……もしもの話だ。俺が、立花久美子を好きだと言ったら、どうする」

「……え?」

 伊都は、ゆっくりと唯斗の方を向いた。心臓が高鳴る。

「兄貴、あいつのこと……」

「もしも、だと言っているだろう。もしも、好きだと言ったら、お前はどうする」

「どうするも何も……あ、そうなんだって思うだけなんだけど……」

 平然と答えたが、それと反比例して心臓の鼓動はどんどんと早くなっていく。

 兄が……フーカを……。

「本当か?」

「え?」

「お前の、立花久美子への思いは、本当にそんなものか?」

「それは、その……」

「簡単に他人に渡せるような、そんなに軽い存在か?」

「俺は……………」

 頭の奥で、違う、という声がした。

 違う。フーカは、そんな存在じゃない。

 フーカは、フーカは……。

「誰にも、渡したくなんかねぇよ……」

 小さな声で、だがしっかりと伊都は言った。

「うん。そうだろうな」

 兄はさらっと口にした。

「なっ……! そうだろうなって、初めからわかってたみたいに言いやがって」

「いや、もう嫉妬が見え見えだったぞ。本心を読み取られたくなかったら、もう少し隠す努力をしたらどうだ」

「う……」

「まあ、そういう事だ。誰にも取られないうちに、早く思いを伝えることだな」

「思いを、伝える……」

「応援しているぞ」

 そう笑いながら言った兄の顔を見て、伊都は心がギュッと締め付けられた。

 こんな風に、兄が背中を押してくれるなんて、久しぶりだったからだろう。

 本当に、変わってくれた。フーカのおかげだ。

「……おう」

 伊都は、照れながらも、そう呟いた。



 伊都たちが病院にやって来る少し前、舞子は、病院に入ってすぐの待合室にいた。唯斗を見舞いに行った久美子を、携帯を見ながら待っていたのだ。

 本当は帰ろうとしていたのだが、ここで帰ったら久美子はどこに帰るというのか。そう思うと、帰る気にはなれなかった。

 その時、病院のドアが開いたかと思うと、ものすごい勢いで階段を駆け上がっていく親子ふたりがいた。

 よく見ると、霧野伊都とその母である。何をそんなに急いでいるのだろうか。なにか忘れ物でもしたのか。ぼんやりとそんなことを考えながら、また携帯に視線を戻す。

「舞子さん……!?」

 久美子の声がした。携帯の画面から目を離し、顔を上げると、目の前に久美子がいた。

「どうして? 帰ったんじゃ……」

「あなたを置いて帰れるわけないでしょ。さあ、帰るわよ」

「え、あ、ちょっと……」

 舞子はソファから立ち上がると、久美子の手を引いて、病院から出た。

「乗って。とりあえず、私の家まで送るわ」

 車の前で鍵を開けながら、舞子は言った。久美子は戸惑っていたが、助手席に乗った。

 舞子は車を発進させる。

「それで、唯斗の具合はどうだった?」

「あ、えっと……無事に意識が戻りました」

 久美子はさらりと言った。

「え!? そ、そうなの? 本当?」

 あまりに驚いた舞子は、声が裏返った。ついでに目の前の信号が赤に変り、あわててブレーキを踏む。

「はい」

「これはまた急な……。まあでも良かったわ」

 舞子は、ほっとため息をつく。だが、久美子は浮かない顔をしていた。

「どうしたの? あんまり嬉しそうじゃないけど」

「あ、いや……。ユイトは、本当は生きていたくなかったみたいだから……」

「え? どういうことよ」

「夢の中で、ユイトと話したんです。そしたら、もう生きることを諦めてて……。でも、私はユイトに生きて欲しかったから、説得したんです。だから、無理矢理現実に連れてきちゃったなって……」

「あなた……すご過ぎない?」

「え?」

 久美子はキョトンとしていた。いかに自分がすごいことをしたのか分かっていない様子だ。

「まあ、気にしなくていいんじゃない? 夢の中がどうであれ、本人が生きようと思わなければ意識は戻らない。だから、結局は唯斗の意思なのよ」

「そっか……。そうですね」

 久美子は安堵の表情を見せた。信号が青に変わり、車を走らせる。

「そういえば、霧野くんには会った?」

「え? イトは……会ってないですけど」

「そうなの? あなたが来る少し前、霧野親子が階段駆け上がっていったから、てっきり会ったのかと思ってたわ」

「そうだったんですね。危なかった」

「何がよ」

「実は、イトたちに会わないように早く帰ってきたんです。実際は、そんなに差はなかったみたいだけど……」

「なんで? 会いたかったんじゃなかったの?」

「……イトは、多分私とは顔を合わせたくないと思います。家族をあんな風にした人なんかに、会いたくなんか……」

 久美子は伏し目がちに話す。本当に、彼女は自分のせいにするのが好きだ。

「ま、でも目覚めたんだし、関係ないんじゃない? しかもあなたのおかげで」

「そんなこと……」

「きっと、会いたいって思ってるわよ、霧野くん。だって、命懸けであなたのこと助けに来たのよ。会いたくないわけないでしょう」

「でも、私、さっき逃げちゃったし……」

「何よ。結局あなた自身が会いたくないんじゃない」

 舞子はため息をつく。

「何だか気まずくて……」

「気まずい?」

「自分で家を出たから……逃げ出しちゃったから、顔を合わせづらくて……」

「それは仕方の無いことでしょ。そんなこと気にしないで、会いに行けばいいのに」

「でも、イトは私のことなんか……」

「……あなたと霧野くん、そんな程度でヒビが入るような関係じゃないって、私は思うけど?」

「………」

 久美子は黙り込んでしまった。まあ、きっと放っておいても直に会いに行くのだろう。舞子はそう思うことにした。

「……舞子さんは、どうしてユイトのお見舞いに来なかったんですか」

「今日行ったわよ」

「え、いつですか?」

「あなたの後に来たの。そしたらあなたが病室から出てきて、あわてて追いかけたのよ」

「あっ……だから止めに来てくれて……」

「そうよ」

「じゃあ、あの……私のせいで……」

 また始まった。舞子は面倒くさそうにぼやく。

「あー、違うわよ。もともと一人でお見舞に行くつもりだったから、あなたがどうであれ、出来なかったわ」

「え……?」

「あの時、病室には霧野親子がいたんでしょ? だから、どっちみち無理だった」

「なんで、一人で……」

「当たり前でしょう。唯斗との関係、お母さんにどう説明しろって言うのよ」

 話したところで、理解してもらうには時間がかかるだろう。そもそも、生徒の親に自分が研究者だと言ったら、学校になんと言われるかわからない。

「じゃあ、なんでさっきは帰っちゃったんですか?」

「……出かける予定があったの」

「でも、私、病院に十分くらいしかいなかったんですよ? その間に、どこか行かれる場所なんて……」

 確かに、久美子の言う通りである。十分では、行って帰って来られるような場所は、ない。

 久美子は分かっているようだ。本当は、どこにも行かず、ずっと待合室で待っていたことを。

「あー、もう。止めたのよ、行くの。でも、今更病室に戻るのもなんか邪魔するみたいで嫌だったから、待ってたのよ」

「……そうですか」

 久美子は腑に落ちない様子だった。

 本当は、予定などなかった。それでも帰ろうとしたのには、理由があった。

 唯斗は、きっと久美子に来て欲しかったはずだ。舞子ではない。そう思ったのだ。

 久美子を救うと決めて、唯斗に協力して行く中で、薄々気がついていた。

 唯斗は、きっと……。だから、あの場に相応しかったのは、久美子だ。

 これで良かったのだ。唯斗との縁はもう切れるだろう。無事に久美子は救い出せた。

 彼とはもう協力関係でもなんでもない。

「ねぇ、久美子」

 暗い気持ちを切り替えるように、明るい声で舞子は言った。

「もし良かったら、しばらくの間、家に住まない?」

「えっ……?」

「住むところ、ないでしょう? だから」

「いや、でも……マンガ喫茶とか、そういう所あるので……。今までもそうしてきたし」

「駄目よ。二十歳とはいえ、見た目は子どもなんだから、怪しまれるでしょ?」

「う……でも、悪いです」

「いいのよ。どうせ私、一人暮らしだし、部屋もまあまああるわ」

「……本当に、いいんですか?」

「ええ、もちろん」

 唯斗が回復するまでの間だ。それまでは、彼女を守る。私情を持ち込んでいる場合ではない。強く、生きなければ。

 舞子は、ハンドルをぐっと握りしめた。



 数日後。

 舞子の携帯に一通のメールが届いた。今は朝の七時である。こんな時間に一体誰だろうか。

「!」

 なんと、唯斗からであった。ドキドキしながらメールを開く。

『元気か。私はもうすぐ退院出来そうだ』

 メールはそこで途切れていた。そうか、退院するのか、と安心したのと同時に、

「なんで、わざわざ私に……」

とも思った。とりあえず、「おめでとう」と送っておく。

 舞子は、結局、見舞いには行っていなかった。どうせ、今後関わることはないのだし、彼は自分のことなど気にもとめていないのだろう。見舞いになど、行く必要がない。そう思っていた矢先に来たメールだったので、不思議に思ったのだ。

 相変わらず、すぐに返事がきた。

『私は、退院した後、やりたいことがある。そこで、お前に頼みたいのだが、私に協力してくれないか?』

「……え?」

 一瞬思考が停止した。

『やりたいことって?』

『お前が協力してくれるというなら、教える』

「何よそれ……」

 そんなことを言われてしまったら、気になる。

 舞子は考えた。縁が切れると思っていた唯斗からの誘い。それは純粋に嬉しい。

 でも、同時に、彼は自分を協力関係者としか見ていないのだ。信頼を置いてくれているのは嬉しいが、何だか少し寂しい気持ちにもなった。

「……………」

 舞子は携帯を握りしめた。

 この期に及んで、何を言っているのだ自分は。私情を持ち込んでもしょうがない。強く生きると数日前に決めたばかりではないか。舞子は、返事を打った。

『いいわよ、協力する。それで、何をするの?』

 これでいい。

 舞子は清々しい気持ちになった。朝からいい気分である。通知音が鳴り、メールが届く。開いた瞬間、彼女は思わず文面を凝視した。



『立花久美子を、本当の意味で自由にする』

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