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青の名前  作者: あお
13/20

救出大作戦

 翌日は始業式だった。体育館での校長の話も、教室での副担任の話も、全く頭に入ってこなかった。何故か担任の穂積が休みだったことも、気にならなかった。

 伊都の頭の中は、フーカのことでいっぱいだったのだ。考えてもどうしようもないことはわかっている。しかし、忘れようとしても、気が付けば、いつも彼女のことが頭に浮かんでいるのだ。

 自分にとって、彼女がどれだけ大きな存在だったのか、改めて思い知らされる。

「今日はこれで解散です」

 副担任が言った。前は歓喜した午前中の解散も、今日はその気にはならなかった。早く帰っても、フーカがいないからだ。孤独の時間を過ごすのが憂鬱だった。おまけに今日は誠が休みだ。一緒に帰る友達もいない。

 伊都は、席を立ってリュックを背負い、騒々しい教室を後にした。


 家から帰る途中、伊都は公園に寄った。まだ昼なので、子どもたちの姿はなかった。

 伊都は、公園に入り、東屋の中の椅子に座った。

 初めてフーカに出会ったのもここであった。数人の男達に囲まれ、助けを求めていた彼女を伊都が助けた。今思えば、彼らは闇研究者だったのだろう。

 彼女を助けた後は、本当に色々なことがあった。様々な場所に連れていかれた。ケンカをした。笑い合った。本当の彼女が分からなくなった。不老者のことを知った。守ると誓った。手を繋いだ。手紙を貰った。

「手紙………」

 伊都は、リュックの中を漁った。実は、フーカからの手紙を持ってきていたのだ。これが、彼女のことを直に感じられる最後の手段だったからだ。手紙を見つけ、伊都は、もう一度読み始めた。


『フーカって名前をくれてありがとう。私が立花久美子だって分かっても、フーカって呼んでくれて、ありがとう』


「……フーカ」

 本当の名前は、久美子なのだから、本来それで呼ぶべきであろう。しかし、伊都はあえてそれをしなかった。

 今まで、伊都とともに過ごしてきた彼女は、「フーカ」であり、「立花久美子」ではない。だから、久美子と呼べば、それまでの思い出が全てなかったことになるような、そんな気がしたのだ。まさか感謝されているとは思わなかったが。

「………」

 いつまでも、くよくよしていても仕方がない。フーカが見たらきっと、「情けない」と呆れ顔で言うだろう。

「帰るか……」

 伊都が立ち上がった、その時だった。ポケットの中で、携帯が鳴った。電話だ。

 開いてみると、兄の唯斗からだった。珍しいこともあるものだ。昼から一体どうしたというのか。

「もしもし」

『伊都、今どこにいる』

「え? 公園だけど……」

『どこの公園だ』

「どこって、うちの近所の……」

『……分かった。そこにいろ。今から行く』

「え、なんで?」

『事情は後で話す。いいか、そこから動くな』

「……おう」

 電話は切れた。謎すぎる。一体なんだと言うのだ。

「腹減ったー……」

 伊都は再びベンチに座り、兄を待った。

 数分後、公園の出口に黒い車が止まった。きっと、兄の車だろう。伊都は車に近づいた。助手席の窓が開く。座っていたのは兄と……なんと、心理カウンセラーの田沢舞子だった。

「え!?」

 二人同時に叫んだ。

「霧野くん!?」

「田沢先生…!?」

 何故か向こうも驚いているが、伊都は何が何だかさっぱり分からなかった。

「あなた、弟って……霧野くんのことだったの?」

「なんだ、知っているのか」

「知っているも何も、うちの学校の生徒よ!」

「そうだったのか」

「っていうか、名字よ。なんで違うの?」

「時間が無い。説明はあとだ。伊都も同じだ。舞子のことに関しては、今は聞くな」

「……分かったよ」

 伊都は、ドアを開け、後部座席に乗った。

 兄は、伊都に事情を説明した。要約すると、どうやらこういうことらしかった。

 研究者の間では、不定期で学会というものが開催される。その学会が、今日開催されると、昨日いきなり連絡が来たのだそうだ。

 兄はピンと来たのだという。これは、立花久美子と……フーカと関係があると。今日は、彼女のことについての報告と、今後について話し合うつもりではないか、と兄は予想した。そこで、兄は、うまいことを言って彼女を引き取る作戦を実行しようとしていた。

「それで、お前を呼んだ」

「なんで!?」

「お前にしかできないことを頼みたい」

「いや無理無理! 俺、何も出来ねぇよ。第一、会場に入れるわけねぇだろ」

「それは大丈夫だ。お前には、裏口から入ってもらう」

「ますます無理だろ!」

「何とかなる」

「ならねぇよ!」

 いくらなんでも適当すぎる兄に、伊都は全力で否定する。

「とにかく、入れたとしてだ。裏の情報を探って欲しい」

「裏の情報?」

「今回、お前の家に久美子がいることがバレたのは、何かしら原因があるはずだ。それが分かるのは多分、裏しかない」

「だとしても俺じゃなくていいだろ」

 兄はため息をついた。

「俺と舞子は、他の奴らに顔が割れている。裏で怪しい動きをすれば、一発で裏切り者だとバレる。対して、お前は木下だけだろう。だからお前しかいない」

「兄貴は分かるけど、なんで先生まで……」

「あ、私、研究者なの。言ってなかったけど」

 舞子が、首をこちらに向け、サラッと言った。

「はっ……!?」

 色々な情報がてんこ盛りで、頭が整理できない。だが、追い打ちをかけるように、

「という訳だ。頼んだぞ」

と兄が言った。

「…………」

 兄はどうしても伊都に任せたいようだ。

「……久美子を助けたくないのか」

 その言葉に、心がキュッとなった。そうだ、これは彼女ともう一度会えるチャンスでもあるのだ。

「……やるよ」

「助かる」

 伊都は、心に決めた。自分がどうなっても、例えどんな目に遭っても、必ずフーカを助けると。



 三十分ほど経った頃、車は目的地に着いた。そこは、空きビルだった。

「本当にこんな所で、学会なんかやってるのかよ」

 とても学会を行うような場所ではなかったので、疑わしくなった。

「ああ。こういう人目につかないような所の方が、あいつらにとって都合がいいからな」

「そうよ。全く、タチの悪い奴らね」

「行くぞ」

「ええ」

 二人が歩き出した。伊都はそれに着いていく。

「……あの、田沢先生は、本当に研究者なんですか?」

 前を歩く舞子に伊都は改めて聞いてみる。

「なんで疑ってるのよ。そうだって言ってるじゃない」

 さも当然のような顔をして舞子は答えるが、しばらくして、「やばっ……」という顔で後ろを振り返り、伊都の両肩を掴んでこう言った。

「このこと、学校の人には言わないで。お願い」

「別に、いちいち言わないですよ」

 言ったとしても、研究者だとわかった所でなんだと言うのか。

「絶対よ」

「分かりましたって」

 そこまで言っても、舞子は伊都をまだ信じ切っていないのか、「裏切るなよ」という目でじっと見つめてきた。

「おい、何してる」

 いつの間にか先を歩いていたはずの兄が舞子の後ろにいた。いつまで経っても二人が来ないので呼びに戻ってきたのだろう。

「行くぞ。もう時間になる」

 舞子は渋々、伊都の肩から手を離し、前を向いて歩き始めた。先程と同じように、伊都はそれに着いていく。

 入口前に来た時、兄が言った。

「舞子、お前は先に会場へ行ってくれ」

「何でよ」

「私は、伊都を裏口へ連れていく。あそこに人が集まるのはあまり良くない」

「……分かったわよ」

 舞子は一人で会場に入っていった。一方、兄は会場には入らず、左へ曲がった。

 建物に沿って外を歩いていくと、小さな扉が現れた。先頭の兄が立ち止まった。

「伊都、お前はここから入れ」

「これ……どこに繋がってんの?」

「会場となるホールの裏側だ」

「へー……」

「裏は警備が薄い。見つかる可能性は低いが、万が一見つかったら、『見学です』と言えば大丈夫だ」

「見学? なんで?」

「不老研究者の親族や知り合いは、学会を見学することが出来る。未来の研究者かもしれないから特別視されるらしい。だから、見学だと言えば、納得するはずだ」

「なるほど……」

「頼んだぞ」

「おう」

 兄はそう言い残し、会場へと戻って行った。

 一人取り残された伊都に、大きな不安が襲ってくる。本当に大丈夫だろうか。フーカを守れなかった自分が、何も出来なかった自分が、裏の情報を探ることなど出来るのだろうか。

 伊都は、ポケットの中から手紙を出した。荷物は車の中に置いてきたが、フーカからの手紙だけ持ってきていた。

 可愛らしい、だがしっかりとした文字で書かれた手紙は、自然と伊都を前向きな気持ちにした。

 そうだ。今度こそフーカを助けるのだ。

「……待ってろ」

 手紙をしまい、伊都は覚悟を決めて、ドアノブを回した。



 遅すぎる。

 会場内では、舞子が苛ついていた。先に行ってろとは言われたから、先に着いたのは当たり前なのだが、それからだいぶ時間が経つ。ちっとも唯斗が来ないのだ。

 会場には続々と人が集まってくる。それが一層、舞子の心を不安にした。

「悪い、遅くなった」

 唯斗がようやく来た。ホッというため息が出そうになるが、慌てて飲み込む。

「なんでこんなに時間かかったのよ」

「少し迷った」

「え?」

 そんな迷うような距離だろうか。

 少し気になったが、それ以上突っ込むのはやめた。

 唯斗が舞子の隣の椅子に座った時、学会が始まった。会場の照明が少し落とされ、ステージ上に出てきた人物に照明が当たる。

「本日は、急にもかかわらずお越しくださって、ありがとうございます。司会を務めさせていただきます、木下 渡です」

 舞子は、手にぐっと力を入れた。間違いない。この人が、あの施設を造った、「キノシタ」だ。

「皆さんをお呼びしたのは、他でもない立花久美子の事なのですが、皆さんは疑問に思われてるのではないでしょうか。長年探してきても見つからなかった彼女をどうして保護することができたのかと」

 確かに疑問だった。あれだけ、見つからないと騒いでいたのに、あっけなく彼女は保護されてしまったのだ。なにかあるに違いない、と舞子は思っていた。

「実は、ある人に協力をしてもらったのです。今日はその人に来ていただいています。拍手でお迎えください!」

 会場に響き渡る拍手の音。舞子は、拍手する気などさらさらなかったが、一応周りに合わせておこうと、手を叩いた。

 ステージに登場したのは、高校生くらいの男の子だった。照明の明るさに目を細め、恥ずかしいのか若干下を向いて制服を掴んでいる。

「……あれ?」

「どうした」

「制服……うちの学校のだわ」

 それに、どこかで見たことがあるような顔立ちである。

「彼は、一ノ瀬誠くんです。今回、立花久美子の捜索に全面協力をしてくれました。彼がいなければ、彼女を見つけることは不可能でした。もう一度、彼に大きな拍手を!」

 先程の迎えの拍手とは比べ物にならないくらいの大きな拍手が起こった。

 彼は――一ノ瀬誠は、深々とお辞儀をし、ステージ袖に消えていった。

「続きまして、改めて立花久美子のことについて、この方にお話を頂こうと思います」

 学会は進んでいたが、舞子は先程の彼のことで頭がいっぱいだった。名前まで聞いても、どこで見たのかは思い出せなかった。

 舞子は考えた。考えても分からない気がしたが、気になって仕方がなかった。このモヤが晴れたら、何かが変わる気がした。

 だが、次の瞬間、舞子の思考は停止した。

「それでは、穂積武先生、ご登壇ください」

 会場はまたもや拍手に包まれる。

「穂積………?」

 まさか。

 ステージ上に現れたのは、紛れもない。伊都の担任、生徒指導の穂積だった。

「なんで、なんで……」

 何故彼が、ここにいるのだ。まさか、彼は研究者だというのか。そんなはずはない。彼は教師だ。

「穂積先生は、不老者研究グループの創始者で、長年、研究者としてご活躍されてきました。今回は特別に、お越しいただきました」

 穂積は、一礼をして、木下と対話を始めた。知らなかった。彼が創始者だったなんて。驚きの連続であった。

 やがて、木下との対話が終わり、穂積がステージからいなくなった。

 ここで、一旦休憩となる。舞子は、すぐに席を立ち上がり、急いで会場を出た。

 穂積を探した。聞きたいことが山ほどあった。もう自分が研究者だとばれても、構わない。

「いた!」

 穂積は、ロビーでソファに座り、携帯を見ていた。

「穂積先生!」

 呼びかけに反応した穂積は、舞子を見て目を丸くした。

「田沢先生……? どうしてここに」

「私、研究者なんです。あの、先生、不老者研究グループの創始者って、本当ですか?」

「………」

 穂積は、下を向いて黙っていたが、やがて小さく頷いた。そして、ため息混じりに、

「本当は今日来たくなかったんだがね。木下くんがどうしてもと言うから、仕方なく」

と言った。

「あなたと木下……さんは、どう言ったご関係なんですか?」

「かつて彼は私の助手だった。とても従順で、アイデアマンで、いい助手だった。だが、私が引退した後、彼はとんでもないプロジェクトを始めたんだ」

「プロジェクトって……例の、施設の……?」

「そうだ。そのおかげで、このグループの理念は、不老者の救済から利用へと変わってしまった」

 穂積は、再度ため息をついた。

「私のせいだ。私が立ち上げたグループが、結果的に、多くの不老者や不老者の家族を傷つけることになってしまった」

「…………」

 先生のせいでは、ないですよ。そのような言葉をかけるのが正解なのだろう。

 しかし、舞子には言えなかった。どうしても頭の中に理恵がチラついてしまうのだ。彼女は、穂積のせいで死んだ。舞子は穂積に憤りを覚えた。

 だが、彼を責めても何も変わらない。それは舞子にも分かっていた。

「でも、私にはもうこの負の連鎖は止められない。本当に無責任な話だと思う。分かっているんだ。だが、引退してしまった以上、彼らの研究には口出しすることが出来ない」

 穂積は、申し訳なさそうに言った。膝の上のこぶしは、固く握られ、震えていた。

「このグループに、不老者を助けたいという研究者がいれば、彼を止めることが出来るのかもしれないが、おそらく今は居ないのだろうな……」

「……居ますよ」

「え?」

「少なくとも、私はそうです」

 気がついたら舞子は言っていた。

「でも、木下くん主催の学会に参加するには、彼の下についている必要があるんじゃないか? もし、君が言っていることが本当なら、君は裏切っていることになる」

「そうです。私は、スパイなんです」

 正直に告白すれば、自分の命が危険にさらされる。そんなことは分かっていたが、言わずにはいられなかった。

「私が、断ち切ります」

「田沢先生……」

「私が、私たちが、この負の連鎖を断ち切ります。そして、立花久美子を幸せにします」

 穂積は、舞子を見つめ、しばらく黙っていた。やがて、立ち上がり、

「……どうか、よろしく頼む」

と頭を下げた。

 これで、彼に頭を下げられるのは二回目だ。そんなことを考えながら、舞子は力強く「はい」と頷いた。



 舞子が会場に戻ってきたのは、学会が再開する直前だった。隣の唯斗が「どこに行っていたんだ?」と声をかけてくる。

 詳細を話すのが面倒だったので「お手洗い」と言っておいた。唯斗は「そうか」とだけ言い、それ以上聞いてくることはなかった。

 会場が少し暗くなり、第二部が始まった。木下が壇上に上がる。

「さて、お待たせ致しました。そろそろ立花久美子に登場してもらいましょう」

 凄まじい歓声とともに、ステージ袖から久美子が登場した。舞台の中央に置いてあるパイプ椅子に、静かに座る。

 彼女の姿を見て舞子は息を飲んだ。

 同じだ。

 夏休み前に、舞子は伊都の家を訪問した。その時、伊都の部屋にいた少女にそっくりだったのだ。

 ボロボロの青いパーカー。華奢な身体。抜けるような白い肌。セミロングの黒髪。間違いない。あの時の少女だ。なぜここに居るのだろうか。彼女は確かあの時、「フーカ」だと名乗ったはずだが……。

「!」

 舞子は、唯斗から「立花久美子が実家にいる」と聞いたことを思い出した。

 唯斗の弟が伊都ならば、伊都の家にいた少女が、立花久美子だということになる。つまり、舞子はもうすでに彼女と会っていたのだ。

 舞子は頭を抱えた。もしあの時、彼女が立花久美子だと知っていたら、こんなことにはならなかったのではないだろうか。だが、今更後悔しても仕方がなかった。

 ステージ上の久美子を見る。彼女の目は虚ろで、光を宿していなかった。生きる気力も、ここから逃げ出す気力も、もう残っていないのだろう。

 助けなければ。何としてでも、彼女をこの状況から解放しなければ。

 舞子は、隣の唯斗を見た。偶然にも、彼もこちらを見ていた。二人で頷く。

「それでは、本日の命題、彼女の今後について決めましょう」

 研究者たちが一斉に手を挙げ始めた。

 今までと同じように、実験に利用する。最後の不老者として、メディアに報道させ、研究者の地位の上昇を図る。などの非人道的な意見が出る中、唯斗が指名された。

「私は、これまで彼女について独自に研究をしてきました。数年分の研究データには、皆さんが知らないことが、多く書かれていることでしょう。そこで、どうかしばらくの間、彼女を私の所で預からせていただけないでしょうか。そうすれば、より大きな研究成果をあげられるものと思われます」

 会場がざわついた。当然だろう。この場においてはイレギュラーな発言をしたのだから。

 唯斗は更に、持ってきたカバンの中から資料を取り出した。

「もちろん、ただでとは言いません。彼女と引き換えに、研究データをお渡ししたいと思っています」

 唯斗の研究データが闇研究者たちに渡れば、大変なことになるのは十分承知だった。だが、久美子を引き取ることが最優先だと考えて背負った、あえてのリスクだった。

「……なるほど。確かに、君の研究ぶりは群を抜いている。研究データもさぞかし素晴らしいのだろうね」

 木下は笑顔で頷いた。

「一度見せてもらうことにしようか。深瀬くん、前に来てもらえるかな」

 唯斗は、ステージ上に上がっていった。そして、膨大な量の資料を木下に渡す。

「……これは、期待通り、いや期待以上の出来だ」

 資料をみた木下が舌を巻く。

「素晴らしい。これほどの出来であれば、君に彼女を預ければ、もっと良いものが期待出来そうだ」

「ありがとうございます」

 さすがは唯斗だ。木下にあそこまで言わせられるのは彼しかいないのではないのだろうか。舞子は心の中でガッツポーズをした。 これで作戦は成功する。

「そうだ。せっかくだから、私からも提案してもいいかな」

「どうぞ」

 突如、木下は懐から銃を取り出し、唯斗に突きつけた。

 会場がざわついた。それまで大人しく座っていた久美子も立ち上がり、木下に向かって走り出した。が、すぐさま、袖に待機していたのであろう研究者たちに取り押さえられる。

「離してっ……!」

 普段表情を滅多に崩さない唯斗も、さすがに動揺しているようだった。もちろん、舞子も戸惑っていた。

「……どういうおつもりですか」

「ここで、君を殺して、この研究データも、立花久美子も私のものにするという提案だよ」

 木下は不敵な笑みを見せた。なんということを考える男であろう。本当に最低な男だ。

 殴りたい。懲らしめてやりたい。

 しかし、今、舞子が出ていっても、取り押さえられるだけだ。自分は見ていることしか出来ない。舞子は唇を噛んだ。

「……最初から、それが目的だったのか」

「そうだよ。君は利用されたに過ぎない」

「………」

「さあ、あとの事は私に任せて、逝ってくれ」

 どうして、どうして。こんなことがあっていいはずがない。でも、どうすることも出来ない。もうだめだ。

 舞子がそう思った時、ドタドタドタっ!とステージ裏から音がした。「待て!」と言う声とともに、ステージ上に伊都が出てきた。

「やめろ、木下!!」

「霧野 伊都……! なぜここに……」

 そこにいた誰もが驚いていたが、一番驚愕していたのは、木下だった。

「……誠が、教えてくれたんだよ」

 息を切らしながら、静かな声で、伊都が言った。



「どういうことなんだよ、誠」

 会場内で、木下が穂積の紹介をしている時、伊都は外で誠に問い詰めていた。

 実は先程、ステージ裏で誠が協力者として紹介されているのを聞いたのだ。

 耳を疑った。親友の名前が、そんな形で聞こえてきたのだから。

 伊都は、誠の紹介が終わるのと同時に、外に出て、誠が出てくるのを入口で待っていた。

 そして、出てきた所を問い詰めたのだ。

 誠は、酷く困惑していた。今にも泣きそうな顔である。

「ちゃんと言ってくれよ。協力って何だ? お前、何したんだよ」

 誠は、観念したのか、口を開いた。

「……全部話すよ」


 誠が木下と出会ったのは、伊都が自宅謹慎となった翌日の、学校帰りだった。

 帰りはいつも伊都と一緒だったので、一人というのがものすごく寂しく感じた。

 ここに引っ越してくる前までは、一人で帰るなど当たり前だったのに。やはり人間、一度友達という存在を知ると、孤独に戻ることはなかなか困難なのだと悟った。

 寂しさを紛らわしたくて、いつも伊都と別れる公園に寄った。学校帰りの小学生たちが楽しそうに遊んでいる。

 誠は、ベンチに座った。するとその数分後、白衣を着た男性が隣に座った。この季節に白衣など、珍しい。暑くないのだろうか。

 そんなことを考えていたら、突然「ねえ、君」と話しかけられた。

「え、あ、はい……」

 まさか話しかけてくるとは思っていなかったので、蚊の鳴くような声で返事をしてしまう。

「青いパーカーを着た、十二、三歳の女の子、見なかったかい?」

「え、青いパーカー……?」

 人探しだろうか。随分とアバウトな情報だが。

「そう。見てないかな?」

 十二、三歳の女の子なら、この公園にいそうな気もするが……と思い、遊んでいる子供たちに目を向けてみた。すると、それに気がついた白衣の男が、

「あ、多分、この公園にはいないよ。彼女は、そういうタイプの人じゃないから」

と言ってきた。

「子どもなんだけど、すごい大人なんだ。だから、あんな風に元気よく遊んだりはしない」

「は、はぁ……」

 子どもだけど、大人? その矛盾の意味が、誠には分からなかった。

「で、それを踏まえて、見たかい?」

「見てないですね……」

 っていうかそんな人知りません。と思わず言いそうになり、飲み込んだ。

「やっぱり、見てないよね」

 男はため息をついた。

「……あの、その人は、ご家族ですか?」

「いや、そうじゃなくてね。彼女は……その、不老者なんだ」

「不老者……って、歳を取らないっていう病気の……?」

「え、知ってるの?」

 男は意外そうな顔をした。

「まあ、多少は……」

「じゃあ、きっと研究者の不老者研究グループのことも知っているね?」

「ああ、エリートグループの……」

「私は、研究者なんだ。だから、不老者を探している」

「えっ!?」

 耳を疑った。

 研究者。それは、誠にとって高嶺の花だった。

「ぼ、僕、会いたかったんです。研究者の方に」

 そもそも誠の夢は研究者だ。研究者に会いたいと、常日頃思っていたが、まさかこんなにも早く会えるとは。あまりにも突然過ぎて、実感がわかない。

 誠は、自分の夢を話した。すると、男は笑顔になって、

「そうなのか! それは嬉しいね。そうだ、良かったら、私の研究所に来てみるかい?」

「えっ、いいんですか?」

「もちろん。その代わりと言ってはなんだけど、さっきの子を探すのに協力してくれないかな? もし、協力してくれたら、君が研究者になれるように、サポート出来るかもしれない」

 夢のような話に、誠は目を輝かせた。

「ぜひ、協力させてください!」

 こうして誠は、その男――後に木下渡と名乗った――に協力することになったのだ。

 そしてある日の塾の帰り道で、伊都が連れていた、フーカと名乗る可愛らしい少女に出会った。

 誠は驚いた。その少女は、青いパーカーを着ていたからだ。歳も十二か十三くらいで、その他の木下から聞いていた特徴もほぼ全て当てはまっていた。

 違っていたのが、振る舞いだ。木下は大人のように振舞うと言っていたが、どう見ても歳相応の子どもらしい振舞いだった。

 だが、それ以外は合っていたので、一応木下に報告はした。すると、フーカこそが、探している不老者だと思った木下は、何とか確信に変えるため一目見ようと、細かな指示を誠に出してきた。

 それがあの、講演会だった。フーカは、伊都に着いてくる。それならば、伊都を講演会に誘えば、彼女もやってくるだろうと踏んだのだ。

 だが、フーカは来なかった。これは、予想外だった。

 しかし、不老者、立花久美子の写真を見たことで、伊都が戸惑いを見せた。

 真実を認めようとしない伊都に、誠は彼女に直接確かめるよう、かなりしつこく言った。

 ちなみに、これも木下の指示だった。しつこく言えば、彼女が不老者だったか、そうでなかったかの連絡を、あちらから勝手にしてくるだろう、と言っていたのだ。事実そうなった。

『フーカはやっぱり立花久美子だった』

 講演会があった日の夜、伊都からこの一文が送られてきた。早速連絡しようと、木下の電話番号を押した。しかしその最中に『このことは誰にも言わないでくれ』と通知が来た。

 誠は、番号を押す指を止めた。どういうことだろうか。伊都に事情を聞こうと、アプリを開いて既読をつけた時、木下から電話がかかってきた。

「彼からの連絡はあったかい?」

 早く情報をくれという、催促の電話だった。結局、誠はこの電話で、フーカが立花久美子であることを話してしまったのだ。

 そして後日、久美子は無事に保護された。誠がほっと胸をなで下ろしていると、木下から連絡が来た。「学会に出てくれないか?」というものだった。

 ちょうど始業式と被っていたのだが、伊都の言いつけを破ってしまって、彼と会うのが気まずかったので、学校には行かず、親に内緒で学会に参加した。

 会場にいくと、ステージ裏の控え室に案内された。

 まだ始まるまで時間があったので、椅子に座って待つことにした。しかし、誠はまだもやもやとしていた。『誰にも言わないでくれ』という伊都からの一文が、頭から離れないのだ。

 あれは、どういう意味なのだろう。久美子は一人では生きていかれないから、保護されるべき存在であるはずだ。それなのに、どうして伊都はあんなことを言ったのだろう。

「…………」

 考えても分からないし、分かるはずもない。だからあの時、聞くべきだった。どういう事なのかを、木下からの電話を切り、伊都に電話するべきだった。

 だが、もう遅い。誠は、裏切ってしまったのだ。たった一人の友達を裏切り、木下の言うことを聞いてしまった。それもこれも、夢の為……。

「あ………」

 早い話が誠は、夢を叶えたいが為に伊都を利用したのだ。彼はようやく、自分がやってきた事の最低さに気がついた。

「僕は……」

 転校してきてやっと出来た、たった一人の友達。自分は、そんな大切な人を利用してしまった。気がつけば、急いで荷物をまとめて、彼は部屋を飛び出していた。

 伊都に会いたいと思った。

 こんな最低な自分に、会う資格などないのは分かっていたし、きっと会ったところで、絶交だと言われるだけだろう。だが、せめて全てを告白したい。その上で言われるのなら構わない。完全に、自分勝手な理由だった。

 誠が廊下を走っていると、運悪く木下とすれ違った。

「どこに行くのかな?」

「あっ……えっと」

 帰ろうとしていたとは言えず、「トイレです」と誤魔化した。

「トイレならあっちだよ」

と、木下は誠が向かおうとしていた逆の方向を指さした。

「ど、どうも……」

 誠は、弱々しくお礼を言った。

 ふと、木下の隣にいる少女に気がついた。向こうもこちらに気がついたらしく、小さな声で「マコト……」と言った。

「フーカちゃん……」

 以前見た、元気な彼女の面影はなかった。目は虚ろで、今にも倒れそうなほど顔色が悪い。

 見ているのが耐えられなくなって、誠は目線を逸らした。彼女をこんなふうにしたのは、自分だ。あんなに幸せそうだった彼女を、不幸のどん底に叩き落としてしまったのだ。

「マコト……ごめんね」

「え?」

「本……返してなかった……」

「あ……」

 そう言えば、以前、家に来た時に、誠は彼女に本を貸していた。

「あとで、イトから受け取って……。直接返せなくて、ごめんなさい……」

「そんなの、気にしなくていいよ」

「ありがとう。マコトは、優しいね」

 その言葉に、誠の胸がチクリと痛んだ。

 優しくなんかない。僕は君も伊都も裏切ったんだ。最低だよ。

「……あの本、どうだった?」

 湧き出た黒い感情をかき消すように、聞いてみる。彼女は、微笑みながら、

「すごく面白かった。……またいつか、続き、読ませてね」

と言って、一人奥に歩いていった。

「『いつか』ね。ふっ……」

 木下が鼻で笑った。なぜ笑うのだろう。誠には分からなかった。

「それでは、一ノ瀬くん。また後ほど」

 木下がその場を去ろうとした。

「あ、あの、木下さん」

 誠は、咄嗟に呼び止めた。

 やはり、どうしても気になったのだ。伊都のあの一文の意味が。

「フーカちゃん………立花久美子さんを、探していた理由って、本当に彼女の身体が弱いからですか?」

 木下は確かあの講演会でそんなことを言っていた。しかし、そんな理由で伊都が、誰にも言うな、という文章を送るとは思えなかった。

「うーん……。君には本当のことを話しておいた方が良さそうだね」

「え?」

「私たち研究者はね、不老者をとある施設に集めて、実験に利用してきたんだ。ところが彼女は逃げ出した。だから、探していたんだよ。再び何かしらの形で利用できるように」

「………」

 誠は、言葉が出なかった。まさか、そんな目的で彼女を探していたとは。

「……どうして」

「ん?」

「どうして、そんなこと……」

「まあ、単純に言えば、お金かな。実験で薬が出来れば儲かるし、不老者たちの臓器も高く売れる。あと、彼らの身体の部位も高値がつくんだ。一部で、不老者の身体のどこかを持っていると、長生きできるとか、永遠の若さが手に入るとか、そんな考えを持っている人たちがいてね」

 木下は、左手にした腕時計を見て「それじゃあ、また」と奥に消えていった。

「………」

 誠は、その場に立ち尽くしていた。

 知らなかった。

 自分は、本当になんてことをしてしまったのだろう。あんな犯罪まがいのことに自ら協力してしまっただなんて。いや、それよりも、フーカを死に追いやる手伝いをしてしまったなんて。

 ふと、先程のフーカの言葉を思い出した。

『またいつか、続き読ませてね』

 どうして木下が、いつか、という言葉に笑ったのかようやく分かった。

 このまま実験に利用されてしまえば、彼女に続きを読む日は、永遠に来ないからだ。

 誠は、制服の裾をギュッと掴んだ。幼い頃から、昂る感情を抑えるためにしてしまう癖だ。

「僕は、最低だ……」

 当たり前のことを呟いてみても、誠の中の黒い感情は、消えなかった。




「……これが、僕がしてきたことだよ」

「誠……」

 衝撃の事実が次々と発覚し、伊都はまともな返事ができなかった。

 誠が木下と接触していたなんて、夢にも思わなかったのだ。そして、あのメッセージのおかげでそんなにも葛藤をしていたとは。

「途中から、変だなとは思っていたんだ。フーカちゃんを探しているっていう話だったのに、段々……捕まえる……みたいな流れになってきて。でも、木下さんの指示は、断れなかったし、何より自分のわがままを叶えようとしたから……。それで……とんでもないことをしたんだって、さっき、やっと気がついた」

 誠は、頭を下げた。

「本当にごめん。全部僕のせいだ」

 誠は何度も何度も、「ごめん」と繰り返していた。謝ってもどうにもならないことは、彼だって分かっているのだろうが、そうしていないと気が済まないのだろう。

「……俺の方こそ、ごめんな」

「な、なんで伊都が謝るの? 伊都は何も悪くなんか……」

「いや、俺がフーカのこと秘密にしておいたから、こんなことになったんだ」

 家でフーカを匿うことなった時、伊都は誰にも相談できなかった。一番信用していた誠にさえ、言うことが出来なかったのだ。

 もしあの時、相談することが出来ていたら、誠はきっとフーカを守ることに協力してくれただろう。

「ごめんな、誠」

「伊都……」

 誠の瞳から一筋の涙が頬に伝った。

「僕も……僕も相談すればよかった。こんなことになるまで、黙っていてごめんね。本当にごめんね……」

 誠は子どものように泣きじゃくった。

 伊都は、腹の底から怒りが湧いてきた。誠にではない。木下に対してだ。

 木下は、誠を利用したのだ。こんなにも純粋な誠を……。伊都はそれが許せなかった。

「……誠、お前、フーカに会ったんだよな」

「え? う、うん……」

「どこだ、それ?」

「控え室の前の廊下だった」

「控え室……」

 ということは、そこに行けばフーカに会えるという事だ。

「控え室なら、僕、道わかるけど……」

「マジか」

「でも、多分フーカちゃんは、そこにはいないよ。時間的に学会も終盤だから、ステージに出てるんじゃないかな……」

「ステージに? なんのために……」

「分かんないけど、でも今日ここに来たってことは、何もしないで終わることはないと思う……」

「なるほどな。じゃあ行くとしたらステージだな……」

 フーカを助けなければ。木下のことだ、何をするかわからない。

「ステージは、裏から行けるよな?」

「行けるけど、ものすごい警備だよ」

「そうか……」

「でも、確か非常用の抜け道があって……そこなら誰もいないんじゃないかな」

「抜け道? 本当かよ、なんで知ってるんだ?」

「さっきステージまで案内された時に、通ったんだ。正規のルートは、すごく混雑していたから、ちょっと遠回りになるけどって言われて……」

「じゃあ、そこを通ればいいんだな。サンキュー」

 伊都は、元きた道を戻ろうと、回れ右をした。

「……僕も行くよ」

 誠の声が背後から聞こえた。振り返ると、誠は、先程まで流れていた涙を拭きながら、しっかりと前を見すえていた。

「抜け道は、迷路みたいな所だから、一人で行くのは危険だよ。僕が案内する」

「……いいのかよ? そんなことしたら、木下を裏切ることになるだろ?」

「もう裏切ってるようなもんだよ。それに、こんなことになったのは僕のせいだから、責任取らなきゃ。……この程度のことで責任が取れるわけないかもしれないけど、でも、僕に出来ることはやりたい」

「誠……」

 伊都は、ふっと口元を緩めた。誠は不思議そうな顔をする。

「お前、強くなったな」

「え? そ、そうかな」

「やっぱり嘘」

「え!? ど、どっち?」

 声を上げて伊都は笑った。誠もつられて笑っていた。こんなふうに、二人で笑い合うなど、久しぶりだ。

「じゃあ、頼んだぞ、誠!」

「任せて、伊都!」

 伊都は、誠とハイタッチをした。



 こうして伊都は、抜け道を近い、ステージへとたどり着いたのだ。案内してくれた誠には、ステージ裏にいてもらい、いざというとき助けを呼んでもらうことにした。どことなく不安そうな誠に伊都は、

「お前、俺を利用したとか言ってたからな。そのお返しだ」

と、いたずらっぽい笑みをうかべた。バツの悪そうな顔をする誠に、「冗談だって」とあわててフォローを入れる。

「あ。あと言い忘れてたけど、俺は、利用されたとか、裏切られたとか、そんなことでお前と絶交する気とかこれっぽっちもねぇからな」

 誠は、目を丸くしたが、「ありがとう、伊都」と言って、笑顔を見せた。

 伊都はというと、警備に見つかるギリギリ前の所で、待機していた。頭を出すと、ステージの様子が見えた。兄が木下と話していた。その向こう側にフーカが見える。ここからどうやってステージに行き、フーカを助けるか、そう考えていた時だった。

 木下が、兄に銃口を向けた。その瞬間、伊都は走り出していた。

 警備の中を強行突破し、ステージへと登場したのだ。

「霧野伊都……! なぜここに……」

「誠が、教えてくれた」

「誠……?」

 怪訝そうな顔をした木下に、腹が立った。

「お前に利用された、俺の友達だよ!」

「……ああ、一ノ瀬くんか。まさか夢の為に友達を利用するとは思わなかったけれど、言ってみるもんだね。本当に良くやってくれた」

 木下は、嘲笑うように言った。彼は、人をいらつかせる天才なのだろうか。伊都は腸が煮えくり返りそうだった。

「……誠から聞いた。お前、実験で死んだ不老者の身体を売って、金儲けしてるらしいな」

 会場がざわつく。まさか、この中に知らない人がいたのだろうか。

「……彼もおしゃべりだな」

 ふう、とため息をついた木下がまだ余裕そうなのが、伊都は気に食わなかった。

「それは……本当なのか、伊都?」

 後ろにいる兄が聞いてきた。

「彼に聞いたって分からないだろう? 私が答えよう。ずばり、本当のことだ」

 悪びれる様子もなく、木下が答える。

「お前、自分のしてること分かってんのかよ。お前らがやってることは、研究なんかじゃない。殺人だ!」

「……君は何もわかってないね。いいか、不老者を殺しても、それは殺人にはならない」

「は? 殺人だろ、どう考えても! 人間殺してんだぞ!?」

「それが間違ってるんだよ。不老者は人間じゃないんだ」

「……は? 人間じゃ、ない?」

 彼は何を言っているのだろう。木下の衝撃的な発言に、伊都は驚きを隠せなかった。

「十代で成長が止まってからも、心は成長を続け、なおかつ生きていられるそんな化け物みたいな奴、人間な訳が無いだろう? 人間というのは、私たちみたいな普通の者達のことを言うんだよ」

「……!」

「人間じゃないなら、人権はない。どんな風に利用しようと、私たちの勝手だ」

 木下は、銃を下ろし、上手側に歩いていった。何をするのかと、伊都が思った瞬間、彼は、フーカに銃を突きつけた。

「フーカ!!」

 伊都は、木下に飛びかかろうとした。だが、後ろから兄が腕をつかみ、それを止めた。

「伊都、落ち着け」

「離せよ!」

「落ち着け。撃たれてもいいのか」

「!」

「あれは、罠だ。近づいてきたお前を撃つつもりだ」

 兄の冷静な声に、伊都は我に返った。

 そうだ。木下が今の時点でフーカを撃ったところで、彼に利益はない。となれば、標的は自分だ。

「それから、あまり逆上させるようなことを言わない方がいい。何をしてくるかわからない」

 伊都は、兄の言う通りだと思った。

「さすが、深瀬くん。私の考えがよく分かっている。まあ、わかった所で何も出来ないだろうけど」

 木下は勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。その隣では、フーカが目をつぶってじっと耐えていた。伊都は木下を睨みつけた。

「ふっ、君は本当に、彼女が大切なんだね。あだ名までつけて、素晴らしい友情だよ」

「………」

「でも、やっぱり理解できないね。どうして、こんな奴が大切なのか。私には消耗品にしか見えないんだが」

 木下はなおも、フーカの額に銃を押し当てる。フーカの顔がさらに苦痛に歪む。

「……俺だって、理解出来ねぇよ。お前が、なんでそんなことが平気で出来るのか」

「そうかい? 簡単な話じゃないか。人間じゃないが故、世間から差別され、必要とされなくなり、居場所がなくなった彼らを有効活用しているだけだ。ゴミも減るし、金儲けも出来るし、一石二鳥だよ」

 今、なんと言った?

 ゴミと言った。フーカのことを……?

「ふざけんなよ」

 伊都は、手を硬くにぎりしめた。

 許せない。

「家族に見捨てられて、施設に預けられて、殺されそうになって、勇気出して逃げ出したら親友亡くして、安心出来る場所もなくして、それでも……それでも、一人で一生懸命生きて来たフーカを、ゴミ呼ばわりするんじゃねぇよ。ゴミはお前の方だ、木下」

「……何だって?」

「やめろ、伊都」

 後ろから兄の声が聞こえたが、伊都の怒りはおさまらなかった。

「不老者とは違う、普通の人たちが人間だって言うんなら、お前は人間じゃない。人を殺して得た金で生きて、殺したことを正当化するような、そんな最低な奴は、絶対「普通」なんかじゃねぇよ!」

 伊都は、木下の目を見て言い放った。彼はしばらく呆然と伊都を見ていたが、やがて殺意の笑顔を見せた。

「……君ってさ、正義感強いよね」

 フーカを雑に離し、銃口をこちらに向けながら歩いてくる。

「すごく素敵なことだと思うけど、今はそれを活かすところじゃない。黙って見て見ぬふりをするのが正解だった。そうすれば、私を怒らせることもなかっただろうに」

 木下は笑顔のまま、一歩、また一歩と近づいてくる。

「君が振りかざしたのは、自分の人生を棒に振るような、余計な正義感だったんだよ」

 どこかで聞いたセリフだ、と伊都は思った。

 それは、つい三週間前、伊都が進路指導室で穂積に言われた言葉だった。

 たかが百円玉を守るために、振りかざした正義感のせいで自宅謹慎をくらってしまった伊都に、穂積は言ったのだ。

『余計な正義感を振りかざして、人生を棒に振るようなことはしちゃダメだ』と。

 だが、あの時振りかざしたのが余計な正義感だったのなら、今のはどうなのだろうか。確かに自分の命を投げ出すという、人生を棒に振るどころか、終わらせるようなことはしているが、果たして余計な正義感なのだろうか。

「………」

 いや、余計な正義感などではない。これは、フーカを守るために振りかざすべき正義感だ。

 例えどのような結果になったとしても、彼女を守ることは、そのために木下と闘うことは、間違ってはいない。

「俺は、正しいことを言っただけだし、余計かどうかは、お前が決めることじゃない」

 伊都は、真っ直ぐ木下を見つめた。

「俺を殺したければ、殺せばいい。だけど、俺がいなくなっても何も変わらない。お前が殺人者になるだけだ」

 木下の顔は、いよいよ険しくなった。憎しみの表情を浮かべ、伊都に照準を定めている。

「君が……君が悪いんだからな。私を……バカにしたりするからあああ!!」

「イト! 逃げてーー!!!」

 奥からフーカの声がする。木下からは解放された彼女だったが、警備の研究者に押さえられて動けない状況だった。必死に声を飛ばしている。

 次の瞬間、銃声が聞こえた。伊都は、ぎゅっと目をつぶった。その時、後ろから左の肩を押され、床に倒れ込んだ。

「え………?」

何が起こったのかは分からないが、伊都は無傷だった。

「う……」

 後ろから、苦しそうな声がした。ぱっと振り返ると、なんと兄が倒れていた。まさか、押したのは兄で、自分を庇って、撃たれたというのか……?

「兄貴……? うそだろ、おい、兄貴、兄貴!」

 伊都は必死で兄を揺する。

「返事しろよ、兄貴! なあ、聞こえてるんだろ!? 兄貴!!」

 しかし、兄はピクリとも動かなくなってしまった。

「兄貴ーー!!」

 伊都が力いっぱい叫んだと同時に、警察と救急隊員が、会場に入ってきた。

 伊都は、ただただ、「兄貴」と叫ぶことしか出来なかった。

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