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青の名前  作者: あお
12/20

一生のお願い

 ドスン!!

 伊都の部屋に鈍い音が響いた。伊都がベッドから落ちた音であった。自分の身に起きたことがわかるまで、数秒はかかったのだが。

「いって………」

 まさかこの歳でベッドから落ちるとは。腰のあたりに鈍い痛みが走る。

「……おはよう」

 フーカの声が聞こえた。首を動かすと、勉強机の前に座っていたフーカが、呆れた顔で伊都を見ていた。

「……早くね?」

「あなたが遅いんでしょ。もう九時よ」

「いや、そうじゃなくて、お前が俺より早く起きてることが珍しいなってさ」

 伊都は「よいしょ」と起き上がった。

「まあ、そうかもね」

 素っ気ない返事をして、フーカは椅子から立ち上がり、部屋から出ていった。

「どこ行くんだよ」

 ドア越しに聞くと、

「お手洗い」

 面倒くさそうな声が返ってきた。

 伊都はふと、壁に貼ってあるカレンダーを見た。今日は日曜日だ。

 気がつけば夏休みはあと五日しかなかった。色々とあり過ぎて、ただでさえ短い夏休みが更に短く感じる。

 学校が始まれば、フーカはこの家に一人でいることが多くなる。それはあまりにも不安だ。いつ闇研究者たちが襲ってくるか分からない。夏休みが終わるまでに、なんとかしなければ。

 伊都がそう考えていた時、玄関のチャイムが鳴った。「はーい」と下の階にいる母の声が聞こえた。

 同時に、フーカが部屋に戻ってきた。顔が真っ青で、酷く慌てている様子だった。

「どうしたんだよ」

「……研究者が……キノシタが、来た」

「木下……って、施設を建てたっていう……?」

「そう」

「何で家に?」

「私の存在に……気がついたのかもしれない」

「え!? 早すぎねぇか?」

「信じたくないけど、そうとしか考えられない。こんな……ピンポイントでやって来るなんて」

 数人で階段を登ってくる音が聞こえた。伊都はあわてて、フーカをクローゼットに押し込んだ。

「ちょっと、え!?」

「いいからここにいろ。声出すなよ」

「でも!」

「大丈夫だ。なんとかなる。絶対、出てくんなよ」

 不安げなフーカにそっと微笑み、伊都はクローゼットのドアを閉めた。

 ちょうどそのタイミングで、部屋のドアが開く。白衣を着た数人の男たちが入ってきた。その後ろで、母が必死に、

「だから、何なんですか、あなたたちは! 突然来たと思ったら、勝手に上がり込んで……」

と言っていたが、そんなことはお構い無しに、彼等はずかずかと部屋に入ってきた。

 一人の男と目が合う。

「君が霧野くんか」

 その端正な顔立ちで、伊都はピンと来た。そうだ、一昨日の講演会で話していたのは彼だ。名前は分からないが、名字は確か木下だったはずだ。

 優しそうな彼が、あの施設を作った闇研究者であるなど信じられないが、人間見かけによらない。

「……木下、さん」

「お、僕を知っているんだね」

「………」

「もしかして、講演会に来てくれたのかな? なら話は早い」

 当たりである。彼はやはり、木下 渡

わたる

であった。

「ここに、立花久美子がいるという情報があってね、ぜひとも引き渡して欲しいんだ。彼女は不老者で、とっても病弱だから、普通の環境じゃ生きていけない」

 その言葉に、伊都は腸が煮えくり返りそうだった。違う。そんな理由で彼女を欲しているのでは無い。伊都はもう分かっていた。だってフーカは、立花久美子という人物は、デパートや遊園地に行っては、伊都のことなどお構い無しに、時には伊都を連れ回すような、底なしの体力を持つ「普通」の元気な女の子なのだから。

「……ここに、その立花久美子さんはいません」

 お前らなんかに、渡すもんか。そんな意味を込めて放った言葉だった。

 木下はため息をついて、ポケットから細長い紙を出して、伊都に渡した。

「……なんだ、これ」

「これはね、小切手だよ。彼女を渡してくれるなら、ここに書いてある金額を支払うことを約束する」

 小切手には、一千万という数字が書かれていた。

「………」

 伊都は、小切手を破った。怪訝そうな顔をした木下は、何を思ったのか、後ろにいる母にもう一枚、小切手を渡した。

「お母さんに渡すべきでしたね。では、どうぞ」

 母は、しばらく小切手を眺め、唇をかみしめ、ビリビリに裂いてそばにあったゴミ箱に捨てた。

「………これでもダメか」

 木下は大きなため息をついた。そして、伊都の方を向き、貼り付けたような笑顔を見せた。

「こんなことで諦めないよ。僕たちはどんな手を使ってでも、彼女を手に入れる」

「おじゃましました」と言い、彼等は部屋から出ていった。階段を降り、玄関が閉まる音がする。

「……出てきていいぞ」

 伊都がそう言うと、クローゼットがそっと開き、フーカが出てくる。

「やっぱりあの人たち、普通じゃないわ。こんな強引なやり方……」

 母が怒りに震えながら、下を向く。

「………ごめんなさい、私のせいで」

「フーカちゃんは、何も悪くないわ。私たちはあなたを守るって決めたんだもの。これくらいのこと、どうってことないわ」

「でも……」

「大丈夫。心配しないで」

 母はフーカの頭を撫でた。だが、彼女の顔は晴れなかった。



 その日の夜遅くに、電話が鳴った。母が風呂に入っていたので、伊都が出たのだが、電話はしばらくの沈黙の後切れてしまった。

 このような無言電話が、二、三時間の最中に十回は来た。

 やっと終わったと思ったら、今度はFAXが送られてきた。大きな文字で「立花久美子を渡せ」と書いてあった。

 木下たちの嫌がらせが始まったのである。

「…………」

 上等だ。受けて立ってやる。伊都は、送られてきた紙を破り捨てた。


 嫌がらせは日に日に酷くなっていった。石を投げられ窓ガラスにヒビが入ったり、ドアに落書きをされたり、壁を蹴られたり、ついには木下たちだけでなく、一般の、あの講演会に来ていた熱烈な木下ファンたちまでもが、嫌がらせに加わるようになった。近所の人たちだけは、嫌がらせをすることはなかったが、現場を見ても皆、見て見ぬふりをした。さすがに外にも出られなくなり、カーテンも一日中閉めたままの生活が、二日間ほど続いた。

 夏休みが残り二日となった夜。この日だけはなぜか嫌がらせをされることがなかった。諦めたのだろうか。しかし伊都はそうは思えなかった。またきっと、再開するだろう。もしかしたら、特大の嫌がらせの準備をしているのかもしれない。

 ベッドに入りながら、こんなことを考えていると、床に敷いた布団の中のフーカに話しかけられた。

「……イト」

「ん? なんだよ」

「一緒に、寝てもいい?」

 予想外の言葉に、伊都は思考が停止した。

「…………え? いや、え?」

「お願い」

「いや、でも、ほら夏だし、暑いだろ」

 半分言い訳だった。第一、伊都は女子と寝るなど経験したことがない。

「怖いの」

「………え?」

「……………」

 起き上がったフーカは俯いていた。手も震えている。

『怖い』。今までのフーカを見てきて、色々な意味が込められているのだと悟った。決して嫌がらせだけが恐怖なのではない。たくさんの不安が彼女を襲っているのだ。

 伊都は、少し横にずれてベッドにフーカの寝るスペースを作った。

「……いいの?」

「おう」

「ありがとう」

 フーカが、ベッドに入ってきた。随分と狭くなり、案の定暑いが、彼女は安堵の表情を見せていた。これでいいのだろう。

「……ねぇ、イト」

 フーカがぐいっと、顔をこちらに向けた。

「ん?」

「手、繋いで」

「マジ?」

「お願い」

「いや、それはさすがに……」

「一生のお願い」

 彼女の目は真剣だった。あくまでも、安心を得たいだけなのだ。伊都は、ため息をついて、思い切って手を繋いだ。

「!」

「……一生のお願いとか、こんなことで使うなよ」

「……ありがとう、イト」

「……おう」

 二十歳にして十二歳の体のままの彼女は、手も小さかった。だが、そんなことは、もうどうでもよかった。今、ここに、フーカがいる。それだけで良かった。



「…………………」



 いつの間にか朝になっていた。意外とぐっすり寝られていたらしい。

 今日は、夏休み最終日。今日で、フーカのことをどうにかしなければいけない。

 フーカは、よく眠れただろうか。

 伊都は、横を向いた。

 フーカは、

「………!?」

 フーカは、いなかった。

 ベッドから落ちたのかと思い、探したが、いない。

 クローゼットも開けてみたが、やはりいない。

 ふと、勉強机の上を見た。そこには見慣れない封筒が置いてあった。

 伊都はそれを手に取り、中の便箋を出した。

 そこには、小さな文字で、文章が書かれていた。


『イトへ。

 突然出ていったりしてごめんなさい。

 あなたと過ごした日々は、本当に楽しかった。今までにないくらい。このままずっと一緒にいたかった。

 でも、やっぱり、この家に私が居ることがバレた以上、ここには居られない。私が居ることで、迷惑がかかるって、わかってるから。

 それでも守るって、イトは言ってくれた。すごく嬉しかった。でもね、私はやっぱり、私のせいで大切な人たちが傷つけられるのは嫌なの。

 私は、イトとお母さんに幸せになって欲しいから、一人になります。

 イトもお母さんも、私にいっぱい愛情を注いでくれたから、もう一人でも大丈夫。寂しくなんかありません。

 最後に。

 私を助けてくれてありがとう。色々な所に連れて行ってくれてありがとう。受け入れてくれてありがとう。

 フーカって名前をくれてありがとう。

 私が立花久美子だって分かっても、フーカって呼んでくれて、ありがとう。

 ここには書ききれないけれど、私はたくさん感謝しています。

 ありがとう。さようなら。

 フーカより』


 全てを読み終えた時、伊都の手は震えていた。

「………あのバカ!!」

 伊都は手紙を握りしめ、部屋を出て、階段を駆け下りた。トイレ、風呂場、物置、リビング。全ての部屋を見て回ったが、彼女はどこにもいなかった。

「ちょっと、どうしたのよ。朝からそんなにバタバタして……」

 キッチンで料理をしながら、母が言った。

「母さん……。フーカが……」

「フーカちゃんが、どうかしたの?」

「……いなくなった」

「………え?」

 母は、料理をする手を止めて、完全にこちらを向いた。

「どういう、こと?」

「いなくなったんだよ、フーカが」

「フーカちゃんが……なんで……」

 伊都は、母に手紙を差し出した。

「フーカちゃん……」

 母は、ただひたすらに彼女の名前を呼ぶだけであった。

 伊都は、いてもたってもいられなくなり、部屋に戻って着替えをし、玄関に向かった。

「ちょっと、伊都! どこにいくの!?」

「探してくるんだよ! 今なら、今ならまだ近くにいるかもしれないだろ!」

「そんなの無茶よ!」

「でも!」

「……伊都。フーカちゃんなら、きっと、一人でも大丈夫よ。あの子は、すごく強い子だと思うの。もう私たちの力を借りなくても、生きていけるわ」

 母は、伊都をなだめた。だが、伊都はどうしても納得出来なかった。

 例え強くても、今の世の中は、彼女が一人で生きていかれる状況ではない。

「………あいつは、もう充分一人でいたんだ。これ以上、一人になる必要なんてないんだよ」

 伊都は、外に出た。快晴だった。太陽が照りつけている。おかげで朝だというのに、暑い。さすがは夏である。田舎であろうが関係ない。

 伊都は走った。彼女を見つけたい一心で走り続けた。デパート、遊園地。隣の町の思い出の場所にも、電車に乗って行った。もちろん、今まで行ったことのない場所も行った。

 方向音痴故、家に帰ることが困難になるかもしれなかったが、そんなことは頭になかった。フーカさえ見つけられたら、それで良かった。



 どれくらい時間が経っただろう。気が付けば日が暮れて、月が出ていた。だが、結局、フーカは見つけられていなかった。伊都はとぼとぼと歩いていた。奇跡的に家の近所へと戻って来ていた。

 その時、花火のあがった音が、あたりに響きわたった。そうだ。今日は夏休み最終日。フーカと、一緒に行こうと約束していた花火大会の日であった。

 上を見上げる。夜空には、色鮮やかな花火が、いくつもあがった。

 もし、隣にフーカがいたら、あの無邪気な笑顔ではしゃいでいたのだろうか。それとも黙って空を見上げて、目を輝かせていたのだろうか。

 分からない。

 分からない。

 どんなに考えても、分からない。

「…………っ」

 伊都はたまらず、家へと駆け出した。

 家へ着き、ドアを開けると、母が「おかえりなさい」と、弱々しい笑顔で迎え入れてくれた。

「……フーカちゃん、無事保護されたそうよ。さっき、ニュースでやっていたわ」

「…………」

「………お腹空いたでしょう? 朝、何も食べないで出ていったから」

「…………」

「今、夕飯の準備するわね」

「…………」

「伊都?」

「………母さん。俺、守れなかった」

 伊都は、やっとの思いで言葉を紡いだ。

「そんなこと……」

「何も、出来なかった………」

「!」

 不意に、頬を一筋の涙が伝った。自分の無力さと不甲斐なさを嘆いた涙だった。

「伊都………」

「っ……」

 一度堰を切った涙は、なかなか止まってはくれない。後から後から溢れてくる。

「……そんなことないわ、伊都」

 伊都は母に抱きしめられた。

「手紙を見たでしょう? あの子はあなたにあんなにも感謝しているのよ。……あなたは、頑張ったわ」

 優しい声で、母はそう言った。その言葉も、母の温もりも、あまりに暖かくて、伊都の涙は止まるどころか、ますます溢れるばかりだった。

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