表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

コアラ

彼女と並んで動物園内を歩く。この動物園の目玉動物の一つでもあるコアラを観に来た。コアラ舎の中はユーカリの木の幹がたくさん生い茂っている。そのユーカリの森の様な室内にはコアラが生息しており各々が幹や枝と枝が交差した部分にいた。彼女がコアラを見て「かわいい!」と言って笑っている。コアラは半夜行性で一日のうち十八時間は寝ている。今ここにいるコアラの殆ども寝ている。顔は見せずうずくまって動かない。背中を丸めてまるで二日酔いのおっさんみたいだ。そんなコアラを見て彼女は「かわいい!」と言う。「顔も見せずに寝ているコアラのどこがそんなにかわいいのか?」という疑問が一瞬頭をよぎったが、女性というのはそういうものなのだ。自分に言い聞かせる。

僕みたいな露出した頭皮の人間がこんな美人と一緒にいさせて頂くだけでありがたいことなのだ。寝ているコアラに飽きたのかすれ違う男性が時々彼女を見て振り返る。そのぐらい彼女は美しく可愛いらしい人だ。

僕は彼女に一目惚れしてしまった。あんなに一目惚れを毛嫌いしていたくせに外見から人を好きになってしまった。今まで僕に告白をしてくれていた女性たちに謝罪したい気持ちだ。人を好きになると「嫌われたくない」という気持ちと「好きになってほしい」という気持ちが膨らむ。 僕の人並み以上の自尊心が恋をしたらさらに大きくなってしまった。

あんなにも人と関わることを避けてきたのにその気持ちを無視してまで人と関わりたいと思うようになるなんて。どうしてもこの欠点だけは彼女にばれてはいけない。僕はかっこいい僕であるために彼女に嘘をつき続けなくてはいけない。だって僕は彼女に嫌われたくはないから……。


コアラ舎を出て少しベンチに座って休むことにした。

園内は広いため歩き回って少し疲れてしまった。

腰掛けたベンチからは池が見えた。白鳥の形をしたペダルボートにはカップルが乗ってはしゃいでいる。手漕ぎボートにはお爺ちゃんと小さな女の子が乗っており、女の子は池の外でカメラを構えているお母さんに向かって手を振っている。土日はすごく混んでいる動物園も平日の今日はいつもより人が少ない。賑やかな場所が好きではない僕にはとても有難い。恋人達や家族連れが楽しそうな様子を見て長閑だなとふと思う。

近くの自販機で飲み物を買って彼女に渡した。「ありがとうございます。さっきのコアラたちかわいかったですね」彼女がにっこり微笑んで言う。「かわいかったですね」僕も相槌する。「コアラってなんでずっと寝ているんでしょうね。寝ている姿もかわいいですけど」彼女が聞く。「それはコアラが常食しているユーカリの葉には毒が含まれていて解毒するためには大量のエネルギーが必要なんです。そのために一日に約20時間も寝ているんですよ」

しまった……。普通に答えてしまった。こういう理論的な受け答えは若い女性からの支持率が圧倒的に低いのだ。しかし、この場合のかっこいい受け答えというのはどういうものだったのか? 事前にネットで調べたところ女性との会話はとにかく「共感力」とのことだったので今回のデートもそれを徹底してきたつもりだったのに僕としたことが集中力を欠いてしまった。この会話の流れも「そうですね。」と答えるあたりが無難だったのではなかろうか。頭のなかを高速で後悔が駆け回っていたところ、彼女から意外な反応が返ってきた。「そうなんですか! それは知らなかった。あんなにグウタラしているように見えて寝ながらも必死に生きてるってことなんですね。じゃあそのユーカリの毒とは一体どんなものなのですか?」彼女は元々大きな目を更に大きく見開いて驚きと嬉しさに溢れんばかりの顔をして聞いてきた。 その予想外の反応にこちらの方が驚いてしまった。「た、確か青酸だったような。他にも繊維質だから消化されにくいってのもあるけど……」僕が持っているありったけのコアラ情報をひけらかした。「へぇ、青酸って言ったら猛毒ですよね。そんな恐ろしいものを食べてあんな何食わぬ顔で寝てたんですね。コアラって強者ですね。益々好きになりました」好奇心に溢れる子供のような反応だ。意外だったがこの反応は……。

以前にも一人だけ同じような反応をした女性と会ったことがある。その女性は僕の殆どいない友だちの中の一人だった。ことさらに言うと僕にとって始めて心を許せた友だちだった。ただ、そんな友だちにさえも僕の秘密はうち明かすことはなかったが……。

横塚さんと彼女が重なったが、横塚さんが彼女な訳がない。まず、外見が全く違う。性格も違う。それに彼女がここにいる筈がないんだ。だって彼女はもう遠いところに行ってしまったんだから。僕が知らないうちに……。

彼女は続けて僕に聞く。「でもなんでコアラはそんな危険な毒のあるものを常食するんでしょうか。他にも選択肢はあった筈なのに」確かになぜだろう? 危険とわかっていて敢えてそれをするしかない理由があったのか。いや、もしかしたら選択肢なんて始めから存在しなかったんじゃないか? 「たぶん、そうするしかなかったんじゃないかな。毒と知っていても生き抜くために毒を選ぶしかなかったんじゃないかな」僕はコアラじゃない。毒を選んでまで生きなくてもいい。だけど、なぜか今の自分と重ねてしまった。コアラの摂取している「毒」が自分のついている「嘘」だとしたら生き抜くためには突き通すしか術はないのだ。それしか自分が自分らしく生きていくための選択肢はないのだから。



「きゃーっ!」

長閑な風景の中から急に悲鳴が上がった。その悲鳴はさっきお爺ちゃんと女の子の写真を撮っていたお母さんからだった。 目の前に浮かんでいた手漕ぎボートが転覆していた。お爺ちゃんは慌ててボートにつかまったが女の子はボートから少し離れたところで手足を必死に動かしてなんとか水面から浮かぼうとしている。

お母さんは頭を抱えて困惑しその場でたじろいでいる。動揺して今にも泣き出しそうだ。白鳥のペダルボートに乗っているカップルは驚愕の顔をして固まっていたがすぐに決心したのかボートを女の子の方へ動かし始めた。しかし、カップルのボートがあるのは女の子のいるところからは少し離れていた。女の子が溺れている場所は僕たちがいるベンチからはさほど離れてはいなかった。「助けなきゃ!」横塚さんが持っていた荷物を放り出して池に入って行こうとしていたその時、僕は自分の意思とは別に体が勝手に動いていた。横塚さんが池に入るよりも先に走り出して女の子のいる池に飛び込んでいた。


女の子を抱えて池から戻ったら女の子のお母さんが泣きながら駆け寄って来た。「ありがとうございます! ありがとうございます!」と泣きながら頭を下げられた。しかし、お母さんが頭をあげる度に視線がおかしな方を向いている事に気付いた。明らかに視線が僕の顔よりも上にあるのだ。頭を下げる最後の方はどこか頰に含んでいるようなものも感じたくらいだ。「いえいえ、とんでもないです」とだけ伝えて去って行く姿を見送った。お母さんの後ろ姿はどことなく肩が震えているように見えた。

実際は僕が助けなくとも女の子はちゃんとライフジャケットを装着していたので助かったのだが……。あまりの女の子の慌て様につい体が動いてしまった。お爺さんも同じ様にライフジャケットを着けていたのでボートにしがみついて待っていたら係の人に無事助けられていた。

去って行く後ろ姿が見えなくなった後、僕はすかさず自分の頭を確認した。そこにあるのは濡れた頭皮と少なからずの毛髪だけだった。さらに少なからずの毛髪は池の水によってセットされ束感が生まれていた。禿げ上がった頭にそのか細い束のそれぞれが海藻の様にこびりつき想像しただけで最悪の状態になっていた。

「帽子がない……」

僕の動揺はさっき女の子が助けられる前までのお母さんの動揺さながらだった。辺りをキョロキョロと見回しても見つからない。その場にしゃがみ込んで呆然としていると、横塚さんが立っているのが見えた。手には僕のキャップ帽を持っている。近づいてきて僕の海藻がこびり付いているような頭にキャップ帽を被してくれた。

それから持ってた鞄の中から花柄のハンカチを取り出して僕の顔を拭き、僕の掛けていた伊達眼鏡を外してハンカチで拭いてくれた。僕の手を取って立ち上がらせ、握った手をそのままにさっきまでいたベンチに連れられそこに腰掛けた。

「さっき、かっこよかったです」横塚さんが僕を見て微笑んでいる。僕は何も言葉がでない。「終わった」と思った。僕が隠してたことも僕たちの関係も僕の存在意義も全てが終わってしまった。僕はただの嘘つきになってしまった。僕がしてきた努力はまたも無駄だったのだ。僕には何もなくなってしまった……。絶望感と羞恥心で彼女の顔がまともに見れない。

「私、鶴田さんに話したいことがあるんです」

彼女が肩に少しだけ掛かる髪を後ろに纏めながら話をしている。もう大体の見当はついている。彼女の事だから気を使って優しくしてくれているのだろうが、良い結果になる様な事は決して言われないだろう……。

「鶴田さん、私あなたに嘘をついていました。」心優しい彼女は最後まで僕の事を傷つけないように自分を悪者にしようとしてくれているんだなと感じた。優しさが身に染みて益々虚しくなる。「私の顔をよく見て下さい。覚えていませんか?」彼女に言われてそれまで俯いていた顔を上げた。彼女は手に握り締めていた僕の伊達眼鏡をかけて髪の毛を後ろでひとつに結んでいる。

横塚さんの顔を見て「眼鏡をかけた顔もやっぱりかわいい」と不謹慎にも思ってしまったが、邪神を振り払ってまじまじと観察してみると今まで塞き止められていたものが急に溢れ出したかのように一気に記憶の波が押し寄せて来た。

「もしかして…ヨコヅナ?」

彼女は恥ずかそうにそして申し訳なさそうに一瞬目を伏せたが、すぐに僕の目を真っ直ぐと見つめ直してしっかりと頷いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ