コンドル
『コンドルがハゲているのは死体を漁る動物だからです。大型動物の死体に頭を突っ込んで食べるので、その時に血液が毛に付いて不衛生になるのを防ぐために毛がなくなったのです』
これを読んだ時、まさに脳天に雷が落ちたかのような衝撃を受けた。
僕は今動物園にいる。猛禽類のエリアでふと目に止まったコンドルを眺めていた。何気なく動物の紹介を読んでいたところ、先程の衝撃を受けたのだ。「コンドルは見た目のカッコ良さよりも生きることを取ったのだ……」それは自分自身の愚かさや弱さから感じたものだった。
正直なところコンドルに対して今まではさほど興味もなく動物園のスター動物たち(例えば象やキリンやライオンなど子どもたちが発狂して喜ぶ人気動物たち)の陰に隠れひっそりと存在している動物であり、意識して見ようと思わなければ存在さえも気づかないような動物だった。今回の件で、僕の中でのコンドルの見え方が180度変わった。
実は今僕はデートなるものをしている。
そして僕はある秘密を抱えている。
「ある秘密」というのは僕が被っているキャップ帽の下にある。キャップの下に潜んでいるのは滑らかに露出した頭皮と少なからずの毛髪だけだ。
つまり簡潔に言うとハゲているのである。
今回のデートは僕にとって一世一代のデートとなのだ。秘密は何がなんでも隠し通さなければならない。
この秘密を抱えていたため普段はなんとも思わなかった存在であるコンドルに対して衝撃を受けたのだ。「潔い」この一言に尽きる……。
スター動物の陰に隠れていたコンドルが今は頭頂部以外も輝いて見えるようだ。大事な部分を隠してしまっている自分を恥じる。カッコ良さよりも生きることを選ぶなんて今の自分には到底できない諸行だ。「鶴田さんは鳥が好きなんですか?」彼女の声にはっと我に帰った……。「いえ、そんな事はないんですが、ちょっと考え事をしてしまって……すみません」僕はデート中に考え事をしてしまったことを恥じる。「いえ、大丈夫ですよ。ずっと熱い眼差しで眺めていらっしゃったので……。名前も鶴田さんだから鳥が好きなのかと思ったんです」彼女と目が合った。そして彼女は少し頰を赤らめた。それからにこっと微笑んで、不自然なくゆっくりと視線を鳥に送りまた話し始める。
「私、鳥が好きなんですよね。鳥を観ていると空を飛ぶのってどんな感じなんだろうって考えます。空を自由に飛べたらきっと気持ちがいいですよね」同じ「鳥」をテーマにしてこんなにも真っ直ぐで淀みのない感想がでてくるは……。本日二度目の衝撃を受けた。
肩に掛かるくらいの長さの髪をなびかせて彼女がこちらに振り向く。「鶴田さんが鳥だったらどんなところに行きたいですか?」この質問が次にくるのは大方予想がついた。「まず人間が鳥になることは生物学的には不可能なことですが。そうですね、強いて言うなら……そう、このコンドルだったら……その禿げた頭頂部を気にせずに大好きな大型動物の死骸に頭を突っ込んで腹いっぱい貪り食べ、その満腹感と満足感の余韻に浸りながら大空を飛び回り高らかに人々の頭上を見下ろしたいです」なんてこと言える訳はない。質問の予想はついたものの答えがわからない。
「うーん。どこだろう……。でも、しいて言うなら空を高く飛んでいつも観ている景色を見下ろしてみたいです」そんなありきたりな答えを返す。「いいですね。私もこっちに引越してきたばかりでこのあたりことがよくわからないので鳥になって空から町中を見渡してみたいです」彼女は僕のありきたりな答えに対しても誠実かつ丁寧に返してくれる。「横塚さんはどこか行ってみたいところはありますか?」今度は僕が彼女に質問をする。僕の質問に彼女はまた少し頰を赤らめ少し俯き加減で恥ずかしそうに僕を見ながら「鶴田さんと行けるならどこでも……」
好きだ……。思わず抱きしめてしまいそうだった。無論、そんな勇気はないが。
なぜこんなに可愛い人が僕のことをこんなにも思ってくれているのだろう…不思議でたまらない。
彼女との出会いは引越しのアルバイト中だった。
僕が引越し会社をアルバイト先として選んだのは絶対に曲げられないポリシーというものがあってのものだった。
そう、それは「禿げた頭頂部を隠せること」である。それ以上でも以下でもない。あと一つあげるとするなら給料がいいからだ。
親に無理を言って都外の大学に入学したので家賃や生活費を自分で稼がなければならなかった。都内の方がいい大学はあったのだがどうしても自分のことを知らない人達のなかで生活してみたかったのだ。
彼女はこの春から大学へ入学するため同県内の自宅からアパートで一人暮らしをする。同県内の大学と言っても電車で片道二時間半掛かるようなので一人暮らしをすることを決めたそうだ。
大型の家具などを運ぶために僕のアルバイトしている引越し会社へ頼んできた。その引越しで僕たちは出会った。通常その程度の引越しなら引越し会社に頼まずに身内だけで済むものなのだが、彼女のご両親を見てなるほどなと思った。彼女の年齢にしてはお年を召しているご両親だったので、この大きな家具たちを運ぶのは一苦労だろうなと思った。
先輩と二人であっという間に運んだら彼女やご両親にも必要以上に感激された。僕たちにとったら慣れていることで取り立てて大変ということもなくむしろ楽な方の仕事だったのでなんだか照れくさかった。先輩は褒められたのが余程嬉しかったのか調子に乗ってベットを一人で運ぼうとしていたので、そこはご両親に止められていた。
お礼に心づけまで頂いてしまった。お札を曲げないでまっすぐに入る大きさの封筒に入っていた。先輩は車に乗ったらすぐ中身を確認しだした。
「さっきの引越し先の女の子かわいかったよな〜」先輩が封筒の中を覗きながら呟いた。「この中に連絡先とか入ってるわけねぇよな」僕は無言だった。しかし心の中で「そんな都合のいい話ある訳ないでしょ!」とすかさず突っ込んだ。
ただ、彼女がかわいいのは先輩の言うことでは珍しく当たっている。本当にかわいかった「可憐」と言う言葉がとても似合う。ご両親に大事に育てられたんだろうなと感じさせる育ちの良さが滲み出ていた。ご両親に引越しの手際の良さを褒められたから仕事が捗ったというよりは彼女が僕たちが家具を運ぶたびに大きな目を丸くして驚き、手を叩いて喜んでくれるのでそれが嬉しくてついつい捗ってしまった。
先輩に便乗して封筒の中身をチラッと確認する。
よく見るとお札とお札の間の明らかにお札の大きなではない紙が挟まれている。小さなメモのようだ。
先輩に「どうした?」と聞かれたが「いや、別に……」とだけ答えた。
先輩は「あーかわいい彼女が欲しいな〜。あの子のあの喜びようはぜってぇ俺に気があるはずだな」と言いながら封筒を逆さにしてお札を振り落とし封筒の底を覗き込むようにして確認していたが、その中にメモらしきものは見当たらなかった。先輩は出したお札の枚数を舐めた指で数えていた。めんどくさいことになりそうなのでメモのことは先輩には秘密にしておこうと一人心に誓った。
家に帰ってからお札の間に挟まっていたメモを確認すると「今日はありがとうございました。鶴田さんとまたお会いしたいです。連絡を頂けたら嬉しいです。電話番号〇〇〇ー△△△△ です。 待っています。横塚 花純」と書いた花柄の可愛らしいメモが入っていた。
何かの間違いではないか?と疑ったが僕も素直にまた会ってみたいと思ってしまった。すぐにでも連絡したかったが一応一日待ってみてから彼女に連絡してみた。
それから二、三回会ってみて今日の動物園デートに至る訳だが、何か進展がある訳でもなくなぜ僕にそんなに好意を持ってくれているのかが分からない。ただひとつ、もしかしたらと思っているところは僕の外見だ。これは冗談で言っているのではない。自分で言うのも何だが今まで何人もの女性から告白を受けてきている。その度に「僕のどこが好きなの?」と聞く。決まって答えは「一目惚れです」だ。僕の見た目は良い方らしい。頭皮以外は。
十代までは頭皮の過度な露出を髪の毛で隠すことができた。風が吹いたら手で額を抑えればよかった。突風や髪が振り乱れるのが恐ろしかったのでなるべく教室の隅や図書館で一人静かに過ごした。ただ、運動は好きなので幼い頃から剣道だけはずっと続けていた。なぜなら、面で頭が隠れるからだ。
徹底した取り組みの末、今の今まで僕の露出した頭皮を家族以外の誰かに見せたことはない。父親も祖父も親戚もうちの家系は「二十歳過ぎると一気に毛髪の後退が始まるぞ!」と禿げ上がった頭を並べて口酸っぱく言うので子供の頃からその点に関しては危機管理能力が強かった。周りの子供たちがアニメやヒーローに憧れておもちゃを買うなか、明らかに怪しいであろう深夜のテレビショッピングで売っているシャンプーやヘアブラシを少ないお小遣いを貯めて購入した。わかめなどの海藻類は嫌ってほど食べたし、毎日の頭皮マッサージは欠かさなかった。その積み重ねで磨き上がった腕前はプロ級のもだと自負している。発毛に効くであろうということは全て試してきた。もうやり尽くした。でも全て駄目だった。僕がやってきたことは全部無駄な努力だったのだ……。
女性から受けた告白も全て断って来た。 友達もほとんど作らなかった。僕は欠点を誰かに見られるのが怖かった。ずっと遠くからかっこいいと言われているままでいたかった。他人と関わって本当はかっこよくない自分を見せるのが恐ろしかった。かっこいいと言われている間は僕はこの世に存在してもいいんだと思えた。かっこよくなければ僕は僕でないような気がした。
成人してからは案の定、額が一気に後退した。もう髪の毛では隠せなくなってしまった。そのため常にキャップ帽を被って頭皮を隠すようになった。伊達メガネもかけ始めた。これで顔のことも言われないので気分がすごく楽になった。存在を否定されるのが恐ろしいのなら始めから存在しなければいいんだと気づいた。だから今までの僕のことを知らない土地で生活してみたかった。