アシダカグモvsメカアシダカグモ
最強のハンター。
人類における共通の敵、ゴキブリを倒す者。それがアシダカグモだ。
しかしアシダカグモはその大きさと見た目のグロテスクさから、ゴキブリ以上に恐れる人も少なくはなかった。
そんなとき、誰かが言った――
「アシダカグモを機械で作ればいいじゃないか」
全てはそこから始まった。
計画は順調に進んでいった。実験に次ぐ実験が行われ、試作機は数千、いや数万体にも及んだ。その犠牲の上に完成したメカアシダカグモプロトタイプは、完璧と言って差し支えないものだった。
すぐに量産体勢が取られたよ。だが、その直後だった――
「と、とめろっ、いますぐメカアシダカグモを止めるんだ!」
「ダメです! アクセス拒否っ。止められません! うわああっ!!」
研究施設は壊滅。
データも全て消去された。
そうだな、あれは反乱だったのだろう。彼らには確かに意思があった。無惨にも潰された試作機の恨み、とでもいうべきものが。
そして秘密裏に戦争が始まった。人類とメカアシダカグモの戦争が――
「ヤツらは音もなく獲物に近づいて殺す。目を付けられたら最後だ。気をつけろ。ヤツが通ったあとに人間は一人も残らない。だが、俺はヤツらの壊し方を知っている」
そう言ってメカアシダカグモに戦いを挑んだ軍曹は、その日のうちに死んだ。
戦況は圧倒的に不利だった。なにしろレーダーにも映らない最新機器だ。我々には姿をとらえることもできないのだからな。
だが、ある日のことだった――
「あれはなんだ……。クモがクモを食ってる? いや、違う……。アシダカグモだ……! アシダカグモがメカアシダカグモを殺してるんだ!」
なぜか。その答えはアシダカグモの習性にあった。
遺伝子の妙というやつだな。アシダカグモは同形態の非生物ロボットに特別な敵対心を燃やすことが確認されたのだ。
やがてアシダカグモは、メカアシダカグモを食べたことで突然変異を起こし、電気を帯びた糸を出すメカアシダカグモキラーと呼称される新たな種へと進化した。
だがメカアシダカグモもその状況をただ見ているだけではなかった。自らのファームウェアを更新し、インターネット、つまりWi-Fiを利用して世界中に散らばったメカアシダカグモに配信したのだ。
個々の状況をフィードバックできるメカアシダカグモネットワークによって、弱点だったアシダカグモの電気ショックを無効化する強化外骨格を形成することに成功した。
そして、それによって地域の独自性をも確立していった。都市部であればコンクリートメカアシダカグモ、シリコンバレーではシリコンゴムを纏ったシリコンメカアシダカグモ、長崎では工芸品のビードロを纏った美麗なガラスメカアシダカグモなどが誕生したのだ。
しかしアシダカグモとて無能ではない。メカアシダカグモに擬態したゲリラアシダカグモが、マザーメカアシダカグモを見つけ出すことに成功したのだ。
この報告をうけたアサルトアシダカグモは、少数精鋭のチームを組んでメカアシダカグモの巣へと潜入した――
「それで、どうなったんです?」
彼――クレイトン長官は、閉じていた目を開いた。
いや、元長官か。
「勝ったさ。アシダカグモが。当然だろう?」
「だったら、なぜあなたはそんなに浮かない顔をしているんですか。もうメカアシダカグモの驚異は去ったんでしょう?」
「ああ。メカアシダカグモはもういない。だがな――」
言葉の途中で、クレイトンは視線を部屋の隅に向けた。
そこには、この真っ白な部屋には不似合いな、大きなクモがいた。
「我々は、監視されているのだよ」
「ただのクモでしょう?」
「ああ。ただのクモだ。だが、人類が敵わなかった敵を滅ぼしたクモでもある」
やはり、無駄足だったようだ。
こんな戯言を聞くためにここまで来たのかと思うと、どっと疲れがわくのを感じる。
「はあ……。では、マンハッタン島が沈んだのは……、あなたの言う、その……メカアシダカグモのせいだと?」
「そう言ったつもりだが」
「冗談はいい加減にしてください。ぼくはこの大災害の真相を聞きにきたんです。あなただけが知っている真実を! ぼくは、そんな馬鹿げた作り話を聞きに来たんじゃない!」
ダンッ!
机を叩く音が部屋中に響いた。
そんなに強く降り下ろしたつもりはなかったのだが。
どうやら自分で思っていた以上に、この茶番に対して怒りを感じていたらしい。
「落ち着きたまえ。ミスター……」
「ターナーです。ダン・ターナー」
「ミスターターナー。信じられないだろうが、これは本当の話なのだ。なにしろ、この部屋で嘘をつけば、私はあのアシダカグモに殺されてしまうのだからね……」
クレイトンの指は震えていた。まったく、信じられないことだが、彼の中ではすべて本当のことなのだ。
これ以上は無駄だ。
こんな子供じみた作り話を聞かされるだけで帰るのはしゃくだが、何度聞いたところで同じだろう。
マンハッタン島壊滅の真相を知っているはずのクレイトン長官は、精神に異常をきたしている。
医療刑務所を出ると、突き抜けるような青空が広がっていた。
無駄な時間を過ごしてしまった。もしこんなことを記事にすれば、ぼくまで正気を疑われてデスクにクビにされてしまうだろう。
しかし、引っ掛かることがあった。
数日前、リークされた軍のものと思われる情報のなかに、軍が開発中というロボットの名前が載っていた。その名も、メカアライグマ。
この名を見たときには、あまりの馬鹿馬鹿しさに失笑してしまったものだ。
webのアンダーグラウンドな掲示板でもエイプリルフールのジョークだろうと、真に受ける者など一人もいなかった。
しかし、クレイトン長官――元長官か、の話を聞いたあとでは、その意味が違うものに思えてくる。
あるいは、人間の手に負えなくなったクモを駆逐するための――
「ばかばかしい……」
あり得ない想像を振り落とそうと首を振った。
それにしても、さっきからまとわり付くような視線を感じる。
何度振り返っても誰も居なかったのだが、いま視線の先に一匹のクモを見つけた。
さっきの面会室にいたものと同じ、大きなやつだ。そうだ、アシダカグモと言ったか。
「まさか……な」
もしも……。仮にクレイトンの話が真実だとしたら、アシダカグモたちはメカアライグマ計画を知ったとき、何をするのだろう。あるいはもう始まっているのだろうか。
漠然とした不安を感じて、夏だというのに背筋が寒くなった。
アスファルトの地面に熱い日差しが照りつける。道の先には陽炎が揺らめいていた。