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Gaia(1)

舞台:2207年


確かに彼女はそこにいた。

これは空の天辺から大地の奥底まで見通した──ある『占い師』の物語。

 長い間、アタシの世界は限られたものだけで構成されていた。

 与えられるものは望んでいないものばかり。だからアタシは目を閉じ、耳を塞いだ。


 何も見えない。聞こえない。

 ここには何もない。誰もいない。

 空っぽな、肉の器。

 だから、何をされても平気。痛みも苦しみも感じない。

 ……呪文のように、何度も繰り返した。


 器の中にあるのは、ただ乾きだけ。

 望みなどなく、意志もなく、満たされる事のない心だけがここにある。

 けれど、他に自分の物と言えるものは一つもなかった。この身体も、世界を構成するものは全て何処かの所有物に過ぎない。だからまるで不毛の砂漠のような物でも、最後まで捨てる事は出来なかった。

 乾いてひび割れ、荒れ果てたそれだけが、アタシの全てだったから──。


+ + +


 いらっしゃい。占い師《ガイア》の家へようこそ。何の用だい?

 ……ははっ、そんなに怒る事ないだろ?

 ただの社交辞令の挨拶じゃないか。一応、あんたとアタシは『初対面』って事になってるの忘れてないかい?

 はいはい、ちゃあんとわかってるよ。あんたがただ遊びに来た訳じゃあないって事はね──それじゃあ、商談に入ろうか。

 さて、何がお望みかい?

 空の天辺から大地の奥底まで、この《ガイア》に知らないものなど何一つない。望み通りの『占い結果』を提示してあげるよ。

 ……え、二つ?

 ──そうだねえ……。ま、お一人様につき一回のご利用という事になってるけど、内容によるね。それで最初の一つは?

 ふむ……、軍部のアクセスコードねえ……。いいよ、お安い御用だ。

 ただし、末端端末だけにしといておくれよ? 第一関門さえ突破出来れば、あそこなら後は比較的楽なはずだからね。自分で何とかしな。

 この水晶を見て──ほぅら、見えてきた。わかったかい? 簡単な数字と文字列だ。この位は一発で覚えたね?

 ……で、もう一つというのは?

 え? ──悪いけど、もう一度言ってくれるかい?

 はあ? 《連邦》だって?

 あんた、気は確かかい? いくらアタシでも、渡れる橋と渡れない橋があるんだよ。

 あんたもここらの界隈での裏情報の隠語を知ってるだろう? 『サプリメント』──栄養補助剤、だってさ。なかなか言い得て妙だと思わないかい?

 アタシの情報サプリメントは、その辺りの丸飲みにしたらあたるようなレアなモノとは質が違うんだ。普通じゃ手に入らないものを提供するからには、品質と安全には気を配っているんだよ。

 いくら金を積まれても、命には代えられないからね。自分と客がヤバい目に遭うとわかっているネタは出す気がないね。

 ──おとといおいで!


 ……

 ………


 おやおや……、怒って帰っちまった。誰があの壊されたドア、直すと思ってるんだろうね? まったく……。

 ──これしきの事で血が昇るような客は、こちらからお断りだよ。たとえ、お望みのネタを握っていてもね!


+ + +


「──という事があったのさ」

 くさくさした気分をそのままに言い放ち、彼女はばさり、と頭から被っていた表情を隠す黒いレースのヴェールを脱ぎ捨てた。

 次はヴェールと同様の黒いレースの手袋、次は華奢なピンヒールの靴と、脱いではその辺へぽいぽいと放り投げる。

『それは気の毒に』

 何処からともなく彼女の言葉に同情的な相槌が返る。男のものだ。落ち着いた口調だが、声質は若い。だが、その室内には彼女以外の人間の姿は何処にも見当たらなかった。

『それで壊されたドアは?』

「とっくに修理屋を呼んで直してもらったさ。何処に目があって、何処に耳があるかわからない世の中だしね。……結局、今回のギャラがそれに消えたよ。あぁ、腹立つったら!」

 ぶつくさ言いながら、最後にイミテーションジュエリーで作られた派手なイヤリングを放り投げると、そこにはいかにもな感じの占い師ではなく、黒いキャミソールにショートパンツ姿の、何処にでもいそうな平凡な少女が一人現れる。

 ヴェールに何か仕掛けでもあるのか、客と話していた時と声音も違う。口調こそそのままだが、少しハスキーな低めの声は、今ではクリアで高めの声となっていた。

 見た所、十代中頃。少なくとも、二十歳は出ているようではない。

 ひょろりと肉付きの薄いスレンダーな身体。背が高い為、身体の線をまったく見せない衣装を着て、薄暗い部屋にいるとわからないが、化粧気のない顔はいっそ幼いと言って過言ではなかった。

 表向きには占い師《ガイア》として、裏では良質な『サプリメント』を提供すると特別視される情報屋がこんな少女だとはおそらく誰も思っていないだろう。

『……うん、安心していい。今セキュリティを一通りチェックしてみたが問題はない。盗聴器や小型カメラの類は仕掛けられていないようだ。今時、珍しい程に良心的な修理屋だな』

「ホントに? じゃあ、次もそこに頼むとするよ。ちょっと強突張りなジイさんだったけど」

『次、ね。……次回はドアは壊さないようにしようとか、考えないのか?』

 呆れたような男の声に、少女はフン、と鼻先で笑った。

「訂正させてもらうよ。『壊さない』じゃなくて、『壊されない』だろ? アタシが直接壊すんじゃないんだからね。向こうがいっつも、体当たりしてドアを破壊して逃げるんじゃないか。……かよわいレディに暴力で言う事をきかせようって輩に、遠慮なんてしてられるかっての!」

 鼻息荒く言い放つ少女の言葉に、男はそれ以上の意見は諦めたようだ。ただ、小さく苦笑した雰囲気だけが伝わる。

 実際、少女からしてみたら逆上して襲ってきた男を殴り飛ばし、蹴りつけ、いい感じに関節を極めて、仕上げに手の指を逆に曲げられるようにしてやるのは、十分正当防衛の範疇はんちゅうに収まる行為なのだ。

 命に関わる怪我なんて一つもさせていないのだし、毎回のようにドアを蹴破って壊される身としては、『壊さない』という表現には納得が出来なかった。

 ──もっとも、世間一般ではそこまで出来る女性を『レディ(貴婦人)』と表すのは難しい所だという事までは考えが及んでいないようだが。

「アタシだってね、出来れば穏便に事は運びたいんだ。やっとこさ、ほとぼりが冷めてきたし──この仕事も波に乗ってきたしね」

 ドサリ、と部屋の中央に置かれたベッドに倒れこむと、少女の巻きのきつい黒髪がばさりとシーツの上に広がる。背格好や顔立ちがどちらかというと地味な彼女の、唯一特徴的な部分である。

「そう……、本当は目立ちたくないんだよアタシは……」

『……カリィ』

「もう、あそこへは帰りたくない──」

『大丈夫……。もう、君は自由だ』

 今までの表情豊かさが嘘だったように、思いつめたような顔で呟く少女に、声は慰めるように言葉をかける。だが、それは少女の心を逆撫でる効果しかなかった。

 がばりと再び起き上がると、少女は中空に睨みつけて──まるでそこに声の主がいるかのように──口早に言い募る。

「でもっ、まだ終わってないんだろ!? この間、あんた言ってたじゃないか。今開発されている《人形》が──!」

『カリィ、落ち着くんだ。……大丈夫、君の身の安全は俺達が必ず守る』

「……っ」

 宥めるような静かな男の声に、カリィと呼ばれた少女は口を噤む。

 その顔は今にも泣きだしそうな、危うく無防備な表情だったが、本人にその自覚はない。長い事、誰かに甘える事など許されなかった生活を送っていた彼女は、突っかかる事でしか自分の弱さを口には出来ない。

 姿を見せない声の主はそれを知っているのか、それとも今の彼女の様子を何処からか把握しているのか、力づけるようにもう一度繰り返した。

『大丈夫──君は一人じゃない。俺達がいる』

「……何だよ、それ。今まで一度だって姿を見せないくせに……」

 憎まれ口を叩きながらも、感情の昂ぶりは収まったらしい。薄い唇と尖らせながら、カリィはまたベッドにころりと転がった。

「でも、そうだよね。アタシとあんた……いや、『あんた達』は同じ船の上。進むのも、沈むのも一蓮托生。──だって、アタシ達のどちらが欠けても《ガイア》は成り立たないんだから」

『その通りだ。最初に話しただろう? ギヴ・アンド・テイク……俺達はカリィに「情報」を渡し、カリィはそれを元に「敵」を撹乱する──俺達にとっても「敵」である相手を』

 そう──占い師《ガイア》と呼ばれる情報屋の実体は、複数の人間によるチームなのだ。カリィはその受付役兼番犬役に過ぎない。情報屋としての本体はこの『声』の方だ。

 客の求めに応じ、どんな手段を講じてかほとんど瞬時に必要な情報を引き出し、カリィの手元にある水晶を模したディスプレイに提示する。まるで魔法のようだといつもカリィは思う。

「ははっ、何か変なの。情報関係なんざ、今までのアタシの人生じゃ正反対の場所にあるもんだったのにさ。今じゃ知る人ぞ知る情報屋なんだもんね。笑っちゃうよ」

 言いながらも思い出すのは、かつていた場所での記憶。毎日、毎日──『人』をどうやれば殺せるのか、そればかりを教えられてきた。

 必要最小限の知識は与えられたが、余計な事を考えないようにする為だろう。今でこそカリィは文字を読めるが、《ガイア》を始めるまでは文字も読めなければ書く事すら不可能だった。

 厚いコンクリートの壁と、頑丈な鉄格子で隔離されたあの場所で、ただ『研究』の為だけに生かされて。あれは今思い返しても人に対する扱いではなかった。

 まるで獣の扱いだ。そう、あそこは人の形をした獣を育てる場所だったし、同時に実験施設だった。そこから救い出し、この部屋を与えて、人らしい感情と生き方を教えてくれたのがこの『声』だった。

「……ねえ。どうしてアタシだったのさ」

 ふと、今までは何となく怖くて聞けなかった質問が口をついた。誰でも良かった──そう言われたら、立ち直れないくらいに傷付く気がしてならなかったからだ。

「あの場所には、アタシみたいな人間は他にもたくさんいたよ? どうして?」

 でも本当はずっとその理由を知りたくて堪らなかった。初めて手にした心を許せる相手をもっとしっかり掴みたくて、カリィはその質問を口に乗せた。

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